2002年5月26日日曜日

2002年5月26日(日)

ヘルツのラストツアーが終わった。
昨日のラストライブはステージもフロアも今までにない盛り上がり。 思いが凝縮されてた。
やっぱり、ヘルツはおもろい。そのことが確認できてよかった。
湿っけはなかった。そういう演出をするつもりもなかったし、そういう気にもならなかった。達成感というのもあんまりない。いつも、これぐらいの空間をつくれたらと思う。もっといけるんちゃうか、って 感じ。
この期に及んで、当日リハーサル中に曲ができてしまった(その曲には 「2002524」というタイトルがつけられ、ライブの1曲目で披露された)。
本番では曲のサイズやアレンジがかなりいつもと変わっていった。活動停止するバンドとは思えん姿勢やね。寺さんは客席に飛び込むし、学君はドラム.セット を破壊するし、俺はステージでシャドーボクシングするし(それを客席でみていた知り合いから「弱そうやった。」と言われた)、いつもよりアホな感じがよ かった。
後期のヘルツに欠けてたんはこのアホパワーやったんやと思う。それはワイルドネスとという言葉に置き換えてもいい。俺らはこだわりを持って生真面 目に音楽性を追及していく内に、ワイルドネスをなくしていった気がする。俺らがクールになろうとしたのは、熱を逃さないためやった。それがいつからかスタ イリッシュを演出するばかりのクールに変質していった。ヘルツの楽曲「ミュージッ ク・ライフ」の気持ち、それを忘れかけてたんやな。
多分、最近、俺らはそのことに気付いたんやと思う。ラストということでメン バーそれぞれが持ってたこだわりが薄れたこと、どの場所でもお客の熱気が高かったことなども幸いして、ラストツアーでヘルツのワイルドネスは高まって いった。
ツアーが終わって思う。俺らは、もっとアホになれる、もっとワイルドになれる、もっと弾けられる。そんな可能性を俺はこのツアーで感じた。だから終わった感じがあまりしない。
いや、でもやっぱり終わりやね。そんで、もう始まってる。 これからも始まりと終わりを何度も繰り返してゆくつもり。

今までヘルツを応援してくれた人達、支えてくれた人達に感謝します。本当に、ありがとう。
SEE YOU!

2002年5月1日水曜日

2002年5月1日(水)

石巻市、相馬市、いわき市の東北3ヵ所をソロ.ツアーして東京へ戻ってきたと ころ。
なんか最近、地方でのソロライブがやたらと盛り上がる。
昨日のいわき市ソニックでのライブも弾き語りにかかわらず踊り出すお客がいた り、女子がキャーと叫びよるから、さらにアドレナリンがでたね。そう、ダ ニー・ハザウェイのライブみたいな感じ。客席も一緒に歌ったりしてね、教会で ゴスペル歌って盛り上がってるような感じにも近かった。
この3日間、なんかが降りてきてた。はまった。で、ちょ?やばいとも思っ た。
俺なりにすかしたり、かわしたりしようとはしてたけれど、笑えない部分でお客 と波長が合いすぎる瞬間があって、後でちょっと怖いなと思った。 泣きたい人は笑わせたい。笑いたい人は泣かせたい。

最近、納得がいかず、腹立ってることが多いんやけど、この3日間はその感情を うまいこと昇華できた。いろんな人に会って、皆それぞれ素敵な感性を持ってい ることを実感できた。 期待していないことが、伝わっていたりして嬉しかった。

「芸術とは怨念である。」と言った小説家がいるらしいけど、自分は今まで、そ ういう感情とは、あまりちゃんと向き合ってこなかったかもしれない。 俺が創作活動を続ける限り、この「怨念」とやらが消えることはないだろう。 だって、すぐに理解されても困るしね。理解されない限り「怨念」は残ってゆく わけで。
こういうことを言うのははじめてやけど、俺はヘルツがあまり多くに伝わらず、 理解されないまま活動停止することが、今だに割り切れず、腹立たしい。 多分、ラスト.ツアーは皆の想いが凝縮されてハッピーに終わるとは思うけど、 割り切れない気持ちはどっかに残るやろな。
ヘルツの活動が停止しても俺はこれから、残された作品で、ヘルツの評価を上げ てやろうと思う。だから、その前に自分にたいする評価を上げんとね。
今後、もし俺が素敵にかっこよく軽い感じで歌っていたら、きっとそれは「怨 念」という燃料が燃えているからやよ。あれは、よう燃えるで。「憎しみ」も 「愛」も「憂鬱」も「怨念」もすべて、美しく燃やしてやる。 さあ、もうすぐヘルツのラストツアー。