大分 カンタループ2
front act: AYAKO
この日の移動は、去年まで小倉でレベナックというお店をやっていたナカジーが、大分まで自家用車で送ってくれる。ナカジーにとっては非日常の小旅行。好
天に恵まれ、絶好のドライブ日和。ナカジーの旅に出た開放感がこちらにも伝わって来て、楽しい移動になった。
大分と言えば温泉である。市内のホテルでも温泉付きが当たり前。というわけで、会場入りする前に、宿泊先の温泉施設でしっかりと湯につかる。
この日、オープニングでギターの弾き語りを聴かせてくれたAYAKOのステージには、心を動かされた。彼女の後の自分のステージが、パフォーマンスを控
えて、歌う事ばかりに集中する方向に行ったのは、少なからず彼女の演奏に影響されたせいだと思う。切なくなるくらいに彼女が歌う必然が伝わった。
この日のライブを主催してくれたマチオ君はじめ、大分での知り合いは自分よりもずっと若くて、しかも酒飲みばかりが揃っている。だから、ライブだけでな
く、打ち上げでも、まだまだ元気で割り切ることのできない彼らのエネルギーを多いに受け止めることになる。この日もそんな夜になった。
ライブの後、客席でRCサクセションの曲をギター弾き語りで歌い出した若者(といっても30歳くらいかな)がいた。その場で、多くの人達が合唱しはじ
め、自分も少し離れた所から口ずさんでそのその輪に加わった。自分よりもずっと下の世代が清志郎さんの曲を歌っているのが嬉しかった。
その若者は打ち上げにも参加して、たまたま自分の隣に座ったので、言葉を交わし合った。シャイでナイーブ、行き場のない思いを持て余して、所在なさげで、途方に暮れている、そんな感じの若者だった。
多分、学生時代は不良でも優等生でもない、群れることもできない、そんな奴だったんじゃないだろうか。それはまさに10代の頃の自分でもある。
きっと、彼の思春期はまだ何も終わっていないのだろう。
若者と清志郎さんの話もした。自分にとって清志郎さんの歌は、思春期の持て余した思いを肯定する、思春期をいつまでも断念しない、そんな歌だったように思う。若者と接して、自分はそんなことを思い出した。
自分の中にも、彼の中にも、清志郎さんの中にも、そして清志郎さんの回りにいた人達の中にも、共通するメンタリティーがあるのだと思う。清志郎さんは、
そんなメンタリティーに共鳴したり、そういう人間の多くが持っている弱さにいらだったり、勇気づけようとしながら、音楽生活を全うしたのではないだろう
か。
清志郎さんのことを「優しい人」という言葉だけでは決してすませてたくはないけれど、自分も含めた多くの人達が、少数派のメンタリティーに対する清志郎さんの「優しさ」と「理解」にふれて、勇気づけられたことは間違いない。
歌を聴き続けた後に実際に出会った清志郎さんは、やはりそのような「優しさ」と「理解」を充分に感じさせてくれる人だった。そのことを確認できて自分はさらに勇気づけられた。間違ってなかったと思った。
ある時、清志郎さんは確かに自分にこう言ったのだ。
「リクオの歌を聴くとオレのことを歌ってくれているような気がするよ」
それこそ自分がずっと清志郎さんに伝えたかった言葉だった。
これは自分にとって、最高の自慢話です。
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