2026年7月25日土曜日

ダンシング義隆さん追悼

 昨日、ツアー先の今治で、ダンシング義隆さんの訃報を知った。

自分が中学3年から高校1年くらいの頃、関西テレビで、義隆さんのバンド名をそのまま番組名にした音楽バラエティ『誰がカバやねんロックンロールショー』が放送されていて、毎週見るのが楽しみだった(司会は明石家さんまと島田紳助)。
ちょうどロックを聴き始めたばかりのティーンエージャーだった自分にとって、『誰カバ』は夢に溢れた番組だった。

RCサクセション、シーナ&ロケッツ、アナーキー、子供ばんど、ソー・バッド・レヴュー、生活向上委員会……。
毎週登場するゲストバンドを思い出してみると、その多くが、その後、自分が繋がりを持つことになる人たちの在籍していたバンドだったことに気づく。

錚々たるミュージシャンが出演する中でも、義隆さん率いる「誰がカバやねんロックンロールショー」は、ゲストに引けを取らない強烈な存在感を放っていた。

特に、シャッフルのブルースロック・ナンバー「何処かで狼が哭いている」のインパクトは絶大だった。エルモア・ジェームスのスタイルを土台にしたバンドサウンドのかっこよさは、まだブルースに触れる機会のなかった少年にも、しっかり伝わってきた。
https://youtu.be/D76VMAYV900?si=QRPOghZG2o66UfFq

義隆さんと知り合ったのは、'90年代半ば、KBS京都の深夜番組に出演させてもらった時だったと思う。義隆さんはその番組のレギュラー出演者だったと記憶している(司会はオセロの2人)。
とにかく気さくで、エネルギッシュ。中学生の頃に抱いていたイメージと少しも変わらない義隆さんが、そこにいた。

当時はアコースティックギターでの弾き語りもされていて、記憶が曖昧なのだけれど、番組出演後、大津での自分のライブにゲスト出演してもらったこともあったと思う。

最後にお会いしたのは、4年半前、RAIN DOGSの岳原さんの十三回忌ライブイベントの時だった。
今は西成で暮らしていて、憂歌団の元マネージャーだった奥村ヒデマロ(宗久)さんと同じアパートに住んでいることなどを話されていた記憶がある。
ヒデマロさんも2年半前に旅立たれ、向こうの世界は賑やかになるばかりだ。

義隆さんは亡くなる直前までライブを続けられていて、昨日も出演予定だったという。
くたばるまでロックンロールし続ける人生だったのだと思う。

義隆さんは、自分の中にあるロックンロールへの憧れの扉を開いてくれた一人だった。
『誰カバ』の向こうに見えていた夢は、今も自分の中で生き続けている。

義隆さん、ありがとうございました。




※写真は写真家・細見大悟さんの作品を転載させていただきました。

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