2026年2月22日日曜日

スローガン化された言葉と冷笑 ー 「#ママ戦争止めてくるわ」の反響に思うこと

 衆院選の直前、タイムラインに流れてくる「#ママ戦争止めてくるわ」という言葉を何度も目にした。

自民党の圧勝に伴って、防衛費の大幅増額、非核三原則の見直し、殺傷能力のある武器の輸出、スパイ防止法の制定、そして憲法九条の改正など、防衛・安保政策の大転換が行われ、日本が戦争に巻き込まれる可能性が高まるのではないか──そんな危機感から生まれた言葉であることは明白だ。

自分も同じ危機感を抱く一人だけれど、ハッシュタグの拡散には加われなかった。選挙の熱気が高まり、ハッシュタグがスローガンとしての強度を増すほど、「自分で考えるプロセス」が省略されていく危うさを感じたのだ。
これは性分のようなもので、この判断が絶対的に正しいとも思わない。ただ、自分の中にも確かに危機感があったからこそ、「考えるための余白」を守りたかった。安易に不安に押し流されたくなかったのだ。

選挙後に、このハッシュタグがエッセイスト清繭子さんの「ママ、戦争止めてくるわ」という日常の一言をきっかけに、主語を置き換えたバリエーションも含めて爆発的に拡散された経緯を知り、言葉に対する受け止め方が少し変わった。自分は「#ママ戦争止めてくるわ」を政治的なスローガンとして捉え過ぎていたのかもしれない。清繭子さんのnote(https://note.com/mayuko_kiyoshi/n/ndea3d724ba58)を読んで、その思いをより強くした。
個人の素朴な思いが、あまりにも急速に広く拡散されスローガン化することで、元の言葉の輪郭や背景が削り取られてしまったようにも思える。

ハッシュタグを政治色の強いスローガンと見なして強いアレルギー反応を示す人が出ることも予測できた。実際、拡散とともに冷ややかな批判や誹謗中傷が目立ち、その傾向は選挙後、さらに強まったように感じる。

雨宮処凛さんがこのハッシュタグを取り上げた記事(https://maga9.jp/260218-1/)がSNS上で広くシェアされ、反響を呼んだことも印象的だった。雨宮さんの記事は、過去の自身の経験に基づく見立てを含めながら、ハッシュタグを「リベラル界隈の内向きな特殊言語」として読み解く内容で、少なくとも記事中では、その出自には触れられていなかった。自分には、言葉が一人歩きしていることを象徴する内容のようにも感じられた。

拡散する側も叩く側も、想定する読者が自分たちの「仲間」に向いているという点では共通しているように思える。どちらの言葉も対話や議論を促すものというより、同じ意見同士で結束を確かめ合う「合言葉」として機能し、反応は明確に二分された。典型的な現代SNS型スローガンの構図に陥ってしまったと言えるだろう。

しかし、両者が完全に対称であるとは思えない。ハッシュタグを拡散する側に対して、相手の知性ごと貶めるような冷笑や揶揄を浴びせるのは、不均衡で残酷に映った。

揶揄を含む風刺やパロディそのものを否定するつもりはない。ただ、その刃が権力や制度といった「強者」ではなく、自分と異なる考えを持つ誰かを「一括りにして単純化し、貶める」ためや、弱い立場に向けられることに、やりきれなさを覚える。

スローガン化された言葉と冷笑がぶつかり合い、双方が過激さを増していけば、対話の余地はさらに削り取られていく。ハッシュタグをめぐる騒動も、そうした負のループに飲み込まれてしまったように思えた。
拡散されたハッシュタグが、元は一市民の子どもにかけた日常と地続きの言葉だったことを忘れずにいたい。自分も、「戦争はいやだ」という思いを共有する一人だ。

スローガン的な「強い言葉」が短期間で大きな波を起こすものであるならば、自分は、そうした言葉が振り落としていくものにも目を向けつつ、少しずつ水位を変えていくような言葉を紡ぎたい。

両者は必ずしも反目し合うものではなく、補い合う関係にもなり得るはずだ。
強い言葉で提起された問題の輪郭を、丁寧に確かめていきたい。
感情を否定することなく、モヤモヤを繰り返しながら、それでも思考を手放さずにいたい。

ー 2026年2月22日(日)

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