《日本は武器を生産し輸出できる国になり、実質的に、常時戦争に参加する国になった。だから「戦争がまた始まるのではないか」ではなく、残念ながら「戦争はもう始まっている」。戦争に言葉も心も奪われないための理念を、語り続けなければならない。》
歴史学者・藤原辰史氏のこの寄稿文における指摘を、重く受け止めている。
昨日は、「楽天グループがドイツの防衛スタートアップ企業Helsing(ヘルシング)と提携。同社の攻撃型ドローンを日本に導入するのを支援し、陸上自衛隊向けに提案するほか、将来的な日本国内での国産化(量産)も視野に入れている」とのニュースを目にしたばかりだった。こうした動きは、藤原氏が指摘する「戦争へ向かう社会の変化」が、すでに現実の問題になっていることを感じさせる。
寄稿文の中の、「戦争があったから再軍備した」のではなく、「再軍備を進めたことが戦争へ向かう社会の流れを加速させた」という指摘は核心を突いているように思う。戦争を「開戦の日」から捉えるのではなく、軍事・経済・言葉・記憶・メディアなど、社会全体の変化が積み重なっていく過程として捉えるところに説得力を感じる。
また、戦後日本の反戦思想が「自分たちは戦争の被害者にならない」という意識に偏り、植民地支配や朝鮮人被爆者、コンゴのウラン採掘など、戦争や核兵器をめぐる加害と被害の世界的なつながりを十分に見つめてこなかったという批判も、真摯に受け止めたい。
さらに重要なのは、「言葉が失われること」と「戦争へ向かうこと」を結びつけている点だと思う。
「コメントを差し控える」のような、一見すると中立的で無難に見える言葉が、現実に起きている暴力や被害を見えなくしてしまうことがある。だからこそ、「戦争に対抗するための土台となるのは、理念に裏打ちされた言葉である」という指摘は重い。
言葉は単なる情報伝達の手段ではなく、何を大切にし、何を許さないのかを考えるための基盤でもある。言葉を失えば、現実を見つめ、疑い、対話する力も失われてしまう。
「戦争はもう始まっている」という言葉を、諦めや無力感として受け取るべきではない。
「もう始まっている。だから仕方がない」のではなく、始まりつつあるからこそ、歯止めをかけると同時に、別の方向へ進む社会を、共に想像し、築きなおしてゆきたいと思う。
ー 2026年8月18日(火)
0 件のコメント:
コメントを投稿