2008年12月29日月曜日

74歳ライブーやっぱり師匠。そして杉瀬陽子発見。

大阪 martha(dinning cafe+goods)
『リクオのスペシャル忘年会!2008』
【ゲスト】有山じゅんじ
【オープニングアクト】杉瀬陽子with酒井宏樹

 1日休養して、昨日よりは少しましになったとはいえ、声は枯れたまんま。まいった。どないしょ。とにかく、やるしかないわなあ。申し訳ないな。
  恒例のマーサ忘年会ライブである。告知していなかったのだが、この日はお客さんへのプレゼントの気持ちも込めて、師匠の有山じゅんじさんにゲスト出演して もらうことになっていた。さらにマーサ側からの強力なプッシュで関西在住のシンガーソングライター、杉瀬陽子ちゃんにオープニングで数曲歌ってもらうこと も決まっていた。当日陽子ちゃんと話していたらマーサと縁の深い酒井宏樹によくギターを弾いてもらっているということなので、急遽彼にも十三から駆けつけ てもらい、ギターを弾いてもらうことにする。
 実は、杉瀬陽子ちゃんに会ったのも、その音楽に触れたのもこの日が始めてだった。それは祈りに満ちた歌だった。楽曲、声、集中力、空気感、どれも素晴らしかった。まれにみる逸材だと思った。4年前にハンバートハンバートを初めて聴いたときを思い出した。
 宏樹とのコンビネーションも「いっそコンビで活動したらいいのに」と思わせる程良かった。
 2人からいい刺激を受けてステージへ。しかし声は出ない。
 発想を転換して、出ないものは出ないのだから、無理に声を振り絞るのはやめることにした。体力も衰え、若い頃より声も出なくなった30年後の自分をイメージして演奏することにした。
 声が出ないからマイクに近づいて歌うのではなく、逆にマイクを遠ざけ自分の生声を感じながら歌うように心がけた。PAスピーカーの音もいつものマーサライブよりかなり小さめ。
  こういう発想でライブにのぞめたのは有山さんの影響もあったように思う。実は、当日のリハーサル中に、客席でオレの弾き語りの音チエッックを聴いていた有 山さんから「オレは前音が大きいと思うけどな」という意見が出たのだ。それで、その意見を聞いて、PAの音量を下げてもらって演奏してみたら、音の奥行き が深まって、より心地よく感じられた。
 この日の有山さんは、アコースティックギターをラインに通したりアンプで鳴らすことはせず、ギターの前に マイクをオフ気味に一本立てるだけで演奏した。そうするとギターの音量はあまり稼げないのだけれど、そのマイクにギター以外の音も混じり合って、実に自然 で奥行きのある響きが生まれた。有山さんのギターの音量に合わせて、自然に自分のピアノの音量も下がった。それで何も問題はなかった。
 こうして74歳ライブへの流れが出来上がったのだ。気付きの多いライブだった。
  自分よりも11歳年上の有山さんは、ますます力が抜け、余計なものがさらに削ぎ落とされてゆく感じ。この日も素晴らしいパフォーマンスだった。
 聞けばこの日で8日連続ライブだと言う。疲れたなどとは言わず、「毎日が忘年会や」と笑顔で話す有山さん。やはり師匠である。
 74歳への道のりはまだ遠いけれど、74歳になったときのライブもきっと悪くないなと思えた。30年後の自分は、力が抜けつつ、それでもまだ葛藤の中いるように思う。いや、そうありたいと思う。
 本編の最後「アイノウタ」を歌う時は声を振り絞った。お客さんが手拍子とコーラスでオレを助けてくれた。ありがとう。そして、ごめんなさい。
 懲りずにまた会いに来てください。
 
 今年はこれにて仕事納め。
 感謝。

2008年12月28日日曜日

餅つき大会

 日中は月の庭で行われた餅つき大会に参加。多分30年以上振りに餅をついたなあ。意外に様になってたように思うんだが。
 月の庭の敷地内では餅つき以外にも舞踏が行われたり、誰かがギターを持ち出してきてライブ演奏が始まったり、いや~、自由な空間やなあ。
 
 夕方に月の庭を出てJRで大阪に向かう。声は増々枯れて高音が出ない状態。今晩はとにかく体を休めて明日のライブに控えよう。

2008年12月27日土曜日

月の庭にて

三重県 亀山市 月の庭 
【ゲスト】中川敬(SOUL FLOWER UNION)/山口洋(HEAT WAVE)

 目が覚めたら激しい頭痛。しかも声が相当に枯れている。やばいなあ。
 渋谷から名古屋を経由して亀山に向かう車中、ひたすら眠り続ける。ツアー暮らしを続けてゆく上で、どこででも寝れるというのは、重要な特技である。亀山に着く頃には、なんとか頭痛がおさまってくれる。しかし、声はまだかすれ気味。
 
 月の庭を訪れるのは今回が始めてだったけれど、月の庭と店主のマサルさんの話は色んな人達から何度も聞かされていた。だから、いつかは縁が繋がって訪れる場所だろうと勝手に考えていた。
 実は、店主のマサルさんは数年の闘病生活を経て、今月の9日に亡くなられたばかりだった。それを受けて、マサルさんの大親友であった中川敬と山口洋がこの日のライブにゲスト出演してくれることになり、必然的に追悼ライブの意味合いが強まった。
 マサルさんにとって、中川敬と山口洋の2人が共作した「満月の夕」という曲はとても思い入れの深い歌だった。マサルさんの葬儀では、高一になる息子のミッキーが三線で「満月の夕」を弾き語った。その光景はYouTubeにもアップされている。
  この日は自分のソロライブではあったけれど、何よりも「満月の夕」の演奏をメインに考えた。まずライブ後半で山口洋がギターを弾かずにオレのピアノの伴奏 のみで「満月の夕」を熱唱。そしてアンコールで中川敬がマサルさんの息子ミッキーを呼び入れ、出演者全員で中川敬ヴァージョンの「満月の夕」を演奏した。 その場にいた誰にとっても特別な夜になった。
 ライブの後、山口洋はミッキーに「ミュージシャンにはなろうと思うなよ」と釘を刺した。それは高校 生の頃にオレが父親から言われた言葉だった。自分はその時の言葉を忘れることはなかったけれど、大学4年になった時に、就職せずミュージシャンを目指すこ とを父親に伝えた。賛成だとは言われなかったけれど、反対もされなかった。
 ヒロシの言葉とは対照的に中川敬は「ミュージシャンになるしかないやろう」と言ってミッキーを煽った。
 オレは「好きにしたらええやん」と心の中でつぶやいた。
 
  月の庭は彷徨い人を惹き付ける魅力に満ちた場所だった。マサルさんの意志は奥さんのカオルさん、若いスタッフ達、月の庭と関わる多くの仲間達に引き継がれて行くに違いない。
 自分はマサルさんとは数度しか会ったことがないけれど、月の庭という場所、そしてこのお店に関わっているさまざまな人達を通して、マサルさんからいろんなものを受け取っている気がしている。
 月の庭にもマサルさんにも、これから何度でも再会するだろうと思う。

2008年12月26日金曜日

南青山でクラブ・ライブ

東京モダニカ vol.8
Presented by OK. PROJECT
南青山 レッドシューズ 
【出演】リクオ/HAO 【DJ】S-KEN/ホッピー神山
 
 風邪をひいてしまったあ。
  この日は南青山のクラブでオールナイトイベントに出演。入り時間が遅いので、会場入りする前に、渋谷で行われていたHEAT WAVEのライブに顔を出す。ライブは後半で既に佳境。会場はとてもいいヴァイブに満ちていた。演奏は骨太で熱く、それでいて柔らかさを感じさせるサウン ド。ロックバンドっていいなあと思わせてくれるステージだった。
 アンコールを見届けてから、急ぎ足で南青山へ向かう。西麻布、南青山界隈に来ることも、いわゆるクラブと呼ばれる場所で演奏することも久し振り。
 会場のレッドシューズは、クラブ文化が日本に定着する以前の80年代に、その先駆けのような存在として西麻布で盛り上がっていたお店で、数年前に場所を移して再オープンした。レッドシューズが再オープンする前、この場所はOJASというラウンジ風クラブだった。
  自分はヘルツをやっていた2000年前後に、そのOJASでクラムボンと共演したり(メンバーのミトくんは当時OJASのスタッフだった)、窪田晴男さん が毎月主催していたオールナイトイベントに参加したりと、この場所によく足を運んでいたのだ。自分にとってOJASはあるタイプの人種と出会えるサロンで あった。
 再オープンしたレッドシューズはOJASの要素を受け継いだお店のように感じた。会場にはオシャレに着飾った男女が目立った。スノッブ を匂わせる男性、セクシャリティを意識した女性。さっきのHEAT WAVEライブの客層とは随分違っていた。HEAT WAVEの会場には地方の雰囲気があった。多分、各地から遠征して来た人も多かったのだろう。
 東京モダニカというイベントは“都会の大人の遊び場”といった趣。この日の出演者である窪田晴男さんやDJのS-KENさん達は80年代からこの界隈を遊び場としてきた人達だ。都会の洗練とスノビズム。こういう雰囲気はちよっと久し振り。
 S-KENさん意外のDJの音は、固くてでかくて耳に痛かった(S-KENさんのDJは場の空気を読み、歌心にあふれていた)。もうこういう音にはついていけないと思った。
 自分の出演は日付が変わってから。ステージの最初、PAトラブルで音が出なかったり、とにかく劣悪な音響の中でのライブだった(リハーサルをやらずに本番ぶっつけだったことも一因だが)。しかも風邪で体調不良。
 それでもモチベーションが落ちなかったのは、この空間に、ある種の猥雑さ、色っぽさを感じていたことが一因だろう。演奏していて、いつも以上に自分の中のオスが開放される快感があった。
 やはり、さなざまな現場に身を置くのが面白い。そうすれば、さまざまな自分に出会うことができる。
 体はヘトヘトになった。めずらしく声が枯れた。
★この日湘南海岸から観た富士山も素晴らしかった。

2008年12月24日水曜日

もっきりやでメリークリスマス

金沢 もっきりや

 先月、もっきりやで行われたアコパルのライブの打ち上げの席で、マスターの平賀さんから「来月のイブにリクオのソロライブをやろう」という提案があって、急遽決まったライブである。
 ツアーのスケジュールというのは大体4ヶ月くらい前には決まっているのが普通なので、一月前にスケジュールが決まるというのは異例である。しかも地方の同じ場所で2ヶ月続けてライブをやるということは、まずない。
 しかし、こういう異例のことをどんどんやるべきだと思うし、こういうことが異例でなくなればよいと思う。半年前にブッキングしたライブもやるけれど、一月前、いや、1週間前に決めたライブだってやればいいと思うのだ。

 もっきりやで空席があるライブは久し振りだった。でもやってよかった。
この場所には何かが降りてくるのだ。多分、もっきりやは新たな自分を発見できる場所なのだろう。
 もっきりやで過ごすイブは格別だった。この夜にしか歌えない歌を歌った。
 染み渡るような夜だった。
 このフィーリングを忘れずにいたいなあ。

2008年12月21日日曜日

やっぱり能代はコール&レスポンス日本一

能代 BambooBamboo Grill 窟
セツナグルーヴ2008東北ツアー
【サポート】寺岡信芳(ベース)/朝倉真司(パーカッション)

 能代は付き合いが最も長く続いている街の一つ。そして、お客さんのリアクションが最も熱い場所でもある。
 この日の客席の盛り上がりはまた格別だった。なんだか日本じゃないみたい。やっぱり能代はコール&レスポンス日本一。この座は当分揺るぎそうにない。
  この日、寺さんと朝ちゃんは用意されていたモニタースピーカーを使わずに演奏した。自分も声など最低限の音だけを返して、なるべくモニターに頼らずに音の バランスを取るよう心がけた。これが演奏にとても良い効果をもたらした。100人キャパのスペースで、しかもバンドスタイルでこういうアプローチで演奏で きたことは自信になった。
 今回のツアーは、ステージで毎回、発見とハプニングがあって、とても新鮮で、収穫が多かった。この3日間で、朝ちゃん寺さんとのトリオ演奏に、すごく可能性を感じた。あらたなスタイルを見つけた感じ。
 
 明日は羽田空港からそのままレコーディングスタジオに直行。某ロックバンドのレコーディングに参加。無理なスケジュールが続いているのだけれど、ありがたいことに毎日が新鮮で、疲労も忘れてしまっている状態。
★Sさん宅にて。朝ちゃん&寺さん。

2008年12月20日土曜日

おひねりライブ

弘前 萬燈籠 
セツナグルーヴ2008東北ツアー
【サポート】寺岡信芳(ベース)/朝倉真司(パーカッション)

 今回の東北ツアーは当初、経費を浮かせるために車移動を考えていたのだけれど、各地の地元の人達から、「東北の冬道は危険だからやめた方がいい」と忠告されたので、電車移動にすることにした。仙台から弘前までJRを乗り継いで3時間ちょいの乗車時間。意外に遠い。
 今年は今のところ暖冬のせいで、移動中、雪景色は観れず。
 弘前駅までSさん夫妻が車で迎えに来てくれて、会場入りする前に、近くのユニクロまで連れて行ってもらいヒートテックと言われる防寒用の下着を3人共に購入。その後、弘前に来たら毎回連れて行ってもらう蕎麦屋に行って、遅い昼食。
 このメンバーだとリハーサルにも時間がかからないから、焦らず遅めの会場入り。
 萬燈籠は30年以上続く青森老舗のライブハウス。このお店をずっと守り続けて来たすみさんは、大病を煩ってしばらく療養していたのだけれど、見た目にも随分と元気になって、毒舌も復活。やっぱ、そうでなくちゃ。
 「What's Love」に収録した「はかめき」という曲は、弘前ですみさんから教えてもらった「はかめく」という方言にインスパイアされたことが一つのきっかけになって生まれた曲だ。
  ライブはのっけから会場全体がグルーヴに乗っかって、いい盛り上がり。この日はステージ後半で、泥酔状態の女性客が千鳥足でステージに乱入。演奏中の朝 ちゃんの胸元におひねりの1万円を入れるというハプニングがあった。よっぽど朝ちゃんのカフォン演奏が気に入ったらしい。
 それでも演奏は中断されることなく続けられ、なんかいつもとは違う高揚感、盛り上がりのライブになった。
 昔のライブハウスって、こういうお客さんがもっと多かった。自分にとってのライブハウスはワイルドネスを開放させる場だから、こういう行き過ぎてしまうお客さんがいても、ある程度は大目に見るべきだと思っている。
 もっと猥雑、もっと不穏な場所でも演奏したいな。

 この日は打ち上げ1次会の途中で酔いつぶれてしまい、2次会に予定していたアサイラムには辿り着けず。3人ともホテルに泊まらず、いつもお世話になっているSさん夫妻宅に泊めてもらう。
★蕎麦屋にて寺さんと。
★打ち上げでの朝ちゃん。

2008年12月19日金曜日

仙台でセツナグルーヴ

仙台 サテンドール2000 
セツナグルーヴ2008東北ツアー
【サポート】寺岡信芳(ベース)/朝倉真司(パーカッション)

 昨日博多から一度自宅に戻って、今日は仙台へ。
 朝ちゃんは大阪からの移動。今日で5日連続ライブとのこと。その割にはオレも朝ちゃんも元気。
 当日会場リハで新曲を初音合わせ。これが、すごくイイ感じ。寺さんも朝ちゃんもリズムの取り方が大きく、絶妙のはね具合。それでいてドライブ感もありファンキー。こういう乗りを理解して実際にプレイできる日本のミュージシャンはほんと数少ない。
 逆に言うと、別の現場でこういう乗りで演奏すると、他の演奏者と乗りが合わないことが多い。朝ちゃんは別の現場だと「リズムをはねずに演奏してほしい」と注文されることが時々あるそうだ。
 朝ちゃん、寺さんと一緒に演奏していると、余計な力が入らない。音を埋めるのではなく、逆に音を抜いてスペースをあけることで、実に楽に心地よくグルーヴに乗っかることができる。 
 サテンドールのじゃじゃ馬ピアノは今までで一番と思われる鳴りのよさで、演奏に応えてくれた。
 本番ではPA機材のリバーヴが故障するトラブルが発生。それは残念なことではあったけれど、そのせいでより歌の響きを意識しながら歌うことができて、新鮮だった。
 自分は今までずっとマイクありき、PA機材ありきで演奏してきたけれど、
機材に頼らず生声でも平気で歌えるようになれるべきだとあらためて思った。
 サテンドールは幸せなヴァイヴに満ちていた。ほんと3人で来れてよかった。
 岡崎ファミリー、シンペイさん、ともちゃん、森田さん、三浦さん、テリー、その他皆さん、いつもありがと。また。

2008年12月17日水曜日

ローカル性についてーHOBO JUNGLE TOUR 終了

福岡 ROOMS
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ

 ライブ会場のある天神界隈は不況など感じられないくらい活気に満ちていた。古い建物は姿を消し、街並は立ち止まることなく様相を変え続けているように見える。雑踏に身を置いていると、博多にいるのか東京にいるのかよくわからない気がした。
  この日は、ライブも東京でやるときの雰囲気に近かった。良い悪いの話ではないのだが、地方でやるときに感じる客席の身内意識のようなものが希薄だった。ま ず距離感、隔たりが存在して、ステージを進めてゆく内にそれらが縮まったり、取っ払われてゆく感じ。色んな意味で博多は都会なんだな思った。
 ステージの途中で客席を少し明るくしてもらった。客席の笑顔を確認しつつ、そのずっと先の世界もイメージしながら演奏した。
 最初からではなく、色んな手を使いながら次第に客席を掌に乗せて行く、そういうプロセスを楽めるステージだった。どんなときも遊び心が大切。

 この日も、地元の人達との打ち上げでは、九州人の強力なローカル性を感じた。それは面倒くさくも愛すべき要素だと思った。
 これからは行政レベルだけでなく、それぞれ個人がローカル性を大切にするような時代に向かうべきだと思う。
 ヒロシと九州をツアーして、地元のローカル性が彼のメンタリティーに多大な影響を与えていることを実感した。

 これにて「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」終了。

 で、2日後には東北ツアー。

2008年12月16日火曜日

「ナイーヴ」「イノセント」「ワイルドネス」ー熊本で敏さんに出会う

熊本 ぺいあのPLUS
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
【ゲスト】野田敏

 この日はヒロシが10代の頃に出会い、大きな影響を受けたという熊本出身のバンド、メインストリートの元ボーカリスト、野田敏さんがゲスト。
  メインストリートというバンドのことは、ヒロシだけでなく熊本出身のピアノマン伊東ミキオ君がその楽曲を数曲カヴァーしているのを聴いていたこともあっ て、以前から知っていた。その音楽性は当時めんたいロックと言われた他の九州出身のバンドのそれとはかなり違っているという印象を持っていた。
 ツアーの1日前にヒロシから敏さんの曲が5曲送られてきた。コード譜を作る必要もあって、その5曲を繰り返して聴く内に、以前から敏さんに何となく抱いていたイメージがより明確になった。その人のパーソナリティーが伝わってくるような歌なのだ。
 送られて来た5曲の中に1曲クリスマスソングがあって、その歌の出だしの歌詞がとても印象に残った。
 「生きてるってなんだろう?」
 こういう根源的な問いかけに向かわざるを得ないメンタリティー、ナイーヴさに共感、親しみを覚えた。さまざまなブルーズに向き合い、問いかけ続けることによってしか生まれ得ない美しさが、どの歌にも存在していた。
 適当にやり過ごすことのできない不器用な人なんだろうなと想像した。当日実際敏さんにお会いして、やはりそのような人だと思った。自分が想像したよりも眼差しの優しい人だった。 
 今の時代、人々は許容性を失い、受け身で単純な物語を好み、ヒステリックに一方向に流されて行く傾向が強まっているように思う。
 けれど、こういう時代だからこそ「生きてるってなんだろう?」という根源的な問いに向き合い、自分を受け入れ、他者を受け入れ、哀しみを乗り越えて、優しさにたどりつけるような生き方が大切なのではないか。敏さんの歌を聴いて、そういう思いを強くした。
 この日のステージは、普段あまり使われていない自分の能力を使ったように思う。そういう力を引き出してもらえる現場にいられることは幸せだ。敏さんに出会わせてくれたヒロシにも感謝したい。
 
 「ナイーヴ」「イノセント」「ワイルドネス」

 自分が好きなロックンロールミュージックにはいつもこの3つの要素が含まれている。敏さんの歌はまさにロックンロールだった。

 ステージが終わってしばらくは動きたくないくらいに疲れを感じた。「人生は祭り」だと言っても、これだけ連日連夜続くとさすがにきつい。
 しかし、2次会では復活して、歌って踊って、大騒ぎしてしまった。
★打ち上げにて。左からヒロシ、敏さん、オレ。

2008年12月15日月曜日

オフのはずが

博多でオフ。
 日中はヒロシが地元福岡の海を見せてくれるということで、海ノ中道まで車で連れて行ってくれる。展望台から眺める景色は、江ノ島から眺める景色と似ていた。
 その後オレは1人で市内の温泉へ。夜はヒロシと彼の地元仲間と合流。軽く一杯のつもりが、結局2件目へ。

2008年12月14日日曜日

緊張と緩和

小倉 GALLERY SOAP
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ
 今回のツアーは九州人3人と一緒に回っていることで、より九州文化、九州人気質に触れる機会が多い。移動中の昼食でも地元の人しか知らないお店に連れて行ってもらえるのが嬉しい。
 この日の小倉も会場入りする前に、すけさんという実に庶民的なうどん屋に連れて行ってもらう。その後はヒロシが小倉に来た時に立ち寄るという喫茶店に。ママさんがいい感じ。常連の寿司屋の大将との会話も弾んで、機嫌を良くしてくれた大将からコーヒーをおごってもらう。
 この日のライブ会場ギャラリーソープはサブカルのニオイのするセンスのよい空間だった。マスターもスタッフも一筋縄ではいかなそうな佇まいである種の味がある。
 PAの松井君は、去年伊東ミキオ君と九州をツアーした時に、スタッフとして一緒に回ってくれたナイスガイ。約1年振りの再会。
 この日は、いつも以上に緊張と緩和の振り幅が大きなステージになった。
緊張の溜めがあるから緩和の開放感が大きくなる。お笑いと一緒である。

2008年12月13日土曜日

博多もん気質

博多でオフ。
 夜はスタッフも一緒にヒロシおすすめのもつ鍋屋へ。一言、美味い。
 その後はオレの行きつけの音楽バーへ。移動日で体を休めるはずが、マスター、ヒロシ、オレの3人でセッション大会になって大盛り上がり。

  しかし博多もんは熱い。そのお店で、たまたま山笠祭りのグループ(『流』と呼ぶそう)の若者達一団が飲んでいたのだが、そのうち会話がどんどんヒートアッ プして、激しい口論が始まった。そこにたまたまカウンターで飲んでいた流の先輩が割って入って、どうにか場をおさめたのだが、ややこしいことに、今度は隣 の席で飲んでいた男性が、その席の会話に割って入ったため、それが気に食わなかった流の先輩が、今度はその男性に対して怒り始めてしまう。とにかくあっち こっちでヒートアップしているのである。ケンカもコミジュニケーションの一つという感じ。
 自分達が帰り際には、さっきまで興奮していた流の一団から「お騒がせしてすいませんでした」と実に丁寧に謝られ、わざわざ表まで見送ってもらう。さすが年上に対しては礼儀正しい九州縦社会である。

2008年12月12日金曜日

満月の夕

佐賀 Restaurant & Cafe 浪漫座
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ

 浪漫座 は築100年を超える歴史民俗館旧古賀銀行内にあるカフェ。ピアノの響きも館内の響きもとてもよかった。
  この日はリハーサルの時から会場に、ヒロシを兄貴と慕う地元の野郎達が何人も訪ねて来た。彼らとヒロシが、なぜかトイレの前に固まってタバコを吸っている 姿は、地方の不良中高生みたいでおかしかった。ヒロシが他の街にいるときよりものびのびとして見えるには、地元九州に戻って来たことも関係しているのだろ う。
 アンコールでオレが「満月の夕」のイントロを弾き始めたら、ヒロシがいきなり抱えていたギターをスタンドに置いて、ピアノの伴奏のみで歌い始めた。遠くへ響く声だった。
 この日は、この曲をこよなく愛していた月の庭のマサルさんの葬儀の日で、偶然にも、満月の夜であった。
★浪漫座 外観

2008年12月11日木曜日

HOBO JUNGLE TOUR再び

長崎 ベイサイドバーR-10
「THE HOBO JUNGLE TOUR 2008」
【出演】山口 洋(HEAT WAVE)&リクオ 

 今年最後のHOBO JUNGLE TOUR。ヒロシと2人での九州ツアーは初。
 長崎は季節が逆戻りしたような暖かさ。
 今回の九州ツツアーは福岡のイベンター、「つくす」さんの仕切り。つくすから米ちゃん&あやちゃんの2人が車移動で帯同してくれる。
 自分は2人とは初対面だったのだが、ヒロシと2人とのいい関係に接していると自分も親しみを感じ、それに乗っからせてもらうことにして、いきなり「ちゃん」づけで呼ばせてもらうことにした。
 ベイサイドバーR-10 は出島ワーフにあるロケーションばっちりのカフェ。マスターの工藤くんは見た目はかなりチャラいけれど、その実、相当に熱い硬派な男のようだ。
 この日はヒロシと新曲を1曲ずつ持ち寄って当日ぶっつけで演奏。たまたまなんだが、どちらの曲の歌詞にも「Life goes on」というフレーズが使われていた。しかもヒロシはオレの楽曲と同名異曲で「光」というタイトルの新曲も書いたという。
 タイトルや歌詞に被る部分があると、逆に両者の個性の違いがはっきりしたりするところが面白い。
 今回はヒロシからライブ中にアルコールを注入しないよう何度も注意されていたので最初はノンアルコールで通す。
  けれど、1部最後、彼のソロでの弾き語りを客席後方で聴いていたら、どうしても一杯飲みたくなってしまい、隠れて飲む。そうすると一杯では収まりがつか ず、どうしようかと考えて、ステージドリンクのペットボトルに焼酎をしこんでもらい、2部のステージにのぞむことにする。
 これで問題なくおさまるはずだったのだが、2部の途中でヒロシのステージドリンクが切れてしまい、彼がオレのペットボトルに手をやってしまう。一口飲んで思いっきり吐き出すヒロシ。
 まかさツアー初日でばれてしまうとは。
  
 この日のヒロシは終始エネルギーに満ちていた。それは恐らくある友人の死を通した生き様がもたらしたものだろう。この日彼が歌った「満月の夕」は自意識を超えて響き合う力があった。





2008年12月9日火曜日

旭川にて

旭川 アーリータイムズ
THE HOBO JUNGLE TOUR 2007
【出演】リクオ(vo&pf.)/山口洋(vo&g.)
 札幌から旭川までJRで移動。車中爆睡する予定が、雪景色に見とれたり、山口と話したりしてる内に、旭川に到着してしまった。
 アーリーの野澤さんが車で迎えに来てくれて、まず連れて行ってもらった場所が“御料の湯”。まあ、オレのツアー先でのパターンです。リハーサル前に雪見風呂。風呂から出た後は、館内の休憩所の畳の上で仮眠。陽が暮れるまで完全スイッチオフ。
  アーリータイムズのグランドピアノはこれまで弾いたなかでも最高のコンディションだった。リハのときに、そのことを野澤さんに伝えると「今回は特に調律と 調整をしっかりやってもらったんだよ」と自慢げ。愛やね。リハが終わっても開場の時間までポロポロとピアノを弾き続けた。心地よい時間。
 今回の ツアーの実現には、アーリータイムズが深く関わっている。山口が今年の6月にツアーで初めてアーリータイムズを訪れた際、打ち上げの席からオレの携帯留守 電に「ここで一緒にライブをやろう」とのメッセージを入れてくれたことがきっかけで、その後話がふくらみ一緒にツアーを回ることになったのだ。
  この日はアーリータイムズという空間に身を委ねてライブをやらせてもらった感じ。前日に続いて、ほんまええお客さん。全列に陣取った女子高生のエネルギー が素晴らしかった。彼女たちの通う高校で山口はライブをやって、えらいキャーキャー言われたらしい。オレも女子校で演りたい!
 後半、演奏途中でぐっときすぎてしまった。きっと山口の情感が移ったからだ。彼とは毎晩違った演奏ができる。毎晩違う自分に気づくことができる。MCで色々とつっこんだり、ぼけたりできるのも楽しい。お互い心ひろなったなあ。
 この日の打ち上げでは自分がDJになった。で、またセッションが始まってしまった。まだやるんかい!まあ、それもよし。
 打ち上げ中に、ミッキー(伊東ミキオ)から電話。奴も打ち上げでえらい盛り上がってる様子。その夜の入間SO-SOでのライブが相当よかったらしい。お互いやってるね~!
★車窓の景色
★会場前、ピアノを弾く山口洋。

2008年12月7日日曜日

懐かしい憧れ

兵庫県姫路市 ジャズ・バー・ライラ

 約2年振りの姫路ライブ。ライラでのステージは初。36年も続いているジャズバーなのだそうだ。こういう色んな思いが染み付いている空間は貴重である。
 やはりこういう場には、一筋縄ではいかない名物マスターが存在して、年季の入ったグランドピアノが置いてあるのだ。多分の自分の年齢よりも上と思われるそのピアノは、決して弾きやすいというわけではないけれど、とても弾きごたえがあった。
  これだけ場から受け取るものが揃っていると、モチベーションが上がる。自分もお客さんも乗せ上手で乗せられ上手。気付いたら長いライブになっていた。自分 はやはりこういう空間が好きなんだなあと思った。ライラは、アングラのニオイがして、「懐かしい憧れ」を刺激される場所でもあった。
 ライブの後にマスターから「ここはジャズの店だけれど、リクオにはまた演ってほしい」と言われる。ぜひ。

 コーゾーさん、クロダさん、今回もアリガトです。

2008年12月6日土曜日

楽器屋さんでライブ

滋賀 JEUGIA 草津A.SQUARE店 店内イベントホール 
「CP300 & CP33 トーク&ライブ~リクオ スペシャル エレピライブ」 
 11月にオープンしたばかりのJEUGIA草津A.SQUARE店内のイベントホールでヤマハのデジタルピアノを使ってのトーク&ライブ。
 陽が暮れる前の開演でアルコールなしのライブ。こういうイベントだと子連れで来られるお客さんが増える。子供の反応って、ほんと素直。やっぱり掛け合いの曲が受ける。あの満面の笑みを観ていると、こちらも幸せな気分。
 ライブ後の司会者を交えてのトークでは、使用楽器の説明やピアノをはじめたきっかけなどを話す。ちよっとしやべり足りなかったかな。
 こういうトーク&セミナー要素を含んだライブを各地で積極的に行って、鍵盤楽器の魅力、振り幅、楽しさ、カッコ良さをわかりやすく伝えられたらと思う。
 他の楽器に比べてピアノを敷居の高い難しい楽器だと思っている人がまだ多いようだけれど、そんなことはないのだ。もちろん奥の深い楽器ではあるけれど、とにかく誰が弾いてもすぐに音が鳴るという点では、管楽器や弦楽器よりもとっかかりやすい楽器だと思う。
  しかも最近のデジタルピアノは、一昔前昔に比べて、驚く程低価格の機種が揃っていて、コストパフォーマンスも高く、音色&タッチもどんどんよくなってい る。持ち運び可能の重量で、スピーカー内蔵、電池式のものまであって、それだとストリートで演奏することも充分に可能である。

 ライブ後はJEUGIAとYAMAHAのスタッフの皆さんと打ち上がって、現場の声を聞かせてもらう。

2008年12月4日木曜日

今を生きるー静岡にて

静岡 UHU
 静岡駅近くの大通りには、きらびやかなイルミネーションが飾られていた。もう年末なんやなあ。

 ライブ直前まで考え事をしていた。ちょっとした葛藤の中にいたのだ。それで、「とにかく今を生きる」という当たり前の結論の元、ステージにのぞむことにした。
  お客さん一人一人の放出するエネルギーがいつもより大きく感じられた。そのエネルギーを比較的冷静に受け止めて、しっかりと循環させることができた。パ フォーマンスはいつもより控えめで、必要以上に客席を煽ることもしなかったのだが、ステージの後半からお客さんが立ち上がって踊り始めた。弾き語りのライ ブではめずらしい光景だ。
 アンコールのとき、お客さんと一緒になって踊っていたオーナーが、客席からこちらに「次回こそは満杯にするから、もう一度UHUに来てください」と大声で叫んでくれた。
 嬉しかった。
  そう言えば、9月に水戸でライブをやったときにも、動員がかんばしくなくって、この街にはなかなか戻って来れないかなと思っていたら、しばらくして、その ときに観に来てくれていたお客さんから「自分がライブを企画したいので、もう一度水戸に来てほしい」という内容の連絡をいただいた。その後、実際にお会い して話を聞かせてもらい、来年の3月に再び水戸でライブをやらせてもらうことになった。
 あのときの自分も確かに、「今を生きる」ことを言い聞かせてステージにのぞんだのだ。
 覚悟はできている。自分の才能も信じている。不安を越えて、今を生き、そして明日へ向かおう。

 ありがとう静岡。また、戻ってきます。

2008年12月3日水曜日

2008年11月30日日曜日

下北朝帰り

渋谷 BYG
「The Piano Night」
【出演】リクオ/山本隆太
 BYG育ちのピアノマン、山本隆太君企画の「The Piano Night」に出演。
それぞれのソロステージもありつつ、2人によるセッションもたっぷりと。 この日はイベントの色にそって、かなり偏った選曲。初披露した新曲に、結構手応えを感じた。大丈夫そう。
 隆太くんは着実に実力と自信をつけて、以前よりも楽しそうにピアノ弾くようになった。
 BYGでのステージは、ホームグランドならではのアットホームさ、安心感と同時に、毎回演奏のクオリティーは落とせないという緊張感の両方があるのがよい。
 ライブの後、そのままBYGで打ち上がった後、2次会は下北沢の馴染みの店を2件ハシゴ。どちらのお店も湘南へ越してから始めて顔を出した。
 昔からの知り合いであるHがやっているバーは、常に、独り身と思われる女性客がカウンター席に座っているのが特徴。そういう女性客が集まるのはHのある種の人徳なのだろう。
  この日もカウンター席で1人寂しそうに携帯を眺め続ける女性客がいた。店内BGMはその女性に聴かせるような'80年前後の歌謡曲&ニューミュージック。 「いとしのエリー」が流れたあたりでその女性の嗚咽が始まった。その様子を別の席で観ていた男性客がその女性の隣に座る。ほっときゃいいのに。そして、し ばらく2人で話した後、一緒に店を出て行くという展開。オレ達は「おいおい」と突っ込み。

 アホな話からまじめな話まで幅広く、夜は多いにふけて、もちろん朝帰り。

 帰りの車内で朝焼けにみとれる。

2008年11月29日土曜日

地元湘南ライブ

今日も夕暮れ時に湘南海岸を散歩。夏の湘南よりも今の季節の方により魅力を感じる。この感性は、40代半ばにさしかかった自分の年齢とも関係しているのかもしれない。

 夜は地元のミュージックバー、サウサリートで演奏する。マスターのジョージさんの人柄と音楽センスに惹かれて、たくさんの音楽好きが集まるご機嫌なお店で、自分が湘南に越して来て以来、最もよく通っている飲み屋である。
  これからは地元で小規模なスペースでのライブを定期的にやっていきたいと思っていて、自分の中ではこのライブがその第1弾という位置づけ。今回はホーム ページ等では告知せず、お店の告知と口コミだけに頼った。地元での小規模ライブの場合はこれからもサイト等では告知しないことが多くなりそう。
  そういう場で新曲をためしてみたり、気軽なセッションをやったりして、楽しみながら自分に栄養をつけてゆけたらと思う。そういう場を通して、地元の人達と のネットワークもより広げてゆくつもり。ローカルミュージシャンとしての基盤を持ちながら、より広い場に出て行けたら理想的である。
 サウサリートは最高の音楽好きが集まる場所だから、ライブが盛り上がらないはずがない。ファンとアーティストという関係性を越えたところで、その場にいたすべての人達と一緒に音楽を楽しんだ。

2008年11月24日月曜日

函館アリガト

函館「喫茶 想苑」

 いや~、よく寝た。浜野夫妻宅快適。まきストーブあったけ~。
 会場入りする前に、2人が所有する畑“panの森”を見学させてもらう。その後は日本海を眺めながらの露天風呂。まだリハーサルまで時間があったので、函館市内を車で案内してもらう。充実した午後である。

 一昨日の札幌くうに続いて、この日のライブ会場である想苑のグランドピアノも最高の鳴りであった。ピアノにはあえてマイクを立てなかった。つまり生音である。理想的な響き、空気感。すごく集中できた。いろんな要素が作用し合って、最高のライブ空間になった。
 ライブの後も、地元の人達と一緒に、夜更けまで飲んで、歌って、踊った。打ち上げ帰りの車の中でも浜野君と一緒にスプリングスティーンを大合唱。
 音楽最高。函館アリガト。

2008年11月23日日曜日

函館前乗り

 ホテルをチェックアウト後、三角山放送局のSくんとHくんが市内にあるオススメの蕎麦屋へ連れて行ってくれる。これがホントうまかった。
 2人に札幌駅まで送ってもらって、汽車(北海道ではJRを汽車と呼ぶ)で函館へ。乗車時間3時間半。思いのほか遠く感じた。東京から岡山くらまで行けるなあ。疲れた~。函館寒!
 明日のライブの主催者である浜野夫妻が駅まで迎えに来てくれて、そのまま市内にある温泉まで連れて行ってくれる。タオルとバスタオルも用意してくれていて、気が利くなあ。ここの温泉、室内風呂と露天風呂、それに水風呂とサウナが2つあって420円って、安過ぎやろ。
 風呂上がりのコーヒー牛乳最高。
 で、その後、2人が連れて行ってくれた居酒屋がまた美味かった。話も弾んだなあ。
 2人は福祉の仕事をしながら、家の近くの“panの森”と名付けられた畑で有機栽培の野菜をつくっている。ここでとれた野菜のニオイ、味は格別だ。
  食の充実って、ほんま大切やよなあと思う今日この頃。酒の席で、日本の食料自給率のことが話題になる。現在の日本全体の自給率は40パーセントを割ってし まっている。昭和35年当時の時給率が79パーセントで現在のほぼ倍だから、この半世紀の間に急激に自給率が落ちたことになる。これって、ものすごく深刻 な問題だと思うのだ。
 県別の食料自給率を調べてみると実は北海道がダントツ一番で100パーセントを裕に越え200パーセント近い数字になる。ちなみに東京はたった1パーセントである。
 日本の中でも特に景気の悪さが目立つ北海道ではあるけれど、この数字だけを見ると、今後、輸入頼みの食料事情と景気の悪化がさらに進んで抜本的な構造改革や価値感転換の必要に迫られたとき、北海道の時代が来るのではないかと思ったりもする。
 福祉にも関わっている浜野夫妻からは、介護の現場の厳しさや深刻な高齢者問題の話なども聞かせてもらう。こういう話が世襲の政治家には届いているのかな。
 今年宮古島に行ったときに地元の人達から、「この島では月給10万前後が当たり前で、15万円を越える人は少数だ」という話を聞いたのだが、その話を浜野君にしたら、「函館もそんなに変わらない」と言われる。

 この日は浜野夫妻宅に泊めてもらう。

2008年11月22日土曜日

札幌でセツナグルーヴ

札幌市街は早くも雪化粧。寒いけど気持ちいい。でも足滑る。

 北海道でバンド.スタイルでライブをやるのは今回が始めて。今まで実現できなかったのは、ぶっちゃけ経費の問題である。
 今回、主催の三角山放送局さん、協賛のピザハットさん、Mくん等の協力でやっと実現することができた。ほんと感謝である。
 くうの音は最高だった。ピアノのコンディションもベスト。素晴らしい空気感。ここでライブ.レコーディングしたら、きっといいものができるだろう。
 寺さんと朝ちゃんは自分の最高のパートナーである。彼らと学くん以上に、自分の目指すグルーヴを理解してくれている人はいない。もっと一緒にツアーを回れたらなと思う。
 とにかく札幌のお客さんにこのグルーヴを体験してもらえてよかった。アリガト。
★左から寺さん、オレ、朝ちゃん。

2008年11月20日木曜日

湘南海岸絶景

 昼下がりと夕暮れ時の2回に分けて湘南海岸を散歩。空気が乾燥して、空がよく澄んでいた。海の色も、越して来てから見た中で、一番きれいだった。
 この日は富士山の輪郭がびっくりするぐらいはっきりと見えて、手を合わせたくなるくらいの美しさだった。日本中の景色を見て回っているけれど、これほどの絶景にはなかなかお目にかかれない。
 いいところに越して来たなあ。

2008年11月19日水曜日

久し振り千葉

千葉市 ANGA(アンガ) 
「~ANGAの夜の過ごし方~」
出演者:リクオ/ANNY PUMP/スミタカツヤ/有松詩織
 久し振りの千葉。湘南からだと、東京をまたいで2時間かかった。遠!
 そして寒。もう冬かあ。先日までの沖縄とのギャップが激しい。
 リハーサルの後、駅前をぶらぶらと散歩。女子高生の化粧濃いなあ。

  ANGAでのライブは、いつも地元の若いミュージシャン数組がオープニングで演奏してくれる。自分の前に演奏してくれたANNY PUMPという2人組の女の子はSEにイノトモの曲を使っていた。彼女達のステージを観てすぐに、アナム&マキからの影響に気付いた。ライブの後に2人と 話しすると、イトノモとアナム&マキのステージをANGAで観て、影響されたんだそう。
 ANGA は地元の若いミュージシャンをちゃんと育てているなあと思う。
 関くん、ありがと。
 今度はゆっくりと打ち上がりたいね。
 また。

2008年11月15日土曜日

ASYLUM2008!!ー最高に楽しくて最後に考えさせられた

沖縄県那覇市 桜坂劇場ホールA
「ASYLUM2008」
「カフェミルトンへのサウダージオキナワ2008」
出演:新良幸人&下地勇/山口洋&リクオ/EPO/沢田としき(ライブペインティング)
  このイベントの首謀者である桜坂劇場の野田君は、これまで内地からのツアーミュージシャンと地元ミュージシャンの両方のライブを沖縄で企画してきた。彼は しばし沖縄から日本各地に足を運び、中央だけでなく地方で音楽文化を育もうと活動している人達との交流を積極的にはかってきた。「ASYLUM2008」 はそうした彼の姿勢が多いに反影されるイベントになった。
 今年の3月、野田君はわざわざ宮城県白石市にあるカフェ.ミルトンまで山口とオレのライブを観に来てくれた。そのときに彼からこのイベントへの出演依頼を受けたのだ。
  この日のホールAのステージには「カフェミルトンへのサウダージオキナワ2008」という副タイトルがつけられた(ちなみに同じ時間帯のホールBではバン バンバザールと比屋定篤子ちゃんがジョイントライブが行われていた)。ホールAの出演者は皆白石にあるカフェ.ミルトンのステージに立ったことのあるメン バー。EPOさんと新良幸人くんとは初対面、初共演である。もちろんミルトンの三浦夫妻もイベントに参加。ミルトン.マスターは開演前、1階のオープンカ フェのデッキで、DJを担当。ママはデッキに立ち、ブラジルのカクテルを皆にふるまった。

 出会い、再会、繋がりに満ちたイベントがス テージに素晴らしい化学反応をもたらしてくれた。特に沢田としきさんによるライブペインティングとのセッションはとても新鮮だった。曲に合わせて、キャン バスの絵が映像を見るようにダイナミックに変化していった。時として絵筆は、演奏に合わせてパーカッションになり、実にリズミカルにキャンバスを叩いた。 曲によっては沢田さんが大きなアクションでエンディングの合図を示してくれたりした。
 アンコールはメンバー全員で「テネシーワルツ」と「満月の 夕」をセッション。新良幸人&下地勇の2人は「テネシーワルツ」をウチナー言葉で歌った。「満月の夕」に新良幸人の三線はすごくはまっていた。 EPOさんのコーラスは曲に華やかさを加えた。実に印象深いセッションになった。
 アンコールの後、オレの紹介でステージに上がったミルトンママ&マスターが、来年の4月にミルトンのある白石で街フェスを開催することを発表した。点と点は確かにつながった。
 ライブの後、サイン会のために表に出ると、カフェのデッキで生音のセッションが始まっていた。お客さん、出演者、関係者らが入り交じって、劇場前の通りでライブの余韻を楽しんだり、飲んだり、語り合ったり、歌ったり。ストリートに音楽が満ちていた。

 この日は打ち上げの盛り上がりも凄ましかった。初対面同士がここまでアホになれるとは。ナイチャー(内地の人間)とウチナンチュ(沖縄人)が入り交じってのバカ騒ぎが夜更けまで続いた。素晴らしい。
  弘前アサイラムから斉藤さん、白石ミルトンから三浦夫妻、飯田からタテちゃん、渋谷BYGから安本さん、相馬の森田レコードから森田さん、長崎のベイサイ ドバーから工藤君、石垣島のすけあくろから今村さん&百ちゃんetc.ほんと各地から多くの人達がこのイベントに集まった。中央ではない場所で確実に音楽 文化は育まれ、つながりはじめている。そういう現場にいられることは、とても幸せだ。
 ほんとお腹いっぱいの1日だったのだが、打ち上げの後にも、さらに考えさせられる出来事が用意されていた。

  2次会のお店に向かう前に、沖縄そばを食べようという話になり、地元のタケチャンが皆を24時間営業の沖縄そば屋に連れて行ってくれた。そこでそばを食い 終えた後、店前の路上にしゃがんで、しばし皆と語り合っていたら、同じそば屋にいた自分と同世代くらいと思われる酔った男性客がこちらにつっかかるような な口調で「オマエらナイチャーか?」と聞いてきた。そうだと応えると、男は「税金は払ってるのか?」「ナイチャーは金儲けばかり考えて、ウチナンチュをば かにしやがって」などとまくしたてはじめた。
 つまり内地の人間が住民票を移さずに沖縄にやってきて、税金も払わずに金儲けばかりして、沖縄を食い物にしている、と言いたいわけだ。彼の訴えはしばらく続いた。
  男性が今の沖縄の現状や自分の境遇を、すべてナイチャーのせいのように語るのはどうかとは思ったけれど、ナイチャーに対してこのような感情、不信感を抱い ているウチナンチュは彼だけではないのだろう。その男性はナイチャーが沖縄のほんの一面にしか目をやらないことに対する不満も口にした。それはその通りな のだろうと思った。
 もしかしたら、翌日に市長選挙を控え、那覇には普段とは違うピリピリした空気があったのかもしれない。訪問者の自分達は、そういうことには無頓着だった。
 話し合いを続けるうちに男性は落ち着きを取り戻し、こちら側に非礼をわびてくれた。
 自分達は沖縄を食い物しようとは露にも思っていないけれど、自分達の無頓着さが結果としてそのような状況をもたらすこともあるのかもしれない。肝に銘じておくべきだと思った。
 なんと濃密な1日。

2008年11月14日金曜日

「ASYLUM2008」開催ーある再会

「ASYLUM2008」は、飯田、弘前、白石、東京、沖縄etc.日本中のさまざまな街から、音楽をはじめとする文化を通してつながった人達が集う街フェスである。
 桜坂劇場の3つのホールと劇場1階路上沿いのカフェ.デッキ、すぐ近くのライブハウス桜坂セントラルらが会場となって、3日間に渡り各地でライブ演奏、ライブペインティング、DJ、映画上映、楽器セミナーなどが繰り広げられるのだ。
 自分のステージは明日なので、この日は観る側として参加。各会場で、SION、山口洋、eastern youthのライブを観る。SIONのライブを観るのはホント久し振り。
 彼のライブを初めて観たのは学生の頃で、場所は京都の磔磔だった。その後、自分のCDデビュー直前に大阪のイベントでSIONと一緒になり、舞台袖で、酔ってゲロを吐いてる姿を目撃したこともあった。95年頃には、SIONのツアーとレコーディングに参加した。
 久し振りのSIONは元気そうだった。声もよく出ていた。相変わらず言葉がよく沁みた。嘘のない真っ当な歌ばかりだと思った。長年の相棒である松田さんのギターも素晴らしかった。
 打ち上げにも参加してSIONと久し振りに話した。かってSIONのツアーに参加した時、最終日の打ち上げの席で彼から言われた言葉を自分はずっと忘れることがなかった。
「リクオは自分と同じシンガーソングライターなのだから、人のバックではなくそちらをやらなきゃいけない」
そう言われて自分は嬉しかった。SIONは自分の気持ちをわかってくれていると思った。だから、今回SIONと再会して自分が歌い続けていることを直に伝えられたのが嬉しかった。今度は同じシンガーとして共演できたらいいなと思う。
 打ち上げの席で、「オレはSIONよりもしぶとく歌い続けると思うで」と言ったらSIONが「うるせ~」と笑顔で返した。

2008年11月13日木曜日

沖縄でアコパルツアー最終日

沖縄県那覇市 桜坂セントラル
「ASYLUM2008前夜祭」
ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
【メンバー】中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)
 アコパルツアー最終日は沖縄公演。自分はこの日から4日間沖縄滞在。
 とにかく暖かい。日差しが明るい。空気がゆるい。まだ半袖で過ごせそう。内地との温度差が大きい分、真夏よりもこの時期の沖縄の方が南国気分を味わえる気がする。
  この日のライブは桜坂劇場が主催する街フェス「ASYLUM2008」の前夜祭として行われた。開演前、明日からこのフェスに参加するシンガーソングライ ターのタテタカコちゃんや、宮城県白石にあるカフェ.ミルトンの三浦夫妻等、方々から集まってきた知り合いと再会。自分の中でお祭り気分が盛り上がってく る。
 自分達の出番の前に地元のバンドが3組出演。その中には、7月に山口と沖縄本島に来たときにもオープニングで演奏してくれたタマシイや、打ち上げで一緒にばか騒ぎしたタケちゃんらもいて、嬉しい再会。3組それぞれが個性豊かで印象に残る演奏を聴かせてくれた。
 沖縄のお客さんは、生活に音楽が根付いているから、最初は大人しくても、いいステージを魅せれば自然に盛り上がってくれる。この日も、まさにそのような感じだった。
 ライブの途中からは沖縄宜野湾在住のヒデちゃん(伊丹英子)が三板(さんば)とお囃子でゲスト参加してくれた。客席で気持ち良さそうに踊る人達をながめながらの演奏はとても幸せだった。
 今回のアコパルのツアーは今までの中で最も弾けたツアーだった。体調を維持できたことが大きい。中川君もコンディションがよかったようで、声もよく出ていた。奥野君の演奏も終始エモーショナル。つまり3人とも調子がよかったのだ。
 中川君と同じステージで歌っていると、自分も触発されて声がいつも以上によく出るような気がする。やはりこういう刺激が大切。
 最近の自分はシンガーとして成長期に入ったように感じる。特に江ノ島で古謝美佐子さんの歌声を聴いて以降、明らかに発声がよくなってきている。古謝さんの歌を聴いて、「声こそまさに共鳴なのだ」ということをあらためて思い知らされ、自分の意識が変わったように思う。

2008年11月12日水曜日

AZUMIワールド堪能

横浜 Thumbs up
AZUMI レコ発ライブ
【ゲスト】リクオ/豊田道倫
 自分にとってAZUMIさんは特別な存在だ。これほどリアルに、何かに突き動かされるように表現する人を他に知らない。
 自分は人のライブを観て泣くことはまずないけれど、AZUMIさんのステージだけは涙腺がゆるんで困る。大げさかもしれないけれど、自分の魂の源がここにあるような感じがするのだ。
 こういう人が存在して、活動を続けてくれていることにとても勇気付けられる。原液のような表現だから、ポップミュージックとしてはなかなか成立しないかもしれないけれど、自分だけでなく、想いを持て余している多くの人達に必要な、届いてほしい音楽だ。
 その音楽性はブルースミュージックの枠を大きくはみだしているけれど、自分にとってAZUMI さんは最高のブルーズマンだ。
 この日のライブで一緒にゲスト出演したシンガーソングライターの豊田君は、AZUMI さんの今回のアルバムのプロデューサーである。彼はきっと素晴らしいリスナーでもあるのだろう。本人に直接「AZUMI さんをプロデュースしてくれてありがとう」と伝えた。
 AZUMI さんと豊田君は共通のニオイがする。他の人が切り捨ててゆく部分こそを大切にしている人達なのだろう。
 この日の自分はAZUMI ワールドの中で、ベストに近い集中力を発揮できたように思う。AZUMI さんとのセッションタイムは他とは比べようのない特別な時間だった。

2008年11月9日日曜日

「元気ですよ!」と自己申告

仙台 retro Back Page
ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
【メンバー】中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)
 去年に続いてのBack Page 。
 去年はアプライトピアノを弾かせてもらったのだけれど、今年はなんとスタインウェイのグランドピアノが用意されていた。半年前に購入したとのこと。調律もばっちり。
 やっぱいい響き。楽しいなあ。あのピアノ、多分オレのこと好きになってるよ。
 というわけで仙台でも多いに弾ける。
 最初、客席後方で見ていた男性客が、ライブ後半で客席最前列までやって来て盛り上がってる姿を見て嬉しくなってしまい、本編最後の「アイノウタ」のエンディングのコーラス部分で客席まで降りて、その男性客と肩を組んで歌う。
 ステージ上で奥野君と中川君が楽しそうにしていると自分も嬉しくなる。
まさに「人生は祭り」という感じのツアー。

  この日の「満月の夕」は「筑紫哲也さんが好きだった曲を歌います」という中川君のMCを挟んでから演奏される。

 ライブの後打ち上がっていたらギタリストの佐橋さんから電話。藤井フミヤさんのツアーでキョンさんと一緒に仙台に来ているので、合流しようとのこと。もちろん!
 ツアー先で仲間のミュージシャンと合流するのって、嬉しいし、楽しいなあ。
★左からDr.kyOn ,

2008年11月5日水曜日

リベンジ.ライブー長野熱狂!

長野 ネオンホール
ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
【メンバー】中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)
 去年のアコパル長野公演は、中川君が風邪で声が出なくなり、自分が全曲歌うという非常事態になってしまった。その日のライブ自体は、マイナスをプラスに転化させるマジックが生まれて、とても印象深いものになったけれど、もちろん同じ事態は繰り返せない。
 それだけに中川君はじめ3人のメンバーもPAの松ちゃんも、この日のライブに対して特別な気合いが入っていたように思う。それは演奏者だけの思いではなかった。
 ありがたいことに、去年のリピーターのお客さんもたくさん集まってくれて、ライブは熱狂的な盛り上がりになった。狭い会場に凄い量のエネルギーが放出され、それらが実に勢いよく循環した。

 打ち上げもライブそのままの勢いで飲んで盛り上がる。自分の中でエネルギーが爆発して、いつまでもおさまらない感じだった。

2008年11月4日火曜日

高岡で温泉

 長野への移動日。
 移動前に前日のライブ会場もっきりやに寄ってお茶する。
 長野への道すがら、皆で温泉に行く段取りを考えていたら、平賀さんが高岡の平湯温泉をすすめてくれたので、そこへ向かうことにする。
 湯につかる前に、高岡で自分がよく行く蕎麦屋に皆を連れて行って腹ごしらえ。高岡は既に冬の寒さで、店内の座敷にはこたつが用意されていて、そこに常連と思われるおっちゃんが寝ていた。
 食事の後、自分達が地図を眺めながら平湯温泉の場所を確認していたら、そのおっちゃんが起き出して、「平湯へ行くより、近くの穂高温泉に行け」と、いきなり口を挟んでくる。その言葉があまりに確信に満ちていたので、急遽変更して穂高へ向かうことにする。
 その後、おっちゃんが「仕事は何をしてる」と聞くので、ミュージシャンだとこたえると、再びおっちゃんから「これとは関係あるのか?」とテレビの方をさして聞かれる。そのとき丁度ワイショーで小室哲哉逮捕のニュースを流していたのだ。
 こちらが「関係ない」と答えると、おっちゃんから「売れてなさそうだしな」と言われる。しかもその後奥野君はおっちゃんから「(小室哲哉と)似てるな」と言われていた。
 奥野くんの話によると、小室哲哉逮捕の後父親からも電話があり、「同じキーボードプレイヤーやけどおまえは大丈夫か?」と問いただされたそう。
 自分が90年代の小室哲哉のような状況に置かれたときに、今の心持ちを維持できるのか?想像しようとしてみたけれど、想像しきれなかった。
 
 お店を出た後、いくつかの峠を越え、紅葉の美しさに見とれながら川沿いの穂高温泉へ。
 いいお湯でした。
★蕎麦屋の前で。
★紅葉を背景に眠る奥野君。

2008年11月3日月曜日

「ベラ.チャオ」と「同期の桜」

金沢 もっきりや
ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
【メンバー】中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)
 前日のライブの主催者である渡辺くんに車で金沢まで送ってもらい、近江町市場で寿司を食ってから、会場入り。

 もっきりやは、いつ何時誰と来ても、旬な時間を過ごすことの出来る素敵な空間。この場に来るといつも力を引き出してもらう感じ。
 この日は、ライブ前半で中川君の三線の弦が切れて、しばらく演奏が中断されるアクシデント。でもライブって、こういうハプニングが盛りあがるきっかけになったりするのだ。
 三線は弦の張り替えに時間がかかるので、その間自分がトークで間をつなぐ。これが結構受けて、弦の張り替えが終わった後もしばらく話し続ける。

 アコパルツアー2日目にして演奏のクオリティーがぐっと上がった。メリハリの効いたいい演奏ができた。
 この日は、マスターの平賀さんのリクエストに応えて「ベラ.チャオ」や「インターナショナル」といった革命歌を演奏。こういう曲って、盛り上がるなあ。曲の構造自体が参加一体型という感じ。 
 どちらの曲も演奏していて、とても高揚するのだけれど、少しの違和感が残るのも事実だ。それは、自分がデモや集会に参加したときにきっと持つであろう感情だ。

  そう言えば「ベラ.チャオ」を演奏して、思い出したことがある。自分が幼い頃、同居していた父方の祖父が、一緒にお風呂に入った時によく「同期の桜」とい う軍歌を聞かせてくれていたのだ。祖父は寡黙な人で、自分は風呂場でしかその歌声を聴いたことがなかった。かって、職業軍人であり、シベリアにも抑留され ていた祖父が、何か特別な思いを持って、自分に歌って聴かせていたのではないかと思う。
 「ベラ.チャオ」はパルチザン(抵抗運動や内戦、革命戦 争における非正規の軍事活動、組織、およびその構成員)への参加を決意した男性が死を覚悟して、恋人に別れを告げるイタリア生まれの歌である。そして「同 期の桜」も死を覚悟した航空隊員の歌である。パルチザン.ソングと日本の軍歌を並列して語ることに抵抗を感じる人もいるかもしれないけれど、どちらも「大 義のため、守るべきもののために自分を犠牲にして、殺し合いの場に赴かねばならない」という不幸な背景を持つ歌であるという点で共通していると思う。自分 はこれらの歌に感じ取ることのできるヒロイズムに酔うことには躊躇を覚える。
 自分には革命家的な気質があまりないと思うけれど、ある時代ある場 所に生まれれば「インターナショナル」や「ベラ.チャオ」を歌いながら、拳を振り上げたのかもしれない。あるいは戦前の日本に生まれていれば、八紘一宇を 夢見てお国のために身を捧げようとしたのかもしれない。
 「インターナショナル」や「ベラ.チャオ」を選曲する中川敬のセンスやある種の問題意識は、現在の日本のミュージシャンの中では希有だ。

 打ち上げのときに、マスターの平賀さんから提案があり、急遽12月24日のクリスマスイブに、もっきりやでライブすることが決まる。

★もっきりやのマスター、平賀さん。

2008年11月2日日曜日

高岡再び

高岡 カフェ・ポローニア
 音楽が好きで、バカになれて、行動を起こせる人間が街に1人いるかいないか、音を奏でることができて、人が集まれる場所が街に一つあるかどうか、なのだ。
 高岡には、渡辺君というぐっさん似のパワフルな男がいて、ポローニャという素敵なカフェがあった。だから自分は再び高岡に戻ることができた。
 再会した渡辺君もスタッフの女の子達も皆元気そうでなにより。この11ヶ月の間にまさみちゃんは結婚して、渡辺くんには2人目の子供が生まれた。おめでとう。
 前回は京都で和食の修行中だったマスターと初対面。ちょっと気恥ずかしそうな笑顔がなんともチャーミングな人だった。メニューに和食テイストを取り入れての再オープンは3月頃になりそうとのこと。
  ライブにはたくさんの人達が集まってくれた。去年の12月に山口と始めてポローニャに訪れたときも素敵な夜だったけれど、今回は前回以上にお客さんがライ ブの楽しみ方を心得ていて、受け身ではなく積極的にライブ空間をコーディネイトしようとしているように感じた。一回一回の開催を大切にしながら、定期的に ライブ.イベントが続けられてきた成果であることは間違いない。
 日本中の一隅で確実にライブ文化が育まれていることを実感する。
★ピアノの上にミラーボール

2008年11月1日土曜日

続きましてアコパルツアー

京都 磔磔
ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
【メンバー】中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)

 HONZIイベントの翌々日には大阪に向かい、アコパルのリハーサルを2日間行って、今日がツアー初日。息つく間もない日々。この一月で一体、何人の人と会って、何曲演奏してるんだろう?
 当たり前のことなんだが、共演する人それぞれに乗りが全然違う。心も体もしなやかに、その違いを楽しもうと思う。
 この日は、客席が最初から出来上がってる状態。集まったお客さんが最初から開放空間を用意してくれていた感じ。こら、乗っかるしかないわ。お客さんも演者もお互い、乗せ上手の乗せられ上手。
 ツアー初日ならではの手探り感を吹っ切る感じで、弾けさせてもらった。
老若男女が、ええじゃないかと楽しんだ。
★ ライブ前。楽屋にて。

2008年10月28日火曜日

サンキュー!HONZI

「HONZI LOVE CONNECTION」
東京 吉祥寺Star Pine's cafe 0422-23-2251
【27日出演者】鈴木亜紀/良原リエ/早川義夫/中川五郎/南谷朝子/有山じゅんじ/伊藤ヨタロウ/RIKKI/オオニシユウスケ/リクオ/茂木欣一(フィッシュマンズ)/柏原譲(フィッシュマンズ)/坂本弘道/あずみけいこ
【28日出演者】NINO TRINCA/トモフスキー/三代目魚武濱田成夫/熊坂義人/スパン子/沖 祐市/リクオ/茂木欣一(フィッシュマンズ)/柏原譲(フィッシュマンズ)/原田郁子/鈴木亜紀



 みっち。からHONZI追悼ライブの相談を受けたのは、年始の頃だったように思う。もちろん自分も参加しなきゃいけない企画だとは思ったけれど、正直、自分が中心になって仕切るとなると荷が重いなあとも感じた。
 HONZIのあまりにも幅広い活動や交際範囲を把握しているのは多分旦那のイデイ君ぐらいで、それらを把握して、自分が知らない人達とコンタクトをとりながら、企画内容を考え、進行させてゆくのは、かなり大変な作業になることが想像できた。
 企画を立ち上げるに際して、単なる追悼ライブ以上に前向きな意味合い、趣旨がほしいと思った。湿っぽい追悼ライブにはしたくなかった。
 「HONZIと関わりのあったアーティストが集まり、共演することで、新たな出会いが生まれ、新しい音を奏でることができたら」「HONZIが残してくれた音楽、彼女の音楽に向き合う姿勢を、多くの人達に伝えられたら」
そんな思いでイベントを立ち上げることにした。 
 その後、HONZIのダンナのイデイ君や、早川義夫さんのマネージャーの新見さん、現在スカパラで活躍するフィッシュマンズの茂木欽一(ドラマー)くん等に連絡をとって、イベントへの参加、協力をお願いした。
  茂木欣一くんとは初対面だった。HONZIからフィッシュマンズの話はよく聞いていて、CDも聴いてライブも観に行っていたのだが、本人に直に出会う機会 は今までなかった。下北沢の喫茶店で初対面して、すぐ彼に「これからはお互い敬語を使うのをやめよう」と提案した。彼はその提案を受け入れてくれたので、 自分は彼のことを「きんちゃん」と呼ぶことにした。きんちゃんは自分にそんな提案をさせるくらい、気さくでオープンな人間だった。
 HONZIの活動範囲はあまりにも幅広いので、彼女が関わったすべての人に出演してもらうことは不可能だった。それで、来年以降も企画が続くことをある程度想定して、ブッキングを考えることにした。出演交渉は比較的スムーズに進んだ。皆喜んで出演を了承してくれた。
 企画の目玉の一つとして、きんちゃんとオレ、そしてもう1人のフイッシュマンズのメンバーであるベースの譲くん(柏原譲)がセッションバンドを組んで、他出演者とHONZIのレパートリーを中心にセッションすることにした。
 リハーサル初日、早川義夫さん、坂本弘道さん(チェロ)らとのセッションの後、きんちゃんと2人で下北で飲んだ。2人でこの日のルハーサルでのセッションの興奮を語り合った。黒糖焼酎「れんと」のボトルがほとんど空いた。
 イベント当日の感想など書いていたら、あまりにも長くなってしまう。ほんとに濃密で出会いに満ちた素晴らしい2日間だった。
 出演者は皆それぞれが、独自の色気を放っていた。「人柄に音楽が溢れ、音楽から人柄が滲み出ている」そのような人達ばかりだった。
 きんちゃん、ゆずるくん等とのセッションは素晴らしいものだった。最大の集中力を発揮して、いつもは出せないような音が奏でられた。久し振りに再会したエンジニア、ザックのPAは素晴らしかった。このイベントでのサウンド面での彼の力はものすごく大きかった。
 HONZIは「お仕事」では音楽をやらなかったんだと思う。音楽を通じて人間同士の付き合いをしていた。だから、こんなにもたくさんの人達に愛されたんだと思う。
 多くの出演者がステージでHONZIの逸話を楽しそうに語った。誰も湿っぽくならなかった。HONZIとの出会いに感謝し、その場で音楽を奏で、共鳴することを皆心から楽しみ、味わっていた。
 HONZIとはお互い、夢中で遊んでるような感じで音楽をしていた気がする。彼女はいつでも垣根を超えてこちらにやって来てくれた。
 楽しかったなあ。
 彼女と一緒に演奏した人達はみんな自分と同じような気持ちになっていたんだろう。
 この企画を通じてHONZIからたくさんの贈り物をもらった。関わらせてもらえてほんとによかった。繋げていきたいと思う。




★左からフイッシュマンズの欽ちゃん、オレ、三代目、ニーノの上田くん、PAのザック、クラムボンの郁子ちゃん、BBBBのヤッシー。

2008年10月25日土曜日

次はHONZIイベント!

 すごく忙しい。
 体力はなんとか大丈夫なんだが、やること多過ぎて頭がついていかん。時間がない。
 だから日記も長いのは無理。

 T&Aが終わった後は、HONZIイベント。やはりこれは自分が関わらなければいけない企画。
 昨年亡くなったヴァイオリン奏者のHONZIとはお互いが学生の頃に知り合った。特に、90年代半ば過ぎまでの自分の音楽活動には欠かせないメンバーだった。長く続いてゆくキャリアの中で、また彼女と一緒に演奏するもんだと思っていた。去年までは。

 T&AライブとかHONZIイベントとか、最近自分の過去と向き合わされる機会が多いのは偶然とは思えない。

 今日は元フイッシュマンズ、現スカパラのドラマー、きんちゃん&これまた元フイッシュマンズ、ベースの譲くん、そしてクランボンの原田郁子ちゃんとリハーサル。
 みんな、素晴らしいよ。
 そらもう楽しむしかないわ。

2008年10月23日木曜日

20年の時を経て

京都 拾得
Little T&A 復活祭
外村伸二(vo&g)/リクオ(key)/ 西山元樹(g)/ 片平マサトシ(dr) 浅川ユ?スケ(b)/ guest:浦山直樹

 学生時代にやっていたバンド、Little T&Aの一夜限りの復活ライブ。
 お客さん来てくれるか心配だったけれど、ふたを開けてみれば満員盛況。懐かしい顔がたくさん。皆思い入れを持っていてくれたんやな。
 20年の時を経て再び皆と同じステージに立てるなんて、最高だ。
 やはりこの20年、皆それぞれ紆余曲折、いろいろありました。昔はかなり傷つけあったりもしました。こうやって再び集まるのには、やはり20年の歳月が必要だったのだろう。
 元気に再会できて、ほんまよかった。
 いろんな呪縛から解き放たれて、皆が素直な気持ちでロケンロールしまくった。うん、確認できた。
 楽しくて、とても貴重な時間だった。
 
 さあ、また戻るべき場所に戻って、やりまっせ!

2008年10月22日水曜日

大阪でLittleT&Aリハーサル

一夜限りの復活ライブを明日に控えて、LittleT&Aのメンバーが大阪に集合してリハーサル。
 リハの後はメンバーと飲む。酔って盛り上がってくると、乗りが学生時代に戻る感じ。オレも含めて、皆変わらずアホなままやなあ。
 でも、お互い前よりも頑さがとれて素直になった感じ。
 楽しいひと時。

2008年10月19日日曜日

松山満員御礼

愛媛県松山 「MONK」
【サポート】朝倉真司(パーカッション)
【オープニングアクト】中川千夏
 この夜のライブの大成功は梶虎君達地元スタッフの皆さんの熱意の賜物である。これだけお膳立てを整えてもらえたら、当然モチベーションも上がる。
 ライブは関わったすべての人達と一緒に作ってゆくもんである。 
 朝ちゃんには、このライブのためだけに松山まで来てもらった。考えてみると2人きりでのライブって、2年振りなのだ。すごく新鮮だった。

 オープニングで演奏してくれた中川千夏ちゃんの歌には、どきっとさせられた。切実な音楽だった。
★梶虎君、朝ちゃんと。左は梶虎君がレンタルしてくれたミラーボール。大活躍でした。

2008年10月18日土曜日

松山と言えば道後温泉

夕方に松山着。
 明日のライブの主催者梶虎くんの運転する車で、松山駅から道後温泉に直行。ゆっくりお湯につかってから2人で食事。
 梶虎君と出会ってもう10年になる。当時の彼は関西の大学に通う学生で、ヘルツのライブに来ては踊り狂う元気な若者だった。10年たった今もみなぎるバイタリティーは変わらないように見える。
 明日のライブのチケットはソールドアウトとのこと。ひとえに梶虎君と地元のスタッフの人達のプ熱いロモーションのお陰である。

2008年10月17日金曜日

ブギ★ナイト初登場

香川県 三豊市 ブギ★ナイト
 この日も気持ちよい秋晴れ。今回のツアーは晴天続き。
 高松からJR在来線に乗って三豊へ。こういうツアー暮らしをやっていなければ、なかなか来る機会のない土地だ。
  ライブ会場のブギ★ナイトは鉄板焼き屋さん。先日の阿南と同様に、ここも店の回りはのどかな田園風景。マスターの湯田君は大阪から地元に帰ってきて今年店 をオープンさせたばかりの32歳。ブギ★ナイトという店名は三宅伸治さんのモジョクラブ時代の曲名からきている。先月には、三宅さんのライブをブギナイト で実現させたそう。
 店内に入るとすぐに陳列された焼酎のボトルが目に入る。その中に麦焼酎の兼八と泰明が並べられているのを発見。実はこの2つが自分が最も好きな焼酎なのだ。打ち上げのお酒は決定やね。

 客席にはこの日のためにステージが特設され、壁には自分を歓迎してくれるベニヤの看板が吊るされていた。こういうの嬉しいもんである。
  ライブには2歳から83歳のおばあちゃんまで実に幅広い世代のお客さんが集まった。客席の中で今までオレの音楽を聴いたことがある人は少数だと思われた。 こういうシチュエーションでは、お客さんが参加できる曲と曲間のMCをいつもより増やして、オスモード、ラブソングはいつもより控えめにする。

 男女間の歌って、つきつめてゆく程反社会的な要素が強くなってゆく気がする。そういった反社会的、アウトローな要素をどこまで強くするかは、ライブの空気や客層によって変えている。

 昨夜の高松とはまた違った乗り。とても素朴て暖かい空間だった。はじめての街で、とてもよくしてもらった。

 打ち上げもブギ★ナイトで。焼酎の水割りを頼んだらジョッキで出てくる。飲み過ぎてまうなあ。
  その席で流れていたレヨナのライブアルバムがすごく良かった。彼女の開放感がとてもよく伝わってきた。バンドの演奏も素晴らしい。まさに本領発揮のアルバ ム。湯口君がレヨナのファンだと言うので、その場でレヨナに電話して、アルバムへの感想を伝えて、湯口君とも話してもらう。

 打ち上げの後、ホテルにチェックインして部屋でパソコンに向かいキーボードを叩く。仕事をいつくも抱えていて、ツアー中にこなさないと間に合わない。打ち上げの後に仕事しなきゃいけないのはちとつらいなあ。