2010年6月30日水曜日

ハシケン15周年 下北沢 440(Four forty)

下北沢 440(Four forty)
ハシケン・デビュー15周年ライブ6月編「ハシケンとリクオ」
【出演】ハシケン/リクオ
 ハシケンとの付き合いは12年になる。共演回数は覚えていないくらい多い。二人で一緒にツアーを回った事もある。
 今回の共演はハシケンのデビュー15周年を記念するシリーズライブということもあり、自分の中にも特別な思いがあった。ハシケンが自分を誘ってくれたことが素直に嬉しかった。ハシケンのことは、同時代を共に生きる仲間だと勝手に思っている。
 かなり前にハシケンから提案があり、二人で曲を書き、ライブ当日その曲を披露することに決めていた。まずはこちらからサビ部分の歌詞とメロディーを弾き 語りで自宅録音して、ファイルでハシケンにメールした。しばらくしたらハシケンから曲の完成形に近い音源がファイルで送られてきた。それに対して、こちら でまた詞曲にアレンジを加えた音源を送り返した。このようなキャッチボールを繰り返して、二人の共作「Na rain no rainbow」は完成した。ハシケンとの共同作業を経て、自分が何をどのように伝えたいのかということに対して、より自覚的になれた気がする。とても刺 激的な作業だった。
 ライブでは、それぞれのソロコーナーの後に、8曲を二人でセッションした。もちろん「No rain no rainbow」も初披露。アンコールの最後「ソウル」を二人で歌い終えた後は、胸が一杯になって、ハシケンとステージ上でハグし合った。 
 サイゲンジ、坂田学くん、多和田えみちゃん、パーカスの朝ちゃん、チェロの歩ちゃん、バイオリンの江藤有紀ちゃん、サンタラのキョウコちゃん、河村博司くん他、申し合わせたわけでもないのに、多くのミュージシャン仲間が、この日のライブに集まった。
 ずっと記憶に残しておきたい夜になった。
 ハシケン、15周年おめでとう。これからもよろしくね。

2010年6月27日日曜日

姉、母あらわる

金沢市 金沢 もっきりや
 自分が始めてもっきりやを訪れたのは、高校2年生の夏休み。当時金沢の大学に通っていた姉が、もっきりやでバイトしていたので、休みを利用して遊びに行ったのだ。
 お店の佇まいは、その頃からほとんど変わっていない気がする。マスターの平賀さんも随分と歳をとったはずなのに、印象が変わらない。
 もっきりやに着いたら、まずカウンター席に座って、平賀さんにコーヒーを入れてもらい、平賀さんが選ぶCDを聴きながら、いろんな音楽の話をさせてもらうのが楽しみの一つ。
 カウンターの中で音楽にひたりながら、想像力を膨らませ、異国の地に思いを馳せ、男女の物語に胸ときめかせている平賀さんは、永遠の心の旅人だ。
 この日は想定外の出来事があった。大阪に住む姉と京都に住む母親が、二人で一緒にライブを観に来たのだ。姉が、仕事で金沢に来るついでにライブを観に来 ることは聞いていたのだけれど、まさか母親を連れて来ようとは。少し動揺したけれど、いい機会のようにも思えた。
 二人には、なるべく自分の目に映らない客席後方に座ってもらった。案外、気にせずにいつものライブが出来た気がする。ごく普段のライブの現場を二人に観てもらえたことは、よかったんじゃないかと思う。
 いい夜だった。

2010年6月26日土曜日

7年目のソールドアウト

富山市 アナザホリデー 
 アナザーホリデーのライブで空席が目立ったことは1度もなく、毎回ほんといい感じで演らせてもらっているのだけれど、7年間通い続けて、前売りがソールドアウトしたのは今回が始めて。やはり嬉しい。
 ライブは多いに盛り上がって、物販もよく売れた。自分がやってることは富山の薬売りやテキヤの寅さんに近いと思う。言わば実演販売。だから、その日のライブの善し悪しが、物販の売り上げにも影響する。
 渋谷のHMVが閉店するこのご時世、CD、DVDといったパッケージに関しては、実演販売の比重がこれから増々大きくなってゆくに違いない。実演販売の良さは、CDが1枚売れる度に実感を伴うことだ。
 打ち上げは、いつものようにアナザホリデーの徳光夫妻の手料理をふるまってもらう。美味しかったあ。

2010年6月25日金曜日

久し振りの新潟

新潟市 ブティック文文(ぶんぶん) 
オープニングアクト/クマガイマコト(vo/gt)
 久し振りの新潟は、とても蒸し暑かった。
 ライブを主催してくれたYU’s music planの石山さん、スタッフのあややちゃん、オープニングで歌ってくれるクマガイ君と1年4ヶ月振りの再会。ヒゲ男爵みたいに恰幅のよかったクマガイ君 がすっかりスマートに痩せていてびっくり。皆元気そうで何より。
 この日は、新潟老舗の百貨店、大和が66年の歴史に幕を降ろすとあって、大和のある繁華街古町は、車や人通りがいつもよりかなり多いようだった。大和の閉店は、古町が岐路に経たされていることを象徴する出来事なのだろう。
 ブティック文文はその名の通り1階がブティックで2階が多目的ライブスペース。アンティークな店内にグランドピアノがよく馴染んでいた。40席程の小さ なスペースなので、ピアノは生音。モニタースピーカーもなし。こういう環境の方が、かえって音を立体的にとらえることができて、響きに敏感になるから、い い演奏ができることが多い。
 クマガイ君のステージは、音楽を楽しんでいる様子が充分こちらに伝わってきた。新曲も印象に残った。
 ツアー初日から弾けた。今迄の新潟ライブの中で、お客さんの乗りが一番オープンだったように思う。
 打ち上げでは、ピアノの弾き語りをしているという地元の若者から質問ぜめに合う。彼の生き生きとした目が印象に残った。
 また戻って来ます。

2010年6月20日日曜日

自分の帰る場所

神奈川県小田原市 ジーズキャフェ
 ジーズキャフェは30席程の小さなライブバー。ライブを演らせてもらって、たくさんのツアーミュージシャンがこの場所に集う理由が、とてもよく理解できた。
 この日のお客さんはライブの楽しみ方を充分過ぎるくらいに心得ていた。とにかく乗せ上手で、乗せられ上手。男性比率がいつもより高く、野太い歓声で、時々自分の声が聴こえなくなるくらいだった。
 やっぱりこういう猥雑な酒場空間が自分の帰ってくる場所なんだなと、あらためて実感。この実感を元に、さまざまな場所に出て行けたらと思う。
 ジーズキャフェ、また帰ってきます。

2010年6月19日土曜日

大阪うたの日最高でした!

「大阪うたの日コンサート2010」
場所:大阪 心斎橋 JANUS
【ナビゲーター】リクオ
【出演者】リクオ/ウルフルケイスケ/多和田えみ/広沢タダシ
【リクオバンド】パーカッション:朝倉真司/ベース:寺岡信芳
 大阪で「うたの日コンサート」が開催されるのは今年で4回目。自分は1回目の開催からずっと関わらせてもらっている。
 客席は、開演しょっぱなから既に出来上がっていた。この盛り上がりは、地元大阪というだけでなく、イベントのこれまでの積み重ねによる信頼と期待感のあらわれだと感じた。 
 オレ、寺さん、朝ちゃんの3人からなるリクオバンドは、出演者全員とからみ、終演までほぼステージに出っぱなしだった。それぞれの出演者と以前から交流があり、信頼関係が築けていたことで、こういうステージが成り立った。
 えみちゃんとのセッションはこれまでの中で、最高のクオリティーだった。彼女の、さらにいい音を奏でたいという貪欲な姿勢が、こちら側に更なる刺激をもたらせてくれた。
 広沢くんは、セッション曲の1曲で、ついにギターを置いて、ハンドマイクで歌い出した。どんどん解放に向かっているようで、頼もしい。10周年の節目を迎えて、さらに変化をとげてゆきそうな予感。
 けいやんは、やっぱり華があるなあ。彼と「胸が痛いよ」を演奏できたことが特に嬉しかった。「ミラクルマン」も最高に盛り上がった。とにかくけいやんのギターは想像以上にこれらの曲にはまった。
 理想的な共鳴空間。最高の夜だった。

 自分の大学時代の同級生、大阪在住時代からの音楽仲間、ここ数年で知り合った大阪在住の若い世代のミュージシャン達、カットマン.ブーチェのウリョン君や、小宮山君、そして姉ちゃんまで、この日はさまざまな知人が会いに来てくれて嬉しかった。
 特に自分が大学に入って最初に組んだバンドのボーカリストだったMが、多分自分がデビューして以来始めてライブを観に来てくれたことは、自分にとって、とても大きな出来事だった。
 過去からの連なりの中で自分の今があることを、はっきりと実感できた夜でもあった。

2010年6月18日金曜日

HOUSE of CRAZY の音は素晴らしい!

豊橋HOUSE of CRAZY  
「セツナグルーヴ2010」
【サポートメンバー】寺岡信芳(b)朝倉真司(perc.)
 HOUSE of CRAZY の音は素晴らしい。マスターでPAも担当の松崎さんは、こちらが演奏中、極力ミキサーに手を触れない。音のバランス調整は演奏側に委ねるという姿勢。コン プレッサー、リミッター等余計なエフェクト類も使わない。演奏者を信頼してくれているのだ。とにかく柔らかくてナチュラルな音。
 HOUSE of CRAZYは最大で60席程の空間で、ステージも広くないので、モニタースピーカーへの依存度が普段以上に少なくなる。だから、モニターで音のバランスを とるのではなく、3人の出音を聴き合うことでバランスをとることが可能になる。この方が、それぞれの音を立体的にとらえて、空気感を共有しやすくなる。
 
 寺さん、朝ちゃんの演奏はこの日も素晴らしかった。互いに間と響きを感じながらの演奏。リズムは大きく、しなやか。それでいて疾走感もある。自分は、身を委ねる感じで、余裕を持って演奏することができた。遠心力で歌うイメージを保てたことも収穫。
 音響の良さ、お客さんのリアクションの良さ、さまざまな要素が整って、ほんと心地よい空間を共有することができた。 
 白谷くん、今回もありがとね。

2010年6月15日火曜日

関西DNA

東京うたの日コンサート
【出演】リクオ/広沢タダシwith中富雄也(風味堂)
 渋谷の4ヶ所で6日間開催されるイベント「東京うたの日コンサート」の初日に、広沢タダシ君と共演。
 広沢くんは今年デビュー10周年なのだそう。彼との付き合いは、彼がデビューアルバムを出した直後くらいからだと記憶しているから、もう10年近くなる。
 とにかくたくましくなったなあとの印象。ステージのMCを聞いていると、以前よりも関西色、芸人色が強まってきた。その一方で、彼独特の涼しげな佇まい も健在。表現全体に開放感が増して、印象が明るくなった。さらに10年経ったら、オレよりも喋るようになってるかも。さすが八尾出身、関西DNAは強いね え。
 風味堂のドラマー、かっちゃんはカホンで参加。かっちゃんの演奏は、ときめきがダイレクトに伝わってくる感じ。3人でのセッション、とても楽しかった。 
 風味堂の他メンバー、スタッフがライブを観に来ていて、打ち上げに参加し、皆楽しそうにしているのが、とてもいいなあと思った。

2010年6月11日金曜日

一期一会

100万人のキャンドルナイト@オオサカシティ
野外アコースティックライブ Twinkle Love-Live
【会場】大阪市 西梅田公演
【出演者】リクオ/Port of Note/orange pekoe/セカイイチ
ステージデコレーション:Candle JUNE
 
「100万人のキャンドルナイト」とは、夏至と冬至の日の夜の間数時間、電気を消してスローな夜を過ごそうという運動に基づいたイベントで、大阪ではこの時期に毎年開催されて、今年で10年目になるそう。自分が関わるようになったのは4年前から。
 イベント開始時間になると、西梅田一画の高層ビル街に無数のキャドルの灯がともされる。ライブ会場のステージと客席の灯りもロウソクのみ。
 ライブ会場の西梅田公園には溢れんばかりの人が集まった。イベント全体で15万人、ライブ会場だけで2千人を超える集客は、この10年の中で最大の動員だったそう。
 ロウソクの灯りの静けさと都会のノイズが同居する幻想的な異空間は、演奏にも多くの影響をもたらしたと思う。選曲もこの空間にそったものになった。チェ ロの歩ちゃん、バイオリンの阿部美緒を今回のイベントに誘ったのも、この空間をイメージした上でのことだった。
 自分はステージ全体を仕切る役目も受け持っていたので、出演者全員とセッションさせてもらった。音を交わすのは始めての人達ばかりだったので、多少の不安はあったけれど、出会いに対するときめきの方がそれを上回っていた。
 この日のすべての出演者は、一期一会の思いを持って、イベントにのぞんでくれたのだと思う。ステージは素晴らしい出会い、共鳴の場になった。   Port of Noteの畠山美由紀さんとはキャロル.キングの「You've gotta freind」を二人で、セカイイチの岩崎君とは、チェロの歩ちゃん、バイオリンの阿部美緒を交えてブルーハーツの「1001のバイオリン」を、 orange pekoeの二人とは歩ちゃん、阿部美緒と一緒に坂本九の「見上げてごらん夜の星を」を、それぞれセッションした。どのセッションもとても印象に残るもの になった。歩ちゃんによる弦アレンジも素晴らしかった。
 セカイイチのステージを観たのは今回が始めてだった。すごいバンド名。歌心のあるとてもいいバンドだった。特にソングライティングと歌を担当する岩崎慧君の才能には多いに刺激を受けた。ぜひまた一緒させてもらいたい。
 カフェマーサで行われた打ち上げは、途中からセッション大会になって、これまた最高の盛り上がりに。記録に残したいくらいにいいセッションだった。

2010年6月9日水曜日

石田長生さんのライブに飛び入り

 横浜サムズアップで行われた石田長生さんのギター弾き語りワンマンライブに飛び入りして、7曲程セッションさせてもらった。
 数日前にいつものバーで飲んでいて、酔った勢いで石田さんに電話したことがきっかけで、急遽この日の出演が決まった。こういう展開は楽しい。
 石田さんとの出会いは、自分が大学4年生の頃。京都の磔磔まで石田さんと友部正人さんのジョントライブを観に行ったライブ後に、会場で自分の方から石田さんに声をかけて、デモテープを手渡した。 
 実はそのとき、デモテープを2本用意していて、石田さんと友部さんのそれぞれに手渡そうと考えていたのだけれど、当時の友部さんは近寄り難い雰囲気が あって、話しかけることを躊躇してしまった。友部さんとの交流が始まるのはその1年後くらいだったと思う。友部さんの奥さんのユミさんがオレのライブを観 て、友部さんに紹介してくれたのだ。
 当時、まだアマチュアだった自分は、リスペクトするツアーミュージシャンのライブを観に行って、デモテープを渡すということをよくやっていた。他には、 有山じゅんじさん、当時ティアドロップスで活動していた山口富士夫さん、西岡恭蔵さん、モジョクラブの一員だった三宅伸治さんにも手渡した。
 手渡したテープをちゃんと聴いてリアクションしくれる人が結構いたことには、とても勇気づけられた。富士夫さんからは「ロックンロールにはかわいらしさが必要だと思うけれど、リクオの音楽にはそれがあると思うよ」と言われたことが印象に残っている。
 石田さんは、デモテープを手渡したすぐ後に、わざわざオレのライブを一人で観に来てくれた。それからは、当時石田さんがやっていたバンド、ボイス&リズ ムのライブの前座に使ってもらったり、大阪でプロレスの興行があると誘ってもらったり、有山さんや憂歌団のメンバーの皆さんを紹介してもらったり、ほんと 色々とお世話になった。
 自分がプロになった後も、石田さんとは色んな現場で一緒させてもらったけれど、共演の機会は次第に減ってゆき、90年代後半以降、ほんの数年前まで、ほとんど共演することがなかった。
 正直に言えば、自分は、若い頃にお世話になったり影響を受けた先輩から、意識的に遠ざかろうとしていた時期が長かった。自分の表現を形作る上で、そうい う時期があるのは仕方がないことだったとは思うけれど、お世話になり、影響を受けた先人に対して、感謝やリスペクトの気持ちを伝えきれていないのではない かという後ろめたさのようなものは感じていた。
 同世代の中川敬、山口洋との再会を経て、昨年の梅津さん、石田さんと続く再会の流れは、自分の中での変化を象徴しているように思う。
 とにかく、出会いから20数年を経て、こうやってまた石田さんと音を交わすことができることを、心から嬉しく思う。