2011年4月5日火曜日

4/5(火)3つの顔ー「太陽の塔」を見上げる

 大阪から藤沢に戻る前に、万博記念公園に寄って「太陽の塔」を見た。
 離れて見ると少し寂しげにも見えたのだけれど、近くで見上げると、突き抜けるようなエネルギーを感じて、圧倒された。
 岡本太郎は、この作品に、文明の発達や進歩に対するアンチテーゼを込めたという。「進歩というと、未来の方向ばかりに目を向ける。科学を誇る。それがはたして、人間的・精神的な前進を意味しているのか」太郎はそう問いかける。
 塔が背後に背負う「黒い太陽の顔」をしばらく眺め続けた。正面にある「黄金の顔」「太陽の顔」との対極が強く印象に残った。

 この日は、好天に恵まれ、行楽日和であった。公園の桜は六部咲きといったところで、家族づれの姿が多く見られた。のどかで幸せな風景の中で、胸を刺されるような感情を思い出したりもした。「春は痛みを思い出す季節である」と誰かが言っていた。
 この複合的にからみあった感情をどう表現すればいいのだろう。

 藤沢に戻ってから、震災直後に一度連絡が取れたきり、連絡がつながらなくなっていた仙台の知人と、ようやく連絡が取れる。話を聞いて、彼の状況を想像する。
 この日は夜中じゅう、伝えるべき言葉について考えていた。結局それはうまく見つからなかった。
 この日はネガティブな感情も受け取ってしまった。それは自分に因る。けれど、その感情にチャンネルを合わせちゃだめだ。パソコンを閉じた。
 想像力と寛容。絶望や哀しみも想像した上で、光を探す。許し合う。そんなに容易なことではない。
 ライブで弾けて、エネルギーを交感し合う時間も大切だけれど、こうやって一人で考える時間も必要だ。
 「太陽の塔」を思い出す。そこには光だけでなく闇の存在も、希望だけでなく絶望も、過去も、現在も、未来も、全体的なものが表現されているように感じた。「太陽の塔」のように、自分も3つの顔を持ち続けよう。

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