2002年6月8日土曜日

2002年6月8日(土) 姫路・E-CLAT

EーCLAT は2年数ヵ月前までバレルハウスという名前だった。当時のマスター、 清水さんは物腰が柔らかく優しいまなざしが印象的で、心より音楽を愛する人 だった。2年前の4月に清水さんは急逝された。主人のいなくなったお店は一旦 閉められることになった。 俺は4年程前、長く所属していた事務所を辞めた。マネージャーがいなくなっ た。これからは自分で仕事をとらなければいけない。途方に暮れる暇もない状況 で、俺は方々に連絡したり会いに行ったりして自分でツアーのブッキングなどを やり始めた。冷たく対応されることも多かった。無下に断わられて何度もがっく りきた。 そんな頃、バレルハウスへ電話をした。清水さんの声は優しかった。受け入れて もらえると思った。それ以来俺は年に2回程の割合でバレルハウスへ通うように なった。清水さんはあまり多くを語らない人だが、いつもカウンターの奥から見 守ってくれているような気がした。 小坂忠の「機関車」をはじめて聴いたのはバレルハウスだった。いつかのライブ の後にアルバム「HORO」が流れ始めたのだ。何曲めかではじまった「機関車」の 印象は強力だった。祈りの歌だと思った。 「機関車」は清水さんの大好きな歌だった。2年前の3月、バレルハウスで始め て清水さんが歌うのを聴いた。俺のステージのオープニングを清水さんのバンド がつとめてくれたのだ。そのときに清水さんは「機関車」を歌った。しみた。 月があけて、清水さんは亡くなられた。深夜まで気持ち良く飲んで寝床につき、 そのまま逝ってしまったのだ。 しばらくして清水さんのよき音楽仲間でありバレルハウスのPAエンジニアも担当 していた井上さんから連絡があった。お店はなくなってしまうけれど清水さんの 意志を継いでこれからも姫路で音楽を盛り上げて、体制がととのったらリクオの ライブを企画します、とのことだった。 そして約2年ぶりに井上さんから電話をもらった。清水さんの甥っ子のみつぐ君 がバレルハウスをひきついでお店をオープンさせているので歌いに来てくれとの こと。そら行かな。 この日は小さなお店に入りきれない程のお客さんがつめかけた。清水さんの音楽 仲間も結構来られていたようだ。アンコールで「機関車」を歌った。しょっちゅ う歌わせてもらっている曲なのに、この日はちゃんと歌えるか、少し心配だっ た。うん、でも自分なりに歌えたと思う。 「機関車」を歌いながらこれからも時々、清水さんのことを思いだすんやろな。 音楽は大切な記憶を心に刻みこんでくれる。

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