「Hobo Connection Vol.1」リリースに寄せて
このアルバムは、自分のCDデビュー20周年を記念して、2010年の11月から12月にかけて、大阪、東京、福岡、名古屋で開催されたライブイベント
「Hobo
Connection」の、東京公演2日間の音源と映像を編集し、作品化したものです。アルバムには、イベントに参加してくれた37人のミュージシャンの
中から、29人とのコラボ演奏を収録しました。
イベント開催にあたって、各出演者との綿密な打ち合わせやリハーサルは行いませんでした。当日の会場リハーサルでの音合わせのみで、本番のセッションに
のぞんだ共演者もいました。細かい決めごとや段取りをなくすことで、瞬間のインスピレーションが高まり、コラボならではの化学反応が増幅されたように思い
ます。
イベントには、世代を超えて、実に多様な個性が集まりました。彼らをジャンルで括ることはできませんが、参加してくれた皆に共通して、それぞれの音
楽、パフォーマンスから、パーソナリティーが滲み出ていると思います。イベントを通じて、自分はやはり、その人のニオイが伝わる音楽が好きなんだというこ
とを再認識しました。
キャリアを積み重ねる中で、自分に求められるものが、少しずつ変化してきていると感じています。このイベントでは、「橋渡し」あるいは「媒体」としての
役割を意識しました。「HOBO
CONNECTION」というイベントタイトルに、そうした意識が反映されていると思います。そしてこのイベントは、自分自身の過去、現在、未来が繋がる
機会にもなりました。
アルバムの製作にあたっては、少し大げさですが、「この作品を残すことが自分の役割だ」という意識を持ってのぞみました。多くの人達のサポート、尽力に
よって、アルバムが完成したことを、心から感謝しています。そして、この作品を通じて、自分が勝手に受け取ったバトンを、また誰かが勝手に受け取ってくれ
ることを願っています。
アルバムリリースに合わせて、明日から、下北沢ラ・カーニャ2days公演を皮切りに、各地でコラボ・ライブイベント「Hobo
Connection
2012」が開催されます。このイベントが、来てくれたお客さん、関わってくれた人達すべてにとって、出会いと繋がりの場になればと思っています。
ぜひ会いに来て下さい。一期一会の夜を共に楽しみましょう。
ーリクオ
2012年3月23日金曜日
2012年3月19日月曜日
2012年3月18日日曜日
西表島初体験
沖縄県西表島 離島振興総合センター
縁が繋がって、初めて西表島でライブをやらせてもらうことになった。この日はまだ3月だというのに気温が30度にまで上昇。石垣島と西表島は今日から海開きだそう。早!
ライブを主催してくれたイッケーくんは、浜松出身33歳の若者。西表に来て11年になるそう。リハーサル前に、彼が車で島を案内してくれる。
西表島の面積は石垣よりも広いけれど、人口は石垣の4万5千人に対して、わずか2千300人。平地が少なく、島の90%を亜熱帯の自然林で覆われた景色は、同じ八重山でも石垣とはかなり異なっていた。
マングローブの森はこの島を特徴づける景色の1つ。川も多い。植物と生物が多様なのもこの島の特徴。イリオモテヤマネコへの注意をうながす立て看板を 方々の路肩で見かけた。イッケーくんが電線の上の鳥をさして「あれが天然記念物のカンムリワシですよ」と教えてくれた。
田上が始まったばかりの水田地帯にも連れていってもらう。西表島で米作りが始まったのは戦後からなのだそう。イッケーくんが連れてきてくれた場所は、 10年前まではジャングルだった土地を切り開いたのだそう。開拓移住者による集落が多いのも西表の特徴。
ライブ会場の離島振興総合センターは中学校の講堂を兼ねた場所だった。
会場には子連れのお客さんが多く、ステージが進むに連れて、お母さんと子供等が演奏にあわせて楽しそうに踊りはじめた。とても自由で幸せな光景だった。
イッケーくんはじめ、イベントに関わってくれた人達は、ほんんどが内地から移住してきた若者達だった。彼らの多くは農業に従事していて、仲間の絆はとても強く見えた。彼らは生きてゆくための新しい価値観を求めて、この島に来たようだった。
イッケーくんは、野外フェス好きが高じて、理想の祭りを求め、遠くアフリカにまで足を運んだそう。今は、西表島に出来る限り長く暮らし、この島から理想 の祭りを発信してゆくことがライフワークなのだそう。とにかくエネルギーに満ちていて、笑顔の素晴らしい若者だった。
またいい出会いをもらった。
縁が繋がって、初めて西表島でライブをやらせてもらうことになった。この日はまだ3月だというのに気温が30度にまで上昇。石垣島と西表島は今日から海開きだそう。早!
ライブを主催してくれたイッケーくんは、浜松出身33歳の若者。西表に来て11年になるそう。リハーサル前に、彼が車で島を案内してくれる。
西表島の面積は石垣よりも広いけれど、人口は石垣の4万5千人に対して、わずか2千300人。平地が少なく、島の90%を亜熱帯の自然林で覆われた景色は、同じ八重山でも石垣とはかなり異なっていた。
マングローブの森はこの島を特徴づける景色の1つ。川も多い。植物と生物が多様なのもこの島の特徴。イリオモテヤマネコへの注意をうながす立て看板を 方々の路肩で見かけた。イッケーくんが電線の上の鳥をさして「あれが天然記念物のカンムリワシですよ」と教えてくれた。
田上が始まったばかりの水田地帯にも連れていってもらう。西表島で米作りが始まったのは戦後からなのだそう。イッケーくんが連れてきてくれた場所は、 10年前まではジャングルだった土地を切り開いたのだそう。開拓移住者による集落が多いのも西表の特徴。
ライブ会場の離島振興総合センターは中学校の講堂を兼ねた場所だった。
会場には子連れのお客さんが多く、ステージが進むに連れて、お母さんと子供等が演奏にあわせて楽しそうに踊りはじめた。とても自由で幸せな光景だった。
イッケーくんはじめ、イベントに関わってくれた人達は、ほんんどが内地から移住してきた若者達だった。彼らの多くは農業に従事していて、仲間の絆はとても強く見えた。彼らは生きてゆくための新しい価値観を求めて、この島に来たようだった。
イッケーくんは、野外フェス好きが高じて、理想の祭りを求め、遠くアフリカにまで足を運んだそう。今は、西表島に出来る限り長く暮らし、この島から理想 の祭りを発信してゆくことがライフワークなのだそう。とにかくエネルギーに満ちていて、笑顔の素晴らしい若者だった。
またいい出会いをもらった。
2012年3月17日土曜日
石垣にて
沖縄県石垣島 Jazz Barすけあくろ
石垣に来ると、ほんと心がほぐれて、気持ちが解放されてゆく。帰ってきたという気持ちになれるのは、迎え入れてくれる人達がいてくれるからだ。 この日 も、ホテルにチェックイン後、すぐ自転車をレンタルして海沿い走った。これが石垣に来た時の恒例。気持ちよく走り過ぎて、リハーサルの時間に随分遅れてし まった。
今回のライブでは、最近、すけあくろに入ったばかりだというアプライトピアノを弾かせてもらった。昭和37年生まれだというから、オレのお姉さん。柔らかい味のある音がした。
いつもよりかなり長時間のライブになった。普段はやらない曲を何曲も弾き語った。リクエストにも数曲こたえた。すけあくろでしかできないライブになった。どこでも、その場所でしかできないライブをやりたい。それが楽しい。
ライブ中から泡盛を飲み続けてとても気持ちよく酔っぱらった。アホなことをたくさん喋った。知人の相談にも乗った。ほとんど話聞いてただけやけど。
暖かくて、懐かしくて、楽しくて、ちょっと切ない気分になったのはなんでかな。
石垣に来ると、ほんと心がほぐれて、気持ちが解放されてゆく。帰ってきたという気持ちになれるのは、迎え入れてくれる人達がいてくれるからだ。 この日 も、ホテルにチェックイン後、すぐ自転車をレンタルして海沿い走った。これが石垣に来た時の恒例。気持ちよく走り過ぎて、リハーサルの時間に随分遅れてし まった。
今回のライブでは、最近、すけあくろに入ったばかりだというアプライトピアノを弾かせてもらった。昭和37年生まれだというから、オレのお姉さん。柔らかい味のある音がした。
いつもよりかなり長時間のライブになった。普段はやらない曲を何曲も弾き語った。リクエストにも数曲こたえた。すけあくろでしかできないライブになった。どこでも、その場所でしかできないライブをやりたい。それが楽しい。
ライブ中から泡盛を飲み続けてとても気持ちよく酔っぱらった。アホなことをたくさん喋った。知人の相談にも乗った。ほとんど話聞いてただけやけど。
暖かくて、懐かしくて、楽しくて、ちょっと切ない気分になったのはなんでかな。
2012年3月16日金曜日
五感で繋がるー那覇で感じたこと
沖縄国際アジア音楽祭?musix2012? ライブハウスサーキット@桜坂劇場
【会場】桜坂劇場ホールA
出演:新良幸人withサトウユウ子/下地勇/リクオ
石垣島出身の歌者、新良幸人くんと沖縄在住のピアニスト、サトウユウ子さんのデュオ録音によるアルバム「浄夜」は、昨年自分が聴いたアルバムの中でもベ ストの1枚だった。そんな二人に加えて、宮古島出身のシンガーソングライター、下地勇君とも久し振りに共演できるということで、この日のイベントに参加で きることが、とても楽しみだった。
この日の那覇は26度を超える陽気。吹く風が実に心地よく、最近何かとせかされていた自分の心が、柔らかくほぐされてゆく気がした。
新良幸人くんとサトウユウ子さんの演奏にはリハーサルの時から聴き入ってしまった。
3.11以降、「繋がり」という言葉が、さかんに使われるようになった。自分自身も、その言葉をことあるごとに使ってきた。ただ、そこで言う「繋がり」 は、人間同士の繋がりだけを指していることがほとんどだったように思う。けれど、この時代の転換点において求められるのは、人間同士の繋がりだけではない はずだ。
幸人くんや勇くんの音楽に触れると、彼らが生まれ育った土地の風土や歴史、自然との繋がりを強く感じる。とてもひろく響き合おうとする音楽だと思う。
彼らの音楽からは、風の声や潮騒が聴こえ、懐かしい景色がひろがってゆく。ニオイや味も伝わってきそうだ。頭でっかちじゃない五感の豊かな音楽なのだ。
そう、理屈や気持ちだけじゃなくて、もっと五感で繋がってゆくべきなのだ。今の日本で暮らす自分達に、決定的に欠けている点は、そこなんじゃないだろうか。「繋がり」という言葉の意味をもっと問い直すべき時なのかもしれない。
アンコールでは出演者全員でセッション。幸人くんの名曲「満天の星」ではサトウユウ子さんとピアノを連弾した。素晴らしいセッションになった。この感覚を忘れずにいたい。
もっと多くの人が、都会の中でも「満天の星」を感じて暮らしてゆけたら、人々の意識や価値観は随分と変わってゆくに違いない。
【会場】桜坂劇場ホールA
出演:新良幸人withサトウユウ子/下地勇/リクオ
石垣島出身の歌者、新良幸人くんと沖縄在住のピアニスト、サトウユウ子さんのデュオ録音によるアルバム「浄夜」は、昨年自分が聴いたアルバムの中でもベ ストの1枚だった。そんな二人に加えて、宮古島出身のシンガーソングライター、下地勇君とも久し振りに共演できるということで、この日のイベントに参加で きることが、とても楽しみだった。
この日の那覇は26度を超える陽気。吹く風が実に心地よく、最近何かとせかされていた自分の心が、柔らかくほぐされてゆく気がした。
新良幸人くんとサトウユウ子さんの演奏にはリハーサルの時から聴き入ってしまった。
3.11以降、「繋がり」という言葉が、さかんに使われるようになった。自分自身も、その言葉をことあるごとに使ってきた。ただ、そこで言う「繋がり」 は、人間同士の繋がりだけを指していることがほとんどだったように思う。けれど、この時代の転換点において求められるのは、人間同士の繋がりだけではない はずだ。
幸人くんや勇くんの音楽に触れると、彼らが生まれ育った土地の風土や歴史、自然との繋がりを強く感じる。とてもひろく響き合おうとする音楽だと思う。
彼らの音楽からは、風の声や潮騒が聴こえ、懐かしい景色がひろがってゆく。ニオイや味も伝わってきそうだ。頭でっかちじゃない五感の豊かな音楽なのだ。
そう、理屈や気持ちだけじゃなくて、もっと五感で繋がってゆくべきなのだ。今の日本で暮らす自分達に、決定的に欠けている点は、そこなんじゃないだろうか。「繋がり」という言葉の意味をもっと問い直すべき時なのかもしれない。
アンコールでは出演者全員でセッション。幸人くんの名曲「満天の星」ではサトウユウ子さんとピアノを連弾した。素晴らしいセッションになった。この感覚を忘れずにいたい。
もっと多くの人が、都会の中でも「満天の星」を感じて暮らしてゆけたら、人々の意識や価値観は随分と変わってゆくに違いない。
2012年3月13日火曜日
渋谷でHEATWAVEのライブを観る
渋谷DUOまでHEATWAVEのライブを観に行った。このライブは、被災地の相馬市をピンポイントで支援する為に、
HEAWAVEの山口洋とラグジュアリーブランドChloeが共同で立ち上げたプロジェクト「MY LIFE IS MY
MESSAGE」の活動の一環として企画されていた。
相馬市は、自分も10数年前からツアーで何度も訪れている縁のある街だ。この日のライブ会場では、相馬からやってきた何人もの知人と再会を果たすことができた。その他にも知った顔が大勢。
集まった多くの人達は、主催者側の思いを感じとって、この日のライブを普段のライブとは違う特別なものとしてとらえているいようだった。
ステージ上の山口洋は、伝えたい思いに溢れていて、時々それらを持て余し、もどかしそうだった。バンドのメンバーは、そんなヒロシの思いを柔らかく受け とめ、しなやかかつ無骨で強靭なグルーヴを生み出していた。集まったオーディエンスも、ヒロシが感じている以上に、彼の思いを受けとめていたと思う。
この日の山口洋からは、憤りよりも他者に対して寛容であろうとする姿勢が伝わった。この1年の間で、彼の中で少しずつ何かが変わり始めているのだろう。 その様をドキュメンタリーのように見せてゆけるのが、山口洋の魅力の一つかもしれない。突然目覚めたり、啓示を受けたりして変化するよりも、時間と経験を 経て徐々に少しずつ変化してゆく姿に、自分は信頼を置く。
この日のステージには、沖縄からゲストで歌者の古謝美佐子さんと鍵盤奏者の佐原一哉さんが参加。古謝さんの、すべてを包み込むような存在感と天に響く歌声は、ほんと素晴らしかった。佐原さんは古謝さんの媒介者、翻訳者のような存在だと思った。
色々と感じさせられ、語ることのできるライブイベントだった。
山口洋は今月からソロで全国を回ります。これも「MY LIFE IS MY MESSAGE」の活動の一環として行われるツアーです。
http://no-regrets.jp/heatwave/news/120110/index.html
リクオが企画するコラボ・ライブイベント「HOBO CONNECTION2012」の3/30(金)京都磔磔、3/31(土)名古屋得三、5/8(火)渋谷クアトロ公演にも、山口洋が参加します。
http://www.rikuo.net/hoboconnection/
相馬市は、自分も10数年前からツアーで何度も訪れている縁のある街だ。この日のライブ会場では、相馬からやってきた何人もの知人と再会を果たすことができた。その他にも知った顔が大勢。
集まった多くの人達は、主催者側の思いを感じとって、この日のライブを普段のライブとは違う特別なものとしてとらえているいようだった。
ステージ上の山口洋は、伝えたい思いに溢れていて、時々それらを持て余し、もどかしそうだった。バンドのメンバーは、そんなヒロシの思いを柔らかく受け とめ、しなやかかつ無骨で強靭なグルーヴを生み出していた。集まったオーディエンスも、ヒロシが感じている以上に、彼の思いを受けとめていたと思う。
この日の山口洋からは、憤りよりも他者に対して寛容であろうとする姿勢が伝わった。この1年の間で、彼の中で少しずつ何かが変わり始めているのだろう。 その様をドキュメンタリーのように見せてゆけるのが、山口洋の魅力の一つかもしれない。突然目覚めたり、啓示を受けたりして変化するよりも、時間と経験を 経て徐々に少しずつ変化してゆく姿に、自分は信頼を置く。
この日のステージには、沖縄からゲストで歌者の古謝美佐子さんと鍵盤奏者の佐原一哉さんが参加。古謝さんの、すべてを包み込むような存在感と天に響く歌声は、ほんと素晴らしかった。佐原さんは古謝さんの媒介者、翻訳者のような存在だと思った。
色々と感じさせられ、語ることのできるライブイベントだった。
山口洋は今月からソロで全国を回ります。これも「MY LIFE IS MY MESSAGE」の活動の一環として行われるツアーです。
http://no-regrets.jp/heatwave/news/120110/index.html
リクオが企画するコラボ・ライブイベント「HOBO CONNECTION2012」の3/30(金)京都磔磔、3/31(土)名古屋得三、5/8(火)渋谷クアトロ公演にも、山口洋が参加します。
http://www.rikuo.net/hoboconnection/
2012年3月11日日曜日
1年を経てー「希望」のための告白
「自分は、被災した人達と、思いを一体化させることはできない」
わかっていたはずのことだけれど、昨年5月、震災後に初めて、被災地である石巻、女川、南三陸を訪れた時に、あらためてそのことを思い知りました。あま りにも大きな哀しみや絶望を受けとめるだけの想像力と心の容量を、自分は持ち合わせていませんでした。感情移入し過ぎると、自分が壊れそうな気がしまし た。
この世は、あまりにも不条理に満ちていて、それらすべてを直視し、受け入れて暮らすことは、困難です。世界中の絶望に心のチャンネルを合わせることは不 可能です。他者への想像力の大切さを感じる一方で、その想像力にリミッターがかかってしまうことがあるのも、仕方がないように思います。
人は極度の不安と緊張に、長く堪え続けることはできません。だから、事態が収束もしていないのに、忘れようとしてしまう。オレもそうです。
けれど、不安や絶望、矛盾に向き合わなければ、見いだせない希望があります。希望なしには人は生きていけない。だから、絶望に心のすべてを取り込まれないよう気をつけながら、その先の光に目を凝らさなければいけない。力み過ぎず、焦り過ぎず。
「人は互いに寄り添わなければ、生きていけない」
そのことも被災地で強く感じました。そこでは、多くの人達が助け合い、いたわりあって生きていました。現地でのボランティアの皆さんの活躍には、頭の下 がる思いでした。音楽を通して、被災地の人達と、ほんの少しでも繋がれたような気がしたことは、自分の救いになりました。震災後のやりきれない思いの中 で、自分は音楽によって何度も救われました。
そんな自分の行動には、自己満足や偽善も含まれていたと思います。被災地に何度も足を運んだ動機の一つには、「何かすることで、まとわりつく『後ろめた さ』を解消させたい」という都合の良い自分本位な思いがありました。高揚がおさまると、そういった自分の不純や矛盾に気づくことがありましたが、そのこと で必要以上に自分を責めることは、やめるようにしました。行動には、そういう不純な動機も含まれるものだと思って、開き直ることにしました。ただし、これ から生きてゆく上で、「後ろめたさ」とは、付き合い続けようと思います。
人は「孤独」を抱えて生き続けることはできても、「孤立」に堪え続けて生きることはできないと思います。自分達の他者への無関心が、多くの人を孤立化さ せるだけでなく、結局、自分自分も孤立化させてしまうのだと思います。だから、しんどくても、その想像力のリミッターをはずさなければいけないときがあり ます。
そのときに、きっと自分自身の心も傷つきます。だから心が壊れてしまわないよう、自分自身をいたわることも忘れずにいようと思います。
最後に、去年の3月16日のブログに掲載した詩を、あらためて掲載します。
この詩を書いた時の自分は、東北から離れた場所にいて、不安と絶望に心を苛まれていました。被災した人達のことも想いました。自分の無力さに、やりきれ ない気持ちで一杯でした。そんな気分の中で、言葉を探し、メロディーを思い出そうとしたのは、つまり、どうにかして「希望」を見いだしたかったからです。 そのときの思いを忘れずにいようと思います。
一体にはなれなくても、繋がりたい。方々を巡りながら、その方法を探し続けてゆくつもりです。
ーリクオ
しばらくテレビのニュースを消して、パソコンも閉じて、心を鎮めてみる。
自分の弱さ、脆さを嘆くのはやめる。認めてやる。
そらしゃあない。
自分にとって大切なものは何?
つないだ手のぬくもりを思い出す。
忘れかけていたメロディーを口ずさむ。
少し無理をしてバカなことを言ってみる。
結構受けた。
笑顔にほっとした。
自分の中にあった優しさを思い出す。
希望を思い出す。
勇気を思い出す。
新しい暮らしが始まる。
新しい生き方を探す。
一人ではなく。
哀しみを忘れない。
後悔を忘れない。
後ろめたさも忘れない。
でも、引きずらない。
力み過ぎない。
祈り続ける。
歌い続ける。
新しい言葉とメロディーが生まれる。
呼吸を整えて、元気を出す。
わかっていたはずのことだけれど、昨年5月、震災後に初めて、被災地である石巻、女川、南三陸を訪れた時に、あらためてそのことを思い知りました。あま りにも大きな哀しみや絶望を受けとめるだけの想像力と心の容量を、自分は持ち合わせていませんでした。感情移入し過ぎると、自分が壊れそうな気がしまし た。
この世は、あまりにも不条理に満ちていて、それらすべてを直視し、受け入れて暮らすことは、困難です。世界中の絶望に心のチャンネルを合わせることは不 可能です。他者への想像力の大切さを感じる一方で、その想像力にリミッターがかかってしまうことがあるのも、仕方がないように思います。
人は極度の不安と緊張に、長く堪え続けることはできません。だから、事態が収束もしていないのに、忘れようとしてしまう。オレもそうです。
けれど、不安や絶望、矛盾に向き合わなければ、見いだせない希望があります。希望なしには人は生きていけない。だから、絶望に心のすべてを取り込まれないよう気をつけながら、その先の光に目を凝らさなければいけない。力み過ぎず、焦り過ぎず。
「人は互いに寄り添わなければ、生きていけない」
そのことも被災地で強く感じました。そこでは、多くの人達が助け合い、いたわりあって生きていました。現地でのボランティアの皆さんの活躍には、頭の下 がる思いでした。音楽を通して、被災地の人達と、ほんの少しでも繋がれたような気がしたことは、自分の救いになりました。震災後のやりきれない思いの中 で、自分は音楽によって何度も救われました。
そんな自分の行動には、自己満足や偽善も含まれていたと思います。被災地に何度も足を運んだ動機の一つには、「何かすることで、まとわりつく『後ろめた さ』を解消させたい」という都合の良い自分本位な思いがありました。高揚がおさまると、そういった自分の不純や矛盾に気づくことがありましたが、そのこと で必要以上に自分を責めることは、やめるようにしました。行動には、そういう不純な動機も含まれるものだと思って、開き直ることにしました。ただし、これ から生きてゆく上で、「後ろめたさ」とは、付き合い続けようと思います。
人は「孤独」を抱えて生き続けることはできても、「孤立」に堪え続けて生きることはできないと思います。自分達の他者への無関心が、多くの人を孤立化さ せるだけでなく、結局、自分自分も孤立化させてしまうのだと思います。だから、しんどくても、その想像力のリミッターをはずさなければいけないときがあり ます。
そのときに、きっと自分自身の心も傷つきます。だから心が壊れてしまわないよう、自分自身をいたわることも忘れずにいようと思います。
最後に、去年の3月16日のブログに掲載した詩を、あらためて掲載します。
この詩を書いた時の自分は、東北から離れた場所にいて、不安と絶望に心を苛まれていました。被災した人達のことも想いました。自分の無力さに、やりきれ ない気持ちで一杯でした。そんな気分の中で、言葉を探し、メロディーを思い出そうとしたのは、つまり、どうにかして「希望」を見いだしたかったからです。 そのときの思いを忘れずにいようと思います。
一体にはなれなくても、繋がりたい。方々を巡りながら、その方法を探し続けてゆくつもりです。
ーリクオ
しばらくテレビのニュースを消して、パソコンも閉じて、心を鎮めてみる。
自分の弱さ、脆さを嘆くのはやめる。認めてやる。
そらしゃあない。
自分にとって大切なものは何?
つないだ手のぬくもりを思い出す。
忘れかけていたメロディーを口ずさむ。
少し無理をしてバカなことを言ってみる。
結構受けた。
笑顔にほっとした。
自分の中にあった優しさを思い出す。
希望を思い出す。
勇気を思い出す。
新しい暮らしが始まる。
新しい生き方を探す。
一人ではなく。
哀しみを忘れない。
後悔を忘れない。
後ろめたさも忘れない。
でも、引きずらない。
力み過ぎない。
祈り続ける。
歌い続ける。
新しい言葉とメロディーが生まれる。
呼吸を整えて、元気を出す。
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