京都を含めて6日間に及んだライブイヴェント「リクオのハプニングDAYS」が無事 終了。
昨夜は最終日にふさわしい盛り上がり。今後への期待を残して、イヴェントの幕 を降ろすことが出来たんじゃないかと思う。
シークレットにしていたヘルツでの演奏も、予想以上の手応え。 メンバー3人が"初心"に戻って、弾けることができたのが大きな成果 。
自分にとっては"気付き"の6日間でもあった。
ゲストの皆さんに感じた尊敬、信頼、対抗心、嫉妬は今後の自分に良い効果をもた らすはずだ。
足を運んでくれたお客さん、支えてくれたスタッフ、ゲストの皆さんに感謝。
2001年2月18日日曜日
2001年2月11日日曜日
2001年2月11日(日)
ツアーから戻っても、レコーディングやハプニングデイズの準備のため忙しい日々 が続いている。
今日は一日、部屋にこもって譜面を書いていた。試験前の追い上げのような気分。
いやいや、あの無意味な暗記に比べれば、なんと有意義な時間だろう。
そういえばこの前も、単位が足りなくて卒業できない夢をみた。僕以外にも、中島らもと大槻ケンジが、卒業できない夢を見続けているとエッセイ の中で語っている。 いまだにそんな夢をみるのは、区切りのない人生を生きているからなのかもしれな い。
僕が20才を過ぎてからの過去をあまりなつかしく振り返ろうとしないのは、それ 以降の記憶の多くが完全な過去の思い出になりきれていないからだろう。思い出す と胸が締め付けらるような事柄が多くてつらくなるのだ。
卒業することが、何かを割り切って、切り離してゆくことなら、僕は一生、卒業す ることはないかもしれない。こんなことを、誰かが言っていた。
今日は一日、部屋にこもって譜面を書いていた。試験前の追い上げのような気分。
いやいや、あの無意味な暗記に比べれば、なんと有意義な時間だろう。
そういえばこの前も、単位が足りなくて卒業できない夢をみた。僕以外にも、中島らもと大槻ケンジが、卒業できない夢を見続けているとエッセイ の中で語っている。 いまだにそんな夢をみるのは、区切りのない人生を生きているからなのかもしれな い。
僕が20才を過ぎてからの過去をあまりなつかしく振り返ろうとしないのは、それ 以降の記憶の多くが完全な過去の思い出になりきれていないからだろう。思い出す と胸が締め付けらるような事柄が多くてつらくなるのだ。
卒業することが、何かを割り切って、切り離してゆくことなら、僕は一生、卒業す ることはないかもしれない。こんなことを、誰かが言っていた。
いよいよ近づいて来ました、東京版ハプニングデイズ、取り合えずは初日を見逃すな。最終日はカーニバルだあ~。メール予約、まだの人は急げ!!
2001年2月8日木曜日
2001年2月8日(火)
東北ツアーから無事、帰宅。
真冬の東北は初体験。
3日目の目的地、山形県川西町は恐ろしく雪深いところだった。 仙台からJR仙山線に乗り換えた時点で、車窓からの景色がどんどん濃い雪化粧を施し始 めたので、やばいとは思っていたのだが、まだ山形市内からH氏の車の運転で川西町に 向かい始めた頃は、水墨画を見るような田舎の雪景色に見とれる余裕があった。 しかし、車が米沢をこえたあたりから積雪量は更に増し、強力な地吹雪が始まり、数メ ートル先の視界が見えないという、とてもスリリングな状況に追い込まれてしまった。 ところが僕は、こんな危機的な状況の最中、連日のライブの疲れのため、強力な睡魔に 襲われてしまった。 「寝てはいけない、寝てはいけない」 雪なかの遭難者のような気分で自分に言い聞かせたのだが、次第に目の前の景色が夢の ように思えて、意識を無くしてしまった。 はっと目が覚めたら「もうすぐ近くですよ」と運転中のH氏が教えてくれた。しかし近 くと言われても回り一面深い雪ばかりで、まるで遭難車のなかにいるようなのだ。 しばらくして視界に民家が現われ始めて、少しほっとする。 予定よりかなり遅れて、ようやく目的地のライブスペース.ジャムに到着。 自然の猛威に遭遇して、「人はなんでこんな気候の厳しい土地で暮らすのだろう」な どと、おせっかいで素朴なことを考えた。
僕は「アリとキリギリス」の話を思い出した。それまでは、どちらかといえば後先を 考えずその瞬間を楽しんでいるキリギリスの方にシンパシーを抱いていたのだが、こ んな土地じゃあ、そうそうキリギリスではいられそうにない。 開演が近づいても吹雪は止まず、とてもお客さんが来れる状況には思えなかったのだ が、意外にも用意された席は開演前にほぼ、埋ってしまった。しかもスタートから出 来上がっているお客さん達で、やたらと乗りがよい。ただ騒ぐのではなく、好奇心が旺 盛で、積極的に楽しみを見つけようとする姿勢が感じられる。理想に近い客層と言え た。オーナーの板倉さんのこだわりを反映して、ピアノはよく調整されており、会場 の音鳴りもとても良かった。これだけの条件がそろうライブというのも、なかなかない ものだ。
おかげで、いいライブが出来たと思う。 打ち上げでは、地元の人達と多いに語り合う。 ジャムのオーナー、板倉さんは話し出したらなかなか止まらない、饒舌な人だ。 こだわりと遊び心を持った相当な趣味人でいろいろと感心させられてしまった。 冬はスキー、春は山菜とり、夏はバーベキューパーティーと季節ごとの遊びも非常に 充実しているようでうらやましく思った。 板倉さんはじめ、この日出会った人達は、自然と共生し、工夫しながら川西町での暮 らしを楽しもうとする姿勢が、感じられた。 打ち上げの席で「この土地の気候は厳しいばかりじゃないんですよ。」と僕に言った人 がいた。こんな雪深い季節だって、彼等は楽しむ術を知っているのだろう。 また違った季節にも川西町を訪れてみたいと思う。
真冬の東北は初体験。
3日目の目的地、山形県川西町は恐ろしく雪深いところだった。 仙台からJR仙山線に乗り換えた時点で、車窓からの景色がどんどん濃い雪化粧を施し始 めたので、やばいとは思っていたのだが、まだ山形市内からH氏の車の運転で川西町に 向かい始めた頃は、水墨画を見るような田舎の雪景色に見とれる余裕があった。 しかし、車が米沢をこえたあたりから積雪量は更に増し、強力な地吹雪が始まり、数メ ートル先の視界が見えないという、とてもスリリングな状況に追い込まれてしまった。 ところが僕は、こんな危機的な状況の最中、連日のライブの疲れのため、強力な睡魔に 襲われてしまった。 「寝てはいけない、寝てはいけない」 雪なかの遭難者のような気分で自分に言い聞かせたのだが、次第に目の前の景色が夢の ように思えて、意識を無くしてしまった。 はっと目が覚めたら「もうすぐ近くですよ」と運転中のH氏が教えてくれた。しかし近 くと言われても回り一面深い雪ばかりで、まるで遭難車のなかにいるようなのだ。 しばらくして視界に民家が現われ始めて、少しほっとする。 予定よりかなり遅れて、ようやく目的地のライブスペース.ジャムに到着。 自然の猛威に遭遇して、「人はなんでこんな気候の厳しい土地で暮らすのだろう」な どと、おせっかいで素朴なことを考えた。
僕は「アリとキリギリス」の話を思い出した。それまでは、どちらかといえば後先を 考えずその瞬間を楽しんでいるキリギリスの方にシンパシーを抱いていたのだが、こ んな土地じゃあ、そうそうキリギリスではいられそうにない。 開演が近づいても吹雪は止まず、とてもお客さんが来れる状況には思えなかったのだ が、意外にも用意された席は開演前にほぼ、埋ってしまった。しかもスタートから出 来上がっているお客さん達で、やたらと乗りがよい。ただ騒ぐのではなく、好奇心が旺 盛で、積極的に楽しみを見つけようとする姿勢が感じられる。理想に近い客層と言え た。オーナーの板倉さんのこだわりを反映して、ピアノはよく調整されており、会場 の音鳴りもとても良かった。これだけの条件がそろうライブというのも、なかなかない ものだ。
おかげで、いいライブが出来たと思う。 打ち上げでは、地元の人達と多いに語り合う。 ジャムのオーナー、板倉さんは話し出したらなかなか止まらない、饒舌な人だ。 こだわりと遊び心を持った相当な趣味人でいろいろと感心させられてしまった。 冬はスキー、春は山菜とり、夏はバーベキューパーティーと季節ごとの遊びも非常に 充実しているようでうらやましく思った。 板倉さんはじめ、この日出会った人達は、自然と共生し、工夫しながら川西町での暮 らしを楽しもうとする姿勢が、感じられた。 打ち上げの席で「この土地の気候は厳しいばかりじゃないんですよ。」と僕に言った人 がいた。こんな雪深い季節だって、彼等は楽しむ術を知っているのだろう。 また違った季節にも川西町を訪れてみたいと思う。
今回の東北ツアーはどの場所も印象深く、ここですべて紹介できないのが残念。 新しい出会いと再会に感謝。
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