2009年8月18日火曜日

レコーディング準備

前日、鎌倉で飲み過ぎて、寝起きがつらかった。
 午後からは、来週から始まるレコーディングに向けた準備のため、湘南界隈にある某レコーディング予定場所に足を運んで、リハーサル。 
 その後、いつもお世話になっている調律師のOさんに東京から湘南まで足を運んでもらい、会場にある2台のグランドピアノのメンテナンスをお願いする。調律以上に時間とお金のかかる作業。お陰で、音色もタッチも随分とよくなった。
 Oさんには来週のレコーディング当日にまた会場に足を運んでもらい、ピアノの調律をしてもらう予定。
 今日はアルコール摂取はやめておこうと思ったのだけれど、ご近所の某ミュージシャンから誘いの電話があり、結局夜中に飲みに行く。店がすいていて、ゆっくりといい音楽に耳を傾けることができたのがよかった。深酔いすることなく帰宅。

鎌倉で飲み歩く

 「海さくらミュージックフェスティバル」に参加してくれるハミングキッチンのヤスと、夕方に鎌倉駅で待ち合わせて、鎌倉界隈のお店を色々と紹介してもらう。ヤスは湘南生まれの湘南育ち、今はご近所さんである。
 彼が連れて行ってくれるお店はどこも、マスターやスタッフのキャラが立っていて、印象に残る場所ばかりだった。
 「海さくらミュージックフェスティバル」のプロモーションが第一の目的だったのだけれど、アルコールが入るにつれて、そういうことも忘れがちになり、どの店でも多いに飲んで、回りの人達と楽しくコミュニケートする。
 鎌倉も面白いなあ。ヤスありがとう。

2009年8月17日月曜日

ソウルフラワーユニオンのレコーディングに参加

 東京のスタジオでソウルフラワーユニオンのレコーディングに3曲参加。
今までの彼らのレコーディングの中で、一番スムーズに作業が進んだ。バンドの調子がいいのだろう。グルーヴが大きくなった感じ。
 休む事なく前進を続けるバンドの姿勢にはほんと頭が下がるというか、いい刺激をもらっている。
 思いのほかレコーディングが早めに終わって、終電前に藤沢湘南に帰ることができる。テンションがあがったままだったので、自宅近くの飲み屋に寄ってクールダウンすることに。軽く飲むつもりが、ママさんやお客さんとの話が長くなって、結構深酒になる。

2009年8月16日日曜日

夕暮れの湘南海岸にて

 お盆の時期は、大阪の知人家族と一緒に南紀白浜で骨休めするのが、この10数年の恒例だったのだが、今年はその知人家族の娘と父親が新型インフルエンザ にやられてしまい、旅行は急遽取りやめになってしまった。それにともない京都の実家への帰省も取りやめて、湘南藤沢でお盆を過ごす事にした。
 お盆の間も、海さくらフェスとレコーディングの準備、DVD発売に向けたあれやこれやで忙しく、あまりのんびりはできなかった。雑務が多くて、クリエイ ティブな時間との棲み分けがなかなか難しい。あれやこれややることがあって、一つのことに長時間集中できない。やはり自分をマネージメントしてくれる人間 が必要だなと思う今日この頃である。
 今日は天気がよかったので、日課になっている夕方海沿いランニングの際、デジタルカメラを携帯する。真夏の時期にこれほどはっきりと富士山が姿を現すこ とはめずらしい。その美しさに圧倒され、何度も足を止めてシャッターを切った。こういう光景に出会うと、つくづく越して来てよかったなと思う。五感のバラ ンスが保たれる感じ。

2009年8月14日金曜日

移動古澤君と海さくらフェスのプロモーション活動

「海さくらミュージックフェスティバル」を企画する海さくら代表の古澤君と一緒に、イベントのプロモーション活動のために、チラシとポスターを持って茅ヶ崎、鎌倉方面のお店を回る。
 どのお店でも、すぐには立ち去らず、ちゃんとドリンクを注文して、マスターやスタッフとコミュニケートするよう心がける。
 全然、能率的ではないことはわかっているし、ミュージシャンがここまでやる必要もないのかもしれないけれど、今回はこのFACE TO FACEのプロモーションを通してみようと思う。こういう活動のなかで、新しい繋がりも築けているので、それは今後の自分の財産になると思う。

2009年8月9日日曜日

七ヶ浜からローカル発信

宮城うたの日コンサートin七ヶ浜
会場・七ヶ浜国際村ホール
【出演】風味堂・カラーボトル・三宅伸治バンド・リクオ・BLACK BOTTOM BRASS BAND・山本隆太・松千・司会=JDテリー
 BIGINの3人が沖縄で始めたうたの日コンサートが、東京、大阪、福岡などでも開催されるようになり、この日宮城でも初開催となった。
 七ヶ浜は宮城でも一番小さな町なのだそう。会場となった七ヶ浜国際村ホールは舞台後方のガラスの向こうに海が一望できる、日本で唯一の「海の見えるホー ル」。円形型の野外劇場も隣接していて、今回はサブステージとして使用され、主に地元のミュージシャンが出演した。野外ステージの前には屋台も並んだ。
 天候がすぐれなかったのは残念だったけれど、七ヶ浜ならではの特色が出た、とてもいいイベントになった。
 東京や大阪のうたの日コンサート同様に、この日も出演者同士のセッションが積極的に行われた。自分は三宅伸治バンド、山本隆太君とセッション。出演者の 多くが気心の知れたメンバーで、スタッフにも知り合いが多かったこともあり、自分は終始リラックスして、イベントまるごと随分と楽しませてもらった。
 自分自身も今、「海さくらミュージックフェスティバル」の企画側の1人だったりするので、地元のスタッフの皆さんの、当日を迎える迄の苦労が色々と想像できた。こういうローカル発信の手作りイベントが各地で行われるのは、本当にいいことだと思う。

2009年8月7日金曜日

全身全霊

福島県相馬市 石の蔵
 昨夜、大阪ライブの打ち上げの後、1人で知り合いが経営するバーに寄ったら、ブルース・スプリングスティーン&EストリートバンドのライブDVDが流れ ていた。2001年のライブだからスプリングスティーンは50歳を過ぎているはずだが、とにかく元気一杯、血湧き肉踊る最高のエンターテインメントショー だった。う~ん、ここまでやるのかと今更ながら圧倒された。一時は、暑苦しくて、古くさくも思えたスプリングスティーンの全身全霊のパフォーマンスが再び 新鮮に感じるられる今日この頃である。

 相馬でのライブは久し振りだった。会場の石の蔵は元々は米蔵なんだそう。鳴りのいいグランドピアノが常設されていて、館内の響きも気持ちよかった。ライブには幅広い世代のお客さんが集まった。この客層の幅広さは地方ならでは。
 最近の自分の表現は再びエモーショナルな方向に向かっている。力むのはよくないけれど、体全体でより肉体的に歌いたいという欲求が高まっている。そのせいもあって、ライブでの体力消耗が大きくなってる。
 この日も振り絞るように歌い、ふり幅広く演奏して、汗をたくさんかいた。ライブ直後は、充実感がある一方で、正直こういうステージを毎日続けるのはきついなとも感じた。しかし、打ち上げの頃には元気が戻って、楽しい宴。
 嬉しい再会、出会いがいくつもあった。病と正面向いて闘うKちゃんの笑顔、ダウン症の男の子との固い握手、引きこもりがちだという若者のときめいた表 情、ライブを主催してくれたEさんのバイタリティーと心遣い、いつもお世話になっているMさんとのさまざまな会話etc.それらすべてが自分に力を与えて くれた。ありがとう。そしてまた。

藤沢界隈を回って江ノ島海フェスの宣伝活動をする

夕方から江ノ島で開催する音楽フェス「UMISAKURA MUSIC FESTIVAL」のフライヤー、ポスター、フリーペーパーを持って、湘南藤沢界隈で馴染みのカフェや飲み屋を8軒回る。
 どのお店でもドリンクを注文して、各お店のマスターとコミュニケーションして回ったので、最後のお店に辿り着いた頃には、アルコールが随分と回って、酔っぱらい状態。
 帰宅したら日付が変わっていた。
 このやり方は続けられないなあ。
 とにかくイベント開催までの空いている時間は、湘南の色んなお店、人を訪ねて、Face to Faceの宣伝活動を続けて行くつもり。
 
 ツアー暮らしの中、各地方で自分が参加させてもらったイベントライブ、街フェスの多くは、草の根のネットワークと、マスプロモーションに多くを委ねないFace to Faceのプロモーションによって成り立ったものだった。
 今度は自分が暮らす街で、同じことをやってみたいと思う。

2009年8月6日木曜日

ナイト・ドリーム・ビリーバー

【場所】大阪 Shangri-La  
イベント名「ナイト・ドリーム・ビリーバー」
出演:リクオ / 有山じゅんじ / ウリョン (from cutman-booche)
 この日のライブ会場シャングリラのブッキングマネージャーは、自らを「シングルマン」と名乗るぐらいの奴だから、こういうタイトルのイベントをやりたいという思いは理解できる。
「長く生きれば、色んな人を見送らないといけない。先日も知り合いが亡くなったばかり。その度に追悼ライブを企画したり参加していたら、年中追悼ライブになってしまうなあ」
 出番前の楽屋で誰かがこんな内容のことを語っていた。そう言いたい気持ちが自分にもわかる気がした。
 悲しみに暮れ続けることも、感傷に浸り続けることも、どこかで終わりにしたい。旅立った人を忘れることはない、繋がりがなくなることはない、ずっと生き続けている。出会いに感謝して、前を向いて歩きたい。
 自分はこの日、ウリョン くんという若い才能に巡り会えた。彼の音楽と自分の音楽は、同じようなもので成り立っていると思った。そして、自分の中にも、有山さんの中にも、ウリョン 君の中にも、あの人が消えることはないし、ブルーズがなくなることもない。
 多分、この日の会場にいた人達は、消えることのない繋がりを感じることができたんじゃないかと思う。
 さあ前を向いて、終わらないブルーズを歌おう。

2009年8月5日水曜日

急遽小田原のイベントに参加

最近の自分は海さくらフェスのプロモーションも兼ねて、湘南の色んなお店や、湘南界隈で行われているライブイベントに神出鬼没しているのだが、この日は小 田原まで足を伸ばし、湘南を拠点に活動するシンガーソングライター、ハットが主催するオープンマイクというイベントに急遽参加させてもらう。
 イベント会場となったジーズキャフェは、三宅伸治さん、友部正人さん、アズミさん、有山じゅんじさん等多くのツアーミュージシャンが出演するミュージックバー。始めて訪れたお店なのに、いろんな繋がりを感じて、最初から馴染んでしまった。
 多分、年内にはこの場所に戻ってこれるだろう。

2009年8月3日月曜日

小坂忠さんとセッション

 横浜サムズアップで行われた小坂忠さんのライブに、おおはた雄一くん、ハミングキッチンのモモコちゃんと共ににゲスト出演させてもらう。
 共演させてもらった9曲の内の1曲「機関車」は随分前からカヴァーさせてもらっていたので、感慨もひとしおであった。恐れ多くも2番を歌わせてもらった。最近のライブの中で、一番緊張したなあ。
 「小坂忠さんとはいつか共演させてもらえる機会が来るだろう」と随分前から勝手に思い込んでいた。やっと実現したようにも思えるし、今がタイムリーだったような気もする。
 忠さんの歌はエネルギーと説得力に満ちていた。枯れた味わいとは違う、アンチエイジングでもない、人生を積み重ねてきた60代の人間だからこそ獲得できるエネルギーを感じた。
 牧師になって、一度は遠ざかっていたポップミュージックの世界に、50代になってから再び戻ってきた忠さんの生き方、人柄、音楽に、もっと触れてみたいという思いが、共演させてもらって、さらに強くなった。
 9月の海さくらフェスでもたっぷりと共演させてもらう予定。