2026年8月7日金曜日

三原重夫さん追悼

 素晴らしいドラマーであり、ドラム・チューナーとしても業界に大きな貢献を果たしてきた三原重夫さんが亡くなられた。まだ66歳。

三原さんのドラムを生で初めて聴いたのは、'86年。ローザ・ルクセンブルクの大阪・バナナホールでのライブだった。
三原さんが叩き出すタイトで強靭な8ビートのグルーヴは、バンド全体に大きなうねりをもたらしていた。その鮮烈な印象は今も忘れられない。

自分はまだ学生で、アマチュア・バンドをやっていた頃だった。正直、自分たちとはグルーヴのレベルが違うと感じた。三原さんのドラムプレイは、その印象に大きく貢献していた。「やっぱり、プロはすごいんだな」と思い知らされた夜でもあった。

自分がプロになって、杉並区に住んでいた頃は、下北沢の飲み屋のカウンターでお会いする機会が多かった。いつもほろ酔いで上機嫌。後輩にも緊張感を与えず、えらぶることのない人柄で、何度も楽しく杯を交わさせてもらった。

三原さん、ありがとうございました。
合掌。

ー 2026年8月7日(金)

ドリー・ファンク・Jr.の魅力

 小学生の頃、一番好きな外国人レスラーは、ドリー・ファンク・Jr.だった。ザ・ファンクス・ブームが始まり、弟のテリー・ファンクが圧倒的なスポットを浴びるようになってからも、自分の一押しはずっとドリーだった。

一番印象に残っているのは、巨漢のヒール(悪役)・アブドーラ・ザ・ブッチャーとのシングル戦だ。

反則を交えた理不尽な猛攻に耐え続けたドリーが、ついに反撃に転じる。ブッチャーの両腕をクロスして固め、しばし間を置き、呼吸を整えた上で放った渾身のダブルアーム・スープレックス。その一連の流れに痺れた。

そこに過度な演出がないからこそ、むしろ、リアリティーが伝わった。

今思えば、豪快に投げるというよりも、どうにか投げ切るまでのプロセスを見せることで、ブッチャーという巨漢レスラーの存在感も十分に生かされていたのだと思う。

自分の知る限り、ドリーは決して独り善がりな試合をしなかった。まずは相手を受け止めることを信条にしていたのだろう。

ドリーの試合における「間の取り方」は、観る側の想像力をかき立てた。繋ぎ技もフィニッシュ技も連発を控える引き算の試合運びは、現在のレスラーにとっても見習うべき部分が多いように思う。

また、ドリーは相手が誰であっても、自分のレスリングを崩さない芯を常に保っていた。ブッチャーやハンセン、ブロディのような怪物相手でも、自分を見失うことがなかった。

感情のコントロールを失い、ときに表現が過剰になる弟・テリーと対照的な存在だったことが、ファンクスの魅力につながっていたのだろう。

小学生の頃に、理屈ではなく直感で感じ取ったドリーの魅力は、今も色褪せることがない。

ありがとう、ドリー。

合掌。

ー 2026年8月7日(金)

2026年8月6日木曜日

楽しむことを諦めない ー 横浜・サムズアップでのラストライブ

昨夜は、9月いっぱいで閉店が決まっている横浜・サムズアップにて、のりふぇす企画によるリクオ with HOBO HOUSE BANDのワンマン。自分にとってはサムズでのラストライブ。

閉店に対しては、寂しさだけではおさまらない思いもあるけれど、湿っぽさは避け、感謝を込めて最高の夜を心掛けた。

のりふぇすとサムズには、特にコロナ禍において大変お世話になり、忘れられない思い出がたくさんある。

あの厳しい状況の中で、サムズのスタッフ、のりちゃん、演者、お客さん、それぞれがアイデアを出し合い、助け合いながら共有した時間は、大切な宝物だし、自分にとっての大きな成功体験にもなっている。

コロナ禍のライブ。声も出せない中、お客さんが掲げてくれた「ラーラーララー」の合唱プラカード。今でも忘れられない大切な思い出だ。

そして昨夜のライブ。アンコール最後の曲「永遠のロックンロール」が始まると、客席のあちこちでそのプラカードが一斉に揺れ始めた。再びあの光景を目にすることができて、いろんな思いが蘇った。グッときたけれど、感傷よりも楽しさの方がはるかに勝っていた。

昨夜の爆発的な盛り上がりは、あの場にいた多くの人たちが、コロナ禍のサムズでのライブ体験を共有していたことも大きかったと思う。

初披露の「My Light Your Light」は、サムズアップでの最後のステージに向けて書いた新曲だった。寺さん、真城さん、克ちゃん、コミヤン、広輔と一緒にこの曲を演れて良かった。

最高のメンバーと、最高の場所で、最高のお客さんと共に描いた、最高の夜。

ありがとう、のりふぇす。
ありがとう、お客さん。
ありがとう、サムズアップ。

区切りがあっても、途切れることはないと思う。
これからも音楽は鳴り続ける。

不穏な社会状況の中で、また厳しい局面が訪れることもあるだろう。それでも皆で助け合いながら、楽しむことを諦めずにいたいと思う。

ー 2026年8月6日(木)







2026年7月25日土曜日

ダンシング義隆さん追悼

 昨日、ツアー先の今治で、ダンシング義隆さんの訃報を知った。

自分が中学3年から高校1年くらいの頃、関西テレビで、義隆さんのバンド名をそのまま番組名にした音楽バラエティ『誰がカバやねんロックンロールショー』が放送されていて、毎週見るのが楽しみだった(司会は明石家さんまと島田紳助)。
ちょうどロックを聴き始めたばかりのティーンエージャーだった自分にとって、『誰カバ』は夢に溢れた番組だった。

RCサクセション、シーナ&ロケッツ、アナーキー、子供ばんど、ソー・バッド・レヴュー、生活向上委員会……。
毎週登場するゲストバンドを思い出してみると、その多くが、その後、自分が繋がりを持つことになる人たちの在籍していたバンドだったことに気づく。

錚々たるミュージシャンが出演する中でも、義隆さん率いる「誰がカバやねんロックンロールショー」は、ゲストに引けを取らない強烈な存在感を放っていた。

特に、シャッフルのブルースロック・ナンバー「何処かで狼が哭いている」のインパクトは絶大だった。エルモア・ジェームスのスタイルを土台にしたバンドサウンドのかっこよさは、まだブルースに触れる機会のなかった少年にも、しっかり伝わってきた。
https://youtu.be/D76VMAYV900?si=QRPOghZG2o66UfFq

義隆さんと知り合ったのは、'90年代半ば、KBS京都の深夜番組に出演させてもらった時だったと思う。義隆さんはその番組のレギュラー出演者だったと記憶している(司会はオセロの2人)。
とにかく気さくで、エネルギッシュ。中学生の頃に抱いていたイメージと少しも変わらない義隆さんが、そこにいた。

当時はアコースティックギターでの弾き語りもされていて、記憶が曖昧なのだけれど、番組出演後、大津での自分のライブにゲスト出演してもらったこともあったと思う。

最後にお会いしたのは、4年半前、RAIN DOGSの岳原さんの十三回忌ライブイベントの時だった。
今は西成で暮らしていて、憂歌団の元マネージャーだった奥村ヒデマロ(宗久)さんと同じアパートに住んでいることなどを話されていた記憶がある。
ヒデマロさんも2年半前に旅立たれ、向こうの世界は賑やかになるばかりだ。

義隆さんは亡くなる直前までライブを続けられていて、昨日も出演予定だったという。
くたばるまでロックンロールし続ける人生だったのだと思う。

義隆さんは、自分の中にあるロックンロールへの憧れの扉を開いてくれた一人だった。
『誰カバ』の向こうに見えていた夢は、今も自分の中で生き続けている。

義隆さん、ありがとうございました。




※写真は写真家・細見大悟さんの作品を転載させていただきました。

2026年7月5日日曜日

「誹謗中傷を許さない」が招いたもの —— ビクターの声明に抱いた違和感

 ビクターエンタテインメントが7月3日、公式サイトで契約アーティストの柴田淳さんの兵庫県知事・斎藤元彦氏に対する「人殺し斎藤」「ポンコツやめろ」などの発言を「誹謗中傷」と判断し、強く抗議する声明文を公表した。この異例とも思える踏み込んだ対応に、強い違和感を抱いている。



こうした声明文を公表するという行為は、おそらく数百万人規模の人々に「このアーティストは企業からも問題視されている」という強いシグナルを発することになる。ビクターの声明が、結果として大規模なバッシングを誘発・増幅する可能性は、十分に予見できたのではないか。

「誹謗中傷を許さない」という理念を掲げる声明が、現実には新たな誹謗中傷の波を招いている。

過去にも柴田さんは同様の注意を受けていたようだが、今回の公表は異例と言えるのではないか。契約アーティストを守る立場のレコード会社が、なぜこのような対応に至ってしまったのだろう。

こうした社会的制裁のスイッチを押すようなやり方は、柴田淳さんに問われている「誹謗中傷」の問題以上に、社会全体へ与える影響という意味で、はるかに強い力を持つように思える。表現の自由に対する萎縮効果も懸念される。

一方で、兵庫県の第三者委員会から公益通報者保護法違反と認定された告発者探しを行い、犬笛を吹くことで個人に誹謗中傷を集め、死に追いやったことが問われている知事を厳しく糾弾しようとした柴田淳さんの問題意識は、自分は間違っていないと考えている。

この件では、トーンポリシング(話し方や口調、感情の強さを批判することで論点をずらし、議論の妥当性を損なわせる行為)という問題も避けて通れない。この点については、あらためて投稿する機会があればと思っている。

強い言葉は支持者を熱狂させる一方で、中立層を遠ざけ、反対派の反発を招きやすい。トーンをどのように調節すべきかは、自分自身の問題としても捉えている。

 ー 2026年7月5日(日)

2026年7月1日水曜日

暮らしから育つ民主主義

『武田砂鉄 ラジオマガジン』で、ゲストの中島岳志氏が、杉並区長選で再選を果たした岸本聡子氏が掲げるミュニシパリズム(地域主権主義)について、わかりやすく具体的に解説していて、ぜひ皆におすすめしたい内容です。

ミュニシパリズム(地域主権主義)とは、行き過ぎた市場経済や、公共サービスの過度な民営化・市場化による格差の拡大を見直し、「コモン(公共財)」の奪還を目指そうとする動き。

また、選挙(間接民主主義)だけに政治参加を限定せず、日常的な対話や住民投票、住民自らが予算の使い道を提案・決定するなど、直接民主主義的な手法を重視することも大きな特徴。

一部の強い人たちに政治を任せるのではなく、多様な意見を受け止めながら、弱い立場にある人たちの視点を忘れず、互いに助け合う「ケアの倫理」を重視する。そのような考え方が、この思想の根底にあるのだと、中島岳志氏の解説を聞いた上で自分は理解した。

国政ではなく地方自治体に目を向けると、日本でもアメリカでも、高市政権やトランプ政権のような権威主義とは対照的な流れが一部の自治体で見られ始めているように思う。岸本氏の再選も、その流れの一つなのだろう。
岸本氏があえてYouTube広告を使わず、自ら街へ出向き、積極的に公開討論会へ参加する姿勢は、一国の首相とは対照的だ。

国政レベルでは難しいことでも、地方自治体から参加型デモクラシーを育て、一人ひとりの暮らしの中で民主主義を育んでいく。そんな流れが、これからさらに広がっていけばいいなと思う。

ー 2026年 7月1日(水)

2026年6月30日火曜日

一人一人が輝く星 ー テレビドラマ『銀河の一票』最終回を観て色々つながった

 テレビドラマ『銀河の一票』最終回は、想像を超える伏線回収が見事で、第1話から観続けてよかったと思える印象深い内容だった。

「私、ずっと忘れてました。自分が一つの星だってことを。
忘れようとしてました。一個一個、強く光る力を持った星たちなのに、ぼんやりとした白い銀河って、まとめられて雑に扱われることを、なんとか受け入れなきゃって。
でも、違う。違いますよね。
私たちは、一人一人が輝く星で、銀河があんなに綺麗なのは、一つ一つの星が綺麗だから。(中略)
たった一人のあなたが放つ、たった一つの尊い光。銀河の一票」

「綺麗事だと揶揄されることを恐れずに、諦めず探しましょう。
銀河が、一つ一つの星が輝き続けられる道を。世界とあなたと私の幸福のために。」

野呂佳代演じる月岡あかりと、松下洸平演じるひやま流星。二人の演説の言葉は、テレビ音楽番組『ミュージックステーション』でのキョンキョン(小泉今日子)の次のMCとも重なった。

「名前の数だけ命があって、その命は輝き、守られるべきものだと思います。世界中の戦争が早く終わりますように」

このキョンキョンの言葉を聞いて思い出した歌が、坂本九が歌った『見上げてごらん夜の星を』だった。
作詞・永六輔と作曲・いずみたくが歌に込めた思いは、「一人一人の命の輝き」なんだろうと想像する。
戦争や国家による大きな物語によって、一人一人が丁寧に紡ぐ物語が蔑ろにされる世の中は、不幸だと思う。

「綺麗事じゃないよ、きれいなことだよ」

『銀河の一票』での黒木華演じる茉莉(まつり)のこのセリフを聞いて、沖縄のコザ騒動を描いた映画『宝島』での、妻夫木聡演じるグスクの言葉を思い出した。

「綺麗事に力がないことぐらいわかってる。
でもよ、オレは諦めんよ。諦めん人もいっぱいいるさ。(中略)
そんなバカみたいなことが続いたら、人間はもうおしまいど。(中略)
(それが人間だったとしても)それでもオレは諦めん」

ドラマ『銀河の一票』は、敵対ではなく、立場の異なる者同士が補い合う関係を描いてくれたことにも勇気づけられた。

これらの言葉を、自分はイデオロギーではなく、人としての態度として受け取っている。

「夢かもしれない
でも、その夢を見てるのは君一人じゃない。
世界中にいるのさ」
――「イマジン」より(日本語詞・忌野清志郎)

こうした作品や言葉に触れることで、自分は一人ではなく、人はさまざまな形でつながっていけるのだと思える。

ー 2026年6月30日(火)