2003年2月26日水曜日

2003年2月26日(火) 札幌琴似・AMICA

小樽から再び札幌へ向かう。この日は豪雪。
小樽で泊まっていたホテルから駅までは普通に歩けば5~6分という距離なのだが、この豪雪の中、旅の荷物を抱えて歩くのは結構大変だった。特にパーカッションを手持ちしているヤマサキ君はつらそうだった。 

 豪雪の中、小樽駅に向かう
札幌に着いたらまた夕方までキャンペーン回り。
さすがに疲れがたまっていて、ラジオの生本番中に強力な睡魔に襲われる。
夕方4時頃に今日のライブ会場、AMICAに入る。道内6ケ所ツアーの最終日。
AMICAは、何度もライブでお世話になっているコミュニティFM三角山放送局に勤めていた柴田さんが新しくオープンさせたフリースペース&カフェで、ラ イブをやらせてもらうのは初めて。元々、今回のツアーで札幌をブッキングする予定はなかったのだけれど、道内ツアーがあることを知った柴田さんから連絡を もらい、是非ということでこのライブが追加されたのだ。
PAオペレーターは常呂町でもお世話になった太田ヒロさん。ヒロさんはオレが道内をツアーするときは、オペレーターとして、あるいは客として、色んな場所 に出没してくれる。フラフラとどこへでも出かけてゆく、風来坊を思わせる人だ。酒と親父ギャグが好きで、どこか少し寂し気、優しい笑顔が魅力的。
今日のお客さんのノリは明らかに昨日までとは違った。都会のお客さんという感じ。道内の他の街と比べると無礼講なノリが少ない。少し様子をうかがっている感じ。
けれどステージが進むにつれて場内は徐々に熱を帯びていった。 ライブの中盤からMCの必要がなくなった。一つのストーリーを描くようにライブは進んでいった。演奏と歌の完成度、集中力は今回のツアーではこの日が最 高。客席も最後には弾けた。道内ツアーの締めくくりにふさわしいライブになった。
オレとヤマサキテツヤのコンビ、予想以上にいけるわ。
この日は朝の5時近くまで飲む。最後はオレとマネージャー二郎さんが残ってススキノにある馴染みのバー「バイーア」へ。オレ達が到着したとき、マスターのきよしさんは既にカウンターで酔っぱらい状態。オレも酔っぱらい。
上機嫌のきよしさんはビッグ・メイシオ、カウント・ベイシー、セシル・ギャント、ファッツ・オーラといった素晴らしいピアノ弾き達のアナログ盤でオレと二 郎さんをもてなしてくれた。くぁ~、やっぱりええわ。「シカゴ・ブレイクダウン」最高やね。ここに来ればいつも本当に気持ち良く音楽を浴びることができ る。
真冬の北海道ツアー、堪能。 

2003年2月25日火曜日

2003年2月25日(火) 小樽・すかんぽ

北海道に入ってから初めて本格的に雪が降る。雪化粧した札幌の街並はきれいだった。
札幌市内をタクシーで移動中に撮影
昨日に引き続き、午前中から札幌でキャンペーン回りをやってから小樽入り。
「すかんぽ」でのライブは今回が初めて。ディランのマスターの紹介で演奏させてもらうことになったのだ。
冬の小樽はしみじみとしている。飲み屋の赤提灯が雪に映える。高倉健さんが店から出てきそうな感じ。木造の古い民家を改造してつくられた「すかんぽ」はそんな小樽の街の雰囲気によくマッチしている。
マスターの田山さんは、お金をためては全国を自転車で旅して回る生活を続けていたときに小樽にやってきて、そのまま居着いてしまったそうだ。
リハーサル後、めずらしくライブ前に食事。オレはウニ・イクラ丼、二郎さんとヤマサキ君は寿司セットを頼む。うまい。満足。
 

本番を待つ「すかんぽ」のピアノ。壁にはセロニアス・モンクの写真が

 この日、集まったお客さんの年齢層の幅広いこと。下は5歳から上は61歳まで。ライブは老若男女で大盛り上がり。おばちゃんの歓声が熱い。オレはマダムキラーなのか?
打ち上げも大盛り上がり。オレが騒いでいる先で、ヤマサキ君は日本酒のイッキをやらされてました。北海道の夜はどこも濃いね。



2003年2月24日月曜日

2月24日(月) 札幌

汽車に揺られて札幌へ。札幌駅でマネージャー二郎さんと合流。
今日はキョードー札幌の人といっしょにキャンペーン回り。
夜は二郎さん、ヤマサキ君とススキノの焼き鳥屋で飲む。 

芦別駅構内
汽車が到着
札幌ススキノにある焼き鳥屋「じゃんぼ」の前で
ススキノにて。左はマネージャー二郎さん、右はヤマサキ君


2003年2月23日日曜日

2003年2月23日(日) 芦別・ディラン

本日も快晴。
芦別に入る前にアーリータイムスのマスター野沢さん一家といっしょに温泉に行く。露天風呂からは大雪山を眺めることができた。絶景かな。
温泉から芦別まで野沢さんが車で送ってくれる。その道すがら'98年の秋、初めてアーリータイムスでやらせてもらったライブのテープを聴かせてもらう。思いのこもったいい演奏だった。今日のライブに向けて刺激になった。
夕方5時頃、ディランに到着。
マスターの忠さん、奥さんの美香子さんと1年振りの再会。オレが命名したディランのピアノ「リクオ2号」とも再会。2年程前にディランにやって来たこのピアノ、マスターによればリクオに弾いてもらう為に購入したとのこと。
本日のライブも大盛り上がり。途中でピアノの低音弦のハンマーが故障するハプニングがあったけれど、問題なし。
今日も場の雰囲気とオレの気分で選曲がどんどん変わってゆく。ヤマサキ君が演奏したことのない曲もその場の思い付きで参加してもらう。文句を言ったりしながらも、ついてきてくれる。
今日は新曲『光』がはまった。こういう旅先で歌うのにぴったりの曲。
打ち上げはディランの2階、忠さん&美香子さんの自宅で鍋を囲む。オレはお店から好きなCDを大量に部屋に持ち込んで、DJ状態。それに合わせて歌う人、ギターを弾く人、パーカッション奏者になる人、みな好きに楽しむ。気付けば午前4時。酔った。

2003年2月22日土曜日

2003年2月22日(土) 旭川・アーリータイムス

また快晴。
今日は「汽車」移動。北海道の人はJRのことを「汽車」と言う。
車内でヤマサキ君のパーカッションの置き場に困る。車掌室をあけてもらったのだがそこにも入らず。結局、自由席に移って、空いている席に置かせてもらう。




北見駅プラットホームに立つヤマサキテツヤ

昼過ぎに旭川到着。ここも寒い。日中はそれほどでもなかったのだが、日が暮れると急激に冷えだした。
アーリータイムスに向かう道すがら雪道に足を滑らしているところをライブに車で向かうお客さんに見られる。「乗って行きますか?」と声をかけられるが、恥ずかしくて断る

アーリータイムス


「アーリータイムス」開演前

アーリータイムスはもう6回目くらいなので、なじみのお客さんが多い。ライブの楽しみ方も心得たもの。
ヤマサキ君との演奏は日によって同じ曲でもアレンジが相当に変化する。選曲もその場でどんどん変わってゆく。ボケとツッコミあり、悪ふざけあり、適度の緊 張感ありの、とても自由度が高い演奏。オレはかなりわがまま気ままにステージを進めているのだが、ヤマサキ君はよくついてきてくれるなと感心。
道内に入って以来、雪道に何度も足を取られて来たのだが、今日ついに打ち上げの後、店を出たtころで、スッテン転んだ。でも受け身は完璧。

2003年2月21日金曜日

2003年2月21日(金) 北見・夕焼け祭り

今日も雲一つない快晴。
北見に行く前に網走から「オーロラ号」という流氷船に乗って沖に出る。感動。素晴らしい景色だった。

流氷船「オーロラ号」の前で
 「オーロラ号」から撮影。カモメが船を追い掛けてくる
デッキからオホーツクの流氷を眺めるヤマサキ氏
「オーロラ号」のデッキから撮影


夕方4時半頃に北見到着。骨身にしみるような寒さ。
今日の客入りは良くなかった。しかも客は野郎ばっか。けれど奴等は熱かった。えらい盛り上がりになった。踊り狂ってる奴もいる。キャ~ではなく、ウォ~って感じ。
アンコールでは普段はやらないゴスペル・ソングを演奏する。客席の盛り上がりに煽られて、気付いたらハンド・マイクでエルビスになりきりアクションつきで歌ってた。
そこにいる皆がアホになれた夜だった。
Keep on Aho Aho !!

打ち上げの後は店を移って、うまい蕎麦を食う。




2003年2月20日木曜日

2003年2月20日(木) 常呂町・中央公民館大講堂

昼前に目が覚める。
リハーサルまで時間があるのでヤマサキ君と散歩に出かける。
雲一つない快晴。
気温は日中でも氷点下なので手袋、帽子ナシでは出歩けない。
旅館を出て目の前がもうオホーツクの海。初めて生で見る流氷の世界は絶景だった。流氷の上にまた雪が積もっているので、どこまでが岸で、どこからが海なの か近くまで行ってみないとよく分からない。見渡す限り白銀の世界である。雪に太陽が反射してサングラスをしていなければ、しっかり目を開けられない程眩し い。
近くの岸の鯨の屍骸があがっているという話を昨夜聞いていたので、それを探しに二人で海岸沿いをしばらく歩く。厳しい寒さの中、深い雪に何度も足を取られ、思った以上に進むのが大変。北極の探検隊員にでもなったような心境。
十数分歩いたかな。やっと鯨の屍を発見。それは鳥達に散々ついばまれていて、もはや原形をとどめていなかった。少し離れたところから数尾の鷲がこちらの様子をうかがっていた。
いや~、初日から冬の北海道を堪能。

 








海岸沿いを歩く
鳥についばまれた鯨の屍骸。テトラポットのあたりからが流氷の海。
常呂町のライブは去年7月に続いて2回目。前回も盛況だったが、今回も人口5千人の町に200人を超えるお客さんが集まった。
この日は画家の沢田としきさんがライブ・ペインティングでステージに参加してくれる。つまりオレとヤマサキ君の演奏に合わせて沢田さんが、ステージに用意されたキャンバスに筆を走らせてゆくのだ。
昨年、11月頃、偶然、下北沢の飲み屋で沢田さんに出会ったことが今回のコラボレートのきっかけになった。沢田さんの絵に触れる機会は何度もあったのだが、話をさせてもらったのはその時が初めてだった。
沢田さんが何度も常呂町に足を運んでいることを地元の方から聞いていたので、その日は二人で常呂町話に花を咲かせた。下北沢での出会いは沢田さんを通じて常呂町に伝わり、それをきっかけに地元の方が今回の共演を提案してくれたのだ。
演奏に体を揺らしながら沢田さんが筆をキャンバスに叩いてゆく。その音がリズムになってオレの耳に届いてくる。ヤマサキ君もやんちゃに自由にリズムを弾き出す。3人のヴァイヴが客席にも伝わってゆく。素敵な共鳴。
サンキュー、常呂町。
また、会おう。

ライブ・ペインティングで完成した沢田さんの作品 


2003年2月19日水曜日

2003年2月19日(水)

今日から北海道6ケ所のツアーがスタート。
今回の道内のツアーにはオレのプロデューサーでもあるヤマサキテツヤがパーカッション奏者として参加。スタジオワークの多い彼が1週間以上のツアーに出るのは10年振りぐらいだそう。
夜の7時頃、女満別空港に到着。明日の常呂町でのライブの企画者である浦西さんが車で迎えに来てくれる。空港を出てすぐ目の前にあった時計台に取り付けら れた温度計の表示はマイナス18.6度。数分間大気に触れていると、寒いというか痛い感じ。先週は24度の沖縄にいたのだ。日本も広いね。
常呂町についたらすぐに宿泊先の近くにあるフランス料理屋での歓迎パーティに参加。そこにはエレクトリック・ピアノが用意されていた。どうやらわざわざ持 ち込んだ様子。いきなりやなぁ。まぁ、やっとかなあかんやろな。しばらく飲んで、うまいもんを食わせてもらった後、2曲歌う。
地元の人達の熱烈な歓迎と期待にヤマサキ君は少し驚いた様子。
今日は早く寝ようと思っていたのだが気持ち良くなって、もう一軒行ってしまう。

2003年2月16日日曜日

2003年2月16日(日) 大阪・ヒポポタマス

福島区にある小さなライブ・スポットでの40人限定ライブ。
マスターの辻本さんの本業はイラストレーター。音楽好きが高じて、数年前からライブも聴かせる飲み屋「ヒポポタマス」をやり始めた。
辻本さんは特に春一番の流れをくむ関西フォーク&ブルースに思い入れが強いようだ。だからこのお店には'70年代から関西を中心に活躍していた大先輩のシ ンガー・ソングライターが多数訪れて演奏している。オレがデビュー前から大変お世話になり影響も受けた有山じゅんじさんも年に2回はヒポポで歌うそうだ。 この日、開演前のBGMは西岡恭蔵さんのベスト盤だった。


開場前のヒポポタマス




予定の7時を少し過ぎて開演。いや~、いつも以上にお客さんが近い。客席はもう最初から出来上がってる状態。オレはいつも以上にリラックス。
なじみの曲では口ずさむ人多数。特にお母さんに連れられてやってきた幼稚園児が歌う、歌う。『雨上がり』では、前半ほとんどその子とオレのデュエット状 態。あんまり嬉しそうに歌ってくれるので、サビの「そら、しゃ~ないわ」の部分はその子に譲ってソロで歌ってもらった。2番以降は他のお客さんも歌に参加 するようになってきて後半は合唱状態。これもありやね。
いつも以上にその場で演奏曲を決める行き当たりばったりのライブで、気付いたら後半は人の曲ばかり歌ってた。
アンコールの最後に『I SHALL BE RELEASED』を歌って舞台を降りる。そうしたら店内にザ・バンドの『I SHALL BE RELEASED』が流れ始める。後でマスターに確認したらこの選曲はライブ前から決めていたそう。通じ合ってるね。
ライブの後は地元の友達とゆったり飲む。
 

2003年2月15日土曜日

2003年2月15日(土)

今日は午後3時から梅田のタワーレコードでインストア・ライブ。
ここのお店はCDショップにもかかわらず、グラウンド・ピアノ があるので、それを使わせてもらう。
お客さんも集まっていい感じ。学生時代の同級生や先輩が数人、観に来てくれる。ついつい調子に乗って30分予定のところを40分演奏。

2003年2月14日金曜日

2003年2月14日(金) 神戸/カフェ・フィッシュ

神戸のメリケンパークにあるしゃれたカフェでのライブ。ブッキング・マネージャーの北村さんはよくオレのライブに足を運んでくれていたそうで、今日のライブの実現をとても喜んでくれた。
バレンタインデイということもあってカップルのお客さんが目についた。場の雰囲気に左右されて今日のライブは比較的しっとりとした内容。ステージ・ドリンクは白ワイン。リハーサルでミラーボールを発見。もちろん本番で回してもらった。
声がよく響いて、気持ちの良い会場だった。 


カフェ・フィッシュのミラーボール

ライブ風景(マネージャー二郎さん撮影)

2003年2月13日木曜日

2003年2月13日(木) 大阪

朝8時の便で大阪へ。沖縄で朝まで盛り上がっていたので一睡もできず。大阪へ到着した時点でオレもマネージャーの二郎さんも屍状態。
なんとか気力で日中、紙媒体の挨拶回りをやる。
夜は爆睡。

2003年2月12日水曜日

2003年2月12日(水) 那覇・CLUB D-set

お客さんの数も前回よりぐっと増え、盛り上がりも最高、本当に気持の良いライブをやらせてもらえた。これもPMエージェンシーの糸数さん、大城さん、FM沖縄の山川さんをはじめ多くの地元の皆さんの協力のお陰である。感謝。
沖縄のお客さんはとにかく開放的でエネルギッシュ。打てば響きまくる。こちらがパワーを発散するだけじゃなくて、大いに受け取ることができる。4月の沖縄ライブも今から楽しみ。
ビギンの等くん、まさる君、唄者の大工哲弘さん、比屋上篤子さんらがライブに遊びに来てくれたのも嬉しかった。もちろん彼らとは朝まで、ひたすら泡盛で盛り上がった。


大工さんとオレ

右端はビギンの等くん

2003年2月11日火曜日

2003年2月11日(火) 沖縄

今日はまずFM沖縄の公開録音番組にゲスト出演。番組の内容は、事情があって式を挙げることができなかった御夫婦の結婚式を番組上でセッティングして中継するというもの。その式場でオレがカップルにむけて2曲歌わせてもらうのだ。
出演をOKさせてもらったものの、後で考えてみると自分のオリジナルのなかで、めでたい席にそぐうようなナンバーがちっとも思い当たらない。とにかく一曲 は自分のオリジナル『雨上がり』を歌う。もう一曲は大先輩有山じゅんじさんのオリジナル『ウー・ララ』を歌う。とても美しいラブ・ソングで、昔ライブでよ く歌わせてもらっていたのだ。これはその場にはまった。

 なんとか無事収録を終えて、今度はタワーレコード那覇店で17時からインストア・ライブ。ここでマネージャーの二郎さんと合流。
で、その後FMなはのラジオ番組に出演。30分間大いに喋りまくる。そうそう、番組収録中にいきなりパーソナリティーの人からオレに電話が入っていますと 言われて受話器を取ると、相手はウルフルズのウルフルケイスケ君だった。意表をつかれたけれど久しぶりに話ができて嬉しかった。
本日最後の仕事は再びFM沖縄の生番組に出演。夜の9時頃終了。
よう働いた。腹減った。
泊まっているホテルの近くでゲットハッピーレコーズという中古レコード屋を営む黒島夫妻をさそって居酒屋へ。夫人の清美さんは今日お世話になったFMなは の番組パーソナリティーのひとり。京都から遊びに来たまるちゃん、沖縄在住のライターわかさん、元ゼルダのさちほさんとアマナというバンドをやっている根 間さんらも合流して乾杯。
その後、黒島夫妻が喜納昌吉さんの経営するお店「チャクラ」に皆を連れていってくれる。喜納さんは沖縄にいて時間があるときはいつもこのお店でライブをや り続けているそうだ。あいにくこの日のライブはお休み。喜納さんはイラクでピースコンサートを開催するために、明日沖縄を発つそう。
「すべての武器を楽器に」
お店の壁にはこんな言葉がかかげられていた。
沖縄の夜は長い。「チャクラ」を後にして次の店へ。「鳩坊」という変わった名前の店内には簡単なPAシステムが備え付けられていて、ピアノ、ドラム、三線などの楽器も置かれていた。
しばらくしてマスターの三線による演奏が始まった。その場にいた何人かが演奏に合わせて踊り歌い始める。マスターがカチャーシーを演りだしたところで、オレは席を立ちピアノの前へ。三線とピアノのセッションが始まる。
マスターはドラム・セットのバスドラを踏みながら三線をかきむしるように激しく弾く。なんだか津軽三味線の要素も感じられるプレイだ。盛り上がりがピーク に達しようとするあたりでマスターがドラム・ソロを始める。オレもピアノから離れてドラムセットの前に。オレはタムとシンバルを中心に、マスターはスネア とバスドラを中心に、二人で延々とドラムを叩きまくる。いや~、盛り上がった。
その後、リクエストにこたえてピアノで3曲、カヴァー・ソングを弾き語る。
濃密な一日だった。

2003年2月10日月曜日

2003年2月10日(月) 沖縄プロモーション

小松空港から午前11時頃、那覇空港に到着。プロモーションとライブでお世話になるPMエージェンシーの糸数さんと大城さんが迎えに来てくれる。いやあ~暖かい。空港内でセーターを脱ぐ。それでも汗ばむ。この日の那覇の最高気温は24度。
午後から5つのラジオ番組に出演。明日もスケジュールがびっしり。
プロモーションをこんなに精力的にやらせてくれる場所は今のところ沖縄しかない。
那覇市の国際通り沿いにあるホテルに今日から3連泊。
夜は爆睡。







2003年2月9日日曜日

2003年2月9日(日) 金沢・もっきりや

今日は下田逸郎さんの『セクシー』という曲をカヴァーしてみた。
歌うきっかけは昨日の打ち上げだった。
打ち上げ場所だった「ペーパームーン」(‘もっきりや’の姉妹店)で、‘もっきりや’マスター平賀さんが、上機嫌でこの曲を石川セリさんの歌うヴァージョ ンでかけてくれた。それを聴いている内に、自分も歌ってみたくなって、つい明日のライブで歌うぞ、とその場で宣言してしまい後に引けなくなったのだ。
さっそく今日のリハーサルで練習してみたのだが、なかなかうまく歌えない。オレって歌ヘタやなぁと思って、密かに落ち込んだ。
ところが本番で魔法がかかった。
この曲にトライするライブの中盤までに、とてもいい感じで集中力が高まっていたのが幸いだった。曲がすっと心の中に入ってきて、力が抜け、何かいざなわれるような感じで自然に歌い演奏することができた。
今日のライブは昨夜以上の盛り上がり。お客さん、演奏者、空間の3つの要素がいい感じで作用しあい、一つの理想に近いライブだった。

2003年2月8日土曜日

2003年2月8日(土) 金沢・もっきりや

昨日は飲み過ぎた。疲れを残したまま金沢へ。
冬の金沢に訪れるのは学生時代以来。予想より気温が高く、雪もあまり残っていない。
今日から二日間、‘もっきりや’でライブ。去年の9月にこのお店でやらせてもらったライブがとても好評だったことがきっかけで、今回は2DAYSやらせてもらうことになった。
‘もっきりや’を初めて訪れたのは高校2年のとき。当時、金沢の大学に通っていた姉がこのお店でバイトしていたので、夏休みを利用して遊びに来たのだ。
丁度その時、‘もっきりや’ジャズ・ピアニストの山下洋輔さんのライブをやっていて、姉のコネで一番前の席で観させてもらうことができた。
わけの分からないフリージャズの世界が目の前で壮絶に展開され、最初はただただ圧倒されていたのだが、そのサウンドに身を委ねている内に強力な眠気に襲われ、ライブの途中で居眠りしてしまった。けれどその時のライブの印象はいまだに強く残っている。
‘もっきりや’は高校2年生の自分にはとても新鮮で、少し懐かしくもある空間だった。手作りの内装、棚にずらりと並べられたジャズやシンガーソングライ ター系のアナログ盤、店内に貼られた映画やライブのポスター&フライヤー、お店に集まってくる癖の強そうな人達、コーヒー一杯で続けられる音楽論、タバコ の臭い、こよなく音楽と映画を愛するマスター、‘もっきりや’は'80年代に入っても'70年前後のサブカルチャーの臭いをひきずっていた。そんなお店の たたずまい、空気に当時の自分は憧れを抱いた。その頃の気持ちは今も残っている。
マスターの平賀さんの印象は当時から少しも変わらない。音楽の聴き手としてこれほど素敵な人を他にあまり知らない。好きな音楽を聴いたり、語ったりしている時の平賀さんの幸せそうな顔といったら、ほんまみんなに見せてあげたい。
平賀さんはいつもカウンターの中で、音楽に身を委ねながら、さまざまな世界に思いを馳せ、旅を続けている。どこへ行っても何も見えない人もいれば、同じ場所にいて多くを見て感じている人もいる。

2003年2月7日金曜日

2003年2月7日(金)


さぁツアーの始まり。羽田空港から大阪伊丹空港へ午後1時半頃着。
そこから天王寺にある大阪市立美術館へ。今日はこの美術館の中で催される毎日放送ラジオの公開録音イヴェントに参加し、双児の兄弟からなる邦楽グループ「AUN」ライブのゲストとして演奏するのだ。
AUNは同じ事務所に所属するアーティストで、共演は今回が初めて。一度、東京で彼等のライブを観させてもらったことがある。主に三味線と和太鼓を使った 演奏スタイルは、邦楽の型から痛快にはみ出ていて、斬新だった。なによりも二人のつくりだすグルーヴが素晴らしかった。血湧き肉踊らされる感じで、客席で 観ていて自然と体が動いたのを覚えている。
兄の良平くんはミュージシャンの他にカメラマンという顔も持っている。実はオレの新しいアルバム『MELLOW BLUE』と、同日に再発される『ROLLIN'』のニュージャケットで使われている写真はすべて彼の撮影による。とてもいい写真だと思う。弟の公平くん は今年の1月から、オレのパソコンの先生をしてくれている。
つまり最近、この二人にはお世話になりっぱなしなのだ。いい仲間ができたなと勝手に思っている。

天王寺に来たのは久しぶり。リハーサルまで少し時間があったので新世界界隈を散歩する。
美術館から新世界方向に通じる真直ぐな一本道にはホームレズの人達の仮設住宅が軒を並べていて、大層立派な美術館とのギャップが凄い。天王寺界隈は区画整 理が進み、町並みは以前よりも小奇麗になったけれど、その変化に比べて暮らす人々の風情はあまり変わっていないように思えた。短時間で表面だけを見て感じ た印象ではあるが。

美術館の中というのは普通、静かで落ち付いた雰囲気を保っている。この美術館も例外ではなく館内は落ち着いた雰囲気を維持しているのだが、普通と違うのは屋外からカラオケの音がよく響いてくる点だ。
実はこの界隈には露天カラオケがいくつも出店しているので、そこからの演歌サウンドが美術館内にも響き渡るのだ。
日中からおっちゃん、おばちゃんが集まってお天道様の下で飲んで歌っている様は見ていても楽しい。露天カラオケを 楽しめる町なんて日本中でここだけではないやろか?

AUNとの初セッションは新鮮だった。三味線との初共演、異ジャンルとの接触からくる戸惑いとか不安といった感情は全くわいてこなかった。元々異ジャンルという意識もなかったし。次回の共演が楽しみ。何も決まってないけど