2024年4月4日木曜日

「話し合い」と「寛容」について ー 「不適切にもほどがある」最終回の備忘録

ツアー先の仙台のホテルにてうまく寝付けず、ベットの中でドラマ「不適切にもほどがある」の最終回を考察するYouTube番組をラジオ感覚で音だけで聴いてたら、自分の思いと重なる意見や新たな発見があったりして、とにかく面白くて聞き入ってしまった。

無限まやかし【エンタメ面白解剖ラジオ】
芸人の大島育宙氏と高野水登氏が映画やドラマ、漫画などのフィクションを考察

「不適切にもほどがある」の最終回が放送されてから5日経ってもまだドラマの余韻を引きずっていたので、このYouTube番組は自分にとってタイムリーだった。
「寛容」をめぐる大島氏と高野氏の熱さと冷静さを伴った議論は聞き応えがあり、議論の過程で両者の考えが更新されてゆく様は対話の理想形を示しているように思えた。
完全に目が覚めてしまったので、備忘録のつもりで、自分も、番組の意見を参考にしつつ最終回の感想を少し書き残しておこうと思う。

ドラマは毎回、ミュージカルソングが披露されるのが恒例で、第1回放送では「話し合い」がテーマの歌が披露され、歌の中で「話し合いましょう」というフレーズが何度もリフレインされていた。
その後も、「話し合い」はドラマの重要なテーマの一つとなる。
けれど、ドラマ最終回においては、状況によっては必ずしも「話し合い」が万能ではないことを示唆する展開が用意される。当たり前の話だけれど、「話し合い」は一方通行では成り立たない。時間を置くことも大切。「話し合い」も一筋縄ではいかないのだ。

「話し合い」に関するこうしたオチの付け方こそが、作品の多面性と誠実さを示していると思うのだけれど、ドラマを見続けなければオチが伝わらないあり方は、多くの誤解と批判を招いてしまった。
情報過多の時代においてワンクールのドラマにじっくり付き合うことが難しくなっている状況や、条件反射的なリアクションが可能なSNSのあり方が、批判に拍車をかけたように思う(一概に批判を否定するわけではないです)。

ドラマ最終回のミュージカルソングのテーマは「寛容」だった。歌の中で「寛容になりましょう」というフレーズが何度も繰り返されるのを聴いて、共感と同時に、正直、戸惑いも感じた。その思いはYouTube番組「無限まやかし」での藤原氏も同じだったようで、この歌に対してより肯定的だった高野氏との議論は多いに白熱した。

「寛容」はこのドラマのみならず現代のキーワードであり、もはや「ファイナルワード」のようにも自分は捉えている。故に「愛」と同様に、言葉が安易に消費され無意味化されてゆく危険性を孕んでいるように思う。
歌の中に「寛容と甘えは違う」というようなツッコミ的な歌詞も含まれているとは言え、少し表現の解像度が低く、言葉が都合よく解釈されてしまう懸念を抱いた。

3.11以降、差別する側が「レイシズム反対を訴える側にこそ自分たちが行う『区別』を受け入れる『寛容』さが欠けている」と主張したり、トーンポリシングの問題と結びつけてデモなどを通して理不尽に対する怒りを表明する態度を「不寛容」との言葉で押さえつけようとする傾向などを見てきたので、「寛容の肝要」を感じるからこそ、次第に言葉の使い方や使用場面を慎重に考えるようになっていたのだ。
ドラマの歌の締めの歌詞は「大目にみましょう」だけれど、そうだよなと思いつつ、大目にみちゃいけない場面があることも確かだとも思うのだ。

でも、脚本のクドカンさん(宮藤官九郎)はそんなことは百も承知なのかもしれない。このベタさ、直球具合こそがクドカンさんの覚悟と捉えることもできるように思う。言葉の危うさを自覚した上で、クドカンさんは批判覚悟で敢えて、「寛容」という露悪なき直球ど真ん中の「正論」をドラマの最後に投げ込んだのかもしれない。そして、ドラマを観続けてきた視聴者であれば、その真意は伝わるだろうとの思いもあったのかもしれない。
あるいは、クドカンさんは、この歌で再び批判が生まれることさえも、議論の機会としてむしろ良しとして期待していたのかもしれない。
個人的には、現在は「正論」が足りない時代だと思っているので、「相対化の時代」を生きてきたクドカンさんが、この状況において露悪表現なしに「正論」を投げかけることの意義の大きさも感じる。

自分は、このドラマを、自身の体験と重ね合わせて観る機会が多かった。第1話での「ケツバット」の場面は、中学生の野球部員時代に先輩からやられた側の記憶として、いい気分はしなかったし、少し心が固くなった。
ドラマのテーマの一つとなっている「話し合い」がうまくいかなかった苦い経験も思い出した。いつか面と向かって真意が伝わる時がくればいいなと思うけれど、その時点ではやはり「話し合い」はベストな選択ではなかったのだろうなと、ドラマを通してあらためて認識し直した。

「無限まやかし」でも語り合われていたけれど、マタハラで訴えた側の後輩・杉山ひろ美と訴えられた側の先輩・渚がエレベーターの中で偶然再会する場面は、最終回の中でも特に特に印象に残った。
2人はお互いに彼氏ができた近況を報告し合い、両者笑顔で別れる。互いの環境に変化が起こったことで、以前より2人に心の余裕ができてたことを窺わせる場面だった。
けれど、両者による「話し合い」が行われることはなく、多分、お互いのわだかまりは完全には解けていない。

後輩の杉山ひろ美と別れた後に、渚が自身に言い聞かせるように「寛容になりましょう」と呟く姿を見て、自分自身の経験が蘇り、「ああ、自分の方も相手を許せていなかったんだな」と気付かされた。
渚のように、自分自身にこそ「寛容」を言い聞かせてゆこうと思う。
そして、たまたま再会するような機会があれば、笑顔でいれるだけの心の余裕を持っていたい。

このドラマを通じて「何をいかに表現するか」の「いかに」の大切さと難しさをあらためて自覚させられた気がする。自分がどこまで受け取ることができたかわからないけれど、ドラマの中でクドカンさんが「いかに」表現するかを悩み自問自答した形跡は確かに感じられた。
ドラマのテーマとなるワードはシンプルでも、その言葉を肉付けしてゆく表現は多面的で気づきに満ちていた。繰り返し観れば、また新たな発見に出会うことのできる作品だと思う。
最初から最後まで深く楽しませてもらいました。

ー 2024年4月4日(木)

2024年3月25日月曜日

宮藤官九郎・脚本「不適切にもほどがある!」を毎週観てます

クドカンさん(宮藤官九郎)脚本のTBSドラマ「不適切にもほどがある!」を毎週楽しみに観てる。
タイムスリップによって昭和と令和の価値観の違いを面白おかしく浮き彫りにする内容。
ただ、見終わった後は毎回どこかモヤモヤした気持ちが残る。内容を簡単に消費したり消化できないところが、このドラマの醍醐味の一つだと思う。毎回、自身の感性や思考を試されている気がして、それを確認したくて、見終わった後に誰かとドラマに関して議論したくなる。

主人公による様々な「不適切な言動」に対するフォローが足りなかったり、時に「正論」が露悪的に表現されていることへの懸念や批判が作品に対して起きるのは仕方がないと思うけれど、クドカンさんは、そうした懸念や批判、誤解を覚悟の上で、踏み込んだテーマに挑戦したんじゃないだろうか。
どっちの時代が良いという話ではないのだ。安易な二元論に収斂させない投げ掛けに満ちた内容に表現者としての誠実さを感じる。

ただ、このドラマのポップさや、そのポップさに付き纏う説明不足は、内容を単純化して楽しむことを受け入れるが故に、都合の良い解釈も可能になり、一定の誤解も招き続けるだろうと思う。
クドカンさんは、その誤解を引き受けると同時に、視聴者を信頼しようとしているようにも思える。その表現に、忖度を乗り越えてゆこうとする覚悟を感じる。

自分にとっては、このドラマの内容や反響が、自身の考えを検証してアップデートさせる一つの機会になっている。
もしかしたらクドカンさんにとっても、このドラマの制作過程や反響が、自分の中の偏見や認識不足に向き合い、自身をアップデートさせてゆく一つの機会になっているんじゃないかと想像する。
クドカンさんは、ドラマの主人公・小川市郎と脚本家のエモケンに自身の一部分を投影して、自分自身をアップデートしきれない不完全な人間として謙虚に捉えているのではないだろうか。
誰もが自身の至らなさや過ちを自覚して、対話を繰り返しながら、より良い未来を目指して行けたらいいなと思う。

様々な反響を受け止めた後の、クドカンさんの次の作品も楽しみだ。
その前に最終回、どうなるんだろう。

ー 2024年3月25日(月)

2024年1月25日木曜日

有山じゅんじさんとの磔磔ライブで感じたこと



有山さんとの昨夜の磔磔でのライブ、あらためて感じるところが多々あった。


多分、有山さんはアンチエイジングを意識していないと思う。71歳の変わりゆく自分を受け入れ、構えることなく、今のありのままの自分を楽しもうとしてるように見える。

肉体の衰えによって、見えてくる新しい景色やもたらされるギフト、完璧を目指さないことで伝わるリアルや救いのようなものがあるんだと思う。


有山さんの音楽やステージパフォーマンスには企みやあざとさが感じられない。

本人自ら語っていたけれど、ライブ中に人を楽しませることも特段意識していないそうだ。ただ、自分が感じたり受け取ったものを歌やギターで表現することで、誰かが喜んでくれたり気持ちよくなってくれるのであれば、こちらも嬉しい。そんなスタンス。


多分、有山さんは、こんなふうに言葉にすることもあまり好まない。

言葉にすることで、振るい落とされてゆく何かがあることや、そこに意図が含まれることに敏感なんだと思う。

有山さんがこの投稿を読んだら、「リクオは大袈裟や」って言われそうだ。

でも、こういうことを考えて言葉にしてしまうのが自分でもある。


昨夜は会場全体に、心地良い循環が生まれていたと思う。流れに身を任せて有山ワールドを堪能することで、自分もその循環の一部になれたという充実感があった。

まさに一期一会の夜だった。


有山さんとのツアーはまだ続くので、ぜひ足を運んでもらえたら嬉しいです。

東京ラ・カーニャ公演はソールドアウトとのこと。ありがとうございます。


昨夜のライブのアーカイブ配信は2月7日(水)まで購入&視聴できます。きっと会場の空気感ごと伝わると思います。

https://twitcasting.tv/kyoto_takutaku/shopcart/285301


磔磔YouTubeチャネルにてライブダイジェストも無料公開中です。

https://youtu.be/BZnGf_6Icy0?si=K4SXztsIPf-8KseH


■リクオ・ライブ詳細 http://www.rikuo.net/live-information/

 





2023年12月9日土曜日

歌うことは生きること(茨田りつ子 談) ー 博多・Bassicにて

昨夜はライブ前に色々と考え事をして気持ちが落ち着かず、正直に言えば、本番直前まで少し憂鬱を引きずった状態だった。
毎回を万全のコンディションでステージに臨むのは難しい。抱え込んだブルースは歌で昇華するしかない。

ありがたいことに、ステージに出た瞬間、一人一人のお客さんの期待や熱量をダイレクトに受け取ることができて、心のスイッチがスッと切り替わった。そういうところは、単純な奴でよかったなと思う。

ライブ中は、歌えば歌うほど心が鎮まってゆく、浄化のプロセスをたどってゆくような感覚。とても印象深い夜になった。

「歌うことは生きること」
NHK朝ドラ「ブギウギ」の中で、歌手の茨田りつ子がそう語っていたのを思い出した。
心を開けば、音楽はいつも自分に寄り添ってくれる。

ライブは遊び場だったり、出会いの場だったりすると同時に、気づきや修行の場でもある。
音楽とお客さんとBassicに救われた夜だった。

ライブ後はBassicでしばらく打ち上がった後、オーナーの圭一君からの誘いでラーメンと居酒屋を2軒ハシゴ。
圭一君と2人だけで飲んだのは昨夜が初めてかもしれない。彼が全部奢ってくれて、素直に甘えさせてもらった。
圭一君の優しさはいつもさりげなくて心地よい。
ありがとう、また。

ー 2023年12月9日(土)

2023年11月26日日曜日

旭川・アーリータイムズにて野澤さんを思う

2年ぶりに訪れた旭川・アーリータイムズには、1年近く前に亡くなった店主・野澤さんの思い入れの形がそのままそこかしこに残されていて、懐かしさと安心感と寂しさが入り混じった、一言では語れない気持ちになった。

野澤さんと関わりがあった地元の皆さんの働きかけで、野澤さんのお兄さんがオーナーを引き受け、PAスタッフだったタカちゃんが新たな店主となってアーリータイムズは継続されることになった。

店入りすると、カウンターに座って、野澤さんがいれてくるコーヒーを飲むのがアーリータイムズでの長年のルーティーンだったけれど、今回は初めてタカちゃんがコーヒーを入れてくれた。その流れが違和感がなくてホッとした。

ライブ中は、野澤さんに見守られているような気がした。
中川君との北海道ツアーの締めがアーリータイムズでよかった。馴染みの人達とも再会できて、嬉しかった。またお互い元気で再会できますように。

「これからもここに来れば野澤さんに会えるんだな」と思った。

ー 2023年11月26日(日)





2023年11月18日土曜日

来年、有山さんと久し振りにツアーを回るにあたって

自分にとって師匠と呼べる存在を敢えて一人あげるとすれば、有山じゅんじさん以外に思い浮かばない。有山さん自身は弟子をとるようなタイプではなく、何かを直接指導してもらった記憶もないけれど、その背中からは実に多くを学ばせもらった。

出会ったばかりの頃、大学を卒業したばかりの何者でもない無名の若者である自分を、有山さんはツアーに誘ってくれた。今思えば、すごい抜擢だと思う。
有山さんからはこんな言い方で声掛けしてもらった。
「リクオ、今度ツアーに出るんやけど、一人でツアー回るの寂しいから、ついてきてくれへん?」
相手にプレッシャーを与えないこれ以上の言葉を他に聞いたことがない。

自分はサポートミュージシャンとしてツアーに参加するつもりでいたのだけれど、有山さんは各ライブでオレが歌うコーナーもしっかりと用意してくれて、有山さん名義のライブにも関わらず、実質、そのツアーは2人のデュオライブのような内容のステージになった。キャリアや世代に関係なく、対等にオープンに共に音楽を楽しもうとする有山さんの姿勢は、当時も今も変わらない。
それ以降有山さんから頻繁にツアーに誘ってもらうようになった。'90年代前半までは、2人だけでなく上田正樹さんも加わった3人で地方を回らせてもらう機会も多かった(時々そこにヴァイオリンのHONZIが加わることもあった)。
まだCDデビューする前から、有山さんの運転する車で、さまざまな町へ連れて行ってもらった体験は、その後の自分のツアー生活の原点となった。とにかく、有山さんとのツアーは、オンステージ、オフステージ含めて楽しい思い出しかない。

来年に還暦イヤーを迎えるにあたり何をしようかと考えた時に、70歳を過ぎて現役バリバリの有山さんとのツアーを思いついた。
初めて2人でツアーに出てから35年の時を経て、今も現在進行形の2人が久し振りに各地を回ることを想像してワクワクした。ツアーを企画するにあたっては、有山さんに恩返ししたい思いもあったけれど(当時「いつかリクオがオレをツアーの誘ってくれよ」と有山さんから言われていたのだ)、この文章を書き連ねるうちに、むしろこのツアーは自分へのご褒美だと思い返した。35年後にまた有山さんと2人でツアーに出れるなんて、当時の自分には想像できない未来だった。続けてきてよかったなと思う。
各地でお待ちしてます。

『有山とリクオのぐるぐるツアー 〜リクオ還暦イヤー記念』
●1/4(木)大阪市・BIGCAT  新春!南吠える!!(1/3~5開催)
「今宵はリクオと二人で、ありやまな夜だ!」
●1/7(日)和歌山・オールドタイム
●1/8(月祝)和歌山白浜・甲羅館 オープニングアクト:メトロロ
●1/24(水)京都市・磔磔
●2/2(金)愛知県豊橋市・HOUSE of CRAZY
●2/3(土)下北沢・ラ・カーニャ 
●2/4(日)三重県松阪市・M'AXA(マクサ)
※後日、追加ツアー情報告知


2023年9月15日金曜日

100年前と変わらない現状 ー 森達也・監督『福田村事件』を観て

森達也監督による初の劇映画『福田村事件』を観た。
関東大震災から5日後の9月6日、香川の被差別部落から薬の行商で福田村に来ていた1行15人のうち9人が、地元住民から朝鮮人ではないかとの疑いをかけられ、幼い子供3人と妊婦を含む9人が惨殺された事件を元にした群像劇だ。100年前の事件を通じて、被差別部落と朝鮮人虐殺という2つのタブーを取り上げることで、今現在を問いかける強烈な内容だった。

この映画が、明確なテーマやメッセージを持って制作されたことは間違いないだろうけれど、そういった作品にありがちな押し付けがましさのようなものは感じられなかった。それは、劇映画としてのクオリティーの高さと、多岐にわたる視点の存在に依るのだろう。
虐殺が描かれる以前の映画前半部分において、立場の違う登場人物一人一人の姿が生々しく丁寧に描かれていることがこの作品の肝だと感じた。そうした描写を可能にしたのは、脚本の良さだけでなく、キャスティングの妙と、それに応える役者陣の演技の素晴らしさだ。制作に関わった人達同士による相互作用の大きな映画なんだと思う。

加害者側の視点が多く描かれているのも、この映画の特徴の一つだろう。
物語の中に極端で凶悪な人間は登場しない。森達也監督自らが語っていたように「善人」が「善人」を虐殺する過程を描いた物語なのだ。

虐殺の契機となるのは、自衛意識からくる集団心理の暴走。その暴走に火をつけたのがデマの拡散だ。
関東大震災において、新聞と政府内務省が朝鮮人に関するデマの流布に加担した罪は重い。映画の中でも、内務省からの通達が流言流布にお墨付きを与える様子が描かれている。
現在の日本においても、当時の新聞のデマ記事を根拠に虐殺の正当性を主張し、在日の人達や隣国に対する偏見と差別を煽る人達が一定数存在する。当時のデマが今の日本にも影響を残し続けているのだ。

事件から100年を経て、果たして自分達のリテラシーが向上したのかどうか疑わしく思う。
現代のネット社会においてデマや陰謀論に絡め取られれてゆく際の特徴の一つは、「自分は常に情報を精査している」との思い込みだろう。その思い込みがもたらす傲慢な万能感は、ネット社会の中で生まれた新しいドラッグのように感じる。

関東大震災での虐殺は、朝鮮人のみならず中国人や日本人が含まれていたことも忘れずにいたい。集団心理の中で、異質なものが排除されてゆく傾向は今も変わらない。

この作品は、今後、注目と評価が高まるほど拒絶反応を巻き起こすだろう。そういった傾向は既にSNS上で確認できる。
その拒絶反応こそが、100年前と変わらない現状をうつしだす。
「反日」を声高に叫ぶ人達にこそ観てもらいたい映画だ。


最後に、この映画が制作されるきっかけとなったシンガーソングライター・中川五郎さんの楽曲『1923年福田村の虐殺』のライブ動画のリンク先と歌詞を掲載しておきます。五郎さんはラブ・ソングと同等にプロテスト・ソングを歌うことに自覚的な日本において稀有なミュージシャンだと思います。


        1923年福田村の虐殺     作詞:中川五郎

1923年、大正12年9月6日のできごと
それはちょうど5日後のこと、関東大震災の日から
千葉県東葛飾郡福田村、今の野田市三ツ堀のあたり
行商人の一団がその村にやってきた

売り物の薬や日用品を大八車に積んで
やって来た行商人の一団、その数は全部で15人
朝早く宿を出て歩き続けて福田村に着いたのは10時頃
利根川の渡し場近くの神社のあたりでまずは一休み

神社のそばの雑貨屋の前には二組の夫婦と
若者二人と子供らが三人、九人が休み
神社の鳥居の脇には一組の夫婦と子供らが四人
夫は足が不自由だった、まだひとつの乳飲み子もいた

渡し場から船に乗ろうと行商人が値段の交渉に
突然船頭が叫び出して あたりの空気は一変
「こいつら日本語が変だぞ」船頭が大声あげる
半鐘が激しく鳴らされて村のみんなが駆けつける

駐在所の巡査が先頭に立ち、村の自警団員が続く
手には竹槍や鳶口、日本刀や猟銃も
その数は全部で数十人、あるいは百人以上とも
自警団員たちが行商人に迫る「お前ら日本人か」

「わしらは日本人じゃ」答える行商人に
「やっぱりこいつら言葉が変だぞ」
「いったいどこから来たんだ」
「四国から来たんじゃ」
千葉の人間にしてみれば聞き慣れぬ讃岐弁
「お前ら日本人なら『君が代』歌ってみろ」

命じられるままに行商人たち「君が代」を歌えば
半信半疑の自警団員たち、
こんどはお経を唱えろと言ったり
「いろは」を言えと言ったり、どんどんエスカレート
目の前の見慣れぬ者が敵に思えて来た

本署の指示を仰ごうと巡査がその場を離れたとたんに
不安に駆られた自警団員たち、行商人たちに襲いかかる
赤ん坊抱いて命乞いする母親を竹槍で突き刺し、
逃げる男たちを後ろから鳶口で頭をかち割った

川を泳いで逃げようとした者たちは小舟で追われて
日本刀でめった切りにされて銃声も響く
雑貨屋の前にいた九人が全員殺された
鳥居の脇の六人は恐怖におののき震えるだけ

残った六人も捕まえられて川べりに連行される
縄や針金で後ろ手に縛られ、まるで罪人扱い
乳飲み子を抱えたまま縛られた母親を男が後から蹴りあげ
醜い顔で大声あげる「川に投げ込んでしまえ!」

興奮して頭に血が上った自警団員の男たち
残った六人全員を後ろ手に縛ったまま
川に投げ込もうとしたちょうどその時
馬に乗った警官が駆けつけて
凄惨極めた惨殺はそこで止められた

九月初めの昼の盛り、利根川の河原には
虐殺された九人の死体が転がる
幼い子供もいれば身重の若い母親も
無残な死体に残暑の日差しが照りつける


襲いかかった自警団員、福田村と隣の田中村の男たち
数十人の中で逮捕されたのはたったの八人だけ
殺人罪で起訴されて懲役刑を受けたが
昭和天皇即位の恩赦ですぐに全員が釈放された

殺人者を告発する検察官は
「彼らに悪意はなかった」と語り
弁護費用は村費でまかなわれ
家族には見舞金も支給された
殺人者たちの家族には村をあげての支援
惨殺された行商人たちには謝罪の言葉はないまま

出所した主犯格の一人、出所後は村長になり
やがては市会議員に選ばれて地元のために尽くす
おまえは夜眠れたのか、悪夢にうなされなかったのか
おまえたちがしたことは謝ってすむことじゃない

関東大震災の直後に朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだと
いたるところでデマが流され、たくさんの朝鮮人が殺された
誰も彼もが疑心暗鬼、言葉が少しおかしいというだけで
幼い子供や母親を竹槍で突き殺した

自警団員もただの人、家に帰れば優しい父親
我が子の遊ぶ姿に相好を崩し、隣近所と親しく付き合う
そんなどこにでもいる善人たちが徒党を組んで
不安に煽られたとたんに鬼になってしまう

福田村で襲われたのは四国香川の行商人たち
僅かな薬や日用品を売ってその日その日を暮らす
地元香川のふるさとの村を後にして
どうして旅を続けなければならなかったのか
千キロ近く離れた千葉の果てまで

三豊郡のふるさとの村では彼らに仕事はなく
稲を育てる田んぼもなく、小作料は高すぎる
地区の人たちのほとんどが行商をして暮らす
旅のつらさ覚悟すればからだひとつで始められる仕事

虐殺現場の福田村から謝罪の言葉は届かず
地元香川の中からも抗議や糾弾の声は起こらず
なかったことにしようと言わんばかりに
県のお偉方は知らんぷり
虐殺された行商人たちのふるさと、香川の被差別部落

2003年9月6日、80年の歳月が流れて
虐殺現場の三ツ堀で慰霊碑の除幕式
あの日と同じように残暑の日差しが照りつける
渡し場は今はゴルフの練習場、霊はここで80年さまよっていたのか


見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの

昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ

朝鮮人だとか部落だとか、小さな日本人よ
朝鮮人だとか部落だとか、小さな人間よ


ー 22023年9月15日(金)