2016年5月14日土曜日

熊本、大分の地震から一月を経て 

★熊本、大分の地震から一月を経て 

4月15日。アルバム発売記念ツアー初日の鹿児島公演の打ち上げを終えて、ホテルに戻り、クールダウンし始めた頃に、地震を知らせる携帯の警告音がけたたましく鳴り響いた。その数秒後に、かなり強くて長い揺れがやってきた。14日、熊本での震度7の地震直後の揺れだから、震源地が熊本であることはすぐに想像できた。
その後は、テレビをつけっぱなしにしつつ、ネットでの情報を追い続けた。鹿児島市内にいても強い揺れを感じたので、川内原発の状況も気になった。次第に、今回の地震が14日の地震を上回る被害をもたらしていて、熊本のみならず大分でも強い揺れがあり、かなりの被害が出ていることが明らかになってきた。その間も、余震が頻発し、携帯の警告音は夜明けまで繰り返し鳴り続けた。
ツアー2日目、明日のライブ地は熊本市だった。それまでは、予定通りライブを行うつもりでいたのだけれど、夜が明けるまでには、ライブができるような状況ではないことを理解した。早朝に熊本のライブ会場BATTLE-BOXのオーナー林田さんと連絡を取り合って、ライブは中止ではなく延期とすることを確認し合って、その旨の告知を急いだ。
林田さんによると、お店には相当の被害が出ていて、まだ強い余震が続いているとのこと。熊本の知人達と連絡を取り合うかどうか迷いながら、数人に連絡を入れる。ある知人は、強い余震が続いているので、車中泊しているとのこと。

17日のライブ地は博多だったのだけれど、この地震によって、JRは運行を中止し、既に陸路を経たれた状況だったので、急遽、ネットでエアチケットを予約し、一睡もしないまま、熊本空港から午前の便で福岡に向かった。
移動中は、なんとも複雑で重たい気分だった。仕方ががないことと思いながらも、熊本と大分の状況を想像して、後ろめたさがつきまとった。5年前の東日本大震災、福島第1原発事故直後の気分がよみがえった。
博多に到着したら、ホテルに荷物を預け、近くのカフェで一服した。少し気持ちが落ち着いたと思ったら、クラクラとめまいがした。と思ったら余震だった。

翌日の福岡・BASSICライブは、予約キャンセルが多く出た。来る予定だった知人から連絡があり、家族が外出を心配しているので、行けなくなったとのこと。
この夜、集まってくれたお客さんの盛り上がりは特別なものだった。こういった状況の中で、皆が希望を求めていたのだと思う。
ライブ後半で「新しい町」を歌っている最中に、涙腺がゆるんで、声が上ずってしまった。そんなことではダメだと思った。
東日本大震災から2ヶ月後に被災地入りして、もの凄い被災状況を見て回ったときは、心にリミッターがかかったみたいで、一切涙が出なかった。それらは感傷を許さない光景だった。

博多の夜は長かった。地元の知人、打ち上げで合流した大柴広己らと多いに飲んで語り合ったはずだが、飲み過ぎたせいであんまり覚えていない。
翌日、ヘトヘトで帰宅して、少し気を抜いたら、いろんな気持ちが押し寄せてきてズンと落ち込んだ。ああ、これはやばいなあと思った。しかし、落ち込んでいる余裕がないくらい、その後のスケジュールは立て込んでいた。
取り急ぎの結論は、とにかく寝ることだった。
翌日、目が覚めたら、昨夜より気分が前向きになっていた。気を落ち着けて頭の中を整理しながら、焦らず一つ一つに丁寧に対処してゆくよう心掛けた。その後もキャンペーンとツアーに負われる日々が続いた。それがよかったのかどうかわからないけれど、余裕無いままに気持ちは安定して、日々がどんどんと過ぎていった。

ネット上では、鹿児島の川内原発がこの地震を受けても稼働し続けている事への是非が盛んに問われていた。平行線をたどる議論を追いながら、原発の問題は、思想とか知識以前に、感受性の問題ではないかと思った。
自分は、こういう地震があったりすると、余計に原発を早く止めてほしいと願う。でも、止めたからそれで安全というわけでもなく、廃炉までには何十年も時間を要してしまう。かかる費用も莫大だ。
「ほんまに、えらいもんつくってもうたなあ、えらいもんに頼ってもうたなあ」と、つくづく思う。立ち入ってはいけないところまで、人間は立ち入ってしまったんではないかという気持ちになる。欲深さと傲慢が、人間が本来備えていた「畏れ」を麻痺させている気がする。自分の感覚も普段は麻痺しているのだろう。やっぱり忘れていいことと、忘れちゃいけないことがあるんではないか。あれから何を終わらせて、何を始めたんだろう、そんなことをあらためて考えさせられた。しかし、日々の中で、こういった感覚がまた薄れてしまいそうだ。

震災からもう一月も経ってしまったなあと思う。熊本と大分ではまだ余震が続いていて、被災地で暮らす人達は今も不安な日々をすごしている。
先日、熊本・BATTLE-BOXのオーナー林田さんと連絡を取り合って、延期になったライブの日程について話し合った。お店は現在もまだ復旧には至っていないけれど、8月には延期になったライブが行えそうだ。

最近、2011年3月の東日本大震災の直後に、松山千春さんがラジオで述べたという言葉を思い出している。

知恵がある奴は知恵を出そう。
力がある奴は力を出そう。
金がある奴は金を出そう。
「自分は何にも出せないよ」っていう奴は元気出せ。

大きなことは言えないけれど、被災地の知人達、お世話になった人達の顔を思い浮かべながら、まずは元気でいようと思う。
この一月の間、余裕のない日々を過ごしていたのだけれど、せめて地震直後からの自分の気持ちくらい、書き留めておこうと思った次第。さあ、これからステージ。全身全霊でのぞみます。
ー2016年 5月14日 那覇にて