2001年6月30日土曜日

2001年6月30日(土)

北海道ツアーがスタート。
千歳空港から電車で午後2時過ぎに札幌駅に到着。この日の札幌は快晴。昨日まで、梅雨時の東京の気候にうんざりしていたのだ が、こっちは別天地。かわいた風が本当に心地よく、気分は上々。
今日のライブを主催してくれる三角山放送局の杉沢さんが駅に迎えに来てくれ る。杉沢さんが言うには三角山は日本で一番、リクオの歌をオンエアーするコミュ ニティーFMだとのこと。素晴しい。ライブ場所である三角山カフェ(三角山放送局内)に行く前に、CDショップへの挨拶回りに付き合ってもらう。杉沢さん の知り合いの店員さんがいたりしてとても助かる。三角山カフェでのライブは今回で早5度め。今までで一番のお客さんの入りで、 ライブも、打ち上げも盛り上がった。三角山のスタッフの皆さんは本当に気持ちの良い方 ばかりで、こちらもリラックスして毎回お酒が多いに進んでしまう。それにしてもこの日は飲みすぎた。
千鳥足でホテルに戻ってから財布がないことに気付く。やってしまった。

2001年6月3日(日)

この日はキャンペーンの一環として、キャナルシティーというショッピング街とカートというCDショップの2ヵ所でインストアライブをやる。
その後、テレビとラジオのコメント録りを2つこなす。
夜は前日に続きイマジンの小松さんと明日のキャンペーンでお世話になるブレインズの松田さんと会食。初対面 の松田さんは寡黙な方だけれど、内に秘めた情熱 と誠実さが感じ取られ、好印象。

2001年6月9日土曜日

2001年6月9日(土)

高山ピッキンでライブ。リハーサルの後、マスターの高原さんに自転車を借りて 高山の街を散策。相当な距離を走る。ツアー中に、どの街でも自転車を借りるこ とが出来たらなと思う。
この日のライブは気付いたら、いつもより随分長く演っていた。 打ち上げの飲み屋(とてもよい感じのお店なのに店の名前を忘れてしまった)で 久し振りにボブ.ディランを聴く。これがすごく良かった。酔っていたせいもあるかも知れないけれど、声とメロディーに震えた。ホテルに戻っても興奮覚めや らず、さっきの感動を思い出し、一人盛り上がる。なかなか寝付けなかった。

2001年6月8日金曜日

2001年6月8日(金)

もっきりやのスタッフの子達と深谷温泉の湯につかり、福光で遅い昼食をとってから、高岡もみの木ハウスへ。
リハーサルのあと時間があったので、日本三大大仏の一つ、高岡大仏を見学。そ の後、護国神社を見学して、敷地内の公園でくつろぐ。 温泉につかり過ぎて、ちと体の力が入らない感じ。 この日は、ライブの途中で飲んでしまう。くせにならないようにしよう。

2001年6月7日木曜日

2001年6月7日(木)

マネージャーテツは点滴を打って名古屋へ。僕はライブのため、金沢へ。
今日のライブ場所である「もっきりや」は僕の姉が学生時代に長くアルバイトを していたので、高校時代にも遊びに来たことがある。このときの想いでを一つ。
僕はとくにすることもなく、夜の金沢の街をひとりぶらついていた。そんな時、 ふいに占い師に呼び止められた。きっと無防備な顔をしていたんだろう。手相を みてくれるという。僕は言われるままに手を差し出した。 占い師は最初に僕の持病を指摘した。それが当たっていたので僕はすっかり相手のペースにはまってしまった。占い師は最初にドキリとさせておいて、その後は 明るい未来ばかりを予測して、僕を喜ばせた。お礼を言って代金を伺った時に占い師が一言。「高いよ」。なんと16歳の高校 生に5千円(20年前当時)を請求するのだ。それを払ってしまった自分が今だに情けなく、かわいそうに思う。その後、中味のすっかりさみしくなってしまっ たサイフを握ったまま、やりきれない気分で金沢の街を徘徊し続けたのを覚えて いる。
僕はそれ以降、占いと呼ばれる類のものに一切、かかわることを拒否してきた が、ここ数年でやっと金沢でのトラウマが消えてきたようで、最近は占い師や超能力者と呼ばれる人達と接する機会を楽しむことがある。

もっきりやのマスター、平賀さんは最高のお客さんの一人でもある。いつもカウ ンターの中で、それぞれの曲の演奏とパフォーマンスに対して実にヴァラエ ティーに富んださまざまなリアクションを返してくれる。そしてライブが終わる と、とても丁寧な感想を伝えてくれる。マスターを慕って、集まるお客さんは多 い。20年前にお会いしたときから平賀さんの印象は変わらない。素直で飾りが なく、音楽への深い愛情とこだわりを持った愛すべきマスターだ。 この日もいい夜だった。

2001年6月6日水曜日

2001年6月6日(水)

マネージャーテツといっしょに主に大阪の紙媒体を挨拶回りする。どこもリアク ションが良い。やっぱ、地元は暖かい。
福岡、大阪キャンペーンを通して、足を使ったフェイス.トゥ.フェイスの営業 と、とにかく関係者に音を聴かせてまわることの重要性を再認識。午前中から大阪市内を足が棒になるくらい、動き回ってクタクタになる。マネー ジャーテツは先日、関係者から風邪をうつされたらしく、かなり体調を崩しなが らも、気力で持ちこたえる。

2001年6月5日火曜日

2001年6月5日(火)

大阪のFM802でマネージャーテツと合流。
「雨上がり」シングルカットのきっかけをつくってくれた番組「サンデーアフタ ヌーン」 にゲスト出演。スタジオライブとトークを収録。
ライブでは大阪のボサノバ.バン ド、「のまど」の二人がガットギター&クロマティックハープで参加してくれて、「雨上がり」を歌う。
二人は7/13バナナホールのライブでもオープニングア クトを努めてくれる。さりげなく琴線に触れる歌と演奏をきかせてくれるいいバ ンドだ。
夜はデビュー時からお世話になっている大阪のイヴェンター、サウンドクリエイ ターの関係者と長時間、打ち合わせ。きたんのない意見を交わしあう。

2001年6月4日月曜日

2001年6月4日(月)

福岡キャンペーン2日目。スケジュールがぎっしり。午前中から松田さんといっしょに、食事の時間も惜しんで、主にFMと紙媒体を回る。キャンペーンでお会い した各媒体の関係者からは予想以上によいリアクションをもらう。松田さんのス ケジューリングもとても良かった。疲れたけれど、充実感があった。
キャンペーン最後のラジオ番組収録を終え、急いで駅へ。少し時間があったの で、地下街でラーメンを食べてから終電の新幹線に乗って大阪へ。

2001年6月2日土曜日

2001年6月2日(土)

キャンペーンのため夕方、福岡入り。
ホテルでチェックインした後、時間があったので天神界隈を散歩。僕の知る限り、地方都市の中で福岡は大阪とならんで現在、最も活気の感じられる街だ。夜は 新譜でお世話になっているイマジンレーベルの代表小松さんとデビュー当時のレーベルメイト、元ディープ&バイツの大野君と3人で会食。大野君は去年から福 岡の音楽制作会社で働いているのだそう。こんなにじっくりと語り合ったのは何年振りだかわからないくらい久し振り。とにかくお互い元気に再会できたこ とが嬉しい。