2026年3月20日金曜日

椎名林檎氏と成田悠輔氏の対談から受け取った違和感について

 文春オンラインに掲載された椎名林檎氏と成田悠輔氏の対談から受け取った違和感について考えている。
https://bunshun.jp/articles/-/84821 (全文は月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載)

対談では、「自分が意図していないのに批判される理不尽さ」への戸惑いが強調される一方で、「なぜそれが他者にとって問題になるのか」への想像力が薄いように感じた。

「表現の自由が窮屈になっている」という実感は理解できるし、それは時に自分自身の悩みでもある。
けれど、その表現がどんな歴史の上に立ち、どんな文脈に触れてしまうのか。
そこへの視点が欠けたままでは、「理不尽に叩かれている」という感覚だけが残ってしまう。

旭日旗が背負ってきた、戦争や軍国主義、植民地支配の歴史的文脈を無視して、「ただのイメージ」として扱うこと。
それは無自覚であっても、受け取る側によっては、やはり無神経で、場合によっては暴力的ですらあるのではないか。

また、「ほんの20年ぐらい前に敗戦したみたいな雰囲気」という認識にも違和感を持った。
日本社会における“ナショナルなもの”への距離感は、戦後ずっと揺れ続けてきたものであって、ここ最近になって突然変わったものではないはずだ。

歴史は一方向からだけでは見えないはずだ。
見えていなかったものが見えてきたとき、それを「過剰反応」と片付けるのか、それとも自分の認識を問い直す契機とするのか。
その分かれ目が露わになった対談だったように思う。

ー 2026年3月19日(木)

0 件のコメント:

コメントを投稿