2020年4月24日金曜日

「うたつなぎ」のバトンリレーを断っている理由

主に自宅からの配信ライブをミュージシャン同士がバトンリレーする企画「うたつなぎ」の動画が、SNS上を賑わせている。
自分のところへも知り合いミュージシャンからそのバトンが何度か回ってきたのだけれど、その都度、丁重にお断りさせてもらっている。

コロナ禍の世の中を明るくする好企画だと理解しつつも、自宅からの配信に関しては、誰かに促されてやるのではなく、まずは自発的に発信したい思いがあり、それ以前の配信は控えておきたかったのが一番の理由だ。
せっかく自分を選んでもらったのに、断ってしまうことに心苦しさも感じたけれど、自分のタイミングを優先させてもらうことにした。

まわりの状況も自分の心持ちも変化してゆくので、1週間後には考えや態度が変化して、誰かのバトンを受け取っているかもしれないけれど(それもよしとしている)、今は、持て余しがちな感情に向き合いながら、一つ一つの発信を丁寧にやっていきたい気持ちが強い。
しばらく遠ざかっていたブログを更新するようになったのも、そういった思いによる。

振り返れば、この2ヶ月の間で、新型コロナウイルスに対する自分の考えや態度は随分変化した。多分、ほとんどの人と同様、2ヶ月前の自分は楽観的で、ここまでの状況を予測することはできなかった。
このコロナ禍では、状況に応じて自分の考えや行動を柔軟に変化対応させてゆくことも必要だと感じている。

ツアーから離れ、京都の部屋にこもる生活を始めてから、既に一月近くが経過した。
ツアーに出ていた頃に比べると、95パーセント以上の外出制限が続いているけれど、思っていたよりはこの暮らしに適応できている気がする。
この1ヶ月は、心身をメンテナンスしながら、想いを巡らせる時間を大切に心掛けた(お陰でツアーに出ていた頃より体調が良い)。同時に、ここ最近は、長期戦を想定しながらの具体的な準備にも入った感じだ。

今週中には、自宅でのピアノ弾き語りによる新曲の収録を行って、自身のYouTubeチャンネル「rikuonet」を通して、近日中に公開できたらと思っている。
動画撮影のための3脚や録音機器なども既に購入済み。ピアノの調律もバッチリ。部屋のお片付けはそこそこ。
2週間前にはYouTubeチャンネル収益化の申請を行い、先日認可が下りたばかり。一様、ユーチューバーへの道が開かれたわけだ。今後、YouTube機能の一つであるSuper Chatなどを使ったライブ配信も考えてみたいと思う。
なので、みなさん、チャンネル登録をよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/user/rikuonet

来週4月29日(水祝)には、自分が暮らす京都一乗寺のミュージック・バー、Norwegianwood(ノルウェイジャンウッド)での無観客有料配信ライブも決定した。ツアーから離れて以来、久し振りのライブ。この1ヶ月の想いを2時間のステージに凝縮させたいと思う。
チケット購入→ https://twitcasting.tv/c:dop2020/shopcart/3661

今後は、配信ならではのライブのあり方を探ってゆくつもり。
もちろん、一番の願いは通常のライブができるようになることだけれど。
今は、離れた場所で、いつも来てくれるお客さんや応援してくれている人達、そして、まだ出会ったことのない人達とも繋がり合って、一緒に楽しめる手立てを考えてゆこうと思う。

自分にとっては、新しい試みばかり。この状況下でも、音楽を通じて、不安と期待の中に身を置けるのは幸せなことだ。

ー 2020年4月24日(金)

2020年4月20日月曜日

ポジティビズムと合理的利他主義

『BIG BANG』から名前を変えて同じ場所で40年続いた京都のライブハウス『VOXhall』が、コロナ禍の影響により、今月で閉店することになった。ビルごとなくなるそうだ。
個人的には、関わりの深い場所ではなかったけれど、長年、地元京都の音楽文化に貢献し続けてきた老舗のライブスポットの一つが、コロナのせいでなくなってしまうのは、やはりショツクだ。

以下は、5月と6月に大阪と東京で共演予定の椎名純平さんのツイート。

「相撲ファンのみなさん、コロナ禍が明けたら両国国技館がなくなっていることを想像してみてください。野球ファンのサッカーファンの皆さん、気づいたらひいきのチームのスタジアムがなくなっていることを想像してください。いま音楽界で起こっているのはそういうことなんです。」

自分のところへも、お世話になっている日本全国のライブスポットから、悲痛な声が届く。今だからこそ余計に、痛みを分かち合うことの大切さを感じる。
音楽業界に限らず、アイデアを出し合い、手を差し伸べあうことで、何とか皆で生きのびたい。

もはや、コロナ禍があと1,2ヶ月で収束するとは思えない。正直、「緊急事態宣言」の期限である5月6日以降にブッキングされているライブの開催も、しばらくは難しいだろうと覚悟している。
年内中ライブができなくなることだって、想定しておいた方がいいのかもしれない。

悲観しすぎるのも良くないけれど、この状況での楽観が、前向きな姿勢とは思えない。
光は闇の中にある。
3.11直後にも感じていたことだ。
現実を受け入れて、この先を見据えたい。

NHK番組・ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界〜海外の知性が語る展望〜」の中で、フランスの経済学者・思想家のジャック・アタリが、ポジティビズム(実証主義)とオプティズム(楽観主義)について、こう語っていた。

「ポジティビズムとオプティズムは違う。
例えば、観客として試合を見ながら『自分のチームが勝ちそうだな』と考えるのが楽観主義。
一方、ポジティビズムは、自らが試合に参加し、『うまくプレイできれば、この試合に勝てるぞ』と考えること。
自分は人類全てがこの試合(新型コロナとの戦い)に勝てると思っている。
自分達の安全のために最善を尽くし、世界規模で経済を変革させていくことができれば、きっと勝てるだろう。」

アタリは、自己の利益よりも他者の利益を優先する利他主義についても、こう語っていてる。

「利他主義とは、合理的利他主義に他ならない。
自らが感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を確実に防ぐ必要がある。
利他的であることは、ひいては自分の利益となる。
また、他の国々が感染していないことも、自国の利益となる。
例えば、日本の場合も世界の国々が栄えていれば市場拡大し、長期的に見ると国益につながる。
利他主義とは、最も合理的で自己中心的な行動。」

ポジティビズムと合理的利他主義を意識しながら、日々を過ごしたいと思う。
まわりを見れば、既に、そういった態度に基づく良い兆しが方々で感じられる。この状況下で見出した希望は、持続可能な未来につながるはずだ。

ー 2020年4月20日(月)

2020年4月18日土曜日

闇の中で目を凝らす

音楽家のやることは、演奏したり歌うことだけじゃないはず。

ゆっくりと呼吸して、混沌の中でかき消されそうな声に耳をすます。

自分の心の声も聞いてやる。

思いっきりシャウトする日々が、またいずれおとずれる。今は他にできることを。

揺れる気持ちは押さえきれない。まあ、それもしゃあない。

心を揉みほぐして、体調に気を配る。

長期戦やろな。

楽観しないことが、むしろ前向き。闇の中で目をこらす。

こんな時だからこそ、1人でじっくり考え、想い描く時間を大切に。

しばらく会えない人達、命がけの現場で働いてくれている人達、明日の暮らしに困窮する人達に心を寄せながら。

ー 2020年4月18日(土)

2020年4月15日水曜日

「批判する者を批判する」ということ

新型コロナウイルス関係のニュースや意見ばかり追っていると、やはり心が疲れてくる。
起きる出来事の一々に反応していると、俯瞰の視点が消え、感情に流され過ぎて、自分を見失ってしまいそうだ。

声を上げる側の切迫した思い、批判ばかり目にして心がやられそうになる人、どちらの痛みも想像しながら、一呼吸置いて発言したいと思う。

例の一件は、音楽に携わる人間として、非常に腹立たしく、やりきれない思いに囚われたけれど、感情にまかせた批判は自重することにした。
既に、たくさんの人達が批判の声を寄せ、その中には冷静で的確な指摘も含まれていたので、結果的に、その様が可視化された気がする。

最近は、批判をやめて皆が一丸となるべきとの声もよく聞かれる。確かに、この渦中で、敵対が深まり「分断」が広がれば、コロナ収束後の社会にも悪い影響を残すだろうと思う。
けれど、明日からの暮らしに困窮する人達が続出する中で、「批判する者を批判する」ことが結果的に、異論を排除し、弱い立場の声を封じ込めたり、彼らの存在を切り捨てることにもつながらないだろうか。
過去の歴史を振り返って、「批判を許さない空気がもたらした社会」についても忘れずにおきたい。強い口調の批判や非難ばかりを目にすることに疲れつつも、そう思う。

まわりの事業者やミュージシャンの間では、既に多くの助け合いやこの状況を乗り切るための助け合いやアイデアの交換が見られ、それが自分にとっては救いの一つになっているけれど、もはや、それだけで乗り切れる事態ではなくなっている。
この状況下での、国や各自治体の対応を見ていると、生活者の怒りや悲痛な声が、ある程度は届き始めているようにも思う。国の対応が遅まき過ぎると感じつつ、それらの声が届くことで政策が改善されてゆくことに、一つの希望を見いだしたい(急を要するけれど)。生活者の声が政策に反映され、国へのチェック機能が維持されることは民主主義のあるべき姿だと思う。

声を上げる者とそれを受け取る者、批判する者とされる者は、互いに「補い合う関係」だという意識を残しておきたい。特に、この状況においては、政治の場でも、超党派で案を出し合い、協力して、より良い政策を迅速に実現してもらいたい。

ただし、迅速さが求められるのは、非常時の対応においてであって、収束後は、空気に流されない、じっくりと時間をかけた議論も続けてもらいたい。そして、コロナウイルス禍での様々な対応を、きっちりと検証し直し、今後の教訓として生かしてゆくこことも大切だと思う。

怒りややり切れなさを抱えていても、「分断」という油に火を注ぐことのないよう、むやみに不安を煽ることのないよう、言葉を選び、「声の上げ方」にも慎重であろうと思う。
自分の言葉が、立場の違う誰かを傷つける可能性があること(それも致し方ない場合もあるとは思う)、議論は大切だけれど、「論破」することが前向きなものを何も生み出さないことも、あらためて自覚しておきたい。

こういう自分の態度は、無収入になっても、まだしばらくは蓄えでなんとか凌げそうな立場にいることで担保されているのかもしれない。この状態がさらに数ヶ月、半年と続く中で、冷静な思考を保ち続けることができるだろうか(今も冷静かどうかわからないけれど)。
そう考えると、今まさに切迫した立場に追いやられている人に、冷静で寛容な態度を求めるのは酷のように思う。まず、そういった人達に心を配り、手を差し伸べるのが成熟した社会ではないだろうか。

こういった非常時には、市民の様々な権利が抑制される。今はそれも仕方がないと考えて、自宅にこもっているけれど、決まって非常時に民主主義が崩壊してきた歴史は忘れずにいたい。
「一丸となる」という言葉への違和感を抱きながら、主義主張を超えて助け合いたいと思う。

コロナウイルス禍はいつかは収束する。そのダメージは長く残り続けるのかもしれないけれど、今は離れた場所で痛みを分かち合いながら、コロナ後の新しい世界に希望を描きたいと思う。

ー 2020年4月15日(水)

2020年4月12日日曜日

「限定条件付きの優しさ」をいかに克服するか ー このウイルスを乗り越えるために

緊急事態宣言が出された東京で、路上に追い出された「ネットカフェ難民」に対して都が12億円の予算措置をつけることへの批判が、ネット上で拡散されているのを見て、つらい気持ちになった。 「弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く その音が響きわたれば ブルースは加速してゆく」 ザ・ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」の1節を思い出した。 自分も「加速したブルース」を持て余しながら、この文章を綴っている。 批判する者にとって、「ネットカフェ難民」は、納税義務も果たさずに国から保護を受けようとするずるい存在として、怒りの対象になっているようだ。休業補償を行う厚生労働省の制度が、接待を伴うナイトクラブなどの飲食店や風俗業の関係者に支給されることへの批判と同じ流れだ(そういった人達を一括りに非納税者と断定すること自体が偏見で、間違いを含んでいると思う)。 つまるところ「自己責任論」のもとに、「ネットカフェ難民」や風俗関係者は救うべき存在とは見なされていないのだ(あるいは優先順位の最下位)。「不安定な生き方を選んだ自分のせいだ、社会のせいにするな」として、彼らが切り捨てられることをよしとしているのだろう。 そういった考えは、新型コロナウイルスの感染拡大をより広めてゆくことにもつながりかねない。都が「ネットカフェ難民」を援助しようとするのは、感染拡大を防ぐための切迫した事情だと想像する。 自分のようなフリーランスのミュージシャンの多くは、この状況下で、路頭に迷う自分自身の姿を現実的に想像する者も多いんじゃないかと思う。自分も、収入の大半を占めていたライブ活動を自粛しているので、しばらくは無収入に近い状態が続くだろう。 「収入がなくなり納税も滞るようになれば、自分達も社会から切り捨てられるべき存在と見なされるのだろうか。いや、もともと自分達のような不安定な業種は、こういう事態に陥れば、早くに切り捨てられる存在だったのかもしれない。」なんてことも考えてしまう。まあ、そうであっても、くたばってたまるかって気持ちだけれど。 「自己責任論」を振りかざす者の多くは、多分、悪人なんかではなく、周囲に対しては気配りや思いやりを注ぐことのできる、真面目で優しい人間だったりするのだと思う。だから余計にかなしい。 その「思いやり」を、自分とは立場の違う存在、「ネットカフェ難民」やホームレス、夜の接客や風俗で働く人達、生まれたところや皮膚や目の色の違う人達に、少しだけでも注ぐことはできないだろうか。 その「優しさ」の対象は、あくまでも「限定条件付き」でしかないのだろうか。 「ネットカフェ難民」のことを、ずるい存在、怒りの対象ではなく、手を差し伸べるべき弱い立場の人間、この社会の一員として受け入れることはできないだろうか。彼らの存在を一括りに見るばかりではなく、それぞれ異なる事情を持った一人一人の人間として想像することはできないのだろうか。 これらの言葉が「きれいごと」に受け取られるのは重々承知しているけれど、この「きれいごと」こそが新型コロナウイルスを克服するための一つの手立てだと思える。 この状況の中で、自分達はどこまで「限定条件」を外して、他者への想像力を広げてゆくことができるだろうか。 今、本当に困っている立場の弱い人達に手を差し伸べることができなければ、収束はますます遠のいてゆくように思う。今こそ、セーフティネットの重要性を、国や行政の側だけでなく、自分達生活者が意識すべき時じゃないだろうか。 グローバル化した社会において、この感染の影響は一国のみの収束を許さない。自分達さえ良ければ済む問題ではなくなってしまったのだ。国や人種、あらゆる立場を超えた「連帯」がなければ、経済面も含めて、このウイルスのダメージはますます長引いてゆくだろう。 ウイルス感染が収束した後の世界は、「連帯」に向かってゆくのか、あるいは、さらに内向きに「分断」してゆくのか。どちらが人類にとって持続可能な世界なのか。その答は出ているように思う。 今、自分達はウイルスによって試されている気がする。  ー 2020年4月12日(日) 

2019年12月21日土曜日

寺さん(寺岡信芳)とのこと ー 寺さん還暦に寄せて

'95年、BO GUMBOSの解散が決まった直後に、BO GUMBOSのメンバーだったキョンさん(Dr.kyOn)に連絡して、都内の茶店で落ち合い、バンド編成でライブをやる時のバンマスになってもらいたい旨をお願いしたことがある。
その場で、すぐに了承してもらって、キョンさんからの提案で、メンバー選びを兼ねて、キョンさんが推薦する演奏者を集めたセッションライブを、高円寺のjirokichiで2日間ブッキングしようという話になった。
その際のベース奏者は寺さんに声がけをお願いしたいというのが、こちらからのキョンさんへの唯一のリクエストだった。

当時、寺さんが春日博文さんらと一緒にやっていたバンド、東京ビビンパクラブのライブを初めて観たのは'、その前年の94年だったと思う。絡み合うポリリズムから生まれるグルーヴと、メンバーそれぞれが「間」を共有することで構成される立体的なサウンドに身を委ねながら、こんなバンドが日本に存在したのかと驚いたのを覚えている。
そのライブを観た時は、寺さんが、自分がティーンエージャーの頃にテレビでも観ていたパンクバンド・アナーキーのベーシストだったことには全く気づかず、ただ、そのベースプレイの素晴らしさに聴き入っていた。

石川県小松で開催された野外イベントに東京ビビンパクラブと一緒に出演したのは、多分、そのしばらく後だったと思う。そのイベントの打ち上げの席で、寺さんの方から自分に話しかけてくれたのが、寺さんとの最初の面談だった。
当時の自分は、まだ人見知りのところが残っていて、せっかくこちらの席まで来てもらったのに、あまり話が弾むことなくその場は終わってしまった記憶がある。

前述の、キョンさんがコーディネイトしてくれたjirokichiでのセッションが寺さんとの初音合わせとなった。当日リハーサルのみで本番に臨む無謀なセッションだったけれど、驚いたことに寺さんは10数曲の演奏曲を全て暗譜してきていて、コード譜すら一切必要としなかった。後で聞いたら「譜面が読めないから覚えてくるしかないんだよ」とのこと。
寺さんとの共演は最初からしっくりときた記憶がある。単なるベーステクニックだけでなく、歌に寄り添う姿勢、音楽に対する謙虚さ、飾らない振る舞いに触れて、一層信頼が増した。

BO GUMBOS解散後のキョンさんは、セッションマンとして方々から引く手数多となり、スケジュールを押さえるのが困難になってしまった。結局、キョンさんのスケジュールがオリジナル・ラブの長期ツアーで数ヶ月間押さえられたことが決定打となり、バンマスをやってもらおうとの目論見は脆くも崩れ去ってしまった(その翌年には、オリジナル・ラブがキョンさんのスケジュールを押さえられなくなり、自分がキョンさんの後釜としてオリジナル・ラブのサポートを2年間やらせてもらうことになる)。

Jirokichiでのセッションがきっかけとなり、その年の自分のメジャー時代最後のアルバム「太陽をさがせ」リリースツアーのベーシストを、寺さんにお願いした。そこから寺さんとの長い付き合いが本格的に始まった。
翌'96年からは、寺さんを誘って、ピアノ・トリオバンド、リクオ&The Herzでの活動を始めた。ソロアーティストとして、いろんな面で煮詰まっていた自分の現状打破を期しての活動だった。
寺さんには、それまでやったことのないコーラスを担当してもらったり、とにかく、いろんなことにチャレンジしてもらった。今思うと、相当無理をさせていたんじゃないかと思う。

翌年にはドラムの氏やん(氏永仁)がバンドから離れることになり、寺さんとの紹介で学くん(坂田学)を新ドラマーに迎え、バンド名をThe Herzに変更。ソロ・アーティストとしての活動の一環だったバンドを、ソロとは別枠のバンドとして活動展開することにした。

この期間の3人での取り組みが自分に残した音楽財産は実に大きかった。自分の音楽性やキャラの枠組みを外して、3人で様々な音楽情報を交換し合いながら、面白いと思うことは何でも試してみた。
寺さんは、自分の新しい提案に対しては常に受け入れ体勢で、多分、的外れだと感じる提案であっても、何でも一度は試してみてくれた。寺さんの柔軟性と好奇心、懐の深さがあったからこそ、自分は様々な実験をバンドの中で気兼ねなく試みることができたのだと思う。

'02年にThe Herzが活動休止した後しばらくは、ベースを入れたバンド形態で演奏すること自体がなくなってしまい、寺さんとも3年ほど疎遠な時期が続いたけれど、'06年にバンド形態でライブを復活させて以降は、途切れることなく寺さんとの関わりが続き、今に至っている。
'12年に、ケーヤン(ウルフルケイスケ)とMAGICAL CHAIN BANDを始める際も、寺さんに参加してもらった。MCCBでの活動は、今のリクオ with HOBO HOUSE BANDの活動の流れにつながった。
現在の活動に至るまで、ライブにレコーディングに、これほど長く頻繁に自分と活動を共にしてくれているミュージシャンは寺さん以外に存在しない。

音楽活動において、一番相談に乗ってもらった相手も寺さんからもしれない。先日も、少し感情的になってしまう出来事があって、寺さんに電話して相談に乗ってもらった。話を聞いてもらった上で、寺さんのアドヴァイスを受けて電話を切ったら、随分と心が落ち着いて、あらためて自身の至らなさに気づいたりもした。

寺さんの言葉には、含みや企みが感じられず、人に対する姿勢が常にフラットなので、時に耳の痛い言葉も、寺さんに言われると素直に受け入れざるを得なくなるのだ。
自分の繊細と鈍感を最も理解してくれている一人が寺さんなんだと思う。そして、その鈍感さを、何度も「仕方がない」と許してもらっているのだと思う。甘え過ぎず、気をつけよう。

人は、互いの距離間を見誤って、イザコザを起こす場合が多い。寺さんは、人との距離の取り方が絶妙なんだと思う。相手を決めつけたり、勝手に期待し過ぎたりすることがない。自分はその距離間に救われてきた一人なのかもしれない。
思い返すと、長い付き合いの中で、寺さんとは、口論になった記憶すらない。活動を共にしながら、ずっと見守ってもらってる感じがする。

かといって、寺さんが、人や物事に対して冷めているわけでは決してない。とにかく打てば響くというか、日常でもステージでもリアクションが豊かなのだ。
寺さんのベースを聴いてもらえば、その音にときめきが宿っていることが伝わると思う。そのステージでの振る舞いは、音楽をやる喜びに満ち溢れている。還暦を迎えるにあたって、その傾向はますます顕著になりつつあるように見える。
そう、寺さんは素直なのだ。カッコつけることがないカッコ良さが、寺さんの魅力の一つだと思う。自分もそうありたい。

自分は元々バンドマン出身なので、ソロでデビューした時は、バンドでデビューできなかったという挫折が残った。でも、今、寺さん達とステージで音を奏でる時、自分の気持ちは学生時代にバンドでみんなと演奏してた頃と同じときめきに戻ることができる。違う形で夢は実現しているし、続いているのだと思う。

気づけば、寺さんとは25年の長きに渡って活動を共にしていることになる。自分の軸足はソロミュージシャンだとしても、そんな肩書きに関係なく、形は様々であっても、寺さんとはずっと一緒にバンドをやってきた気がする。かけがえのない存在だし、これからも一緒にいい夢を見たいと思う。

寺さん、少し早いですが、還暦おめでとうございます。
長年のお付き合い、ありがとうございます。感謝してます。
まだまだ、これからもよろしくお願いします。
ー2019 12月21日(土)

2019年12月19日木曜日

集団の中の「個」 ー 映画「i - 新聞記者ドキュメント - 」を観て

東京新聞の望月衣塑子記者を追ったドキュメンタリー映画「i - 新聞記者ドキュメント - 」を観た。
監督・森達也氏の前作「FAKE」が、観る者の価値観を揺さぶるような印象に残るドキュメンタリーだったので、楽しみにしていたのだけれど、今回も期待を裏切らない内容だった。実は、映画を観てからもう1週間以上が経過しているのだけれど、まだ余韻を引きずってる感じ。

答ありきではなく、森監督自身が撮影を通じて体験し、考え、問いかけ続ける基本姿勢は変わらないにしても、今回は、望月衣塑子という「揺るぎ」を感じさせない存在が主人公に据えられている点が、前作とは違っていた。

画面を通して、各地を駆けずり回り、声を上げ行動を続ける望月記者のバイタリティーには圧倒された。
今回の映画に連動する形で、夏に公開された、望月記者を主人公のモチーフとした映画「新聞記者」を先に観ていたのだけれど、モチーフとなった本人の方が、「新聞記者」の主人公を凌ぐ強烈な存在感を放っていた。

画面の中で、猪突猛進の望月記者と、声を張り上げることなく少し陰気な佇まいの森監督は、同じリベラルな立場でありながら、対照的な存在として映った。意図された描写なのかどうか分からないけれど、そのコントラストがこの映画の重要な要素の一つだと思えた。自分には、2人が補い合う関係のように感じられた。

映画を通じて印象に残った一つは、それぞれの登場人物の言動や所作、表情からあぶり出される情報量の多さだった。
菅官房長官が望月記者の質問を受けた時の素っ気ない返答や、苦々しそうだったたり、苛立ったりする表情。彼女の質問を遮り妨害しようとする上村報道官の感情を押し殺した言葉のトーン。森友学園問題で注目を集めた籠池夫妻の漫才のようなやり取りが続く中、森監督から本質的な質問を受けた時の2人の語調や表情の変化。
それらから何を受け取るかは、人それぞれだろうけれど、こういった多角的、立体的な情報をSNSの世界で短時間で受け取ることは難しいと思う。
時に、それらの表情や言動はユーモラスにも映り、ドキュメンタリーのかた苦しさを緩和する効果も上げていた。映像の効力と同時に怖さも感じた。

映画を通じて、現政権が続く7年の間に、この国が失い続けた良識や言葉への信頼、他者への想像力、思いやり等についてあらためて考えさせられた。
けれど、この映画は単に政権批判を目的としたものではなく、メディアへの問題提起や、この国で暮らす全ての人達への問いかけを含んでいると感じた。

映画は後半からエンディングにかけて、路上での集団の高揚と、この国で深まり続けるクラスタ同士の対立、分断を映し出す。その現場に佇む望月記者はどこか所在無さげだった。あの現場で彼女は何を感じとっていたのだろうか。

リベラルな立場で社会運動に身を置く人達が、この映画のエンディングを観たら、どう感じるのだろうと想像した。中には、違和感や反感を抱く人もいるのではないかと思った。
例えば、排外や差別を煽る集団と、それらに抗議し、阻止しようとする集団が対立すれば、自分は、その考えにおいて100パーセント後者を支持するし、自分も排外や差別に対して意義を唱え続けたいと思う。そういった対立場面において、抗議の方法に賛否があったとしても、両者を単純に相対化するべきではないし、「どっちもどっち」とする考えは違うと思う。
けれど、どんな立場の集団にも同調圧力と暴走は起こりうる。その中で「個」を保つことの大切さを、森監督は映画の最後に、敢えて?ナレーションをつけて訴える。

集団に飲み込まれることなく、僕やあなたは、「i」=「一人称、個」を、本当に保ち続けることができているのだろうか?
すっかり馴染みとなった「忖度」という言葉は、集団の中で「個」を放棄することで別の「個」を排除する行為の象徴になってしまった気がする。権力の中にも、メディアの中にも、会社の中にも、日々の暮らしの中にも、いたるところに「忖度」は存在する。
明らかな「忖度」も厄介だけれど、この国においては、「空気」のような「忖度」も厄介だと感じる。そういった「空気」が切り捨ててゆくものに対する自覚が、自分達には欠けている。その行き着く先は、いつか来た道だろう。

「i - 新聞記者ドキュメント - 」が最終的にたどり着いたテーマは、「新聞記者」のテーマとも重なった。この時代に最も必要とされる問いかけの一つだと思う。
ー 2019年12月19日(木)