森達也監督による初の劇映画『福田村事件』を観た。
関東大震災から5日後の9月6日、香川の被差別部落から薬の行商で福田村に来ていた1行15人のうち9人が、地元住民から朝鮮人ではないかとの疑いをかけられ、幼い子供3人と妊婦を含む9人が惨殺された事件を元にした群像劇だ。100年前の事件を通じて、被差別部落と朝鮮人虐殺という2つのタブーを取り上げることで、今現在を問いかける強烈な内容だった。
この映画が、明確なテーマやメッセージを持って制作されたことは間違いないだろうけれど、そういった作品にありがちな押し付けがましさのようなものは感じられなかった。それは、劇映画としてのクオリティーの高さと、多岐にわたる視点の存在に依るのだろう。
虐殺が描かれる以前の映画前半部分において、立場の違う登場人物一人一人の姿が生々しく丁寧に描かれていることがこの作品の肝だと感じた。そうした描写を可能にしたのは、脚本の良さだけでなく、キャスティングの妙と、それに応える役者陣の演技の素晴らしさだ。制作に関わった人達同士による相互作用の大きな映画なんだと思う。
加害者側の視点が多く描かれているのも、この映画の特徴の一つだろう。
物語の中に極端で凶悪な人間は登場しない。森達也監督自らが語っていたように「善人」が「善人」を虐殺する過程を描いた物語なのだ。
虐殺の契機となるのは、自衛意識からくる集団心理の暴走。その暴走に火をつけたのがデマの拡散だ。
関東大震災において、新聞と政府内務省が朝鮮人に関するデマの流布に加担した罪は重い。映画の中でも、内務省からの通達が流言流布にお墨付きを与える様子が描かれている。
現在の日本においても、当時の新聞のデマ記事を根拠に虐殺の正当性を主張し、在日の人達や隣国に対する偏見と差別を煽る人達が一定数存在する。当時のデマが今の日本にも影響を残し続けているのだ。
事件から100年を経て、果たして自分達のリテラシーが向上したのかどうか疑わしく思う。
現代のネット社会においてデマや陰謀論に絡め取られれてゆく際の特徴の一つは、「自分は常に情報を精査している」との思い込みだろう。その思い込みがもたらす傲慢な万能感は、ネット社会の中で生まれた新しいドラッグのように感じる。
関東大震災での虐殺は、朝鮮人のみならず中国人や日本人が含まれていたことも忘れずにいたい。集団心理の中で、異質なものが排除されてゆく傾向は今も変わらない。
この作品は、今後、注目と評価が高まるほど拒絶反応を巻き起こすだろう。そういった傾向は既にSNS上で確認できる。
その拒絶反応こそが、100年前と変わらない現状をうつしだす。
「反日」を声高に叫ぶ人達にこそ観てもらいたい映画だ。
最後に、この映画が制作されるきっかけとなったシンガーソングライター・中川五郎さんの楽曲『1923年福田村の虐殺』のライブ動画のリンク先と歌詞を掲載しておきます。五郎さんはラブ・ソングと同等にプロテスト・ソングを歌うことに自覚的な日本において稀有なミュージシャンだと思います。
1923年福田村の虐殺 作詞:中川五郎
1923年、大正12年9月6日のできごと
それはちょうど5日後のこと、関東大震災の日から
千葉県東葛飾郡福田村、今の野田市三ツ堀のあたり
行商人の一団がその村にやってきた
売り物の薬や日用品を大八車に積んで
やって来た行商人の一団、その数は全部で15人
朝早く宿を出て歩き続けて福田村に着いたのは10時頃
利根川の渡し場近くの神社のあたりでまずは一休み
神社のそばの雑貨屋の前には二組の夫婦と
若者二人と子供らが三人、九人が休み
神社の鳥居の脇には一組の夫婦と子供らが四人
夫は足が不自由だった、まだひとつの乳飲み子もいた
渡し場から船に乗ろうと行商人が値段の交渉に
突然船頭が叫び出して あたりの空気は一変
「こいつら日本語が変だぞ」船頭が大声あげる
半鐘が激しく鳴らされて村のみんなが駆けつける
駐在所の巡査が先頭に立ち、村の自警団員が続く
手には竹槍や鳶口、日本刀や猟銃も
その数は全部で数十人、あるいは百人以上とも
自警団員たちが行商人に迫る「お前ら日本人か」
「わしらは日本人じゃ」答える行商人に
「やっぱりこいつら言葉が変だぞ」
「いったいどこから来たんだ」
「四国から来たんじゃ」
千葉の人間にしてみれば聞き慣れぬ讃岐弁
「お前ら日本人なら『君が代』歌ってみろ」
命じられるままに行商人たち「君が代」を歌えば
半信半疑の自警団員たち、
こんどはお経を唱えろと言ったり
「いろは」を言えと言ったり、どんどんエスカレート
目の前の見慣れぬ者が敵に思えて来た
本署の指示を仰ごうと巡査がその場を離れたとたんに
不安に駆られた自警団員たち、行商人たちに襲いかかる
赤ん坊抱いて命乞いする母親を竹槍で突き刺し、
逃げる男たちを後ろから鳶口で頭をかち割った
川を泳いで逃げようとした者たちは小舟で追われて
日本刀でめった切りにされて銃声も響く
雑貨屋の前にいた九人が全員殺された
鳥居の脇の六人は恐怖におののき震えるだけ
残った六人も捕まえられて川べりに連行される
縄や針金で後ろ手に縛られ、まるで罪人扱い
乳飲み子を抱えたまま縛られた母親を男が後から蹴りあげ
醜い顔で大声あげる「川に投げ込んでしまえ!」
興奮して頭に血が上った自警団員の男たち
残った六人全員を後ろ手に縛ったまま
川に投げ込もうとしたちょうどその時
馬に乗った警官が駆けつけて
凄惨極めた惨殺はそこで止められた
九月初めの昼の盛り、利根川の河原には
虐殺された九人の死体が転がる
幼い子供もいれば身重の若い母親も
無残な死体に残暑の日差しが照りつける
襲いかかった自警団員、福田村と隣の田中村の男たち
数十人の中で逮捕されたのはたったの八人だけ
殺人罪で起訴されて懲役刑を受けたが
昭和天皇即位の恩赦ですぐに全員が釈放された
殺人者を告発する検察官は
「彼らに悪意はなかった」と語り
弁護費用は村費でまかなわれ
家族には見舞金も支給された
殺人者たちの家族には村をあげての支援
惨殺された行商人たちには謝罪の言葉はないまま
出所した主犯格の一人、出所後は村長になり
やがては市会議員に選ばれて地元のために尽くす
おまえは夜眠れたのか、悪夢にうなされなかったのか
おまえたちがしたことは謝ってすむことじゃない
関東大震災の直後に朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだと
いたるところでデマが流され、たくさんの朝鮮人が殺された
誰も彼もが疑心暗鬼、言葉が少しおかしいというだけで
幼い子供や母親を竹槍で突き殺した
自警団員もただの人、家に帰れば優しい父親
我が子の遊ぶ姿に相好を崩し、隣近所と親しく付き合う
そんなどこにでもいる善人たちが徒党を組んで
不安に煽られたとたんに鬼になってしまう
福田村で襲われたのは四国香川の行商人たち
僅かな薬や日用品を売ってその日その日を暮らす
地元香川のふるさとの村を後にして
どうして旅を続けなければならなかったのか
千キロ近く離れた千葉の果てまで
三豊郡のふるさとの村では彼らに仕事はなく
稲を育てる田んぼもなく、小作料は高すぎる
地区の人たちのほとんどが行商をして暮らす
旅のつらさ覚悟すればからだひとつで始められる仕事
虐殺現場の福田村から謝罪の言葉は届かず
地元香川の中からも抗議や糾弾の声は起こらず
なかったことにしようと言わんばかりに
県のお偉方は知らんぷり
虐殺された行商人たちのふるさと、香川の被差別部落
2003年9月6日、80年の歳月が流れて
虐殺現場の三ツ堀で慰霊碑の除幕式
あの日と同じように残暑の日差しが照りつける
渡し場は今はゴルフの練習場、霊はここで80年さまよっていたのか
見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの
昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ
朝鮮人だとか部落だとか、小さな日本人よ
朝鮮人だとか部落だとか、小さな人間よ
ー 22023年9月15日(金)