2014年7月21日月曜日

振り返り、思い出し、考える時間 ー いわき市と水戸市を訪れて

週末は、福島県いわき市、茨城県水戸市の常磐線沿い2ヶ所の街をツアーした。どちらの街も10数年前から定期的にツアーで訪れている街で、被害の大きさに違いはあるけれど、どちらも東日本大震災と福島第1原発事故によって被災した街だ。

いわき市club SONICのライブでは、オープニング・アクトだった地元バンド、アブラスマシのステージにぐっときた。バンドのVOはSONIC店長・三ケ田君。3・11以降、あらためていわきで暮らしてゆくことを決意した彼の思いが、歌を通して伝わった。その歌には彼の思いだけじゃない、彼が回りから受け取ったさまざまな思いがつまっているとも感じた。音楽表現はその人だけのものでなく、いろんな魂が宿ってなりたつものなのだとあらためて感じた。

打ち上げでは三ケ田君やソニックのオーナーSさん、南相馬からフリーペーパー「そうまかえる新聞」を抱えて駆けつけてくれたY君(「そうまかえる新聞」最新号に寄稿させてもらいました)らと、音楽、原発のこと等いろんな話をした。自分が福島原発のことを意識するようになったのは、多分事故が起こる5、6年前のこと、ツアーでいわきを訪れた際、三ケ田君に教えられたことがきっかけだった。福島第1第2原発が東京電力のものであること、東北で暮らす人達のためではなく関東圏に送電するための発電であること、老朽化していて危険だと言われている事など、自分はそれまで何も知らなかった。

SONICのあるいわき駅周辺は福島第1原発から45キロ程の距離。11年3月15日に第1原発で2度目の爆発があったとき、市からは、外出を控え部屋の窓わくにガムテープをはるように等の指示があると同時に、市民に対してヨウ素剤の支給が行われたそうだ。街のライフラインが断たれることで、市民は情報を入手できず、大きな不安にかられていた時に、このような指示があったことで街はパニック状態に陥った。ヨウ素剤は副作用が強く、あわててそれを飲んで体調を崩した人もいたそうだ。
3.11以降、いわきには多くのミュージシャンや著名人が支援のためにやってきた。けれど、被災した地元の人達は、彼らとの間に意識、感覚の違い、溝を感じることも多かったそうだ。
たとえば、ある映画監督は、いわきに講演に来て、地元の人達に対して、すぐにもいわきから避難するように訴えた。その講演を聞いていたいわきの知人は、自分が責められている気持ちになったと同時に、こちらの状況を考慮しない強い話し振りに違和感を抱いたそうだ。信じた道を突き進み、行動力ある人間の中に存在する独善と傲慢が、3.11直後の状況の中で、地元の人達の心をかえって傷つけてしまうこともあったようだ。

これらは、11年の8月にいわき市を訪れたときに地元の人達から聞いた話だ。今回、いわきに戻ってくることで、3.11以降、何度がいわきを訪れた中で、地元の人から直接聞いたさまざまな話、さまざまなドラマを思い出した。それだけ忘れてしまっているということでもある。



club SONICのフロア入り口の壁一杯に張り付けられた写真の数々。

いわき市の翌日、茨城県水戸市Blue Moodsでのライブは、地元のイベンター集団「地元でライ部」の主催だった(集団といってもメンバーは4人)。ここ数年、水戸にツアーで訪れるときは、いつも彼らがライブを企画してくれている。
この夜のライブの盛り上がりは、これまでのイベントの積み重ねによるところが大きい。企画自体が、地元の人達に定着してきていることを感じた。継続は力なり。次回の「地元でライ部」企画は、11月Blue Moodsでの山口洋ライブ。皆さん、ぜひ。

「地元でライ部」代表の甲斐くんは、家族で居酒屋を営んでいるのだが、震災によって建物がダメージを受け、再オープンまでに時間を要した。地産地消が売りだった食材も、放射能の影響で一時期、茨城産で通すことができなくなってしまった。
震災直後は水戸市もライフラインを断たれ、食料が不足したため、甲斐くんのお店は、蓄えていた食材を地域の人達に提供し続けたそうだ。
ライブ会場のBlue Moodsのマスター・榎さんは、震災後しばらくは、ライフラインを断たれたままの近郊の街に、車で飲み水と食料を運び続けたそう。この日の打ち上げでは、榎さんから、震災後しばらくして、津波で壊滅的な打撃を受けた三陸地方の沿岸沿いの街へ、義援金を持って訪れた時の話を聞かせてもらった。

被災した街の人達と話していて感じることの一つは、地元に対する思いの深まりだ。彼らは3.11以降、地元で暮らしてゆくことを選択しなおしたのだ。それと同時に、彼らは地元を超えてのネットワーク作りにも積極的だ。震災後、復興支援のため多くの民間人がボランティアで被災地に入り、地元の人達との交流を深めたこともネットワーク作りにつながった。(念のために、自分は地元に残ることが正しいとか美しいと言いたいわけではない。有事の際に、地元に残ることも、出て行くことも、それぞれの選択が尊重されるべきだと思う)。

そうした地域に根ざした視点からとらえる原発問題と中央都市からとらえる原発問題には、意識の隔たりを感じる。都市部では、放射能に対する恐れが極端に増幅される傾向が強いように思う。それによって、放射能や原発の安全性以外の、中央による地方の支配、搾取、地域コミュニティーの分断といった原発の抱える構造的な問題が見逃されがちな気がする。
原発は稼働停止になれば問題が解決するわけではない。廃炉に向かうにしても、原発との付き合いはこれからも長く続かざるえない。イデオロギーや政治的立場を超え、いくつもの世代をまたいで、ずっと向き合い続けてゆかなければいけない問題なのだ。

今回のいわき市、水戸市の2ヶ所ツアーは自分にとって、3.11以降を確認したり、振り返る機会にもなった。前を見るばかりでなく、振り返り、思い出し、考える時間の大切さも感じている。
−2014年7月21日

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