2009年4月8日水曜日

京都 磔磔で梅津さんと再会 

京都 磔磔 
『磔磔35周年~2009春 梅津和時・磔磔のプチ大仕事』
【出演】梅津和時(sax,cl)/リクオ(vo,p)/有山じゅんじ(vo,g)/太田惠資(vo,vl)
 この夜のイベントの首謀者である梅津和時さんは自分のデビュー時の2枚のアルバムのプロデューサーである。もう1人の共演者の有山さんが自分にとって音楽界における師匠のような存在だとすれば、梅津さんは父親のような存在かもしれない。
  そんなお世話になった大切な存在に対して、自分は長らく距離をおいていた。ずっとリスペクトする気持ちに変わりはなかったけれど、自分自身が殻を破って変 わってゆくために、ある時期から親離れを意識するようになったのだ。それはかって、忌野清志郎さんに対して自分が抱いた気持ちにも近い。
 10代の頃から憧れていた清志郎さんのバックでピアノを弾くようになった当初は、ただただ嬉しかった。けれど、一番近い場所で清志郎さんの歌のすごさを嫌という程思い知らされて、自分は次第に嫉妬や焦りを感じはじめ、この現場に落ち着いてはいけないと思うようになった。
 そうやって考えてみると、自分は、若い頃に強い影響を受けた人に対しては、ある時期からことごとく距離を置いている。最近は同じステージに立つ機会が多い有山さんとも7年程共演が途絶えた時期があった。それらはやはり必要な時間だったのだと思う。
 昨年末に磔磔の水島さんからこのイベントの話を聞いて、自分から梅津さんとの共演を立候補してお願いした。多分13年ぶりくらいの音合わせである。
 ライブ当日、梅津さんはごく自然体で自分を迎え入れてくれた。以前と変わらないオープンな梅津さんだった。意識せずとも自分はそうゆう姿を見習ったのだと思う。
 
 この日の梅津さんとのセッションは自分が仕切るような形で進められた。こちらの乗りに梅津さんが乗ってくれたような感じ。以前の2人の関係性とはやはり違っていた。13年前には希薄だった芸人意識が自分の中で強くなったことをあらためて実感した。
 梅津さんのプレイには、この13年の間でさらに積み重ねられた年輪による味わいが感じられた。この1回では物足りないというか、もったいないというか、もっとじっくりお手合わせ願いたいとも思った。幸い来月に広島でまた梅津さんとの共演が決まっている。
 自分のステージの後の、有山さんと梅津さんとのセッションは素晴らしかった。これほど「間」や「余韻」を味わえる演奏はなかなか聴けない。
  太田さんとはお互い、やっと初共演できたという思いだった。初共演だけれど、音を聞けばすぐに太田さんだとわかるくらいに、自分は方々でその演奏を聴いて きた。実際に共演してみて、やはり確かなスキルと素晴らしい歌心、ワン&オンリーの個性を持った人だった。その演奏に、人としての懐の深さ、余裕、暖かさ を感じた。
 有山さんのマイペース、奔放さは年々磨きがかかっているように思う。有山さんと一緒だと、自分がフォローに回って、ちとまじめになってしまう。
 でもそれが嫌だとかやりにくいという感じではない。有山さんのわがままや奔放さは、さまざまな人間との付き合いの中で磨かれたセンスである。
 有山さんがハッピーだとこちらもハッピーになる。そういう人徳を持った人だ。この人の背中をみて自分が育ったことは間違いない。
 有山さんと梅津さんのセッションを観ていると、アンチエイジングとは対極の姿勢を感じた。年を取ることを受け入れ上での、その年代にしかできない素晴らしい表現がそこにはあった。
 実のところ自分はまだ、若くあろうともがいているところがあって、まあそういう邪念の残っている自分もよしとしているのだけれど、2人のセッションを観ていたら、年を取ることは悪くないなと心から思えた。見る人を実に前向きな気持ちにさせる表現だった。
 ミュージシャンは引退する必要がなく、いつまでたってもその時期、その時々のリアルな表現が可能なんだということを、先人があらためて教えてくれた。
 意義深い夜だった。

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