在特会のメンバーによる京都朝鮮第一初級学校襲撃事件から昨日で10年が経過したことを知り、7年前に自分のためだけに残していた日記の文章を元に、在日コリアンである同級生と後輩ミュージシャンとのそれぞれの体験を、ブログに残しておくことにしました。
自分には、故郷の京都で中学、高校、浪人時代を共に過ごした在日コリアンの同級生の友人Aがいる。彼とは今も、正月に地元で行われる同級生による恒例の新年会で1、2年に1度は再会し、楽しい酒を酌み交わす。Aは学生時代からやんちゃで明るく、飾らない性格で、誰からも愛されるクラスの人気者だった。今も彼が宴に加わると場が一気に盛り上がる。最高のムードメイカーなのだ。
今から7年前の正月の新年会のこと。皆でしこたま飲んで2次会もお開きになり、自分とAともう一人の同級生Bの帰り道が同じだったので、3人で一緒に徒歩で帰ることになった。
自分とBにとっては、心地良い余韻を残しながらの帰り道のつもりだった。ところがその道すがら、何かをきっかけに、Aが感情を爆発させるように思いを吐露し始めたのだ。自分とBにとっては唐突な展開に驚きながら、とにかくそこで足を止め、Aの話を聞くことになった。
彼が訴えはじめたのは、日本人の朝鮮人に対する偏見と悪意、現在の日本における在日コリアンとしての生きづらさだった。北朝鮮、韓国に対する悪感情が国内で高まり、ネット上で在日特権などのデマが拡散され、ネットだけでなく路上でも在日コリアンに対して人間の尊厳を著しく汚す聞くに耐えないヘイトスピーチ、ヘイトデモが盛んになり始めた頃だった。その数年前には、京都朝鮮第一初級学校に極右団体「在特会」のメンバーが押しかけ、激しいヘイトスピーチを繰り返す街宣行為を行う事件も起きていた。
「自分はさまざまな差別や理不尽を感じても、今まで我慢を続けてきた。被害者意識に取り込まれないようにも心がけてきたつもりだ。そしてこれからも、この国で暮らす限りは我慢を続けるしかないと思っている。もし在日の人間が声を上げれば、日本人の自分達への圧力は増々強くなるに違いないから。自分は日本で生まれ育ち、日本を愛そうともしてきた。なのに、朝鮮に帰れと罵声を浴びせらる。その風潮はさらに強まっている。なぜ、ここまで理不尽な思いをしなければならないのか。」
酒に酔った勢いもあったのだろうけれど、中学生からの付き合いのAが、自分の前でここまで感情を爆発させ、思いを吐露するのは初めてのことだった。寒空の下、彼の訴えに対して、自分とBは立ち止まり、ただ話を聞くことしかできなかった。
Aがここまでの怒りや哀しみ、やり切れなを抱えながら生き続けてきたことを、出会ってからその日まで、自分は想像したことがなかった。在日コリアンの知人は彼以外にも複数いたけれど、それまで、彼らが在日としての生きづらさや理不尽について語るのを直接耳にしたことがほとんどなかった。
自分は今もAの名前を通名でしか知らない。小、中、高の在日の同級生のほとんどは通名を使っていて、自ら在日コリアンであることを積極的にカミングアウトする者はいなかったと記憶している。
あの夜の出来事以来、Aと同じように、理不尽な思いを飲み込みながら生活する在日コリアンが多数存在することを、より意識するようになった。あれから 7年の歳月が流れ、彼らにとって日本はさらに生きづらい国になってしまった。
後日、Aと電話で話をした。
「先日はありがとう。話を聞いてくれる日本人がいてくれて嬉しかった。」
彼からそう言われて、少し救われる思いがしたと同時に、後ろめたさを含んだモヤモヤとした感情が残った。卒業後は新年会で1,2年に一度会うくらいの仲だったとは言え、自分はあの夜まで、彼の在日コリアンとしての思いに一度も気づくことがなかったのだ。
自分はこれからも在日コリアンの人達、そしてこの国のその他の多くのマイノリティーの人達と共に暮らしてゆきたいと思う。けれど、今までの自分が、この国のマイノリティーの人達の思いに寄り添って暮らしてきたのだと本当に言えるのだろうか。あの夜の出来事は、そういった自問を自分に与えた。
数年前、朝鮮名で活動を続ける知り合いの後輩ミュージシャンとライブイベントで共演した時、楽屋での彼があまりに落ち込んだ様子だったので、相談に乗り話を聞いたことがあった。
彼の話によると、前日のライブで、客席から在日であることを揶揄するヤジが飛んできて、その瞬間からまともな演奏ができなくなってしまったのだという。過去の積み重なった体験がトラウマとなり、そういう言葉を受け取ると、心も体も言うことを聞かなくなってしまうそうだ。
ライブ後にさらに追い打ちをかける出来事が続いた。ライブの様子を見ていた彼のスタッフから、ヤジを飛ばした人間を非難するのではなく、彼が朝鮮名で音楽活動することに問題があるのではという指摘を受けたのだという。そのスタッフに悪気はなかったとしても、彼がどういう思いで朝鮮名を名乗って活動を続けてきたのかを、想像できなかったのだろう。
日本の中で、朝鮮名を名乗って音楽活動を続けるミュージシャンはほんのわずかだ。自分の知る限り、芸能人になると、それは皆無に等しい。その事実の中に、日本での在日コリアンの生きづらさが表れているように思う。
排外や差別に加わらなくても、彼らの置かれた立場や生きづらさに気づかない限り、差別や偏見はなくらないし、本当の共生は成り立たないのだろうと思う。
ー 2019年12月5日(木)
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