2021年1月5日火曜日

「踊り場」に立つ意識

 イタリア在住の作家・塩野七生氏が、昨夜のNHK番組「ニュースウォッチ9」にリモート出演して、コロナ禍に思うことを語っていて、印象に残る言葉が多かったので、忘れてないよう書き留めておいた。

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《100%信仰を捨てる》

民意にそってロックダウンを小刻みに繰り返すことも、強力な対策で市民を押さえつけることも、どちらに流されることもよくない。その中間をゆくべき。

100%安全でなければいけない、100%民意に添うべきだといった100%信仰を捨てる。

《「踊り場」に立つ意識》

いままで我々は上に行くのに、エスカレーターやエレベーターで上がるのは当然と思っていた。そうではなく、階段を上っていて、今は「踊り場」にいると考える。「踊り場」は、息を整える場所。そうして、また階段を上り始める。

コロナ禍で我々は歴史の「踊り場」に立っている、そう考えればいいのでは。

《16世紀のベネチアに学ぶ》

16世紀のベネチアも「踊り場」に立たされていた。

東にオスマルトルコ帝国、北に神聖ローマ帝国など領土拡張を狙う大国に囲まれ、キリスト教陣営の一員としてイスラム教のトルコとの戦いの最前線におかれることに。

一方で、ベネチアはトルコと戦火を交えながらも交易は維持。価値観の異なる相手にも国を開き続けることで、高い経済力を誇り、その後200年以上にわたって独立を保ち続けた。

ベネチア人は、海上に立つ船の姿のように、バランスをとるのに慣れている。安全保障というのは、1国だけに頼るのは非常に危険。

芸術家もビジネスマンもベネチアを好んだ。ベネチアは亡命者も受け入れた。

人々がベネチアに求めたものは、人間らしく生きること。

強圧的な政策は一時的には成功するかもしれないが、長続きしない。それは人間性に反しているから。

《自由の大切さ》

日本人、日本に捨ててほしいと切に願うのは減点主義。

自由とは失敗をしてもいいということ。失敗が許されないのは、もう自由がないということ。どこの国でも、政体が違っても、自由があれば「踊り場」から上へ向かうことができる。

失敗を恐れない生き方で、階段を上ることができる。

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転がり落ちるわけでも、八方塞がりというわけでもなく、人類がこれまで繰り返しパンデミックを乗り越えてきたように、今回もきっと自分達に見合ったペースで乗り越えてゆける。自分たちの足で「踊り場」からもう一度上ってゆける。

そのときに大事なのが自由。自由な思考と行動が可能だからこそ、危機を乗り越えるための知恵があらたに生まれる。

歴史を見るとそういう国こそが長く続いてきた。

芯の強さを感じさせる塩野氏の言葉に、心が奮い立たされる気がした。

不安に流されず、楽観にも悲観にも寄り掛からず、「踊り場」から未来を見据え、また一段一段、階段を上ってゆこうと思う。


ー 2021年1月5日(火)

1 件のコメント:

  1. 感動しているところ恐縮なんですが、
    塩野七生がこう書いているのを見て書き込まざるを得ません。

    a.転がり落ちるわけでも、八方塞がりというわけでもなく、人類がこれまで繰り返しパンデミックを乗り越えてきたように、今回もきっと自分達に見合ったペースで乗り越えてゆける。

    実際には、ヴェネチアの滅亡の原因の一つはペストによって人口が15万から10万足らずに減り、国力が衰えたことです(塩野七生をこれを書いていません)。

    疫病を人類は確かに何度も乗り越えています。但し、無傷というわけにはいきません。
    我々は前に東日本大震災で天災がどれだけ怖ろしいものか知っています。
    それを思えばこんな代償はできれば支払いたくないものです。

    >ベネチア人は、海上に立つ船の姿のように、バランスをとるのに慣れている。安全保障というのは、1国だけに頼るのは非常に危険。

    どの口がそんなことを言うんですかね。亡んだもう一つの原因は国力が衰えた後、1699年のカルロヴィッツ条約で事実上ヴェネチアの安全保障をオーストリアに委ねたんです(ここも塩野七生は全くスルーしています)。

    これで中立という名目だが事実上オーストリアの属国となって平和が続いたのんですが、フランス革命後のナポレオンのイタリア戦役(1797)でオーストリアにくっついてたばっかりにナポレオンにヴェネチア政府にはもう実態がないことを看破されて、オーストリアとの取引の材料にされて亡びてしまいます。

    塩野七生は自分は自由主義者だといってますけど、実際には(悪い意味で)政治的ロマン主義者にすぎません。
    政治的ロマン主義者とはなんであるか?
    ヴェネチアは~、ローマは~、と昔のことを持ち出すんだけど、それが全く解決策になってない文筆家のことを言うんですよ。

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