28日の夕方、リハーサル中にとても悲しい知らせを受けた。
どんとが家族旅行先のハワイで倒れ、28日早朝、帰らぬ人となってしまったとのこと。 詳しいことはまだわからないけれど、事故ではなく病死だそう。
昨年に会った時も体調はあまりよくなさそうだったけれど、亡くなってしまうなんて。 いろんな思いが駆け巡っているけれど、まだ言葉にできない。
心よりご冥福をお祈りします。
2000年1月29日土曜日
2000年1月28日金曜日
渋谷で映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観る。
アメリカのギタリスト、ライ・クーダーが地元でも忘れ去られていたキューバの
老ミュージシャン達とコラポレートし、ついには彼等をニューヨークに招いてカーネギーホールでのセッションを実現させるまでを追いかけたドキュメンタ
リー。 監督はヴィム・ベンダース。
最高に良かった。何度も鳥肌が立って、ぐっときた。 キューバの老ミュージシャン達の色気には本当にまいってしまった。 90才で現役バリバリのコンパイ・セグンド。歯巻吸いながら陽気に、もう一人子供をつくってやるとのたまうイナセな親父である。なんか有山さん(僕が大変 お世話になった日本における最高のナチュラルミュージシャン)を思い出した。 日本で30年後に再発見されそうなミュージシャンといえば有山じゅんじだなと思った。 案外、高田渡さんもまだ生きていて再発見されるかも。ぼけたふりして若い女の子 のお尻なんか触ってそう。それで森繁みたいにミュージシャンの葬式にはいつも渡さんが参列していて、それが風物詩になったりして。
最高に良かった。何度も鳥肌が立って、ぐっときた。 キューバの老ミュージシャン達の色気には本当にまいってしまった。 90才で現役バリバリのコンパイ・セグンド。歯巻吸いながら陽気に、もう一人子供をつくってやるとのたまうイナセな親父である。なんか有山さん(僕が大変 お世話になった日本における最高のナチュラルミュージシャン)を思い出した。 日本で30年後に再発見されそうなミュージシャンといえば有山じゅんじだなと思った。 案外、高田渡さんもまだ生きていて再発見されるかも。ぼけたふりして若い女の子 のお尻なんか触ってそう。それで森繁みたいにミュージシャンの葬式にはいつも渡さんが参列していて、それが風物詩になったりして。
話しがそれたけど、彼等の歌やたたづまいにそれだけ色気があるのは、そこに彼等の人生、生き方が凝縮されているからだろう。
僕は今の匿名性の高い音楽を必ずしも否定するつもりはないけれど(むしろそういう 要素を含みやすいテクノやハウスと言われる音楽からの刺激も多いに受けている)、
送り手に対して思い入れがしずらいという点でそれらの音楽に多少寂しさを感じていた のも事実だ。 僕はヘルツをやりながら曲によっては、切ない気分で踊れるダンスミュージックを
やれたらなと考えている。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観ながら、僕は演奏の場面では込み上げてくる 気持ちをかみしめつつ体を揺らしていた。 素敵な音楽、素敵な人間に出会える素敵な映画だ。
上映が終わって席をたったらなんと学君にバッタリ出あう。 お茶をしていっしょに余韻にひたった。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観ながら、僕は演奏の場面では込み上げてくる 気持ちをかみしめつつ体を揺らしていた。 素敵な音楽、素敵な人間に出会える素敵な映画だ。
上映が終わって席をたったらなんと学君にバッタリ出あう。 お茶をしていっしょに余韻にひたった。
2000年1月28日(金)
渋谷で映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観る。
アメリカのギタリスト、ライ・クーダーが地元でも忘れ去られていたキューバの
老ミュージシャン達とコラポレートし、ついには彼等をニューヨークに招いてカーネギーホールでのセッションを実現させるまでを追いかけたドキュメンタ
リー。 監督はヴィム・ベンダース。
最高に良かった。何度も鳥肌が立って、ぐっときた。 キューバの老ミュージシャン達の色気には本当にまいってしまった。 90才で現役バリバリのコンパイ・セグンド。歯巻吸いながら陽気に、もう一人子供をつくってやるとのたまうイナセな親父である。なんか有山さん(僕が大変 お世話になった日本における最高のナチュラルミュージシャン)を思い出した。 日本で30年後に再発見されそうなミュージシャンといえば有山じゅんじだなと思った。 案外、高田渡さんもまだ生きていて再発見されるかも。ぼけたふりして若い女の子 のお尻なんか触ってそう。それで森繁みたいにミュージシャンの葬式にはいつも渡さんが参列していて、それが風物詩になったりして。
最高に良かった。何度も鳥肌が立って、ぐっときた。 キューバの老ミュージシャン達の色気には本当にまいってしまった。 90才で現役バリバリのコンパイ・セグンド。歯巻吸いながら陽気に、もう一人子供をつくってやるとのたまうイナセな親父である。なんか有山さん(僕が大変 お世話になった日本における最高のナチュラルミュージシャン)を思い出した。 日本で30年後に再発見されそうなミュージシャンといえば有山じゅんじだなと思った。 案外、高田渡さんもまだ生きていて再発見されるかも。ぼけたふりして若い女の子 のお尻なんか触ってそう。それで森繁みたいにミュージシャンの葬式にはいつも渡さんが参列していて、それが風物詩になったりして。
話しがそれたけど、彼等の歌やたたづまいにそれだけ色気があるのは、そこに彼等の人生、生き方が凝縮されているからだろう。
僕は今の匿名性の高い音楽を必ずしも否定するつもりはないけれど(むしろそういう 要素を含みやすいテクノやハウスと言われる音楽からの刺激も多いに受けている)、
送り手に対して思い入れがしずらいという点でそれらの音楽に多少寂しさを感じていた のも事実だ。 僕はヘルツをやりながら曲によっては、切ない気分で踊れるダンスミュージックを
やれたらなと考えている。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観ながら、僕は演奏の場面では込み上げてくる 気持ちをかみしめつつ体を揺らしていた。 素敵な音楽、素敵な人間に出会える素敵な映画だ。
上映が終わって席をたったらなんと学君にバッタリ出あう。 お茶をしていっしょに余韻にひたった。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を観ながら、僕は演奏の場面では込み上げてくる 気持ちをかみしめつつ体を揺らしていた。 素敵な音楽、素敵な人間に出会える素敵な映画だ。
上映が終わって席をたったらなんと学君にバッタリ出あう。 お茶をしていっしょに余韻にひたった。
2000年1月26日水曜日
2000年1月26日(水)
毎週、歯医者に通っている。親知らずを抜いてもらったときに虫歯が多数あることが判明したのだ。もう既に三本の歯をけずられてしまった。そして今日もまた三本......。奥歯が銀色になっちまった。別
に痛みがあるわけでもないのだが。 されるがままである。
UKプロジェクトの北島さんとレコーディングに向けて電話で打ち合わせ。 収録ナンバーを絞り込む。今回は弾き語りはなくなりそう。
2000年1月25日火曜日
南青山六本木通り沿いにあるラウンジ風クラブ、オージャスで月一行われている
イヴェント、東京フォルクロアに急遽出演。30分程、弾き語りをやる。 オーガナイザーの窪田晴夫氏から出演依頼の電話があったのが先週の火曜。まあいつもこんな感じだ。このイヴェントは半分以上、夜遊びに行く感覚。
ギャラはほとんどでないけれど酒は飲み放題。リクオの酔っ払い演奏が聴けるのはここだけ。日によっては面 白い出会いもあり 異様に盛り上がるイヴェントなのだがこの日は客も少なく盛り上がりはもう一つ。僕も深酔いするまえに帰ってしまった。
この日お皿を回してい知り合いのDJタナヤ氏から「ムーンライトサンバ」が今も クラブでかかりまくっているとの話を聞く。ダンスミュージックレコードの藤原さん からはジャパニーズヒップホップ界のカリスマ的存在らしいDJムロ氏が某音楽誌で 昨年のベスト5レコードの一枚として「ムーンライトサンバ」を上げていたという 話も聴いた。いい話だ。
この日お皿を回してい知り合いのDJタナヤ氏から「ムーンライトサンバ」が今も クラブでかかりまくっているとの話を聞く。ダンスミュージックレコードの藤原さん からはジャパニーズヒップホップ界のカリスマ的存在らしいDJムロ氏が某音楽誌で 昨年のベスト5レコードの一枚として「ムーンライトサンバ」を上げていたという 話も聴いた。いい話だ。
2000年1月25日(火)
南青山六本木通り沿いにあるラウンジ風クラブ、オージャスで月一行われている
イヴェント、東京フォルクロアに急遽出演。30分程、弾き語りをやる。 オーガナイザーの窪田晴夫氏から出演依頼の電話があったのが先週の火曜。まあいつもこんな感じだ。このイヴェントは半分以上、夜遊びに行く感覚。
ギャラはほとんどでないけれど酒は飲み放題。リクオの酔っ払い演奏が聴けるのはここだけ。日によっては面 白い出会いもあり 異様に盛り上がるイヴェントなのだがこの日は客も少なく盛り上がりはもう一つ。僕も深酔いするまえに帰ってしまった。
この日お皿を回してい知り合いのDJタナヤ氏から「ムーンライトサンバ」が今も クラブでかかりまくっているとの話を聞く。ダンスミュージックレコードの藤原さん からはジャパニーズヒップホップ界のカリスマ的存在らしいDJムロ氏が某音楽誌で 昨年のベスト5レコードの一枚として「ムーンライトサンバ」を上げていたという 話も聴いた。いい話だ。
この日お皿を回してい知り合いのDJタナヤ氏から「ムーンライトサンバ」が今も クラブでかかりまくっているとの話を聞く。ダンスミュージックレコードの藤原さん からはジャパニーズヒップホップ界のカリスマ的存在らしいDJムロ氏が某音楽誌で 昨年のベスト5レコードの一枚として「ムーンライトサンバ」を上げていたという 話も聴いた。いい話だ。
2000年1月23日日曜日
2000年1月23日(日)
ヘルツ今年最初のリハーサルがあった。
リハ前、器材運搬のため僕の自宅にマイカーで寄ってくれた学君と車中、最近聴いてる音楽の話などする。年が明けてからお互い、ブラジルものをよく聴いていたことが判明。 約一月振りに寺さんに合う。特に変わりなし。
リハでは学君がもってきた新曲を合わせてみる。印象に残るメロディー、コード進行。 一度聴いて、すぐに自分のなかでイメージがひろがってゆくのがわかった。いい曲だ。 アレンジも順調に進む。29日のブラジルナイトには間に合いそう。
リハ前、器材運搬のため僕の自宅にマイカーで寄ってくれた学君と車中、最近聴いてる音楽の話などする。年が明けてからお互い、ブラジルものをよく聴いていたことが判明。 約一月振りに寺さんに合う。特に変わりなし。
リハでは学君がもってきた新曲を合わせてみる。印象に残るメロディー、コード進行。 一度聴いて、すぐに自分のなかでイメージがひろがってゆくのがわかった。いい曲だ。 アレンジも順調に進む。29日のブラジルナイトには間に合いそう。
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