大阪ローカルテレビのワイドショー番組などを観ていて、専門家や識者と呼ばれるコメンテーターが、コロナに対して楽観的な見解を述べる場面を度々目にしてきた。緊急事態宣言は必要ない、空気感染はしない、ピークアウトはもう過ぎた、GO TOキャンペーンは感染拡大にはつながらない等々。
すべての番組にあてはまることではないだろうけれど、どちらかというと危機を煽りがちな東京メディアとの報道姿勢の違いを感じることが多かった。
どちらの姿勢も問題を含んでいると思うけれど、ここへきての大阪での突出した感染拡大は、在阪メディアによる楽観論の流布も一因ではないかと疑ってしまう。やはり、楽観と悲観、どちらにも寄り掛かるべきじゃないと思う。
コロナ禍にしょっ中在阪テレビに出演してきた某大学教授2人に対しては、市中感染が広がり始める1年以上前から、ネットを通してその存在を知り、注目していた。
「合理的な対策を徹底すれば、満員に近い状況でもライブハウスの営業を再開することができる」との2人の主張は、ライブ活動の自粛を余儀なくされた当時の自分に希望を与えてくれた。この思いは、多くの音楽関係者に共通していると思う。
けれど、自分は次第に彼らの主張の一部や態度に疑問を抱くようになりはじめた。
2人に対して他の識者から間違いの指摘や批判が起こり始め、そちらの方に説得力を感じ始めたり、彼らの予測が外れたり、その主張に矛盾を感じるようになったことも理由だけれど、自身の承認欲求を満たすことを優先する意思が見て取れたり、矛盾や間違いを認めない言動や独善的で感情に走っ態度が目立ち始めたことも大きい。
さらに、発信する側と受け取る側が互いに「願望」に縛られて、次第にカルト的な関係性が生まれ始めているように見えたことで、気持ちがひいてしまった。
今も彼らは、多くの人達の「願望」に応えてくれる存在なのだと思う。けれど、その「願望」通りに事が進まないのは、今の大阪の状況が示している。
大阪府政も「願望」に応える関係性にしばられ、現実への対応が後手に回ってしまったんじゃないだろうか。
コロナは誰にとっても未知の体験であり、その主張や政策に間違いや失敗が起きるのは仕方がないと思う。この状況では、ある程度の間違いや失敗は許されるべきた。大切なのは、それらを認めて受け入れ、状況に対応して、共によりよい方策を探してゆくことだと思う。
「願望」に応えてくれる眩い光は、その場の安心や快感を与えてくれるだろうけれど、それは一時のものだと思う。
「願望」を横に置いて、闇に目を凝らし、その先に見える淡い光に希望を見出したい。
僕らは間違え失敗する。それを認めて、またあらたな一歩を踏み出せる人でありたい。
それこそが、コロナ禍において必要とされる態度だと思う。
ー 2021年4月15日(木)