2014年2月23日日曜日

ソロアルバム「HOBO HOUSE」発売に寄せて

ソロアルバム「HOBO HOUSE」が一般発売になりました。3.11以降にリリースする初のオリジナル・ソロルバムということもあり、特別な感慨があります。
このアルバムの最初のレコーディングセッションが行われたのが、2011年の7月。その後、コラボ・ライブアルバム「HOBO CONNECTION VOL.1」、MAGICAL CHAIN CLUB BANDの1st.アルバム「MAGICAL CHAIN CLUB BAND」のリリースを挟んで、作品の完成までには随分と時間を要しました。
ここまで、時間がかかってしまったのは、やはり3・11の影響が大きかった。あの出来事とそれ以降の社会の変化によって、ソロアルバムの内容を考え直さざるを得なくなりました。3.11以降の自分のスタンスが表れた内容にしたいと思ったんです。なんて言い方をすると、少しかた苦しいイメージをもたれてしまうかもしれませんが、今回のアルバムの中では、具体的な何かに反対を表明したり、アンチテーゼを掲げようという気持ちはなかったんです。
曲を書いたりアルバムを制作する上での動機には、ストレス、怒り、閉塞感といったネガティブな感情が存在しましたが、その思いをストレートに表現しようとは思いませんでした。今の世の中に閉塞感、息苦しさのようなものを感じるからこそ、柔らかく風通しのよい作品にしたかった。敵をつくって2項対立を深めようとする流れがあるからこそ、そういう殺伐とした空気から離れたい、社会から少し距離を置いて、旅人の視点からの歌をアルバムにおさめたいと考えました。他者との繋がりを求める普遍的なラブソングも歌いたかった。世の中のやな空気にチャンネルを合わせ続けたくなかったんです。

今回のアルバムの共同プロデューサーの笹倉慎介くんは、現在32歳の才能あるシンガーソングライターです。録音場所となった埼玉県入間市の米軍ハウス街にあるスタジオ、グズリレコーディングハウスは、彼が運営するスタジオです。慎ちゃんがこの木造の古いアメリカンハウスに越してきたのが2007年。以前から、この街と縁のあった僕は、越してきたばかりの慎ちゃんと知り合い、以来、交流を深めてきました。
元々、住居として使われていた空間を、彼は自らの手で、こつこつと時間をかけてリフォームし、機材を揃え、この場所で自身のアルバムを制作するだけでなく、レコデーィングスタジオとして一般にも開放するようになりました。通常のスタジオの密閉された空間ではなく、周囲に緑が多く、日中は自然光が入る心地よいオープンな空間で、時間をかけてレコーディングはすすめられました。このスタジオと慎ちゃんの存在なくして、今回のアルバムは成立しませんでした。

多分’0年代後半くらいから、自分よりも若い世代と交流し、自分とは違った感性やその暮らしぶりに触れることで、水面下で時代の価値観は既に変わり始めているのだということを実感するようになりました。慎ちゃんの世代の多くに、自分のようなバブル世代にはない「地の足のつき方」、頼もしさを感じる機会が増えました。
慎ちゃんも、音楽活動の最初から、メジャー資本に期待しない、インディペンデントな活動を続けていて、そのありようがとても自然に感じられました。インディペンデントであることが、特別なことではなく当たり前なんです。既成の価値観に反対を表明するまでもなく、既に新しい価値観の中で暮らし、音楽活動を続けているって言うと、ちょっと持ち上げ過ぎかな。
なんというか、自分にはない成熟や洗練を、若くして身につけているなあという気もしたんです。その一方で、年齢の割に幼さを感じる部分もあったりして、多分、目指すところは同じでも、たどってきた今までの道順が自分とは違う。そういうところも新鮮に思えたんです。
今回の作品には、慎ちゃんのような自分よりも若い世代のセンス、空気感、才能が必要でした。その感性から受けた影響を作品に反映させたかったんです。自分一人で作品をプロデュースしていたら、もっと暑苦しい内容になっていただろうと思います。

7年前に慎ちゃんと初めて出会って、彼の弾き語りを生で聴かせてもらったときに、オレは彼に面と向かって「もっとストレス感じた方がええよ」なんて、偉そうなことを言ってしまいました。ただ、それは彼の音楽を聴いての素直な感想でもあり、彼の素晴らしいセンス、才能を感じたからこその、よけいな一言でもありました。慎ちゃんもその言葉をずっと覚えてくれていたようで、最近の彼のブログで、当時の2人出会いのことを書いてくれています。素直ないい文章だと思います。

http://sasakurashinsuke.com/2014/01/26/

それから月日が流れ、3・11を経て、オレも慎ちゃんもストレスを感じざるを得ない状況に追い込まれました。そんな中で、震災、原発事故から4ヶ月経たない頃に最初のレコーディングセッションが行われました。そのセッション自体は素晴らしいものでしたが、オレはその後のアルバム制作の展望が見えなくなっていました。
そのとき、2日間行われたレコーディングのオフ日に、慎ちゃんと2人で曲作りをしました。そこで生まれた曲が、アルバムにも収録した「夜明け前」です。その曲は自分にとって、3・11以降、初めて完成させることのできた曲でした。さまざまな不安、ストレスを経て生まれた、願いを込めた1曲です。この曲が生まれることで、アルバムの制作も一歩前に進めた気がします。それでも完成までには時間を要してしまいましたが。

こうやって長々とアルバム「HOBO HOUSE」について語ってきても、まだ作品のほんの一部分しか語れていない気がして、もどかしく感じます。実際にアルバムを聴いてもらえば、ここに書かれている内容とは、また違った印象を持たれるかもしれません。ぜひ聴いて、体験してください。
このアルバムは、自分を媒体として、共同プロデューサーの笹倉慎介はじめ、さまざまな人たちとの出会い、関わりの中で、生まれた作品です。参加してくれた多くのミュージシャン全員がホントに素晴らしかった。レコーディングエンジニアのモーキー、マスタリングのコテツさんとも一緒に仕事ができてホントによかったです。レコーディングの後、夜中にお邪魔して毎回美味しいて料理とお酒を出してくれたカフェSO-SOにも心から感謝。
今の時代に生きる歌と、愛おしい一期一会を残すことができました。
このアルバムを聴いてくれた人の心の風通しがよくなったら嬉しいです。

多くの人に届きますように。 ーリクオ


























★リクオ『HOBO HOUSE』
HOME WORK (HW031) 2014年2月21日発売
¥2,835(税込)

●アルバム特設サイト

●HOME WORKからの注文

●amazonからの注文

●OTOTOYからの超高音質HQD(24bit 48k WAV)&mp3(320dpi)での有料配信。

●アルバム曲のPV
「光」
「Happy Day」


2013年11月2日土曜日

父西川長夫の死に寄せて

父西川長夫は、10月28日午後5時22分、京都の自宅にて静かに息をひきとり、79年の生涯を終えました。葬儀は、本人の遺志により、10月30日に密葬にてとりおこなわせてもらいました。
父は昨年の11月6日に胆管癌との診断を受けて、市内の病院に緊急入院しました。その後、幸いにも病状が落ち着き、今年の1月に退院し、自宅療養を続けてきました。
学者であった父は、自宅療養期間中も新しい著作への意欲を失うことなく、その準備を進め、多くの方々に支えられながら、最後迄研究者としてあり続けることができました。
父の研究はフランス文学から始まり、戦後日本文学、国民国家論と多岐に渡りますが、近年は、自身の朝鮮からの引き揚げ体験を基に搾取モデルとしての「植民地」をキーワードにして、文化、社会を批評してきました。
僕自身は、ミュージシャンという父とは畑の違う道を選び、意識的にも無意識的にも親とは違った価値観、生き方を模索してきた気がしますが、特に3.11以 降は、病床の父との会話や、その著作にふれることで、父の姿勢、考えに、以前よりも理解を寄せるようになりました。
3.11以降、僕はソウルフラワーユニオンの中川敬君らと伴に被災地各地の避難所や仮設住宅をボランティアで演奏して回りましたが、父と母はそのときの様 子を綴った僕のブログを読んでいて、震災から約1年後に2人で被災地を訪れ、僕が回った同じ場所を見て回りました。そのときのことが、今年の5月に出版さ れた父の最後の著書「植民地主義の時代を生きて」の中に書かれています。
著書の13章「二つの廃墟について」、14章「東日本大震災が明らかにしたこと」の中で父は、戦後日本の原発体制を新植民地主義の典型として言及しています。その中のほんの一部分を抜粋させてもらいます。

「日本の原発地図を一瞥すれば明らかなように、五十四基の原発が置かれているのは、列島の周辺部であり、その多くは巨大地震や大津波が予想されている地域 である。どうしてそういうことが起こるのか。現代のエネルギーの中心をなす原発の問題は、新植民地主義の典型例である。新しい植民地主義の最も単純明快な 定義は私の考えでは、「中核による周辺の支配と搾取」であるが、これは「中央による地方の支配と搾取」といいかえてもよいだろう。中核と周辺はアメリカと 日本のような場合もあれば東京と福島のような場合(国内植民地主義)もある。この2種の植民地の関係は複合的であり、また中核による支配と搾取を周辺の側 が求めるという倒錯した形をとることもありうるだろう。」

 「二つの廃墟。戦後はようやく一つのサイクルを終えたと思う。破局を迎えた「長い戦後」の全課程が厳しく再検討に付されなければならない。保守と革新、 あるいは右翼と左翼を問わず、長い戦後を支配したイデオロギーは「復興」であった。「復興イデオロギー」の内実は、経済成長(開発と消費)とナショナリズ ム(愛国心と家族愛)である。それは結局、資本と国家の論理に従うことを意味するだろう。」

「私の結論は一口で言ってしまえば、グローバル化は新しい形態をまとった第二の植民地主義(植民地なき植民地主義)である、というものです。~だが、 3.11の衝撃によって、私はより重要な本質的な問題を見落としていたいことに気付かされました、それはグローバル化が賭していたものは、石炭や石油に代 わる原子力エネルギー、すなわち原爆/原発体制の主導権であったということです。冷戦期にはじまったこの主導権争いは、社会主義圏の崩壊によってアメリカ の勝利に終わる。グローバル化がアメリカ化となるのはそのときからです。アメリカ化とはアメリカの資本と一体化したアメリカの世界政策(アメリカ主導によ る世界の原爆/原発体制化)の一環としてその枠内ですべてが進行するということです。つまりアメリカの支配と搾取の下にあるということです。韓国や台湾の 原発も同様で、決して独立したものではありません。」
ー『植民地主義の時代を生きて』西川長夫(著) 平凡社 (2013/5/27)より

最近の国内情勢、社会の空気を察すると、父の言うように「戦後はようやく一つのサイクルを終えた」とは必ずしも思えないし(終えるべきだと思っています が)、父のすべての考えに同意するわけでもありませんが、父のこの著書にふれて、さまざまな箇所で、積み重ねてきた自分の実感が言語化され、腑に落ちてゆ くような感覚を持ちました。
父は70代に入って、体力の衰えを自覚しながらも、中国、韓国、台湾といったアジア諸国へ積極的に出かけ、多くのシンポジウムで講演し、現地の人達との交 流を深めてきました。それは、日本の植民地で生まれ育ち、軍国少年であったという自分のルーツに向き合い、問い続けるための行動の一つだったのかもしれま せん。
今回、父の死を受けて、彼の考えのほんの一端を紹介することが、自分なりの父への供養の一つだと考えました。自分にとって特にこの半年は、父とのあらたな 出会いの期間であった気がします。父は他界しましたが、父との出会いをこれからも続けてゆくつもりです。父のことを考えることで、父とは違う自分なりの考 え、生き方も確認してゆきたいと思います。
自分の基本は、曲を書いて、ライブで弾けて、打ち上げでバカをやることだと思っているのですが、3.11以降は、時には社会にコミットする発言も必要なの ではとの思いが強くなりました。でも、そういう発言をすると、言葉がどんどんかた苦しくなって、嫌な空気を呼び寄せてしまい、気持ちまで硬直してゆくよう な気がして、正直、今もそのバランスの取り方に悩み続けています。以前よりも父の言葉や姿勢に共感を寄せるようになったのは、こういう自分自身の変化も関 係していると思います。
父の言葉を、自分なりにもっとわかりやすく翻訳できないものか、歌やライブや活動スタイルの中でも、頭でっかちになり過ぎず、五感をバランスよく使いなが ら、ユーモアを忘れずに、情をもって、柔らかく伝えられたらなあと思っています。でも、このブログでは、これからも時々、かたい話もすると思うので、無理 なくお付き合い下さい。
多くの研究者、仲間の皆さんに支えられ、家族に見守られ、父は幸せな最期を迎えることができたのではないかと思います。父に関わり続けてくれた皆さんのご尽力、ご協力に心から感謝します。ありがとうございました。
 ー2013年11月2日(土)

2013年8月25日日曜日

AZUMIさんが藤沢にやってきた


ー孤独を「経て」最高の泣き笑いライブ 昨夜は、藤沢のバー「ケインズ」で、大阪からやってきたAZUMIさんのギター弾き語りライブを観た。AZUMIさんは、自分にとってのリアルブルーズマ ン。出会ったのはオレが学生の頃だから、随分長い付き合いになる。自分が大阪を離れて17年。東京暮らしを経て、藤沢に越してきて5年。今、暮らしている 街の馴染みのお店にAZUMIさんが来てくれて、この街で知り合った人達と一緒に、そのライブを観れることが嬉しかった。
久し振りにAZUMIさんのライブをみて、やられた。ホンマに。最高の泣き笑いの夜だった。
すべての感情を引き受けた音楽。混沌、矛盾、醜さに向き合うことで生まれる震えるような説得力。ドロドロの感情を経た透明感。AZUMIさんの表現は、と にかく「経て」を積み重ねて、積み重ねて、ここにある。いつでもリアルタイム。進行形の音楽なのだ。
出会った頃からずっと、AZUMIさんには孤独の影がつきまとう。あまりにも敏感な自分のアンテナに振り回され続けている人なのかもしれない。オフステー ジでは、いつもどこか所在無さげ。1人が嫌いなわけじゃないのに、優しくされ過ぎると、どうしていいかわからない、逃げ出したくなってしまう。そんな不器 用な人なのだ。
AZUMIさんは、孤独にずっと向き合い続けてきた人なんだと思う。その姿勢は音楽に昇華されている。この夜のステージを見ていて、AZUMIさんは、孤独を「経て」ゆくことで、すべに通じるような水脈に行き着いたような気がした。
心の奥底での共感は魂の浄化をうながす。結構飲んだわりに、今朝の目覚めが清々しかったのは、AZUMIさんの音楽に深く共感して、泣き笑いさせてもらったおかげだと思う。
-2013年8月25日

2013年8月23日金曜日

プロジェクトFUKUSHIMA!イベント「Hello!!816(廃炉)」に参加して

ー2年振りのラストワルツ 先日、ミュージシャンとしても人としても尊敬する遠藤ミチロウさんからお誘いを受け、福島県郡山で開催されたプロジェクトFUKUSHIMA!イベント 「Hello!!816(廃炉)」に、脱原発を希望する1人として参加させてもらいました。イベントでは、郡山市街のいくつかの会場で同時並行にライブが 行われ、自分はラストワルツのステージに立たせてもらいました。ラストワルツは、15年前にツアーで訪れて以来、ずっと縁が続いているお店なんです。
今から約2年前、福島第一原発の事故から5ヶ月後にラストワルツを訪れました。その時の訪問は、プライベートなものでした。郡山には多量の放射能が降り注 ぎ、多くの人が街を出てゆく中、郡山に残ることを選択したラストワルツのマスター和泉さんら地元の知人達と再会し、酒を酌み交わすことが目的で、ツアーの 途中に、ラストワルツを訪れたんです。ある程度は予想していたのですが、お店の扉を開けたら、やっぱり楽器とマイクが用意されていて、急遽小一時間程のラ イブをやらせてもらいました。
ライブを終えた後の飲み会では、地元の人達からヘビーな話を色々と聞かされました。放射能が地域の人間関係を残酷に破壊し、人々を孤立させていることを実 感させられて、ショックだったのを覚えています。ただ、この日自分が郡山にやって来た一番の目的は、皆と楽しく飲むことだったので、最後は、無理矢理にで もという気持ちでどんちゃん騒ぎに持っていって、夜更けまでさんざんバカをやりました。
再会を誓い、別れを惜しんでの帰り際、マスターの和泉さんが、わざわざ表までオレを見送ってくれました。そのとき、普段は寡黙で控え目な和泉さんから突然、はっきりとした口調で、こう言われました。
「リクオ、No more Fukusimaの曲を書いて」
何とも言えない気持ちになりました。

あれから2年。郡山市街の線量は、まだ通常の値をはるかに超えています。この数値が、人体にどれ程の影響を及ぼすのか、オレにはよくわかりません。ただ、 原発事故が郡山で暮らす人々の生活を壊し、共同体の人間関係を壊し、心に深い傷を与えていることは確かです。その傷は”経済復興”だけで消せるものではあ りません。
この日、「Hello!!816(廃炉)」イベント終了後、打ち上げが始まる迄の時間を利用して、再びラストワルツを訪れ、しばらくカウンターで飲ませて もらいました。カウンター越しの和泉さんとは、たいした会話を交わすこともなく、程なくして別会場での打ち上げに参加する時間が来てしまいました。和泉さ んは、2年前と同じように、表までオレを見送ってくれました。
そして帰り際に、こう言ってくれました。
「原発の歌(『アリガトウ サヨナラ 原子力発電所』)よかった。ありがとね。」
必ずまたラストワルツに戻ってきます。
ー2013年8月23日

2013年8月20日火曜日

宮崎駿監督「風立ちぬ」を観て【後編】

ー宮崎駿が描く「美しい日本」 自分がこの映画に惹かれた1つに、失われてゆく列島の風景が描かれている点が上げられます。映画の中では、田園風景をはじめとした緑の多い日本の風土が実 に生き生きと美しく描かれています(それらとは対照をなすように、当時の整備されていない貧しい町の景色も、映画の中で描かれています)。
宮崎駿は、スタジオジブリが毎月刊行している小冊子『熱風』の7月号「憲法改正特集」の中で、30代の頃、ヨーロッパを旅して日本に帰ってきて、日本の風 土が素晴らしいものだという認識を持つようになったと語っています。自分がこの言葉に共感するのは、自分自身もミュージシャンとして日本各地をツアーして 回る生活を長く続けることで、恐らく宮崎駿と共通する感覚を持つに至ったからです。
自分はツアー生活の中で、日本各地の風土の美しさだけでなく、その多様性にも魅了されるようになりました。各地を細かくツアーをしていると、同じ都道府県 内であっても、風景、気候、食事、人の気質、方言、時間の流れ等が様々に変化してゆくのを実感します。様々な風土にふれると、五感が解放され、それらのバ ランスがよくなってゆく気がします。自分のツアー暮らしは、五感を使って「美しい日本」を発見する日々であるとも言えます。そして、その「美しさ」は、実 は「日本」という枠では一括りにできない実に様々な姿を持っていました。
それは人においても同様でした。10人10色、さまざまなバックボーンの中でホンマいろんな人が各地におるんやなあという実感が、自分の心の風通しをよくしてくれました。
自分がツアー暮らしの中で思いを深めた「美しい日本」とは、多様な風土や文化、そして数多くの愛すべき個人一人一人の存在であって、国家や国体ではなかっ たんじゃないか。宮崎駿がこの映画で表現しようとした「美しい日本」もやはり、国家や国体を含んでいない。そんなふうに感じました。宮崎駿は、国家や国体 の幻想に身を委ね過ぎることによってもたらされる破滅を恐れている。彼自身がそのような破滅に向かう気質を持った人間であるという自覚が、警戒心を一層強 めさせているのだと思います。
自分のツアー暮らしは、美しい風土を発見する一方で、多様性や美しさを失いつつある日本を目の当たりにする日々でもあります。人間との共生によって成り立 ち、微妙なバランスを保ちながら、長い時間をかけて「手入れ」され続けた日本の美しい自然は、破壊され「管理」されることで、その姿を失いつつあります。 郊外にショッピングモールや大型チェーン店が進出することで、個人店はシャッターを降ろし、繁華街は廃れ、街の空洞化、画一化が、各地で進んでいます。地 方における原発の立地も、環境の破壊や共同体の分裂をもたらしました。このような現状に対する危機感が、宮崎駿の中にもあり、その思いが、この映画を作 り、「美しい日本」を描こうとする動機の一つになったのではないかと考えます。
時の首相が口にする「美しい国」と、宮崎駿が思い入れする「美しい日本」、二人がさす「美しさ」には共通項が少ないのかもしれません。現政府が掲げる国土 強靭化計画によって必要以上に海がコンクリートで固められ、TPP参加によって、グローバリズムがより進行することになれば、各地の風土色はそこなわれ、 画一化に拍車がかかり、共同体は破壊され、「美しい日本」が加速度を増して失われてゆくのではないかと危惧します。
体験がもたらしたこういった自分の感覚、捉え方は、イデオロギーから来たもではないと思います。そして宮崎駿がこの映画で伝えようとしていることも、イデ オロギーに偏ったものではないと思います。自分のイデオロギーにあてはめて語ることで、見えなくなる大切な何かがあるということを、この映画は伝えている ように感じました。
しかし、体験がもたらす感覚も、やがて特定のイデオロギーに取り込まれ、ナショナリズムの高まりや国家間や民族間の争いの渦に巻き込まれてゆく要素を持っ ているのかもしれません。文章を綴るうちにそんな考えも生まれ始めました。思考はもどかしく続きます。答えはすぐには見えないし、割り切った答を出すべき ではないと思います。
「風立ちぬ」という映画には、共感だけでなく、違和感を抱かせる描写もあり(それは確信犯的な表現かもしれませんが)、語るべき点がまだ色々と存在しま す。女性がこの映画を観たら、もっと強い違和感を持つのではないかとも思いました。この映画は、自分のさまざまな感覚にリンクし、問題を提起し、思考を拡 げてくれました。答を押し付けるのではなく、まず感じさせた後に考えさせる、そんな力を持つすぐれた作品だと思います。
ー2013年8月20日(火)

2013年8月5日月曜日

宮崎駿監督「風立ちぬ」を観て【前編】

ー「美しさ」がもたらす破滅 先日、宮崎駿監督のアニメーション映画「風立ちぬ」を観に行ってきました。零戦の設計者、堀越二郎の半生と彼が生きた大正から昭和前期の時代を描いた作品 です。主に子供を対象にして、ファンタジーに軸足を置いてきた今迄の宮崎駿作品とは一線を画する内容だと感じました。実際、自分が足を運んだ劇場の客席を 埋めたほとんどは、成人をとっくにこえた大人ばかりで、未成年者は少数でした。これは、今迄の宮崎作品には見られなかった傾向かと思います。
映画を見終えて数日が経過しましたが、まだ映画の余韻が残っている感じです。内容を思い返していると、思考がさまざまに広がってゆきます。自分自身にとっても、今の時代にとってもタイムリーな作品なのだと思います。
この映画では、二郎が夢に向かって突き進む美しい姿と、日本帝国が破滅に向かって突き進み、崩壊する姿がリンクして描かれています。「美しい飛行機を作り たい」という二郎の汚れのない人生の目標は、皮肉にも、数多くの戦死者を生み出し、結果的に、彼は日本帝国の崩壊に加担することになります。
この映画は、「戦闘機が大好きで戦争が大嫌い」という自己矛盾を抱えた作者が、その矛盾に向き合おうとした作品だとも言えると思います。宮崎駿が堀越二郎 に自身のメンタリティーを投影したことは間違いないでしょう。宮崎は「夢は狂気をはらむ」と自ら語っています。その毒を隠すことなく表現することを、彼は この作品の1つの使命と課したように感じました。
映画を見終えた後に、この映画で描かれている零戦の設計者である堀越二郎と、核開発や原発に関わった科学者や技術者の存在を重ね合わせて考えました。彼ら の夢や目標にも「美しさ」は存在したと思います。そして、その「美しさ」こそが破滅をもたらしてしまうという「呪わしさ」を、我々はどう受けとめればいい のでしょう。
二郎達の見た夢は、人類の押さえ難い欲望であり、業そのものと言えるのかもしれません。それらに向き合うことなく、原発や核の問題を解決することは難しいと思います。我々は今も業の只中にいます。果たして、舵を切り直すことができるのでしょうか。
この映画は、「反戦映画」の範疇から離れ、善悪をこえた本質、そして光と闇の両面を伝える力を持った作品だと感じました。それこそが、政治や社会運動では フォローしきれない、映画や音楽、小説といった表現が担うことのできる大切な役割の一つなのだと思います。(続く)
ー2013年8月5日(月)

2013年7月23日火曜日

北海道中虹別にて

北海道ツアー中です。9日間で、6ヶ所を回る旅です。オホーツク海沿いの街、常呂町で、このブログを書いてます。
21日は釧路から網走行きの釧路本線に乗りました。湿地帯を走る車窓の景色が素晴らしかったです。摩周駅で下車して、そこから車で迎えにきてもらって、中 虹別へ。この日のライブ会場「月の森」は、廃校(旧中虹別小学校)を使ったスペース。ライブ主催者の永井さんが9年前に町から借り受け、イベントスペース に改装しました。
このあたりは酪農家の集落地で、回りは森と牧草地と農地ばかり。校舎前のグランドだった場所には蕎麦畑がひろがっていました。ライブをやらせてもらうのは 4回目になるのですが、この場所に人が集まってくるのが、毎回不思議に思います。なんだか宮沢賢治の童話や、宮崎駿のアニメの世界にいるような感じ。集 まってくれたお客さんは、もしかしたら森の動物達が化けてるんじゃないか、なんて妄想がひろがります。
ライブを行ったスペースは、元々職員室だったそうです。打ち上げも地元の皆さんと一緒にその場所で行われました。
打ち上げに参加した地元の人達の中に、京都から酪農家に嫁入りしてきたNさんという同郷の女性がいました。OLの仕事を辞めて、結婚して、越してきてから まだ1年も経っていないそうですが、こちらの暮らしが肌に合っていて、毎日が充実しているそう。毎回ライブに来てくれる酪農家のYさんは東京から越してき て、入植されて10数年。京都から嫁入りしてきたNさんが山本さんに興味津々で、さまざまな質問を投げかけている姿が、印象に残りました。東大を卒業後、 国家公務員としてこの町の近くにやってきたHくんは、今回、同僚の後輩の女性Oさんを連れてきてくれました。こういうイベントが、地元の人達同士の出会い と交流の場になることも多いんです。初対面の人も馴染みの人同士も、楽しくお酒を飲み交わし、宴は多いに盛り上がりました。
打ち上げでは、地元の酪農家の方々とTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)についての話もさせてもらいました。近年、跡継ぎ不足や生乳価格の低迷、飼料価 格高騰や猛暑による搾乳量減少などで、酪農をやめる農家が後を絶たないそうです。全道でこの1年間で約200戸が酪農を離れ、この集落でも、この10年で 3割程の酪農家が離農したそうです。
日本がTPPに参加した場合、日本の酪農は多大な影響を受けると言われています。TPPの影響を最も受ける都道府県は北海道ではないかという話を聞くこと もあります。100%を超える北海道の食料自給率(日本の平均は40%を切ってます)が、急激に低下し、地域社会、産業、地域経済の崩壊が懸念されていま す。
Yさんは、自分自身は乳牛のブランド化を成功させたことで、TPPからの悪影響をまぬがれることが可能だと考えているようでした。ただし、地域で生産され た生産物や資源(主に農産物や水産物)をその地域で消費する「地産地消」のあり方は難しくなるだろうとの予測で、やはり、そこにTPPが抱えるさまざまな 問題の内の1つがあると思います。
実は翌日に、次のツアー先であるオホーツク海沿いの町、常呂町の知人から、北見で行われるTPP反対のデモに参加しないかと誘われていました。移動の都合 も考えて、デモには参加しませんでしたが、昨夜、常呂町入りしての地元の皆さんとの飲み会では、TPPと今回の参議院選挙の結果が大きな話題になりまし た。この話は多分次回のブログで。
ー2013年7月23日(火)