https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170921-00759556-jspa-life
自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組『山下達郎のサンデー・ソングブック』の中で、ライブに行くと抑えきれずどうしても大声で歌ってしまうリスナーからの「これってダメですか?」との質問に、達郎さんは「ダメです。一番迷惑。あなたの歌を聞きに来ているわけではないので」と返答。この発言に対する議論がネット上で大いに盛り上がり、ヤフーやライブドア等いくつものネットニュースで取り上げられることになった。自分の知る範囲では、達郎さんの意見への賛同が大半のようだ。
達郎さんの気持ちは同業者として自分なりに理解できる。自分の体験を語らせてもらうと、席数が60席に満たない会場でのピアノ弾き語りライブの時に、客席最前列で、曲の最初から最後までずっと自分と一緒に歌い続けているお客さんがいて、その時は正直、やりづらくて困ってしまった。またその声がよく響くのだ。
しかも、そのお客さんは、こちらのテンポにあまり寄り添うことなく自分のテンポで歌い続け、常に演奏よりも先走って歌ってしまうから、こちらの演奏がそのお客さんの声にひきづられそうになってしまう。周りのお客さんも明らかに戸惑っているので、放置しておくわけにもいかなくなってしまった。
でも、自分の曲を空で歌えるくらいファンでいてくれて、回りが見えなくなる程楽しんでくれているのだから、とてもありがたいことでもあるのだ。時間を割いて、お金を払って観に来てくれるお客さんに対して、強い態度で接する気持ちにはなれなかった。場の空気も悪くなるので、MCでお客さんに直接注意すことはなるべく避けたいと思った。
そこで自分のとった行動は、こちらの演奏を変えることだった。
まず、マイクスタンドを口元から離し、会場に生声を響かせた。そして、ピアノタッチを最弱のピアニシモにして音数を極端に減らして演奏した。そうすると、自分と一緒に歌っていたお客さんの歌声もより会場に響き渡ることになった。そこに至ってようやく、そのお客さんも自分がその場に与えていた影響に気づいて、歌うことをやめてくれた。
ライブは、その場にいる皆とのエネルギー循環による化学反応、一期一会のプロセスを共有してゆくドキュメンタリー。
自分はそうとらえているので、その一連の流れこそが、その日のライブの最大の見せ場の一つとなったと思っている。
ただ、そのお客さんには少し恥ずかしい思いをさせてしまったかもしれない。次回もまたライブに来てもらえたらと思う。
では、自分のライブでお客さんの合唱はNGかと言うと、全くそんなことはない。むしろ、それを求めていると言っていい。
自分のライブでは、こちらがお客さんに対して合唱や手拍子を促す場面がとても多い。特に、ソロのピアノ弾き語りライブでは、歌い手、打楽器奏者としてのお客さんの立場がより重要な位置を占めている。
そういう場面では、自分の立場は指揮者なのだと思う。ただ、完全な統率は目指さない。リズムと音程がずれていても大丈夫。多少はみ出す奴がいてもいい。カオスを残しつつ、皆が高揚感を共有できれば、それが正解だ。
ただ、しっとりと歌うバラードで一緒に歌われたり手拍子されると、それは違います、そこは聴き所ですよと。その辺は臨機応変に対応してもらって、皆でライブをつくっていきましょう、ということなのだ。
ライブにはさまざまな場面が存在する。その場面によっても正解は変化する。だから面白いし、飽きない。
そこに多少のハプニングを含んだライブが好きだ。自分のライブでは、お客さんも、完璧なものよりも、そういったハプニング的要素を期待しているように感じる。アーティストによって、ライブによって、期待されるものも違ってくる。当たり前のことだ。
多分、達郎さんのライブに比べて自分のライブは、ステージと客席、パフォーマーとオーディエンスの間の仕切りが曖昧なのだと思う。自分がそういう方向に向かったのは、体験と置かれた立場によるところが多い。そういった体験について語る良い機会かもしれないと思いつつ、長くなりそうなので、それはまた次回に。
達郎さんの言葉は、一部を切り取られることで極端な解釈がひろがってしまったように感じる。
ライブのあり方の正解は一つではない。やり方は人それぞれだし、与えられた場所やその時の気持ちによっても変化する。千のライブがあれば、千の正解があると自分は考えている。達郎さんだって、きっと、そう考えているんじゃないかと想像する。
正解を決めつけずに、集まってくれた皆と一緒にその日の正解を導き出し、最高のグルーヴに至るステージができたらと思う。
ー 2O17年9月22日(金)