2001年7月13日金曜日

2001年7月13日(金)

東名阪ツアー最終日、大阪バナナホール。
「雨上がり」効果で客席は大入り。地元ということもあり客席には知った顔がチラホラ。 この日のライブを観に来てくれた大学の軽音時代のバンド仲間、先輩Mさんとは10数年振りの再会だった。たまたまホームページを見つけて今日のライブを 知ったとのこと。 とても懐かしく嬉しかった。学生時代にMさん達といっしょにやっていたバンド は今の自分の音楽生活の原点になった。当時の音楽仲間がこの日は数人観に来てくれて、楽屋を尋ねてくれた。
オープニングアクトの「のまど」と「グランドカラーストーン」がいい感じで客 席を温めてくれたせいもあって、演奏前から客席は出来上がってる状態。最高の雰囲気でライブは進んでいった。
この日のライブも東京に続いてハードディスクに録音された。いい記録が残せそうだ。
学君とトキエさんのグルーヴはよくなる一方で、この日で終わってしまうのがもったいない感じ。
ツアー最終日ということで、この日の打ち上げは深夜4時頃まで続いた。打ち上 げに参加した僕の地元の知り合い達はトキエさんを紹介しろとうるさかったが、 結局、紹介してやらなかった。
打ち上げの場で、地元の古くから関わってくれているスタッフと、最近参加して くれた東京からのスタッフがいっしょにいい笑顔で飲んでいるのを見て、なん か、いけそうな気がした。

2001年7月12日木曜日

2001年7月12日(木)

東名阪ツアー2日め、名古屋クアトロ。
クアトロブッキング.マネージャーの柿原さんは広島クアトロへの転勤の為、こ の日が名古屋での仕事納め。 本当はもっと早くに広島へ行く予定だったのをこの日のライブの為に延期してくれたそう。こういう話を聴くとますますモチベー ションが上がる。
この日は約9年ぶりに名古屋のイヴェンター、ジェイルハウスの小早川さんにコ ンサート制作をお願いした。
ここ数年、彼はプライヴェートで僕のライブに足を 運び続けてくれていて、いつかまたいっしょにライブをやることを約束していたのだ。
ライブをするにあたって、ほとんどの関係者が名古屋は鬼門だと言うけれど、僕 はここ数年、名古屋でのお客さんの反応にいつも勇気づけられている。この日も席を立って楽しそうに踊っているお客さんに多いに乗せられた。ステージのメン バーも東京に比べると随分リラックスしていて、その場の空気を楽しんでいる感 じだった。
この日は2度めのアンコールで「ケサラ」を歌った。これはマネージャーテツの提案だったのだが、当初僕はあまり乗り気ではなかった。しばらくはこの曲から は離れていたい気分だったのだ。けれど彼があまりにも強く主張するので、こちらが折れて歌うことにした。
歌ってみたら自分でびっくりするぐらい新鮮な気持ちで歌えた。不思議なほどすっと力みなく歌に気持ちが集中していった。
達観したかのように最後まで気持ちが乱れなかった。いや~歌ってよかった。
この日、ライブのオープニングを努めてくれたのは「ギロ」という地元バンド。 これが良かった。音楽的にはジャズやボサノヴァの要素が強く、’70年前後の 歌謡曲の匂いも感じられる。ポート.オブ.ノーツやエゴ.ラッピンに通じる今的 な空気感があって、これからが楽しみなバンドだ。

2001年7月10日火曜日

2001年7月10日(火)

東名阪ツアー初日、渋谷クアトロライブ。
この日はライブ.レコーディングとビデオ撮りがあるせいもあって、スタッフの数がいつものライブよりずっと多く、リハーサル中から会場での人の行き来が多 い。打ち合わせに忙しいスタッフの姿をみていると、ぐっと身が引き締まった。
ライブ直前の楽屋。学君は一人別の楽屋にこもってドクタービートに合わせてブ ラシでウォーミングアップを続けている。 トキエさんと僕は柔軟体操。 出番が後 のマルセさんは鏡の前でメイク中。メンバーは皆少し、緊張している様子。
いよいよ開演。 音が良い。声がよく響く。心地よい緊張感。
ライブ前半はステージにも客席にも少し固さが残った。中盤でほぐれて、後半で 弾けた。
トキエさんとマルセさんの参加は僕にいい刺激を与えてくれた。学君はヘルツと は違ったアプローチで歌を支えてくれている。
普段は予算の関係であまり一つのコンサートで多くのスタッフに参加してもらう ことができないのだけれど、今回はマネージャーテツ、PAミキサーの恭一さん、 レコーディングミキサーの錦織さん、照明の阿部ちゃん、カメラマンのあずみ ちゃん、受付をやってくれたデザイナーの仲野さん、ふみお君等、普段から付き 合いのある仲間とチームを組んでライブをやれたことが嬉しかった。
3年前に7年半お世話になった事務所を離れ、スタッフがいなくなったおかげで、自分自身でやれることと、やれないことを随分と学ばせてもらった。
けれ ど、ここにきてありがたいことに自然に回りに人が集まり始めている。
これから はインディペンデントな精神を保ちながら皆といっしょに面白いことができたら と思う。

2001年7月6日金曜日

2001年7月6日(金)

この日も巣鴨のスタジオでリハーサル。
春頃から巣鴨でリハーサルをやるようになったのだけれど、下町の風情が残るこの町に最近、愛着を感じはじめている。駅からスタジオに行くのに地蔵通 りという商店街を通るのだけれど、ここは巷でおじいちゃんおばあちゃんの原宿と呼ば れるだけあって、いつもお年寄りで賑わっている。道行く人達の平均身長は高齢者が多いためかなり低め(150センチ台)で、そ の中に入ると自分の背が急に伸びたような気分になる。通りには列のできる和菓子屋さん、あんパンが名物のパン屋さん、いい匂いをまき散らす鰻屋さん等、和 風色の強いさまざまな店が軒を並べていて楽しい。
この日は東京のみヴァイオリンで5曲参加してくれるマルセさんがリハーサルに参加。彼女とも今回が初共演。自分の色をしっかり持ったプレイヤーで、綺麗におさめないやんちゃなところが良い。
この日のリハーサルは7時間に及んだ。日程の問題で、余裕のない詰めたリハーサルになってしまったが、そのせいもあってリハ中のメンバーの集中力はとても 高い。トキエさんのプレイは前日よりもぐっと色気を増して、それに刺激をうけた学君 のドラムプレイがあきらかに変化した。

2001年7月5日木曜日

2001年7月5日(木)

東名阪リリースツアーに向けての初リハーサルを巣鴨にあるスタジオでやる。
ベースのトキエさんとは、この日が初音合わせ。彼女の存在を知ったのは最近のことである。CDで聴いたAJICOでのベースプレイとテレビで観たときのたたずま いがとても印象に残っていたので、サポートをお願いしてみたらあっさりOKしてもらえたのだ。
今回のツアーのドラムはお馴染みの学君。ヘルツと同じトリオ編成でのライブで ある。初顔合わせということもありメンバーそれぞれ堅苦しさを残したままリハーサルに入る。
トキエさんも最初は手探りで戸惑い気味の様子。それでも力強さと優しさが同居した、よくうねるベースは素晴しく、一緒にプレイしていて嬉しくなっ てしまった。ドラムの学君との相性もよさそうだ。

2001年7月3日火曜日

2001年7月3日(火)

栗山町にある酒歌楽というパブを借りてライブ。
岩見沢に、この日のライブをブッキングしてくれた早川さんが車で迎えに来てく れる。最近はイヴェンターとしての仕事が忙しく、充実している様子。自分のア イドルであったマリアマルダーのライブを自ら北海道でてかげるそうで、その話 を聞いていると、その喜びとときめきがびんびん伝わってきて、こちらも嬉しく なってくる。
北海道にきてから、気候のせいかハードスケジュールにもかかわらず体調がよ い。北海道にいる間にアトピーもほとんど消えてしまった。 この日の宿泊先である栗山ホテルは自然に囲まれたロケーションもよく、なによ りも温泉つきとゆうのが素晴しかった。リハーサル前から温泉につかって昼寝。すっかりリラックス。
ライブも気持ちよくやらせてもらえた。主催者の小室さんと早川さんから次はヘルツで来てくださいとのこと。

2001年7月2日月曜日

2001年7月2日(月)

旭川アーリータイムスでライブ。
先月、マスターの野澤さんからカセットテープを添えて丁寧な手紙をいただいていた。手紙の内容は、野澤さんの高校時代の先輩(最近、二十数年振りに再会さ れたそう)が作詞作曲された「アーリータイムス」というナンバーをぜひこの日のライブで歌ってほしいとのことであった。
なかなか難しい要請である。取り合えずカセットテープを聴いてみた。アーリータイムスに対する想い入れと現在の自らの心情がとても素直に伝わってくる フォーク調のナンバーであった。特にサビのメロディーと詞が印象に残った。け れど、今の自分が歌うには少し感傷的過ぎる。歌うべきか何度も自問した。北海道ツアーが始まってからもまだ迷っていた。前日の「臆病者」の件といい、この 曲の件といい北海道では自分の立ち位置を考えさせられるような出来事が続い た。結局、自分の中で特例にして歌うことにした。
ライブの後にお会いした先輩は寡黙で想像通り感じのよい方だった。野澤さんと先輩の物語に参加できてよかったと思った。
感傷的な表現はなるべく避けられたらと思う、けれど感傷にひたるのは人間の特権だ。この日、そんなことを思ったような気がする。

2001年7月1日日曜日

2001年7月1日(日)

銀行に電話してキャッシュカードの使用を停止してもらう。既に使われた形跡が あるとのこと。幸い暗証番号が合わず、引き出されることはなかった。けれどもう財布は帰ってこないだろう。
足取り重く芦別に向かう。まだアルコールも残っていてつらい。素晴しい気候と風景が救い。
午後一時、芦別ディランに到着。一年振りにマスターの忠さんと奥さんの美香子 さんに再会。お、なんか元気が出てきた。
今日は午後三時からの開演で、Shyさん&石井明夫君とのジョイントコンサート。Shyさんとは山口の宇部市で会って以来、明夫君とは2年以上前に新潟で 会って以来の再会。こうやって互いに旅の途中で再会するのは嬉しいもんだ。
演奏が始まってもディランのドアは開けっぱなし。僕は二人の演奏に耳を傾けな がら店の回りをぶらついた。 駅前にもかかわらず、通りは寂しげで、店内の盛り上がりが嘘のよう。人気の少 ない路上にたたずんでいると、ぽつんと取り残された気分。近くの商店街に設置されているスピーカーからはモーニング娘のナンバーが流れていて、デイランから聴こえる明夫君の歌声と重なりあう。おそらく僕のみが知るコラポレートであ る。
重なりあった歌声は乾いた風に吹かれて、行くあてなくどこかへ消えていった。ドアから店の中をのぞいてみると、せまい店内で演奏者とお客さんが一体となっ て、盛り上がりはピークをむかえているようだった。
この日は、マスターの忠さんのリクエストで多分3、4年振りに「臆病者」を歌った。僕は全く覚えていないのだが、以前、ディランに歌いに来たときのリ ハーサルで僕がこの曲を歌っていて、本番でやるのかと思っていたらやらなかったそうだ。なんでレパートリーからはずしていた曲をリハーサルで歌ったのか、自分でも不思議だったけれど、本番で歌ってみたらその理由がわかった気がし た。この日、歌っていて最もせつなくなった曲だった。聴いていたお客さんも同 じ気持ちだった気がする。そこにいた多くの人達はこのやっかいな胸のしめつけ られる想いを持て余しながらも、失くしたくはないのだろう。
歌ってよかった。でも、もういいだろう。やっかいものを笑い飛ばしたりしなが ら、もう少しかわいたブルースを歌おうと思う。この日の打ち上げも長かった。酔っ払った僕はカウンターに入って、にわかDJをやらせてもらった。曲に合わ せて踊り狂うみんなを眺めてたらとても愛しい気分になった。