2010年6月9日水曜日

石田長生さんのライブに飛び入り

 横浜サムズアップで行われた石田長生さんのギター弾き語りワンマンライブに飛び入りして、7曲程セッションさせてもらった。
 数日前にいつものバーで飲んでいて、酔った勢いで石田さんに電話したことがきっかけで、急遽この日の出演が決まった。こういう展開は楽しい。
 石田さんとの出会いは、自分が大学4年生の頃。京都の磔磔まで石田さんと友部正人さんのジョントライブを観に行ったライブ後に、会場で自分の方から石田さんに声をかけて、デモテープを手渡した。 
 実はそのとき、デモテープを2本用意していて、石田さんと友部さんのそれぞれに手渡そうと考えていたのだけれど、当時の友部さんは近寄り難い雰囲気が あって、話しかけることを躊躇してしまった。友部さんとの交流が始まるのはその1年後くらいだったと思う。友部さんの奥さんのユミさんがオレのライブを観 て、友部さんに紹介してくれたのだ。
 当時、まだアマチュアだった自分は、リスペクトするツアーミュージシャンのライブを観に行って、デモテープを渡すということをよくやっていた。他には、 有山じゅんじさん、当時ティアドロップスで活動していた山口富士夫さん、西岡恭蔵さん、モジョクラブの一員だった三宅伸治さんにも手渡した。
 手渡したテープをちゃんと聴いてリアクションしくれる人が結構いたことには、とても勇気づけられた。富士夫さんからは「ロックンロールにはかわいらしさが必要だと思うけれど、リクオの音楽にはそれがあると思うよ」と言われたことが印象に残っている。
 石田さんは、デモテープを手渡したすぐ後に、わざわざオレのライブを一人で観に来てくれた。それからは、当時石田さんがやっていたバンド、ボイス&リズ ムのライブの前座に使ってもらったり、大阪でプロレスの興行があると誘ってもらったり、有山さんや憂歌団のメンバーの皆さんを紹介してもらったり、ほんと 色々とお世話になった。
 自分がプロになった後も、石田さんとは色んな現場で一緒させてもらったけれど、共演の機会は次第に減ってゆき、90年代後半以降、ほんの数年前まで、ほとんど共演することがなかった。
 正直に言えば、自分は、若い頃にお世話になったり影響を受けた先輩から、意識的に遠ざかろうとしていた時期が長かった。自分の表現を形作る上で、そうい う時期があるのは仕方がないことだったとは思うけれど、お世話になり、影響を受けた先人に対して、感謝やリスペクトの気持ちを伝えきれていないのではない かという後ろめたさのようなものは感じていた。
 同世代の中川敬、山口洋との再会を経て、昨年の梅津さん、石田さんと続く再会の流れは、自分の中での変化を象徴しているように思う。
 とにかく、出会いから20数年を経て、こうやってまた石田さんと音を交わすことができることを、心から嬉しく思う。

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