2004年7月29日木曜日

7/29(木)和歌山オールドタイム VS古屋学

 らもさんの死を思い出すと、胸が締め付けられる。
 今年の5月に、ライブ・イベント春一番でらもさんと一緒になり、始めて話す機会があった。らもさんはその日のオレのステージも観てくれていたらしい。ラ イブの後は会えなかったので、感想は聞けなかったけれど、この日が出会いのきっかけになればいいのにと、勝手に思っていた。 
 特にらもさんの書く文章が好きだった。「笑い」という強力な武器を持って、身に起こるすべてをネタにしてしまうことのできる人だった。1ファンとしては、もっと長生きしてほしかったけれど、笑って見送るのが、らもさんの希望である。

 僕はなんとか立ち直ろうとする。なぜなら今は朝だからだ。
 僕は馬鹿だ。だが、一度たりとも悲惨だったことはない。
        ―中島らもー

 今日は穏やかでない気持ちで、ステージに立った。らもさんの死にも影響されていたかもしれない。ステージ上から、「愛」だとか、「恋」だとか、「明日」 だとか、「夢」だとか、「自由」だとか、「友達」だとか、「故郷」だとか、さまざまな言葉の意味や、常識に疑問を投げかけ続けた。「欲望」や「本音」や 「割り切れない思い」に向き合うことが、自分の表現の原点だということを再確認した。
 かなり毒の強いライブになった。ライブの後、馴染みのお客さんから今まで観たリクオのステージの中で、一番緊張したと言われた。
★ 串本の橋杭岩にて撮影。

2004年7月28日水曜日

7/28(水) 月野瀬温泉ぼたん荘 いろり館  VS古屋学

 2年振りの古座。この日のライブ会場は、温泉宿の敷地内にある、100数十人キャパのイヴェント・スペース。会場の目の前には古座川が流れている。回りを山と川に囲まれた素晴らしいロケーション。
 リハーサル前に古座川で、地元スタッフの大森さんが用意してくれたカヌーに乗ったり、川で泳いだりして遊ぶ。カヌーには、案外簡単に乗れた。とても気持ち良くって、もっと乗っていたかった。一度、本格的にカヌーで川下りをやってみたい。

★ カヌーに挑戦中のオレ。
 ライブにはお年寄りから子供まで、町の老若男女が集まった。お客さんの乗りは最高。前回よりも、積極的に参加して、楽しもうという姿勢が増していた。
 この日のライブ会場であるいろり館を使ったライブ・イヴェントは今回で11回目を迎えるそうだ。2年前に、オレがここで演奏させてもらったときが1回 目。そのライブがきっかけになって、地元の有志が集まり定期的にイヴェントが企画されるようになったそうだ。嬉しい話である。
★ 開演前の会場。
 この日は打ち上げもいろり館で。地元のスタッフの手料理を色々といただく。鯖寿司、手長エビ、鮎の塩無し焼き、かますのみりん干し等。  
★ 打ち上げで地元の盆踊りを踊ってみせてもらいました。
 
 

2004年7月27日火曜日

7/27(火)

ホテルをチェックアウトした後、去年に続いて尾根さんが、車で金屋町にある明恵峡温泉に連れて言ってくれる。回りを山に囲まれた最高のロケーション。山の懐かしい匂い、美味しい空気、いいお湯、言うことなし。
 松本さんが温泉まで車で迎えに来てくれて、2人で古座へ向かう。車中、爆睡。
★ かますの日干し。古座川町で。
 ホテルにチェックインしたら、原稿書き。締めきりは過ぎている。パソコン・メールをチェックしようとしたら、圏外。
 夜にエビちゃんから久し振りにメールが届く。中島らもさんが、酒に酔い、頭を打って、脳挫傷で亡くなったとの報告。
 ショック。

2004年7月26日月曜日

7/26(月)有田郡 ミネ美容室 VS古屋学

 JRで和歌山駅に到着すると、今回の和歌山ツアーをブッキングしてくれた松本さんが駅まで車で迎えに来てくれる。松本さんは、今日から4日間の和歌山ツアーに同行してくれる。
 有田郡に入ると回りはミカン畑ばかり。人口よりも明らかにミカンの数の方が多い。
 会場に到着すると、この日から3箇所の和歌山ツアーでジョイントさせてもらう古屋君とサポート・ギタリストの新谷君が既にリハーサル中。彼らにはエンジニアの佐藤君も同行。三人とは初対面。古屋君は和歌山県白浜出身でこの日は、御両親も顔を見せられていた。
 主催の尾根さんとは1年ぶりの再会。髪の毛が伸びて、ライオン丸みたいになっていた。
 色んな場所でライブをやってきたけれど、美容院でのライブは初体験。
全く問題なし。よく盛り上がった。ライブの後半で、尾根さんが、PAをやりながら、歌って、手拍子して、体を揺らして、大盛り上がりだったのが、嬉しかった。
★ ライブ会場のミネ美容院の前は一面ミカン畑。

2004年7月25日日曜日

7/25(日)京都 磔磔

  磔磔に3時入り。マネージメント担当のトッチーと合流。のんびりとリハーサルを始める。
 箱付きPAの荻野君は、だいぶお店の音作りに慣れたようだ。リハーサルの最初から、音がよいので、演奏していて気持ちが良い。
 リハーサルの時に、ピアノを弾く時の足元に、木の板を置いて、両足でタップを踏んでみる。思った程、大きな音は鳴らなかったけれど、本番でも使用することにする。PAには注文することがほとんどなかったので、リハーサルは予定より随分早く終わる。
 リハーサルの後、磔磔のマスター、水島さんと蕎麦屋に行く。オレは天ざる、水島さんはニシン蕎麦を注文。水島さんとは、学生時代からの長い付き合いだけれど、二人きりで食事するのは、初めてかも。オレの話を水島さんは、穏やかな笑顔で聞いてくれていた。
 水島さんは数年前に大病を患い、言語障害と半身不髄の後遺症が残ってしまったのだけれど、その後のリハビリで、驚異的に回復。現場にも完全復帰して、最近ではドラマーとしても復帰。病気前よりも血色がよく、とても元気そう。
 磔磔での完全弾き語りワンマンは3年振り。当日券も伸びて、たくさんのお客さんが集まってくれた。とにかくお客さんが、暖かい。やはり地元である。磔磔のステージに始めて立ったのが大学1年生の時。もう19年の歳月が流れてしまった。わお。
 ライブの後は磔磔にしばらく残って、比較的少人数で乾杯。ゆったりと落ち着いた打ち上げ。
 磔磔を出た後はトッチーと鉄板焼屋へ行き、二人で乾杯。
★ マスターの水島さんと2ショット。

2004年7月24日土曜日

7/24(土)姫路 ザ・バレル

 昨日ははしゃぎ過ぎた。移動の車中、ひたすら寝る。名古屋も姫路も猛暑。
屋外に出ると、ふらふらする。荷物が重い。体が重い。
 リハーサルの時に、「今日は2ステージに分けて、ライブをやってほしい」と言われる。わお!2ステージにすると、どうしても曲数が増えて、演奏時間も長 くなり、演る側はきつい。しかし店の都合を考えたら、その方が注文が出て、よいのだ。コンディションが今一つだったので、少し考えてしまうが、OKする。
 結果的には、いつもと違うライブの流れがつくれて、新鮮だったし、楽しめた。
 学生時代からの知り合いで、姫路在住のSさんが今回も観に来てくれる。Sさんは40を過ぎた去年に脱サラ。現在、焼き鳥屋で丁稚奉公中。来年には自分の店を出したいそうだ。今日はデビュー当時の曲を演奏したので、Sさんが喜んでくれた。
 打ち上げで、ゴスペルグループでピアノを弾いているという、20代前半大阪在住の女性と色々話しする。饒舌な大阪弁で、乗り突っ込みもばっちり。会話が よくスイングした。彼女を通じて、関西弁と関西文化の素晴らしさを再認識。彼女が、「今、ピアノを弾きながら、タップを踏むことを考えている」と話してく れたのを聞いて、自分も明日のライブで試してみようかなと思う。
開演前の会場。真ん中はスタッフの黒田さん。普段は学校の先生。

2004年7月23日金曜日

7/23(金)名古屋 スローブルース

スローブルースは30席ほどの小さなブルース・バー。お店の壁一面にブルースのレコード・ジャケットが飾られている。店内に流れる音楽もブルース・オンリー。徹底してブルースにこだわったお店。
 オープニングで演奏してくれた加藤政彦君は、スローブルースを拠点に活動している、地元在住のシンガーソングライター。彼との付き合いは古く、デビュー 前に遡る。彼はリクオの熱心なリスナーでもある。以前、居酒屋で加藤君と飲んでいたとき、相当に酔った彼が、いきなりギターを持ち出して、オレの曲を次々 と弾き語りし始め、面喰らったことがある。どの曲も見事にアレンジされていて、彼のものになっていた。
 彼は今年の春に自主制作で2枚目のアルバムを完成させた。彼にしか表現できないブルースのつまった、味わいのある作品だ。こういうマイペースで嘘のない 音楽を楽しんでくれる人が増えたらいいなと思う。このアルバムに参加して、絶妙のサポートをしている、ドラム&パーカッションのぴーちゃんとヴァイオリン のカナデちゃんは、この日のライブにも参加。技術以上に、愛情とリスペクトの生み出すマジックを感じた。
 場内は熱気と開放感に満ちていて、いい感じ。お客さんとの会話を楽しみながら、リラックスして、繊細かつワイルドに演れた。
 ライブの後、しばらくスローブルースで飲んでから、今池にある得三へ場所を移して飲む。半年ぶりに会ったマスターの森田さんは相当に痩せていた。糖尿病が発覚したので、食事制限をしたそう。オレの回りには糖尿病になる人が多い。後、痛風の人も多い。
 森田さんとの会話は楽しかった。相変わらずバカで知的なところが素敵。
★ 加藤君が演奏中、カウンターの中から撮影。

2004年7月22日木曜日

7/22(木)

 キーボードマガジンで連載するピアノセミナーの原稿を書く。オレにセミナーをまかせるなんて、キーボードマガジンも思いきったことをするなあ。しかし、なかなか進まん。

2004年7月21日水曜日

7/21(水)

東村山、山本さん宅スタジオでレコーディング。
 今日も録りの前に、長いディスカッション。

★空気感、部屋鳴り、息づかいを十分に生かした録音にする。
★自分の持っているグルーブを中心にサウンドをつくる。
★まず、自分の歌とピアノありきのサウンドにする。
★トラックダウンでサウンドをつくり込むのではなく、録りの段階で、基本的なサウンドが完成している状態を心掛ける。つまり録り音を生かしたトラックダウンを行う。
★録り音、マイキングには妥協せず徹底的にこだわる。
★ 録音に関するセオリー、フォーマット、固定概念に捕われず、自分の耳と感性を信じて、実験を繰り返す。

やっと録音の方向性が見えて来た感じ。焦らず、ゆっくりやって行こう。

 今日は体調が今一つだった。ツアーの疲れがとれていないし、この異常な暑さも原因しているのだろう。
 作業を終えた後は、山本さんといっしょに近くのウナギ屋さんで、遅めの晩飯を食べる。オレはひつまぶしを注文。相当に美味しかった。
 部屋に戻ったら、ぐったり。

2004年7月20日火曜日

7/20(火)

 大分から東京に戻る。異常な暑さにびっくり。九州で感じた暑さとは、質が違う。サウナの中にいるみたい。日中の気温は39、5度まで上昇したそう。

2004年7月19日月曜日

7/19(月)大分 カンタループ2

 カンタループは始めて演奏させてもらう場所なのだが、なんだか始めて来たような気がしない。アメリカンパブ風のつくりは、ドリームボートに近い感じ。店の雰囲気に最初から馴染んでしまった。
 客席にも知った顔が多かった。先日ライブを演らしてもらったレベナックの中島君がわざわざ小倉から観に来てくれる。
 今日はステージの後半で盛り上がって、ピアノを離れ、アカペラで歌った。
 ライブの後は、近くの居酒屋で関さば、関あじの活け造りを食べてから、知り合いがやってるバーヘ8人で移動。かなり飲む。知らないもの同士が自分を通じて知り合い、酔って、盛り上がってるのが、いい。
★ 打ち上げでタロット占いをやってもらいました。内容は秘密。

2004年7月18日日曜日

7/18(日)

 今日はオフ。小倉から別府で下車。別府と言えば温泉。地元の女性二人に別府を案内してもらい、夕方からは、ゆっくりと温泉につかる。
 案内してくれた1人が、副業でタロット占いをやっているというので、オレの星座である乙女座のタロット・カードを見せてもらう。乙女座は闇の中から光を見いだすタイプだとのこと。自分の歌詞のフレーズと同じことを言われ、少しどきりとする。あと、秘密主義だそう。
★ 差し出された乙女座のタロットカード。
★ 別府の竹瓦温泉で撮影。すんごく古い温泉でした。砂風呂もあります。
 

2004年7月17日土曜日

7/17(土)小倉 レベナック

 小倉の駅を出たら、賑やかな掛け声と祭り太鼓の音が聴こえて来た。街は小倉祇園祭で賑わっていた。小倉にも祇園祭があるとは知らなかった。京都の祇園祭よりも、地元の人が直接参加する地域密着型のお祭りのようだ。演奏場所であるレベナックの前も山車が何度も通った。
★ お店の前を小さな山車が通る。
 リハーサルが終わってから、ブラック・ボトム・ブラス・バンドのヤッシーが顔を見せてくれる。今から小倉の街をパレードしながら演奏するそう。彼らと は、去年もたまたま同じ日に小倉で演奏していたので、打ち上げで合流して盛り上がった。地方で知り合いミュージシャンに会うと、お互い、東京にいるときと はまた違った開放感があって、楽しい。
 レベナックの隣のカフェでは先日、サイゲンジがライブを演ったそう。そのときマネージャーの田中さんが、酔って号泣していたとのこと。
 今日はレベナックの3周年記念ライブ。3周年を記念してマスターの中島君が、ニューオリンズ・ピアノのオリジネーターであるプロフェッサー・ロングヘアーとドクター・ジョンのTシャツを制作、一枚オレにプレゼントしてくれる。
 レベナックはオレにとっては、一つの理想的なライブ空間。今夜もラフに弾けさせてもらった。ライブ中、遠くから祭りの太鼓の音が聴こえて来た。それもまた風情。
 中島くん、松井くん、スタッフの皆に感謝。

2004年7月16日金曜日

7/16(金)福岡 ドリームボート

 体調が今一つ。夏バテか?リハ-サル前にホテルにチェックインして、ホテル内の温泉に浸かる。その後仮眠をとってから会場入り。
 福岡は前日まで山笠祭り。今日は祭りの後の静けさ。
 ドリームボートはアメリカン・ロックを愛するマスターのジュンペイさんの好みを反影して、アメリカンパブ風のつくり。飲みながら観るのが基本スタイル。 今日はオレも飲みながら演る。お客さんと波長はバッチリ。気心の知れた奴等と盛り上がってる感じ。演奏しながら、どんどん楽しくなってゆく。ライブが終 わっても、そのままの気分で、体調不良だったこともすっかり忘れて、飲み続け、はしゃぎ続ける。ジュンペイさんは前日までの山笠祭りで相当疲れていたはず だが、オレに最後まで付き合ってくれる。 

2004年7月11日日曜日

7/11(日)CRAZY FINGERS PARTY at下北沢440 KyOnリクオ、斎藤有太

 本日も満員御礼。体調も上向き。
 ステージ上で前日よりインスピレーションが高まり、アドリブと遊びの部分がぐっと増えた。とにかく弾けた。それにしても、アンコールのステ-ジ上で飲むビールは最高やね。キョンさん、有太君、えらい楽しそう。クレフィン、いい感じ。
 ライブの途中で西本明さんが遊びにきたので、アンコールで呼び込んで、セッション。現場処理の楽しさを存分に味わう。
 他に知り合いではライターの和久井さん、ソウルフラワーユニオンの川村くん、大学時代の同級生一家、まるちゃんらが遊びにきてくる。川井さんがシンガーソングライターの谷村有美さんを連れて来てくれて、初対面。
 この日はライブも盛り上がったが、打ち上げも特別に盛り上がった。昨日今日と、すぐ近くにあるタウンホールで、ライブ・イヴェントをやっていて、その出 演者と関係者が2次回で440に合流して来たのだ。メンバーは、有山じゅんじさん、金子マリさん、バンバンバザールのメンバー全員、ブラックボトムブラス バンドのメンバー全員、元ロッキンンタイムの今野君、UKプロジェクトの会長でじゅんさん、下北沢のドン、スマイリー原島さんらである。下北沢にいても、 これだけ気心の知れたミュージシャン、関係者が集まるのはめずらしい。でも、これこそ下北沢ならではの現象。初対面の有山さんとキョンさんが肩を組んで、 盛り上がっているのが面白かった。

2004年7月10日土曜日

7/10(土)CRAZY FINGERS PARTY at下北沢440 KyOnリクオ、YANCY

 夏バテで食欲なし。体調は今一つ。
 午後3時半に440入り。リハのときに、「はじめにきよし」のはじめ君がふらりと遊びに来てくれる。今日、明日と下北でライブをやっているそう。
 ありがたいことに、今年に入ってから440で演らせてもらうライブは常に満員。この日も前売りチケットが、売り切れ状態。これだけたくさんのお客さんが来てくれると元気も出る。女性多し。男も来い。
 この日のライブは、オレの提案でメンバーに「1曲が終わった後に、ポーズを決めて、2秒以上、動かないよう心掛ける」という課題を持ってもらった。ステージで動きを止めることは、自覚していないとできないし、結構勇気がいったり、恥ずかしかったりするのだ。
 クレフィンのライブはメンバーが自分の殻を破って、ハッスルする場だと思う。だから、調子に乗って、バカなことをどんどんやってゆけばいい。
 この日のハッスル大賞はキョンさんだ。そこまでやりますか、という感じ。クレフィンのライブはキョンさんの「ダンスコーナー」が目玉の一つ。お客さんもアホになってハッスルするべし。 
 それにしてもステージ上の暑さは異常だった。滝のように汗が流れ、少しくらくらした。
ライブ後半では、調子に乗って、ピアノを離れ、ステージの前方に出て、ハンドマイクで歌った。イメージはラスベガズのプレスリー。
 この日はヤンシーの御両親がライブを観に来ていたので、MCで存分にいじらせてもらった。オレは自分の親が客席にいたら演奏しにくいなあ。エロイ歌とか歌いにくい。ポーズを決めるのも恥ずかしくなる。
 両親を前にしたせいか、ヤンシーは出足、少し緊張気味。途中からペースを掴かむ。88鍵をフルに使って縦横無尽のピアノプレイ。音が柔らかく流麗。笑顔が魅力的。  途中ツンタが飛び入り。キョンさんと「Run to the sun」をセッション。いい味をだしていた。
 明日もハッスルするぞ。
★キョンさんと二人でポ-ズを決める。。

2004年7月8日木曜日

7/8(木)

 明後日のライブに向けて、キョンさん、ヤンシーとリハーサルするため、自転車で吉祥寺ヘ向かう。この日もうだるような暑さ。スタジオに到着するまでに、かなり体力を消耗。この日に限っては、チャリンコを使用したのは失敗だった。
 キョンさんが、今回のライブでカヴァーする「MESS AROUND」のいくつかのヴァージョンと、その原曲になったと思われる曲を、MDに録音して持ってきてくれる。曲やフレーズが受け継がれて行く様が伝わって面白い。
 ライブの後、打ち合わせも兼ねてスタジオのすぐ近くにあるベッシーというお店で飲む。すぐに酔ってしまう。体調のせいだろう。
 暑さのせいで食欲が落ちている。部屋に戻って体重を測ったらだいぶ減っていた。

2004年7月7日水曜日

7/7(水)

ソウルフラワーユニオンが中心になって企画するコンピレーション・アルバムに参加するために、曲を書き下ろし、その曲を先週山本さんのところでピアノの弾 き語りで録音した。この日は錦織さんのところで、その弾き語りに歩ちゃんのチェロの被せ録りを行い、その後すぐにトラックダウンをやった。今回の録音は予 想以上に成果があった。
 ヴォーカルテイクは今までの録音の中で一番ニュアンス、色気出ていると思う。トラックダウンの途中でヴォーカルにかけていたコンプレッサーを完全になく してもらった。ピアノにもかけなかった。フェイダーの書き込みも一切なしにした。ようするに素の音である。それがよかった。 
 録りの段階から、部屋鳴り、空気感を生かすことに重点を置いて、工夫した結果、ライブの時に近い質感とグルーブを、録音でやっと再現することができた気がする。歩ちゃんのプレイも良かった。
 今までのレコーディングに対して、常に抱いていた疑問と不満が、一つ解決した気がする。結局、自分の感性を最後まで信じればよいのだ。

2004年7月4日日曜日

7/4(日)

 吉祥寺でキョンさん、有太君とオレの3人で来週のクレフィン・ライブ用のリハ。
 オレは3人でのセッション曲として、レイ.チャールズの「MESS AROUND」、オレのオリジナル「burning heart」、「光」の3曲を持って行く。キョンさんはセッション用に「loui loui」という曲を持って来る。
 音合わせして、二人ともうまいなあ、いいなあ、とあらためて実感。練習しよ。
 リハの後は、西荻窪で晩飯も兼ねて3人で飲む。そんなに飲んでないのに、すぐ酔っぱらって、しゃべりまくる。

2004年7月3日土曜日

7/3(土)

 原宿のBLUE WAY JAYというお店で、上田現さんのライブを始めて観る。叙情的なメロディーに、予想外の歌詞が乗ってくる。この人はきっと毎日、おかしな想像ばかりしてい るんだろうな。溢れ出るイメージを歌にしないと、狂ってしまうのかも。ライブを観ながら、そんなことを考えた。グロテスクなノスタルジーが寺山修司の世界 観に共通しているように感じた。共演させてもらえる機会があれば、面白いだろうな。
 体調が良ければ、もっと楽しめた。それが、少し残念。

2004年7月2日金曜日

7/2(金)

 写真家の高橋淳一さんの写真展オープニングパーティーで演奏するため、立川にある「りぶる」というお店へ行く。
 この日のパーティーの演奏者は、オレ以外にブンさん、梅津和時さん、山川ノリオ君(ギターパンダ)といった古くからの知り合いミュージシャン。ノリオ君以外は久し振りの再会。
 皆それぞれ、元気そう。高橋さんは、かなり太った。梅津さんは、出会った15年前からルックスがほとんど変わらない。年とった感じがしない。プレイも元 気一杯。相変わらずの素晴らしさ。特にコマッチャ・クレズマーのメンバーでもある多田さんとのデュオが楽しかった。坐る場所がなくてピアノの前に坐って二 人の演奏を聴いていたら、梅津さんが、演奏に参加するよう目で合図してくる。久し振りの音合わせ。
 梅津さんは、デビューの頃にアルバムをプロデュースしてもらったり、ライブをサポートしてもらったり、大変お世話になった人なのだが、オレが親からの一 人立ちを目指したようなところもあって、90年代後半から、ほとんど共演する機会がなくなっていた。梅津さんには、梅津さんなりのオレに対する思い入れ や、期待があったと思うのだが、今自分がやってる音楽は、梅津さんがオレに期待していたものとは、違うかもしれない。
 オレの出番は最後。ライブの後半で盛り上がってきたときに、梅津さんがサックスで乱入、さらに盛り上げてくれる。
 最後は「ソウル」をデュオでやらせてもらう。2人でなら、これぐらいの演奏は、すぐにできる。もっとは梅津さんを本気にさせないと、一緒にやる意味がないと思った。
 今度は共演するのは、いつになるだろう。ずっと先からもしれないし、案外すぐに機会があるような気もする。
★ 元気一杯梅津さん。