2007年9月30日日曜日

air plants 1st CD発売記念ライブ

渋谷7th floor
出演:air plants(バイオリン:阿部美緒、チェロ:橋本歩、ギター:嘉多山信)
オープニングアクト: リクオ
スペシャルゲスト: 坂田学(ドラムス)
 相馬から再び東京へ戻り歩ちゃんと二人で渋谷へ。東京は雨。気温も一気に下がり肌寒い。
  この日は、ここ数年、自分のライブ&レコーディングに欠かせない存在となっているバイオリンの阿部美緒、チェロの歩ちゃんがやっているインストバンド、 air plantsの記念すべきデビューアルバム発売記念ライブに オープニングアクトとして参加。air plants のメンバー、学君とも2曲セッション。
 air plants の演奏は、空間で音が優雅に踊っている様が目に見えるような感じ。そこに学君のクールかつエキサイティングなドラムが加わると、素晴らしい化学反応が起きて、極上のグルーヴが生まれた。
 この日air plants と一緒に「Oh My Love」を演奏して、自分が救われたような、少し楽になったような気がした。いい曲やなあ。air plantsの演奏とアレンジもすてきだった。
 「今日は心身ともに限界かなあ」と判断して、参加するつもりでいた打ち上げにも参加せずに帰宅。
 明日からまたミッキーとのツアー。
 歩ちゃん、阿部美緒、がっちゃん、CDの発売&ライブの成功、おめでとう。
 また一緒にやろね。

2007年9月28日金曜日

アリガトウHONZI

飛行機を乗変して、早朝の便で東京に戻り、午後0時半からカトリック築地教会で行なわれたHONZIの葬儀ミサに出席する。
 なんとか葬儀開始の 時間には間に合ったのだけれど、教会に着いた頃には、既に会場に入りきれない参列者が集まっていて、自分を含めたくさんの人達が教会の外で粛々と行なわれ ている葬儀を見守り続けることになった。 献花の時間になって、やっと教会内に入ることができた。HONZIの歌声が館内に流れる中、各々が、棺に眠る彼 女に花を添え、別れを告げてゆく。白い花に包まれたHONZIは綺麗だった。目を覚ましそうにも思えたけれど、彼女の頬にふれたら冷たかった。
  HONZIは亡くなる直前までライブ演奏を続け、今月に入って再入院、最後は自宅に戻り夫のI君に見とられて、旅立った。数年前に結婚したI君と一緒のと きのHONZIは、リラックスしてとても幸せそうに見えた。学生時代からの長い付き合いの中でも、あんなにおだやかな様子のHONZIを見たことがなかっ たように思う。葬儀の席でそのことI君に伝える。
 出棺のときには、HONZIの最後の共演者でもある早川義夫さんの歌が流れた。
 葬儀 に集まったたくさんの人達がHONZIを想い涙を流した。葬儀に参加できなかった多くの人達も同じ想いだったことだろう。彼女がどれほどたくさんの人達か ら愛されているのかを、あらためて実感することができた。これからも多くの人達がHONZIのことを想い続けるに違いない。
 霊柩車が去った後は、少し取り残されたような気持ちになった。

 HONZIとの時間は自分にとって、とても大切で楽しい時間だった。

 アリガトウHONZI。

2007年9月27日木曜日

"Oh My Love”を歌う

相馬市 蒼龍寺境内 本堂前
サポートミュージシャン:橋本歩(チェロ)
 ミキオ君とのツアーが続く合間に、チェロの歩ちゃんと福島県の相馬市へ。
 蒼龍寺の僧侶の田中俊英さんは大の音楽好きで、今までも自分のソロライブを2度企画してくれたことがある。今回は相馬市の企画で、お寺の本堂の前での野外ライブ。客席からライブを眺めてみたくなるくらいに、素晴らしいシチュエーション。しかし寒かったあ。
 
  この日は出発前の朝方まで、ジョン.レノンの「Oh My Love」の日本語意訳を考えていた。2日後に行われるエアプランツのCD発売記念ライブに参加するにあたって、メンバーのがっちゃんから、セッション用 にこの曲をリクエストされていたのだ。オレが10数年前にライブで歌っていたのを、お客さんで観に来ていたがっちゃんが聴いていて、ずっと印象に残ってい たそう。
 その当時は原詞の英語で歌っていたのだけれど、今回は日本語で歌ってみようと思った。それで、友部正人さんが「Oh My Love」を日本語で歌っていたのを思い出し、そのヴァージョンで歌わせてもらえないかと考えて、友部さんに連絡してみた。電話には友部さんではなく奥さ んのユミさんが出てくれて、日本語詞を知りたい旨伝えたところ、その件に関してユミさんから予想外の話を聞かされる。
 友部さんが歌っていた 「Oh My Love」の日本語詞は友部さんではなく、音楽ライターの下村誠さんによるもので、その下村さんは数年前に出家して僧侶になり、去年火事で亡くなられてし まったそうなのだ。どれも初めて聞く話だった。下村さんとは自分も付き合いがあったけれど、いつの頃からか疎遠になり、長い間会うこともなくなっていた。
 「下村君を弔う気持ちで歌ってあげて」とユミさんから言われて、歌詞をメールで送ってもらった。HONZIがなくなったことを知ったのはそのすぐ後だった。たまたまだけれど、「Oh My Love」は、昔HONZIと何度も演奏していた曲だった。
  HONZIの葬儀から帰宅して、いろんな想いが交錯する中、下村さんによる「Oh My Love」の日本語詞を何度も読み返してみた。想いの真っすぐに伝わる言葉達だった。でも自分はその時に、“自分なりの言葉で生きているという実感をこの 曲のなかで歌いたい”という気持ちになった。それで、自分で日本語詞をつけてみることにしたのだ。

 この日のリハーサルの最初の音出しの ときに、今朝考えたばかりの日本語で「Oh My Love」を歌ってみた。この日の演奏予定にはなく、今まで一緒にやったこともない曲なのに、歌の途中から歩ちゃんがチェロで即興の伴奏をつけてくれた。 演奏が終ったら、客席から様子を見ていた俊英さんの奥さんが拍手してくれた。急遽、この日の演奏曲に「Oh My Love」を加えることにする。

 歩ちゃんのチェロの響きはいつもに増してまろやかで美しかった。心身ともに疲れていて、もろさを露呈しがちな自分を、彼女はやわらかく支えてくれた。
 空をみて、木をみて、虫の声を聴き、風を感じ、悲しみを感じ、夢をみて、さまざまなものとの繋がりを感じながら歌った「Oh My Love」の感触を忘れずにいたいと思う。

 それにしてもこの日の相馬は冷えた。一気に秋。

高知 FANCY LABO RING

高知 FANCY LABO RING
「~Pianoman Standing Tour2007~リクオ&伊東ミキオ」
  朝10時頃中川五郎さんより電話。「HONZIがだめだった」とのこと。 同世代の仲間の死。悲しみとか、後悔とか、色んな思いが交錯する。感傷に流され そうになる自分を押さえよう、戒めようとするもう1人の自分がいて、とにかく気持ちを落ち着かせて、知り合い関係者に連絡を回す。

 この 日のステージは、ソロコーナーの最初で集中力を欠き、考えられないようなミアスタッチをしてしまう。動揺している自分に気付いて、一瞬どうしようかと、 困ってしまった。それで、HONZIと一緒に演奏しているイメージを想い描きながら演奏することにする。急遽、彼女とよく一緒に演奏していた「グレイハウ ンドバス」を演ることにする。集中力が戻りはじめる。お客さんの笑顔と拍手と声援、このライブを企画してくれた町田さん夫妻の想い、ミッキーのパワーに支 えられて、なんとかステージを終える。

2007年9月26日水曜日

五郎さんからの電話

岡山 モグラ(MO:GLA) 
「~Pianoman Standing Tour2007~リクオ&伊東ミキオ」
 この日もステージ で調子に乗って盛り上がって、打ち上げ前に一端ホテルに戻ったところで、中川五郎さんからの電話を受ける。「今日、自宅療養中のHONZIのお見舞いに 行ってきたけれど、状態が思わしくない」との連絡。 ヴァイオリン奏者のHONZIとはお互いが学生だった時代からの付き合いで、’90年代の半ばまで は、自分のライブとレコーディングに欠かせない存在だった。一緒に演奏する機会が減ってからは、会う機会も減っていたけれど、濃密な時間を伴に過ごした仲 間であることに変わりはなかった。
 HONZIの夫のI君に電話して、明後日東京に戻ってお見舞いに行く約束をする。なるべく知り合いにも連絡して、HONZIの状況を伝える。
  お店に戻って打ち上げに合流して、またばか騒ぎ。重い気分を忘れたい気持ちもあったかもしれない。モグラの福武夫妻、息子のヨシキ君等皆、この日のライブ の実現を喜んで、楽しんでくれた様子。福武さんから今度は矢野絢子ちゃんとのショイントライブをモグラで実現させてほしいと言われる。

2007年9月24日月曜日

地元の若手と騒ぐ!

9/24(月)地元の若手と騒ぐ!
神戸 バックビート
「~Pianoman Standing Tour2007~リクオ&伊東ミキオ」 神戸編
オープニング:高木まひことシェキナベイベーズ/SGホネオカ
 ツアー4日目。オレとミキオ君のコンビネーションとグルーヴは格段に良くなった。お客さんの盛り上がりも素晴らしく、実に開放的な空間。
  この日は、ライブ前に、オープニングで演奏してくれたシェキナベイビーズのまひこのポマードを楽屋で借りて髪の毛をばっちりリーゼントに固める。そして、 ステージで1曲演奏し終えた後に、これまたまひこから勝手に借りて来た櫛をズボンの後ろポケットから取り出して、髪をといでポーズをP決めてみせる。これ が多いに盛り上がった。ミキオ君とのツアーは、こういうアホなことがやりやすくて楽しいなあ。
 バックビートのブッキングマネージャーをつとめる西山君は、ツアーミュージシャンがお店に来る時は大抵地元の若手をオープニングにつけるようにしている。これは、地元の若いミュージシャンにとっても、ツアーミュージシャンにとっても、いいことだと思う。
 SGホネオカのチャッピーとは西山君のブッキングを通じて知り合い、クレフィンのオープニングで弾き語りをしてもらったし、シェキナベイビーズの酒井ヒロキとも、西山君に紹介された後、何度か共演した。若い才能にふれることができるのは、自分にとってもありがたい。
 打ち上げも、SGホネオカ、シェキナベイビーズの連中を交えてバカ騒ぎ。若い奴等のパワーは凄いわ。オレも負けてないけどね。
 ほんと気持ちのよい奴等ばかり。やってる音楽にもシンパシーを感じる。これから彼らが、音楽で食ってゆくことができるのか、売れるのかどうか、なんてことはわからないけれど、これからもずっと音楽が好きで、食えなくても増々グルーヴし続けてくれたらいいなあと思う。

2007年9月23日日曜日

磔磔へ帰る

京都 磔磔 
「~Pianoman Standing Tour2007~リクオ&伊東ミキオ」
  京都育ちの自分にとって、磔磔はライブハウスの象徴のような場所だった。 大学を卒業してデビューが決まるまでの1年間程、アルバイトさせてもらっていたこともある。いまでも磔磔のドアを開ける時は、少しときめく。とにかく磁場 の強い空間。元々は酒蔵だった場所で、外観も内観も、初めてライブを観に訪れた高校生の頃(25年前)と基本的にあまり変わらない。
この変わらなさがいかにも京都らしい。寺や神社が多いこともあり、数十年、数百年経っても、街に変わらない風景が残っているというのは、京都の強みだと思う。

 ミキオ君とのライブはソロのライブ以上に遊び心が刺激されて、楽しみながらキャラクターを演じることができる。お客さんも多いに反応してくれるので、増々調子に乗る。
 打ち上げ場所で、たまたま飲んでいた地元のロックバンド、片山ブレイカーズのメンバーと合流。彼らのプロデューサーはオレのソロやヘルツのアルバムをプロデュースしてくれたこともある山崎哲也。
 この日は会場近くのホテルがどこも満室だったので、ミキオ君とスタッフのイム君にはオレの実家に泊まってもらう。
★オレの実家でイム君にピアノを教えるミキオ君。

2007年9月22日土曜日

原点回帰

豊橋 HOUSE of CRAZY
「~Pianoman Standing Tour2007~リクオ&伊東ミキオ」
 入間ライブから1週間あいて、今日から本格的にミキオ君とのツアーが始まったという感じ。
 2人のセッション曲を増やために当日のリハーサルはたっぷりと。
 ミキオ君と2人で演奏する曲の多くはR&R、ブルースのフォーマットにそったシンプルな曲ばかり。これが盛り上がる。
  大学生の時に入ったバンドで、3コード、12小節の基本進行を知って、よくバンドメンバーと延々とブルースセッションを繰り返していた。シンプルな枠組み の中で、繋がり合える、そしてどこまでも自由になれるような感覚を持った。それから20年以上の歳月が流れて、色んな経験をして、多くの音楽を知ったけれ ど、今回のミキオ君との演奏は、あの大学時代のセッションの延長線上にある感じ。自分が持っているグルーヴのコアな部分を確認するツアーになりそう。
  今回のセッション曲のレパートリーの中には、ソウルフラワーユニオンの中川敬の詞曲による「道草節」が入っている。去年、今年と中川君とツアーを回った時 のレパートリー曲で、すっかり気に入ってしまい、いつか自分でもカヴァーして歌わせてもらおうと思っていたのだ。まず「道草節」というタイトルがいい。歌 詞もいい。サビの詞とメロディーもキャッチー。

 べっぴんさんの笑顔があって我らは生きる
 そうさ風を切って道草は続く

 これから自分のレパートリ-に加えさえてもらうつもり。

 ミキオ君がセッション用に持ってきた曲の1つ「パラノイア.ブルース」はヒートウェーヴの山口洋もレパートリーにしてライブでよくやっているナンバー。熊本出身であるミキオ君の同郷の先輩ミュージシャンが作った曲だそう。ブルーズの持つ混沌がよく表現された曲だと思う。
 さあ、ツアーはまだまだこれから。 

2007年9月16日日曜日

高知熱狂!

高知 ラララ音楽際
【出演】CRAZY FINGERS(リクオ/Dr.kyOn/YANCY)
 台風の影響で朝方からスコールのような雨が断続的に降る。夜の野外ライブは無事開催できるのだろうか?
  ラララ音楽祭は、お昼頃から高知市内中心地で12ヵ所の特設ステージにてたくさんのミュージシャン、バント(昨年は約150組が参加)がジャンルを問わず 演奏を繰り広げる高知最大の音楽祭なのだそう。クレフィンの演奏はメイン会場の中央公園では午後6時半から。自分はメインステージでのライブの前に、午後 1時から、アーケード街の特設ステージが30分程のソロライブを行なう。
 このイベントは基本的に地元の有志の皆さんのボランティアによって成り 立っていて、プロと呼べる音響さん、スタッフがほとんどいないので、し切りや音響に関してはかなり悪条件の中での演奏。それでもスタッフの皆さんが精一杯 やってくれているのは伝わったし、お客さんのリアクションもとてもよくて、思いのほか盛り上がる。最後はヤンシーは飛び入りして連弾。
 地元高知を拠点に音楽活動を続けているピアノウーマンの矢野絢子ちゃんが観に来てくれていて、ライブの後に茶店で待ち合わせ。いろんな話をする。
  クレフィンが高知でライブするのは初めてにも関わらず、中央ステージに集まったお客さん(特に前方)は熱狂的だった。県外から観に来てくれた人達も結構い たみたい。愛媛でオレのライブを何度も企画してくれている梶虎君も地元の仲間達と観に来てくれる。買い物かごを片手にぶら下げたおばちゃんが、ライブの途 中から最前列中央まで来て盛り上がりまくっていたのが面白かったなあ。
 幸い朝から降り続いた雨も止んでくれる。しかし、ものすごい湿気と照明の暑さでライブの後半はふらふらになった。
 11日後にはまた高知に戻ってミッキーとのライブ。

2007年9月15日土曜日

高知上陸

 入間から羽田空港に移動してヤンシーと明日の音楽イベントに参加するため高知へ前乗り。ヤンシーは9月半ばでもタンクトップに短パン。
 今回のイベントの窓口となってくれた町田さんの奥さんのうららさんが高知龍馬空港まで迎えに来てくれる。
 うららさんの運転する車に乗ってそのまま明日共演予定のローローズのリハーサル会場に直行する予定だったのだけれど、予定を変更して桂浜に寄ってもらい、坂本龍馬像を拝んでから浜辺に出て土佐の荒海を眺める。疲れがたまっていたけれど、すごくリフレッシュされた気分。
 海を眺めた後は闘犬をはじめて見学。試合が始まっても闘う2匹がなかなか戦闘態勢に入らない。どちらも本心は闘いたくないといった様子がありあり。観ていてせつなくなってしまった。

 夜は明日のイベントでも共演予定のローローズのライブにヤンシーと伴に飛び入り。ドラムとギターは元サウス.トゥ.サウスの元木五郎さんとくんちょうさん。ベースは地元高知の重鎮ジュリアンさん。
  サウス.トゥ.サウスと言ってもご存知でない方が多いと思うけれど、憂歌団やウエストロード.ブルース.バンドと伴に’70年代半ばに起こった関西ブルー スブームの中心的な存在で、上田正樹さん、藤井裕さん、そして自分の師匠のような存在の有山じゅんじさん等も在籍していたバンドなのだ。
 ロー ローズのグルーヴは素晴らしかった。年季が入り方が違うのも確かだが、この人達はもうずっと前から、こういう素晴らしいグルーヴを獲得としていたのだろ う。ある種の音楽に対する愛情と理解の深さがなければこういう乗りはでない。演奏曲のほとんどがソウル、ブルースのカヴァー。 ローローズのメンバーにとってそれらは、クラシックならショパンやベートーベン、モーツアルトにあたるような楽曲なのだろう。
 くんちょうさん や、ジュリアンさんの演奏を聴いていると“邪念”や“我”といったものを感じない。「自分らしくあろう」とか「個性的であろう」という気負いもなさそう。 結果、奏でる音、その佇まいから、それぞれのパーソナリティーがにじみ出ている。くんちょうさんが歌う「Love me tender」は、くんちょうさんにしか出せない深い味わいがあった。
 これも1つの音楽の姿。自分はくんちょうさんのようにはなれない。多分これからも手探りのまま、葛藤を残しつつ、真面目に不真面目に、欲深く、音楽と付き合ってゆくだろう。それも1つのやり方。けれど、ローローズの皆さんが奏でる音楽が持つ美しさは忘れたくないと思う。
 楽しいセッションだった。
 セッションの後は、町田さん、森田君、ヤンシーらと居酒屋へ。カツオの塩タタキ、焼きサバ寿司、ドロメ等土地の食べ物を色々と。
★横綱入場
★桂浜、坂本龍馬像の前でヤンシーと。

2007年9月14日金曜日

入間SO-SOにて

埼玉県 入間市 MUSIC CAFE SO-SO?
「~Pianoman Standing Tour2007~リクオ&伊東ミキオ」
 ミキオ君とのツアー初日。
 この日のライブ会場のSO-SOは今年の春にオープンしたばかりのカフェ。オープニングの記念ライブはオレはやらせてもらった。SO-SOと自分の繋がりの深さについては、過去のダイアリーを参考に。
 県外からわざわざライブに足を運んでくれたお客さんも多かったようで、ステージに上がって客席の期待感を強く感じた。それぞれのソロコーナーもありつつ後半はピアノ2台による2人のセッションで盛り上がる。
 楽しいツアーになりそう。こういう長いツアーをミキオ君と2人で回るという機会は、今後なかなか持てないだろうから、一期一会の心持ちで真剣に遊びたいと思う。
 SO-SOはアメリカンハウス街の一角にあるのだけれど、このあたりにはミュージシャンやデザイナーといった人種が多く集まり始めていて、小さなコミューンが形成されつつある。この日のライブにもそういったご近所さんが集まってくれて、打ち上げにも参加してくれる。
  打ち上げの途中でおなじハウス街に住むシンガーソングライターS君の自宅兼ステジオを皆で訪問。24歳にして細野ハウスの世界を作り上げているところが、 今の時代を感じさせる。自宅録音の音源も聴かせてもらったけれど、楽曲もアレンジも録音も完成度が高くセンスを感じた。打ち上げの席ででS君が聴かせてく れた生ギターの弾き語りもよかった。 
 しんちゃんの才能にふれつつ、少し違和感を抱いたのも事実。ストレスのない心地よい空気感の中で、暮ら し、腰を据えて創作活動をしたいという彼の気持ちはよくわかる。自分もそうありたいと思う一方で、自分が創作の糧としてきたものは、世の中との違和感、割 り切れない思い、アンビバレンスな思い、つまりストレスにつながるような心持ちだった。自分が共感してきた音楽の多くもそういった心持ちに向き合いなが ら、ある種の洗練を通過することによって生まれた表現だったように思う。自分はS君の表現の中に“歪み”“ノイズ”のようなものが足りないと感じたのかの しれない。
 そういう感想を酒の席で本人にも伝える。余計なことを言ってしまったのは、酔いが回って、ちょっと波風立ててみたい気持ちになったせいもあるけれど、彼が漂わせているしなやかさに信頼を持ったからでもある。
★so-soの前でミッキーと。
★打ち上げでサンマを焼いてもらいました。

2007年9月12日水曜日

下北沢で湘南の風

下北沢 440(Four forty)
「注文の多い晩餐会Vol.3~ピアノライダー~」at 下北沢440
出演:ハミングキッチン
musicians: Dr.林立夫, Ba.高井亮士, Key.佐藤真吾
Guest: リクオ、佐藤嘉風
 
  湘南界隈を拠点に活動する男女2人のアコースティック.デュオ.グループ、ハミングキッチンのライブにゲスト出演。サポートメンバーの1人として参加する 林立夫さんとの初共演もこの日の楽しみの1つだった。’70年代から活躍する伝説的な存在といってもよい名ドラマーである。立夫さんも現在は湘南界隈に住 んでいるそう。
 ハミングキッチンの2人には、“爽やか”“マイペース”“レイドバック”といったイメージを持っていたのだけれど、予想以上にガッツのある演奏。バンドもいい。楽しいセッションだった。
 立夫さんのプレイは、やはり素晴らしかった。ほんといい音、いいグルーヴ。余計な力みがなく、それ故に音の抜けがよく、柔らかく大きな乗り。バンドサウンドに馴染みつつ、抜群の存在感。

  ハミングキッチンのやすの知り合いで北海道から横浜に出て来たケンタというシンガーソングライターの卵が、この日ライブを観に来ていたのだけれど、実はオ レも彼とは久し振りの再会。今から6、7年くらい前だと思うけれど、ツアーで北海道の栗山を訪れときに、ライブのオープングアクトで歌ってくれたのが当時 まだ高校生のケンタだったのだ。とてもいい声だったのを覚えている。ケンタはその出会いを大切に思ってくれていたようで、今でもライブでオレの曲を演奏し てくれることがあるそう。
 せっかくだからと、やすの提案で打ち上げの席でケンタにギターの弾き語りを聴かせてもらう。彼のオリジナルにまじえ て、オレのオリジナルの「雨上がり」とリクオ.ヴァージョンの「ケサラ」も聴かせてくれる。ケンタならではの解釈の加わったいい演奏だった。彼のオリジナ ル曲も伝わるものがあった。高校生だった少年が青年になって会いに来てくれて、こうして成長した姿を見せてくれるというのは、やはり感慨深いもんがある。
 下北沢は狭い街の中でやたらと知り合いがうろうろしているから、飲んでいても誰かと合流するというパターンが多い。この日もチェロの歩ちゃん、中川五郎さん、画家の沢田としき夫妻等と合流。朝までのコース。
★早朝5時半、下北にて撮影。右手手前がゴローさん。アホです。

2007年9月5日水曜日

台風ライブ

Atomic Monster Festival Vol.2
会場:渋谷BOXX
出演:広沢タダシ
(Openning ACT/I's CUBE) Guest/入倉りょう・杉浦琢雄・寺岡呼人・矢野真紀・リクオ 50音順
 広沢君主催のライブ.イベントにゲスト出演。台風の影響で外はえらい暴風雨。ちょっとわくわく。
 今回のセッションで、広沢君のシンガーとしてだけでなく、ギタリストとしての素晴らしさも再認識。リズムの切れが素晴らしく、音もよく抜ける。
 この日のサポートミュージシャンの1人、パーカッション奏者の入倉りょう君とは今回初対面。歌心をわかっているし、反応も早い。いいミュージシャン見っけ!
 呼人君はオレとそんなに年が変わらないのに、いまだに青年のような瑞々しさがある。
 矢野真紀ちゃんの生ステージを久し振りだったけれど、素晴らしいシンガーに成長していて驚かされた。彼女は風味堂の渡君とのデュオでリクオ.ヴァージョンの「ケサラ」を何度がライブで演奏してくれているそう。
 杉浦君はほんと気持ち良さそうに演奏していたなあ。
 この日は広沢君のお陰で伸び伸びと自由に遊ばせてもらった感じ。彼がこういうさまざまなミュージシャンとコラボレートするイベントを自ら企画するというのは、それだけの自信がついたということでもあるのだろう。
 この日の会場の入り口には、広沢君の遊び心で、今はやりのサイト「脳内メーカー」による各出演者の脳内イメージがプリントアウトして張り出されていた。オレの脳内イメージ笑えたなあ。
アンコールにて

2007年9月4日火曜日

現在、過去、未来。オレ、寺さん、学っち、5年振り!

渋谷 BYG
【サポートミュージシャン】ベース:寺岡信芳/ドラム:坂田学/ヴァイオリン:阿部美緒/パーカッション&ギター:宮田誠
 学君、寺さん、オレの3人が一緒に同じステージに立つのは’02年のThe Herzの活動停止ライブ以来、約5年振り。
  ヘルツの活動停止以降、自分はドラム、ベース入りのバンド.サウンドによる作品をほとんどリリースしてこなかったのだが、去年「セツナウタ」というアコー スティック.アルバムを、今年は「セツナグルーヴ」というCD+DVDの2枚組ライブ盤をリリースして、自分なりに手応えを感じ、その流れの先に、ドラ ム、ベースが参加したバンド.サウンドによるライブと作品のリリースを考えるようになった。そこで思い浮かんだメンバーはやはり学君と寺さんだった。
  ヘルツの活動を再会させたいという気持ちはなかった。あくまでもソロ.アーティスト、リクオのサポートとして2人に参加してもらいたいと考えた。だから3 人だけの演奏にはこだわらず、ヴァオリンの阿部美緒とパーカッションの宮田君にも今回のライブに参加してもらうことにした。
 けれど、寺さんと学君のリズム隊から受ける刺激がサポートとしての枠をこえるだろうことはわかっていたし、そうなることを期待してもいた。現在進行形のリクオであるために2人の力が必要だった。
  リハーサルは2度。初日のリハーサルで久し振りに3人で音を交わして感じたのは、ときめき、興奮、懐かしさと伴に“違和感”だった。多分、寺さんも学君も オレと似たような感覚を抱いたのではないだろうか。現在の自分を確認する上でもこの“違和感”はとても重要な感覚だと思えた。久し振りに3人で演奏してみ ることによって、この5年間で、自分のさまざまな変化を自覚することができた気がする。
 リハ-サルと本番を含めた3日間は、言葉でなく演奏で今の自分達のグルーヴを伝え合いながら、一緒にあらたなグルーヴを手探りしている感じで、とても充実した実りある時間だった。
  かってのヘルツ.スタイルにそったアレンジの演奏も、かってのヘルツとは違う、より柔らかく奥行きのある演奏になった。それが自分にはとても新鮮だった。 とにかく一緒に演奏していると、ああしたい、こうしたいという発想が色々と生まれる。そうすると今の自分の限界も見えてくる。現時点での限界が見えること によって、その先に行こうという気持ちにもなれる。つまり、限界を知ることで、自分の可能性を感じるという逆説。これは重要な体験だと思う。そんな風に感 じさせてくれる現場にいること、そんなメンバーと一緒にプレイできることは幸せだ。
 BYGのライブはいつもよく盛りあがるけれど、この日の客席 の期待感と本番の盛り上がりはやはり特別だった。もしかしたら、かってのヘルツの残像を求めて足を運んでくれたお客さんもいたかもしれない。その期待には こたえられなかったかもしれないけれど、今の自分達のときめきを伝えることができていたら嬉しい。
 よどんだ水が腐ってしまうように、流れ続け、変わり続けるなければ、変わることなくときめき続けることはできないのだろう。それって、ヘルツのバンド理念やん。

 まあ、そんな力むこともないわ。
 自分は順調に年を積み重ね、今や中年の域に達しようとしている。体も心も5年前と変化して当たり前。若くあろうとあがき続けるよりも、ある程度変化を受け入れて楽しむこと、新鮮に感じることが、むしろ若さの秘訣になるのかなと。精神はまだまだ若返ってゆくよ。
 「ほんと世の中は逆説に満ちているなあ」と感じる今日この頃。さらに年を積み重ねれば、またいろんな気付きがあるんだろう。これからが楽しみだ。

  本格的な初共演となる宮田君の演奏からは、音を楽しむ、音に戯れる、邪念を殺し、自我をなくして自分が音になるというイメージを持った。やはり人間性と演 奏は切り離せないのだ。阿部美緒は限られた時間の中でさまざまなアプローチを試みてくれた。いいメンツに恵まれている。

 打ち上げの席で学君から「お客さんから次のライブを聞かれて、勝手に『年内かな』ってこたえておきましたよ」と言われたときは嬉しかった。
 とにかくこの流れで、まだまだ可能性をためしてみたいと思う。

 この日で今年の夏は区切りがついたかなという感じ。実に充実した夏だった。

2007年9月1日土曜日

江ノ島LOVE

海さくらコンサート2007
【場所】江の島展望台 サンセットテラス
【出演】リクオwith宮田誠(パーカッション)、阿部美緒(ヴァイオリン)/おおはた雄一/ハンバートハンバート/Saigenji/ハシケン/アナム&マキ/ハミングキッチン

 「海さくらコンサート」は、美しい江ノ島を次世代に残そうとの趣旨で活動する団体「海さくら」主催による野外イベント。イベント会場の江の島展望台サンセットテラスは、相模湾や湘南海岸が一望できる最高のロケーション。
 午前中のリハーサルを終えて、ハンバートの良成、遊穂ちゃん、パーカッションの宮田君、ヴァイオリンの阿部美緒等と江ノ島を散策。江ノ島入り口の反対側の岩場まで降りて岩屋を観光。坂と階段が多く結構皆へとへと。自分は意外に平気だった。
 午後2時半開演。雨が振らなくてほんとよかった。江の島の風、波の音、鳥のさえずり、蝉の鳴き声を聴きながらのライブ。用意された御座にしゃがんで聴く人、デッキに体をあずけて海を眺めながらビール飲みつつ聴く人、寝転んで聴く人、色々である。
 海さくら代表の古澤君からの要請で、今回の「海さくらコンサート」には1出演者としてだけでなく、企画の段階から深く関わり、他の出演者のブッキングやステージ構成なども担当させてもらう。
 古澤君のまっすぐな想い、熱意を受けて、「音楽イベント」というものに対する自分の想い、考えを「海さくらコンサート」に反映させてもらった。皆と一緒にいい空間、現場がつくれたと思う。古澤君にはこういう場と役割を与えてもらえて感謝の気持ちで一杯だ。
 出演者は皆、自分との共演経験があり、リスペクトし合える演奏者ばかり。スタッフも何人かは自分のつながりでお願した。SO-SOの酒井君には舞台回りの仕事を頼んだ。PAは最近よくお願いしている大田君。機材の手配、PAアシスタントの手配も彼がやってくれた。
 古澤君は普段は船具をつくる会社で働いている。古澤君の片腕的存在の川上君の普段の仕事は、花火職人。このイベントに関わった人の多くは、音楽業界以外の人達。1つのイベントを通してさまざまな出会い、繋がりがうまれたんじゃないかと思う。
  自分の出番は最後にさせてもらい、その日の出演者との共演を中心にステージを構成する。ライブ.イヴェントで大切なのは流れ、つながり。自分は1出演者と してイベントに参加するときも、ライブ.イベントを1つのパッケージ.ショーとしてとらえ、その全体の流れでの自分の役割、アピールの仕方を考える癖がつ いている。余裕なくオレがオレがとアピールするよりも、そういう発想を持っていた方が、自分にとっても、そのイベントにとってもいい結果が生まれる気がす るのだ。そういう姿勢は繋がりの中で自分が存在するという発想がないと生まれにくい。
 古澤君の要請もあり最後は出演者全員がステージに上がって「光」を演奏。その頃にはお客さん達も総立ち。いいフィナーレになった。
 自分はこの企画を通して、何度も江ノ島を訪れるようになり、江ノ島、湘南界隈のことがすっかり好きになってしまった。古澤君の求心力によって方々から集まったたくさんのスタッフ、出演者、お客さんの多くも同じ思いを持ったことだろう。
 「海さくらコンサート」来年もよろしく。

★左からサイゲンジ、ハシケン、河村博司君。
★アンコール。