夜の10時に寝て、夜中1時半には目が覚め、それ以降、眠れなくなくなってしまった。
何かをやろうとする気力もなく、ぼんやりと後ろめたいような心持ちで夜明けを待ち続けた。
そんな中、朝日新聞の連載『コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ』に掲載された分子生物学者・福岡伸一氏へのインタビューを読み直してみた。 https://www.asahi.com/articles/ASP353K7GP2SUCVL00Y.html
福岡氏が提唱する『動的平衡』の生命論(生命は自らの身体の合成と分解を絶えず繰り返すことによって存在を保っているとする考え)は、今の自分にタイムリーな考えだと思う。
《人間は『ロゴス(論理や言葉)』と『ピュシス(コントロールできないありのままの自然)』という二つの面を持つ矛盾した存在。ピュシスとしての生命を、技術というロゴスで扱おうとすると、必ずピュシスの側はロゴスでは制御しきれない反応をしてくる。
人間の免疫力も新型コロナの感染力も、ピュシスの領域に属する。これら二つのピュシスの間で『動的平衡』が達成されてはじめて、人間とウイルスとの共生関係が成立する。それには時間がかかる。
ワクチンは、ピュシス間の動的平衡をより速く達成するための『ロゴスによる限定的なピュシスへの介入』という使い方ならばよいけれど、ワクチンによって新型コロナを完全に駆逐しようとすれば、社会全体に思わぬ副作用をもたらしかねない。
制御しきれないピュシスをロゴスの力で何とかなだめつつ、最終的にはピュシスの定めた『死』『滅び』という運命を受け入れていく。そのあたりが落としどころ。》
コロナ禍における大切な提言だと思う。
自分は、順番がまわってくればワクチン接種するつもりでいるけれど、最近、周りの人達と話をしていて、自分が思っていた以上にワクチンへの拒否感が強い人が多いと感じている。陰謀論に依るとおぼしき反ワクチン論の高まりには危惧を抱く一方で、ワクチンを拒否する直感は尊重すべきじゃないかとも思う。
ワクチン接種が進まないことで、コロナ収束により時間がかかったとしても、それはもう仕方がないこととして受け入れ、その間、皆で支え合いながら生きてゆくことを考えるべきなのかもしれない。
福岡氏の語るように、ワクチンによって新型コロナを完全に駆逐しようとすれば、また大きなしっぺ返しが起こりそうな気がする。そもそも、ロゴスでピュシスを完全にコントロールしようとする人間の傲慢さが、この状況をもたらしたのだと思う。
コロナを乗り越えるということは、コロナを駆逐するのではなく、コロナとの共生を成り立たせることなのだろう。
覚悟を決めて腰を据え、分解と合成の日々を堪能しようと思う。
夜が明けて、部屋に朝日が差し込み始めた。思考を経て、前向きな気持ちが戻ってきた。
ー 2021年5月31日(月)