2011年12月30日金曜日

年の瀬に、釜ヶ崎を訪れる

関西が誇るボッサ演歌のオリジネイター、カオリーニョ藤原に誘われて、久し振りに釜ヶ崎を訪れる。カオリーニョと動物園前駅で待ち合わせして、まず、難波屋という立ち飲み屋に連れて行かれ、日中から飲む。
 難波屋はカウンター席の奥の部屋が、ライブスペースになっていて、定期的に投げ銭ライブが開催されているのだそう。近年、釜ヶ崎界隈には多くの表現者が移り住んでいて、街の中にいくつものライブスポットが点在しているのだそうだ。
 それにしても難波屋の値段の安さには驚いた。やはり、ドヤ街ということで、物価は他の街よりも相当に安い。
 ひとしきり飲んだ後、お店のスタッフのSちゃんとカオリーニョに、街を案内してもらう。「じゃりん子チエ」の舞台にもなった萩之茶屋町から越冬闘争開催 中の三角公園(この公園で毎日炊き出しが行われている)を経て、飛田新知(表向きは料亭が立ち並ぶ色町)を通り抜け、新世界(歓楽街)まで、小1時間。目 にうつる全てが新鮮で、強力な印象を受けた。街が発散するニオイ、むき出しの佇まいに圧倒された。そして、短時間で色々と考えさせられもした。この街に接 したら、日本が抱える矛盾、ひずみを感じざるを得なくなるだろう。
 また、釜ヶ崎を訪問したい、色んな人をこの街に連れてきたい、と思った。

2011年12月29日木曜日

音楽と共に在る喜び

 2011年の仕事納めは、大阪にてケイヤンとのコンビで、ネイブとマーサでのライブイベントを掛け持ちする。
 ネイブのイベントは、年内でネイブを卒業するネイブ・スタッフ堤野君の卒業記念イベント。毎夏に大阪で開催されるサーキット形式イベント「見放題」のス タッフでもある堤野君には、ここ数年、色々とお世話になってきた。彼がネイブを卒業する理由はよく知らないし、これから何をするかも聞いていないけれど、 きっとこれからも地域に密着しながら音楽との関わりを続けてくれるのだと思う。
 堤野君、お疲れさん。そしてこれからもよろしく。

 オレの年末ワンマンライブと連日で行われるマーサの周年イベントも恒例化してきた。夕方からイベントが開演して、マーサにゆかりのミュージシャン10数 組が、それぞれ3曲づつ、リレー形式で演奏してゆく内容。今年はマーサ社長片平の高1の息子、泰斗が、親子競演でデビュー。エレキギターを弾く姿が実に 初々しかった。彼が生まれた頃から成長を見続けているので、この日の親子競演は感慨深いものがあった。
 イベントの最後は、オレとケイヤンのデュオで盛り上げた後、二人がホスト役になって、さまざまな出演者が入り乱れてのセッションタイム。
 そのセッションに、学生時代に一緒にバンドをやっていた外村伸二、西山元樹、マーサ社長の片平が参加していたのが、とても感慨深かった。彼らとバンドを 始めたことが、自分の今に至る音楽活動の原点だと思っている。出会ってから26年の歳月を経て、こうやってまた一緒に音を交わし合えることが、ほんとに嬉 しかった。
 外村伸二が今年21年振りにリリースしたアルバム「ストーリーズ」は、特に同世代の人達に聴いてもらいたい染み入るアルバムだ。自分も1曲、参加してます。

 2011年は、あまりにも大きな出来事があって、まだ重々しいものを抱えたままだけれど、だからこそ余計に、音楽と共に在れたことを、ほんとにありがたく思う。
 2011年に抱えた思いを、来年はさらに形にしてゆきたいと思う。
 
 この日もライブの後、多いに打ち上がり、朝方迄セッション大会。

2011年12月28日水曜日

年末恒例、マーサでスペシャル忘年会

『リクオのスペシャル忘年会 2011!』
【会場】大阪 martha(dinning cafe+goods)
【ゲスト】 キムウリョン(元cutman-booche)
 恒例になっているマーサでの年末ライブ、今年のゲストは元cutman-boocheのウリョン。
 バンドを解散して約1年。最近はソロでの弾き語りライブを精力的にやっているようで、その成果がこの日のステージにも表れていた。半年前に共演した時に 比べて、彼ならではの弾き語りの色が出てきたように感じた。サンプリングを使っての演奏は新鮮で、とても効果的だった。声の魅力、リズムの良さは相変わら ず。洗練、スタイリッシュと土着、泥臭さが同居しているところが、同世代のミュージシャンには見られない彼の個性の1つになっている。同じステージで、憂 歌団とフイッシュマンズの楽曲をカバーするミュージシャンって、なかなかいないと思う。
 一昨日に共演したシェキナベイベーズに対しても同じ感覚なのだけれど、ウリョンとは世代が随分離れていても、音を交わす上での共通言語がたくさんある。 もちろん、世代の違いからくるであろう感性の違いもあって、それが自分に新鮮な刺激を与えてくれてもいる。世代の違う人間と、リスペクトを持って音を交わ し合えるのは、とても幸せなことだと思う。自分が、ウリョンの元相方コミヤンと、来年からバンド活動を始めるというのも、何とも不思議な巡り合わせだ。

 1年前、マーサにやってきたアプライトピアノは、1年かけて、お店と何人ものピアノ弾きに愛でられて、格段に鳴りがよくなっていた。マーサならでは、そして2011年の年末ならではのライブができたように思う。
 忘年会ライブとはいえ、今年は忘れられない、忘れちゃいけないことがたくさんあった1年だったなあ。

2011年12月26日月曜日

シェキナベイベーズは、ええで!

大阪市塚本 ハウリンバー
「~シェキナパーティVol.5~」
【出演】高木まひことシェキナベイベーズ/リクオ
 シェキナベイベーズとは、彼らがバンド結成したばかりの5年程前からの付き合い。彼らとは、これまでも関西圏で共演する機会が何度もあったけれど、それ以上に一緒に飲む機会が多い。世代を超えて、大阪での最高の音楽仲間だと思っている。
 彼らが自分達のイベントにオレを呼んでくれたことが、とても嬉しかった。ハウリンバーはメンバー全員がお世話になっている彼らのホームグランド。自分は 初めて訪れたのだけれど、お店にもマスターのつるちゃんにも、すぐに馴染んだ。とても居心地がよかった。
 ライブは素晴らしい盛り上がりになった。シェキナの、演奏、歌、楽曲、パフォーマンスは、どれをとっても、出会った5年前とは比べ物にならないくらい、 クオリティーが高くなっていた。関西ならではの乗り、ローカル色が強いのも、彼らの特徴。しっかりファンもついて、ほんと愛されるバンドに成長したなあ。 この日のシェキナのライブで、一昨日、自分が共演したばかりのギターパンダこと山川ノリヲ君との共作が、数曲演奏されたことにも、不思議な縁を感じた。
 シェキナとのセッションも楽しかった。シェキナが自分達のステージで「噂の男」をカヴァーしてくれたのも嬉しかったな。
 シェキナベイベーズは、ええで!
 熱くて、アホで、楽しくて、長~い夜になった。よう飲んだわ。
 まひこ、ヒロキ、はっくん、みっくん、ありがとね!

2011年12月25日日曜日

着ぐるみをまとったパンクロッカー、ギターパンダ

【出演】ウルフルケイスケ/ギターパンダ/リクオ
 SO-SOの酒井夫妻とは、彼らがSO-SOをオープンさせる前からの付き合い。「会社員を辞めてライブハウスをオープンさせたいと思っているので、そ の際には出演をお願いしたい」という旨のメールを酒井君から受け取ったことが、付き合いの始まりだった。

 ギターパンダこと山川ノリヲ君とは、互いのデビュー時のレコード会社とレーベルが同じで、20年を超える付き合い。当時のノリヲ君はディープ&バイツと いうバンドをやりながら、忌野清志郎&2,3'Sのメンバーでもあった。最近のお客さんは、知らない人も多いとおもうけれど、自分は初期2,3'Sの一員 だったのだ。
 当時は、ノリヲ君と音を交わす機会がとても多かった。清志郎さんと共作してプロデュースもお願いした「胸が痛いよ」のレコーディングでは、ノリヲ君がギターで参加してくれている。
 ノリヲ君とは、昨年開催した自分のデビュー20周年イベントに参加してもらうことで、久し振りの再会を果たすことができた。それが、きっかけになって今回の共演にも繋がった。
 ギターパンダ、ケイヤン、オレがそろえば、楽しいイブにならないはずがない。けれど、この日のイブはただ楽しいだけのステージでは終わらなかった。特に ギターパンダと自分のステージには、3.11以降の影響が楽曲やステージングにはっきりと表れていた。
 この日のギターパンダのステージを見て、世の中に対する「違和感」が、彼の表現の大きな原動力になっていることを感じた。会場を爆笑の渦に巻き込んだ後 に、確信犯的な下ネタで場を完全に凍てつかせ、再び参加型の楽しい楽曲で場を盛り上げた後に、怒りと切なさが同居したシリアスなナンバーを歌い上げる。こ の対比、振り幅が、彼の抱える「違和感」を一層引き立てていた。あらゆる表現が過剰で、ぎりぎりのバランスをとり続ける危うさをはらんでいる。ほんと変わ らず不器用な男である。けれど、その不器用さが、リアリティーとなって、ぐっと胸に迫ってくるのだ。ギターパンダは着ぐるみをまとったパンクロッカーだ。
 ギターパンダとケイヤンが抱える「違和感」は、共通する部分があると感じた。ギターパンダの表現は、その「違和感」がむき出しになる瞬間がある。この日、2人は初共演を果たしたのだけれど、互いに相通じる部分を感じとっていたようだ。
 来年から始まるケイヤンとのバンド活動では、自分達が抱える「違和感」を、押し付けがましくなく、もっとダイレクトに、よりシンプルに表現できたらと思っている。この時期で、3人が共演できたことは、とてもタイムリーだった気がする。
 縁が縁を呼び込んで成り立った素敵な夜だった。

2011年12月19日月曜日

結成!

ウルフルケイスケ、リクオ、寺岡信芳、小宮山純平が「MAGICAL CHAIN CLUB BAND」結成!2/24(金)大阪knave、2/29(水)下北沢440公演決定!! http://ulfulkeisuke.com/live/
 すんごく楽しみ!!新曲もつくるぞ!

2011年12月18日日曜日

気持ちに寄り添うことの大切さと難しさー郡山にて

福島県郡山市 ラストワルツ 
 郡山に向かう前に、ミルトンの三浦夫妻、柚原君と一緒に、温泉街の遠刈田へ、三浦夫妻おすすめの鴨蕎麦を食べに行く。
 柚原君の運転する車で遠刈田に向かう道中、民家や田畑の敷地内で、たくさんの身をつけた柿の木をよく見かけた。数百年も昔から続いているであろう日本の 冬の風景。例年なら、これらの柿の多くは干し柿にされるのだけれど、今年は放射能の影響で、地元の殆どの人達が食することを控えているそうだ。
 それとは対照的に、道中よく見かけたリンゴ畑のほとんどは収穫を終えていた。この辺りのリンゴが年内で収穫を終えることはめずらしく、それは原発事故の 影響で福島県産のリンゴが売れないことが影響しているのだそうだ。話を聞いていなければ、自分はこれらの車窓の風景にただ心を癒されていただろう。
 連れてもらった遠刈田の蕎麦屋さんは、震災で店が倒壊し、その後同じ場所に再建し、再オープンされたのだそう。そのお店で食べた鴨蕎麦は、どこでも食べたことのない味で、素晴らしく美味しかった。

 鴨蕎麦をいただいたあと一端白石に戻ってから、三浦夫妻が自家用車でこの日のライブ地である福島県郡山まで送ってくれる。
 3.11以降、郡山を訪れるのは8月のプライベート訪問以来2度目。この日のライブ会場ラストワルツとの付き合いは、もう13年くらいになるかと思う。 お店に着いて、リハーサルに入る前に、マスターの和泉さんから現在の郡山の状況など聞かせてもらう。
 郡山市街の現在の空間放射線量は毎時0.7マイクロシーベルトを前後するくらい。夏に訪れた時からあまり変わらない線量。市街から少し離れた居住区だ と、その倍以上の空間線量になる場所もあるそう。除染をして一端線量が下がった場所も、しばらくするとまた線量が上昇してしまうケースが多く、これからの 季節は、風向きや雪の吹きだまり等によって新たなホットスポットが生まれることも懸念されているそう。つまり、収束からはほど遠い状況なのだ。 

 8月にプライベートでラストワルツを訪れた時の話。地元の知人達とさんざん飲んだ後に、再会を誓い合い、別れを惜しんでの帰り際、マスターの和泉さんが自分のそばまで寄ってきて、唐突にこう言ったのだ。
「リクオ、No more Fukusimaの曲を書いて!」
 普段は寡黙で、相手を気遣い、自分の感情を人にぶつけることのない和泉さんからの言葉だからこそ、余計に胸がつまった。
 それから4ヶ月の間にいくつもの曲が生まれた。それらは直截的に「No more Fukusima」を歌ったものではないけれど、和泉さんにぜひ聴いてもらいたい曲達だった。
 心を込めて歌い、演奏することができたと思う。
 和泉さんも店のスタッフも、この日のライブをとても喜んでくれた。

 打ち上げの席での話題の多くは、震災、原発事故に関するものだった。つらい話を色々と聞いた。
 打ち上げに参加した郡山在住の男性の伯父さんは、郡山で農業を営んでいたのだけれど、原発事故の後、放射能汚染に絶望して自ら命を断ったそうだ。
 ラストワルツの女性スタッフのTちゃんは「原発事故で一番つらかったことは、回りの人間関係が崩壊してしまったこと」だと話した。
 「福島は日本から独立した方がいい」という極端な意見も出た。地元の人達にそれだけ孤立感があるということだ。
 「福島産の食材がこんなに美味しかったなんて原発事故前は知らなかった。」そんな話も聞かれた。その人は福島の第一次産業を守りたい思いもあって、率先して福島産を食しているのだろう。
 正しいか、正しくないかを論じるよりも、こういった気持ちや状況を知ることの方がまず第一なのだと思う。今回の東北ツアーを通じて、相手の気持ちに寄り 添うこと、現場の状況を知ることの大切さと難しさをあらためて感じた。知ってるつもりでわかっちゃいないこと、実感できていないことがたくさんある。
 
 打ち上げの席で、和泉さんからこんなライブの感想をもらった。
 「今夜のリクオの歌を聴いて、自分達は見捨てられていないと思えた」
 郡山で暮らす人達の気持ちに、ほんの少しでも寄り添えたのならばよかったなという思いと同時に、和泉さん達の絶望を感じとって、何とも言えない気持ちになった。