ちばてつやの訃報に、ちゃんと向き合えずにいたのは、自分の心の容量が足りなくなっていたからかもしれない。
訃報の報道から1日が経ち、やはりその喪失感を無視することができず、追悼文のようなものを書くことにした。
小さい頃から漫画好きで、小学生の頃の将来の夢は漫画家だった。一番好きな漫画は、作画・ちばてつや、原作・高森朝雄(梶原一騎)による『あしたのジョー』だった。
少年マガジンに連載中だった小学2年生の頃から読み始めた(すでにライバルの力石徹は亡くなっていて、ストーリーは後半に入っていた)。最終回が掲載された少年マガジンも購入して、リアルタイムで読んだ。単行本全20巻は、小学生時代の自分にとってバイブルのような存在になった。
『あしたのジョー』は、物語のおもしろさや娯楽性だけでなく、人間の内面や存在、世界の見え方、言葉や表現そのものを深く掘り下げて伝えてくれる、自分にとって初めての作品だったと思う。『あしたのジョー』を通じて世界の見え方が変わったし、矢吹ジョーという存在を通して、アウトローへの憧れにも目覚めた気がする。
『あしたのジョー』の最終回で、矢吹ジョーが真っ白に燃え尽きるというアイデアが、原作の梶原一騎ではなく、作画のちばてつやによるものだったと知ったのは、大人になってからだった。
ジョーに淡い思いを寄せる乾物屋の娘・紀子とのデートシーンは、全20巻を通して、自分が最も印象に残っている場面の一つ。それも梶原の原作にはなく、ちばてつやによる創作だったと知って、腑に落ちた気がした。
力石戦以降、ジョーがドサ回りを始めるあたりからの画風とストーリーが特に好きで、詩を読むように何度も読み返した。展開を追うためというより、絵や表情、場面の空気、そこに流れている時間、哀愁、色気をもう一度味わうために読み返していたんだと思う。
ツアーで地方を回っていると、あのドサ回りの情景と哀愁が重なるように感じることがある。
全20巻の中で、最も語りたくなる試合を挙げるとしたら、力石の死のトラウマから完全に脱却するきっかけとなった金竜飛戦になると思う。酒の席で酔って、金竜飛戦のことを熱弁し、周りを引かせたのは、一度や二度ではなかった。金竜飛戦についても、いつか掘り下げて書ければと思う。
今思えば、『あしたのジョー』は自分にとって最初の純文学だったのかもしれない。勝敗や成功という単純な尺度を外して、人間の生き方を感じさせてくれた、自分の内面に深く刻まれた作品だった。
そして、『あしたのジョー』以上に思い入れのある純文学も漫画も、今もって存在しない。
『あしたのジョー』以外にも、多くのちばてつや作品を読んできたけれど、印象深いシーンを挙げるとしたら、短編作品『蛍三七子』の中の、三七子と浩のキスシーンは外せない。
なので、その場面も添付しておきます。
自分は、ちばてつやの「間」を生かした「色気」や「哀愁」「切なさ」に惹かれていたのだと、あらためて思う。
『あしたのジョー』は、ボクシング好きの父親のお気に入りの漫画でもあった。
父は、自分がプロレスと巨人を好きだったことを嫌っていたけれど(正確には、王選手と長嶋選手が好きだった)、『あしたのジョー』は二人に共通する価値観であり、自分と父をつないでくれる存在だった。
今日は父の命日なので、この文章を綴りながら、父のことも思い出せてよかった。
書き進むほどにいろんなことが思い出されて、まとめきれない。ちばてつやは、自分を形作ってくれた一人なんだと思う。
ありがとうございました。
心より哀悼の意を表します。
安らかに。
ー 2026年10月28日(水)






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