2011年12月30日金曜日

年の瀬に、釜ヶ崎を訪れる

関西が誇るボッサ演歌のオリジネイター、カオリーニョ藤原に誘われて、久し振りに釜ヶ崎を訪れる。カオリーニョと動物園前駅で待ち合わせして、まず、難波屋という立ち飲み屋に連れて行かれ、日中から飲む。
 難波屋はカウンター席の奥の部屋が、ライブスペースになっていて、定期的に投げ銭ライブが開催されているのだそう。近年、釜ヶ崎界隈には多くの表現者が移り住んでいて、街の中にいくつものライブスポットが点在しているのだそうだ。
 それにしても難波屋の値段の安さには驚いた。やはり、ドヤ街ということで、物価は他の街よりも相当に安い。
 ひとしきり飲んだ後、お店のスタッフのSちゃんとカオリーニョに、街を案内してもらう。「じゃりん子チエ」の舞台にもなった萩之茶屋町から越冬闘争開催 中の三角公園(この公園で毎日炊き出しが行われている)を経て、飛田新知(表向きは料亭が立ち並ぶ色町)を通り抜け、新世界(歓楽街)まで、小1時間。目 にうつる全てが新鮮で、強力な印象を受けた。街が発散するニオイ、むき出しの佇まいに圧倒された。そして、短時間で色々と考えさせられもした。この街に接 したら、日本が抱える矛盾、ひずみを感じざるを得なくなるだろう。
 また、釜ヶ崎を訪問したい、色んな人をこの街に連れてきたい、と思った。

2011年12月29日木曜日

音楽と共に在る喜び

 2011年の仕事納めは、大阪にてケイヤンとのコンビで、ネイブとマーサでのライブイベントを掛け持ちする。
 ネイブのイベントは、年内でネイブを卒業するネイブ・スタッフ堤野君の卒業記念イベント。毎夏に大阪で開催されるサーキット形式イベント「見放題」のス タッフでもある堤野君には、ここ数年、色々とお世話になってきた。彼がネイブを卒業する理由はよく知らないし、これから何をするかも聞いていないけれど、 きっとこれからも地域に密着しながら音楽との関わりを続けてくれるのだと思う。
 堤野君、お疲れさん。そしてこれからもよろしく。

 オレの年末ワンマンライブと連日で行われるマーサの周年イベントも恒例化してきた。夕方からイベントが開演して、マーサにゆかりのミュージシャン10数 組が、それぞれ3曲づつ、リレー形式で演奏してゆく内容。今年はマーサ社長片平の高1の息子、泰斗が、親子競演でデビュー。エレキギターを弾く姿が実に 初々しかった。彼が生まれた頃から成長を見続けているので、この日の親子競演は感慨深いものがあった。
 イベントの最後は、オレとケイヤンのデュオで盛り上げた後、二人がホスト役になって、さまざまな出演者が入り乱れてのセッションタイム。
 そのセッションに、学生時代に一緒にバンドをやっていた外村伸二、西山元樹、マーサ社長の片平が参加していたのが、とても感慨深かった。彼らとバンドを 始めたことが、自分の今に至る音楽活動の原点だと思っている。出会ってから26年の歳月を経て、こうやってまた一緒に音を交わし合えることが、ほんとに嬉 しかった。
 外村伸二が今年21年振りにリリースしたアルバム「ストーリーズ」は、特に同世代の人達に聴いてもらいたい染み入るアルバムだ。自分も1曲、参加してます。

 2011年は、あまりにも大きな出来事があって、まだ重々しいものを抱えたままだけれど、だからこそ余計に、音楽と共に在れたことを、ほんとにありがたく思う。
 2011年に抱えた思いを、来年はさらに形にしてゆきたいと思う。
 
 この日もライブの後、多いに打ち上がり、朝方迄セッション大会。

2011年12月28日水曜日

年末恒例、マーサでスペシャル忘年会

『リクオのスペシャル忘年会 2011!』
【会場】大阪 martha(dinning cafe+goods)
【ゲスト】 キムウリョン(元cutman-booche)
 恒例になっているマーサでの年末ライブ、今年のゲストは元cutman-boocheのウリョン。
 バンドを解散して約1年。最近はソロでの弾き語りライブを精力的にやっているようで、その成果がこの日のステージにも表れていた。半年前に共演した時に 比べて、彼ならではの弾き語りの色が出てきたように感じた。サンプリングを使っての演奏は新鮮で、とても効果的だった。声の魅力、リズムの良さは相変わら ず。洗練、スタイリッシュと土着、泥臭さが同居しているところが、同世代のミュージシャンには見られない彼の個性の1つになっている。同じステージで、憂 歌団とフイッシュマンズの楽曲をカバーするミュージシャンって、なかなかいないと思う。
 一昨日に共演したシェキナベイベーズに対しても同じ感覚なのだけれど、ウリョンとは世代が随分離れていても、音を交わす上での共通言語がたくさんある。 もちろん、世代の違いからくるであろう感性の違いもあって、それが自分に新鮮な刺激を与えてくれてもいる。世代の違う人間と、リスペクトを持って音を交わ し合えるのは、とても幸せなことだと思う。自分が、ウリョンの元相方コミヤンと、来年からバンド活動を始めるというのも、何とも不思議な巡り合わせだ。

 1年前、マーサにやってきたアプライトピアノは、1年かけて、お店と何人ものピアノ弾きに愛でられて、格段に鳴りがよくなっていた。マーサならでは、そして2011年の年末ならではのライブができたように思う。
 忘年会ライブとはいえ、今年は忘れられない、忘れちゃいけないことがたくさんあった1年だったなあ。

2011年12月26日月曜日

シェキナベイベーズは、ええで!

大阪市塚本 ハウリンバー
「~シェキナパーティVol.5~」
【出演】高木まひことシェキナベイベーズ/リクオ
 シェキナベイベーズとは、彼らがバンド結成したばかりの5年程前からの付き合い。彼らとは、これまでも関西圏で共演する機会が何度もあったけれど、それ以上に一緒に飲む機会が多い。世代を超えて、大阪での最高の音楽仲間だと思っている。
 彼らが自分達のイベントにオレを呼んでくれたことが、とても嬉しかった。ハウリンバーはメンバー全員がお世話になっている彼らのホームグランド。自分は 初めて訪れたのだけれど、お店にもマスターのつるちゃんにも、すぐに馴染んだ。とても居心地がよかった。
 ライブは素晴らしい盛り上がりになった。シェキナの、演奏、歌、楽曲、パフォーマンスは、どれをとっても、出会った5年前とは比べ物にならないくらい、 クオリティーが高くなっていた。関西ならではの乗り、ローカル色が強いのも、彼らの特徴。しっかりファンもついて、ほんと愛されるバンドに成長したなあ。 この日のシェキナのライブで、一昨日、自分が共演したばかりのギターパンダこと山川ノリヲ君との共作が、数曲演奏されたことにも、不思議な縁を感じた。
 シェキナとのセッションも楽しかった。シェキナが自分達のステージで「噂の男」をカヴァーしてくれたのも嬉しかったな。
 シェキナベイベーズは、ええで!
 熱くて、アホで、楽しくて、長~い夜になった。よう飲んだわ。
 まひこ、ヒロキ、はっくん、みっくん、ありがとね!

2011年12月25日日曜日

着ぐるみをまとったパンクロッカー、ギターパンダ

【出演】ウルフルケイスケ/ギターパンダ/リクオ
 SO-SOの酒井夫妻とは、彼らがSO-SOをオープンさせる前からの付き合い。「会社員を辞めてライブハウスをオープンさせたいと思っているので、そ の際には出演をお願いしたい」という旨のメールを酒井君から受け取ったことが、付き合いの始まりだった。

 ギターパンダこと山川ノリヲ君とは、互いのデビュー時のレコード会社とレーベルが同じで、20年を超える付き合い。当時のノリヲ君はディープ&バイツと いうバンドをやりながら、忌野清志郎&2,3'Sのメンバーでもあった。最近のお客さんは、知らない人も多いとおもうけれど、自分は初期2,3'Sの一員 だったのだ。
 当時は、ノリヲ君と音を交わす機会がとても多かった。清志郎さんと共作してプロデュースもお願いした「胸が痛いよ」のレコーディングでは、ノリヲ君がギターで参加してくれている。
 ノリヲ君とは、昨年開催した自分のデビュー20周年イベントに参加してもらうことで、久し振りの再会を果たすことができた。それが、きっかけになって今回の共演にも繋がった。
 ギターパンダ、ケイヤン、オレがそろえば、楽しいイブにならないはずがない。けれど、この日のイブはただ楽しいだけのステージでは終わらなかった。特に ギターパンダと自分のステージには、3.11以降の影響が楽曲やステージングにはっきりと表れていた。
 この日のギターパンダのステージを見て、世の中に対する「違和感」が、彼の表現の大きな原動力になっていることを感じた。会場を爆笑の渦に巻き込んだ後 に、確信犯的な下ネタで場を完全に凍てつかせ、再び参加型の楽しい楽曲で場を盛り上げた後に、怒りと切なさが同居したシリアスなナンバーを歌い上げる。こ の対比、振り幅が、彼の抱える「違和感」を一層引き立てていた。あらゆる表現が過剰で、ぎりぎりのバランスをとり続ける危うさをはらんでいる。ほんと変わ らず不器用な男である。けれど、その不器用さが、リアリティーとなって、ぐっと胸に迫ってくるのだ。ギターパンダは着ぐるみをまとったパンクロッカーだ。
 ギターパンダとケイヤンが抱える「違和感」は、共通する部分があると感じた。ギターパンダの表現は、その「違和感」がむき出しになる瞬間がある。この日、2人は初共演を果たしたのだけれど、互いに相通じる部分を感じとっていたようだ。
 来年から始まるケイヤンとのバンド活動では、自分達が抱える「違和感」を、押し付けがましくなく、もっとダイレクトに、よりシンプルに表現できたらと思っている。この時期で、3人が共演できたことは、とてもタイムリーだった気がする。
 縁が縁を呼び込んで成り立った素敵な夜だった。

2011年12月19日月曜日

結成!

ウルフルケイスケ、リクオ、寺岡信芳、小宮山純平が「MAGICAL CHAIN CLUB BAND」結成!2/24(金)大阪knave、2/29(水)下北沢440公演決定!! http://ulfulkeisuke.com/live/
 すんごく楽しみ!!新曲もつくるぞ!

2011年12月18日日曜日

気持ちに寄り添うことの大切さと難しさー郡山にて

福島県郡山市 ラストワルツ 
 郡山に向かう前に、ミルトンの三浦夫妻、柚原君と一緒に、温泉街の遠刈田へ、三浦夫妻おすすめの鴨蕎麦を食べに行く。
 柚原君の運転する車で遠刈田に向かう道中、民家や田畑の敷地内で、たくさんの身をつけた柿の木をよく見かけた。数百年も昔から続いているであろう日本の 冬の風景。例年なら、これらの柿の多くは干し柿にされるのだけれど、今年は放射能の影響で、地元の殆どの人達が食することを控えているそうだ。
 それとは対照的に、道中よく見かけたリンゴ畑のほとんどは収穫を終えていた。この辺りのリンゴが年内で収穫を終えることはめずらしく、それは原発事故の 影響で福島県産のリンゴが売れないことが影響しているのだそうだ。話を聞いていなければ、自分はこれらの車窓の風景にただ心を癒されていただろう。
 連れてもらった遠刈田の蕎麦屋さんは、震災で店が倒壊し、その後同じ場所に再建し、再オープンされたのだそう。そのお店で食べた鴨蕎麦は、どこでも食べたことのない味で、素晴らしく美味しかった。

 鴨蕎麦をいただいたあと一端白石に戻ってから、三浦夫妻が自家用車でこの日のライブ地である福島県郡山まで送ってくれる。
 3.11以降、郡山を訪れるのは8月のプライベート訪問以来2度目。この日のライブ会場ラストワルツとの付き合いは、もう13年くらいになるかと思う。 お店に着いて、リハーサルに入る前に、マスターの和泉さんから現在の郡山の状況など聞かせてもらう。
 郡山市街の現在の空間放射線量は毎時0.7マイクロシーベルトを前後するくらい。夏に訪れた時からあまり変わらない線量。市街から少し離れた居住区だ と、その倍以上の空間線量になる場所もあるそう。除染をして一端線量が下がった場所も、しばらくするとまた線量が上昇してしまうケースが多く、これからの 季節は、風向きや雪の吹きだまり等によって新たなホットスポットが生まれることも懸念されているそう。つまり、収束からはほど遠い状況なのだ。 

 8月にプライベートでラストワルツを訪れた時の話。地元の知人達とさんざん飲んだ後に、再会を誓い合い、別れを惜しんでの帰り際、マスターの和泉さんが自分のそばまで寄ってきて、唐突にこう言ったのだ。
「リクオ、No more Fukusimaの曲を書いて!」
 普段は寡黙で、相手を気遣い、自分の感情を人にぶつけることのない和泉さんからの言葉だからこそ、余計に胸がつまった。
 それから4ヶ月の間にいくつもの曲が生まれた。それらは直截的に「No more Fukusima」を歌ったものではないけれど、和泉さんにぜひ聴いてもらいたい曲達だった。
 心を込めて歌い、演奏することができたと思う。
 和泉さんも店のスタッフも、この日のライブをとても喜んでくれた。

 打ち上げの席での話題の多くは、震災、原発事故に関するものだった。つらい話を色々と聞いた。
 打ち上げに参加した郡山在住の男性の伯父さんは、郡山で農業を営んでいたのだけれど、原発事故の後、放射能汚染に絶望して自ら命を断ったそうだ。
 ラストワルツの女性スタッフのTちゃんは「原発事故で一番つらかったことは、回りの人間関係が崩壊してしまったこと」だと話した。
 「福島は日本から独立した方がいい」という極端な意見も出た。地元の人達にそれだけ孤立感があるということだ。
 「福島産の食材がこんなに美味しかったなんて原発事故前は知らなかった。」そんな話も聞かれた。その人は福島の第一次産業を守りたい思いもあって、率先して福島産を食しているのだろう。
 正しいか、正しくないかを論じるよりも、こういった気持ちや状況を知ることの方がまず第一なのだと思う。今回の東北ツアーを通じて、相手の気持ちに寄り 添うこと、現場の状況を知ることの大切さと難しさをあらためて感じた。知ってるつもりでわかっちゃいないこと、実感できていないことがたくさんある。
 
 打ち上げの席で、和泉さんからこんなライブの感想をもらった。
 「今夜のリクオの歌を聴いて、自分達は見捨てられていないと思えた」
 郡山で暮らす人達の気持ちに、ほんの少しでも寄り添えたのならばよかったなという思いと同時に、和泉さん達の絶望を感じとって、何とも言えない気持ちになった。

2011年12月17日土曜日

白石カフェミルトンにて

宮城県白石市 カフェミルトン
 白石のカフェミルトンとの付き合いはまだ4年程なのだけれど、その間とても濃密な付き合いをさせてもらっている。ミルトン三浦夫妻の音楽に対する真っすぐで純な姿勢からは、ホントに多くの力をもらい続けている。
 3.11以降、ミルトンを訪れるのは今回が3回目。前回ミルトンに来た時は、お店に隣接する民家が地震で倒壊し、その後撤去され更地になっていたのだけれど、今回はその場所に民家が建設中だった。
 マスメディアで取り上げられることはないようだけれど、白石も震災の大きな被害を受け、そのダメージを今も引きずり続けている。3.11以降、街の人口 は減少。ここへきて放射線量が上昇しているそうだ。最近、東北の他の街でも線量が上昇しているという話を地元の知人から聞いた。季節によって風向きが変わ り線量の高い場所から風が吹いたことや、落ち葉が放射能をまとっていることなどが、その原因と考えられているそう。

 この日は、南相馬市からやってきた柚原君がPAと開演前のDJの両方を担当してくれる。彼からは、先日相馬市で山口洋が中心になって地元の人達と一緒に 開催した復興支援イベント「SOMA WEEK」の話も聞かせてもらう。県外からも多くの人達がイベントに訪れたそうだ。被災地の人達と話していると、「自分達の現状を知ってもらいたい」とい う想いを強く感じる。その声に耳を傾け続けなければと思う。

 この日のミルトンのアプライトピアノの鳴りは今迄の中でも最高だった。調律師の今野さんのこだわりと愛情を十分に感じた。
 この夜のライブに集まった大半は、リピーターのお客さんだったように思う。自然、自分の旬な気分を伝えることを優先して、新曲をたくさん演奏した。くさ い言い方だけれど、その場にいた人達と短い瞬間でも想いを分かち合えたような気がした。この瞬間、この場所でしかできないライブができたという充実感が あった。

2011年12月16日金曜日

しゅんのピアノは65歳

岩手県盛岡 紅茶の店しゅん
 テリーの運転する車で山形から盛岡へ。峠に近づくに連れて雪が深くなってゆく。
 道中、テリーと色んな話をしたけれど、内容はやはり震災、原発の話が多かった。テリーは今回の震災による津波で4人の身内をなくしている。行方不明に なった親族を何週間も探し続け、遺体を確認するまでの話を、彼から聞いている内に、自分の中の想像力を閉じてしまいたい気持ちになった。あまりにもつらい 話だったのだ。

 盛岡は山形よりもさらに寒かった。京都の底冷えをさらに厳しくしたような寒さ。
 しゅんのピアノは今年で65歳を迎えるそうだ。ツアー先で自分が弾くピアノの中では、最高齢だろう。1年振りにしゅんのピアノに触れて、音を奏でてみたら、自分の指先と耳がそのタッチと音色をしっかりと覚えていた。
 この夜のライブは、しゅんでしか味わえない空気感に満ちていた。この日演奏した「哀歌」という曲は、このピアノの枯れた味わい深い音色にぴったりで、演奏中、今までにないくらいにインスパイアされた。
 しゅんに通い始めて15年の歳月が流れた。ママはやせたなあ。でも笑顔で再会できてよかった。皆少しづつ年を取る。変わらないものと、移ろいゆくもの、その両方を感じさせられる、しみじみと味わい深い夜だった。

2011年12月15日木曜日

東北ツアー初日、山形で初雪

山形 Noisy Duck
 この日から4日間、4ヶ所で東北ツアー。東北はやはり寒い。この日の山形は夕方から雪が降り出した。自分にとってはこの冬の初雪。
 今回の山形、盛岡ライブのブッキングをしてくれた仙台の名物男テリーが、この日から2日間、ツアーに帯同してくれる。オレ以外にも、バンバンバザール、 友部正人さん、矢野絢子ちゃん等、多くのミュージシャンが東北でツアーを組む時には、テリーのお世話になっているのだ。
 
 Noisy Duckを訪れるは初めてだった。還暦を過ぎたダンディーなマスターがやっている品のよいジャズ系のライブスポット。
 お店に置かれているグランドピアノの鳴りは素晴らしかった。その鳴りの良さに多いに影響され、いつも以上に幅広い表現ができた気がする。また帰ってこれる場所が1つ増えた。
 打ち上げでのテリーのはしゃぎっぷりは相変わらず。彼のお陰でいくつもの出会いをもらった1日だった。
 再会した山形の知人からは、3.11以降、山形市内の人口が1万人以上増えている事、震災直後からしばらくの大変だった市内の状況、震災によってもたらされた現在の市内の深刻な不況状態等を聞かせてもらう。この街も被災地なのだと実感。

2011年12月11日日曜日

3.11以降の態度

渋谷BYG
「リクオ&ピアノ~完全弾き語りソロ・ライブ~」
 半年振りのBYGライブ。都内でピアノ弾き語りのワンマンをするのは久し振りだった。弾き語りのライブのときは、事前にあまり内容、曲目を決め込まず、 その場の乗りで演奏することが多いのだけれど、この日のライブは、ちょっと違った。この1年を象徴するような、3.11以降の自分の態度が伝わるようなラ イブになればとの思いを持って本番にのぞんだ。
 それによって、選曲もMCも3.11以降を意識した内容が多くなった。ただ、かた苦しい表現、重い表現はしたくなかった。自分の中にある適当さ、不真面 目さ、よこしまな部分を生かしておきたかった。なじらない、煽らない、ヒステリックなものにチャンネルを合わさない、緊張を強いらない、しなやかさを失わ ない。3.11以降の自分の一貫した姿勢を、当たり前のように力まずに伝えたかった。
 怒り、憤り、不安、哀しみ、虚しさを、それらの感情をそのままにぶつけるのではなく、「それらの感情を経てきた思い」を伝えたかった。皆がそうすべきだと思っているのでなく、それが自分のやり方であり、自分ができる役割ではないかと思っている。
 そんな風に意気込んでいたら、ライブの途中で少し力んでしまったけれど、いつも以上にエモーショナルな歌を聴いてもらえたと思う。結構笑いもとれてよかった。うまくまとめるばかりでなく、心のノイズも伝えてゆけたらと思う。
 この日は、ステージで演奏している内に、自分の心が浄化されてゆくような感覚があった。あまりにいい雰囲気で、場を去り難くなり、アンコールが長くなった。その場にいるすべての人達と一緒に、ほんとにいい空間をコーディネイトできたと思う。
 BYGは現在形の自分を出すことのできる大切な場なんだなとあらためて思った。都内の年内ラストライブがBYGでよかった。感謝。

2011年12月10日土曜日

藤沢でライブ

 この日は、藤沢の馴染みのミュージックバー、サウサリートで、一般告知なしのライブをやらせてもらった。集まったお客さんのほとんどはお店の常連さんで、顔なじみの人も多かった。
  サウサリートは音楽好きが集まる社交場。皆耳が肥えていて、ライブの楽しみ方もよく心得ているから、毎回素晴らしい盛り上がりになる。この日は、普段 やらないカヴァー曲や新曲を織り交ぜて、行き当たりばったりの選曲。「これぞライブ!」と言いたくなるような、かしこまったところの一切ない開放的な空間 になった。
 藤沢に越してきて、いわゆる音楽業界人ではなくて、さまざまな業種の仕事に就きながら、ピュアに音楽を愛する人達にたくさん出会えたことは、自分の財産になっている。

2011年12月8日木曜日

フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーション

 この日は、音楽関係の知人が藤沢まで来てくれて、駅近くのカフェで一通りの打ち合わせをすました後、お店を変えて一緒に飲む。
 とてもたくさんの話しをした。会話の中で、自分の中でも、多分相手の中でも、色んな気付きがあった。顔を突き合わせて話すことだ大事だなとあらためて 思った。言葉だけじゃなくて、言い方、声のトーン、表情によって、伝わることがたくさんある。当たり前のことなんだが、忘れがちだ。
 本人を目の前にした方が、相手を気遣い、尊重する態度を示しやすい。相手の痛みを実感しやすい。ネット媒体を通じて人とコミュニケートする時には、自分 も含め多くの人達が、相手に対する想像力、配慮が欠けてしまう傾向にある。実感の伴わない情報で武装し、わかった気になって、万能感に支配され、等身大の 自分を見失い、偉そうになったり、無神経に他者を傷つけたりしてしまう。
 ネットばかりしていると、世の中にはこんなに傲慢な人間が多いのかと、うんざりしてしまうことがある。もっとネットの向こう側を想像しながら、ネットやSNSを使いこなすことはできないのだろうか。
 自分は、3.11以降もツアー暮らしを続け、さまざまな現場に足を運びながら、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを続けることで、随分と救 われてきた気がする。顔を付き合わせて得た情報、実感、現場で実際に見て、五感で感じとったことが、自分にたくさんの示唆と勇気を与えてくれた。そして、 音楽の持つ力をあらためて、実感することができた。
 この9ヶ月、物事の本質にふれることのない、割り切った物言い、ヒステリックな表現に随分と接してきた気がする。自分の中でさまざなな違和感がひろがっ て、その違和感をどうにか音楽で昇華したいという思いが続いている。この夜も酒の席で「実際には2項論では語れない部分、割り切れない部分を、平易な言葉 とシンプルなサウンドで表現したい」「心のリミッターをはずしながら、独りよがりにならない表現を目指したい」そんな思いを知人と熱く語りあった。
 知人が帰って行った後も、気持ちにスイッチが入り続けている感じで、1人でもう一軒なじみの店へ飲みに行く。閉店間際のお店で、しばし常連客と一緒に楽しく飲んだ後に、お店マスターのH君と2人きりで飲む。
 H君は、週末に相馬市で、山口洋と地元の人達が中心になって企画した復興支援イベント「SOMA WEEK」に炊き出しチームのリーダーとして参加して、藤沢に帰ってきたばかりだった。H君は、相馬市と南相馬市で見て感じとったことがあまりに多くて、 まだとても自分の中で整理できない様子だった。自分は実感をともなったH君の話を聞き続けた。「この現状に対して、自分に何ができるのか」H君の問いかけ が、自分の心にも迫ってきて、少し苦しくなった。
 思いを共有しながら、それぞれが、それぞれの答を出してゆくべきなのだろう。
  濃い夜になった。

2011年12月4日日曜日

この感触を忘れたくない。

徳島市 寅屋
 今回のツアーでは、よく歩くように心掛けている。この日も徳島駅からライブ会場の寅屋まで20分ほど徒歩で行く。リハーサルの後も、街をぶらぶら小1時間程散歩。
 今回のツアーは体調が良く、そのせいか声の調子がいつになく良かった。そうするとステージでの集中力も高まる。
 この日のステージは、いつもと少し違うシチュエーションで、思うところがあってステージに上がったこともあり、すごく演奏に集中できた。「あー、オレっ てここまでやれるんやな」と思った。この感触を忘れたくない。こういうライブができたら、どんな状況でも大丈夫な気がする。うん。

 もう年末かあ。ホント今年は大きな出来事があって、色んな意味で忘れられない年になりそう。最近のステージでは、この1年間で積み重ねてきた実感が音楽で形になってきている手応えがある。
 哀しみも、喜びも、怒りも、虚しさも、全部燃料にして、音を奏でたいと思う。

2011年12月3日土曜日

高松にてJASRACの社員と話しする

高松市 Bar RUFFHOUSE
 好きに、自由に、思いつくまま適当に、ワイルドに、繊細に、振り幅広く、今夜も酒場ライブの醍醐味に溢れたステージになった。やっぱり、こういう空間でのライブが、一番解放されて、色っぽくやれる気がする。

 RUFFHOUSEの常連で、JASRACに勤める若者が、この日のライブを観に来てくれていて、打ち上げにも参加してくれたので、これを機会とジャスラックに対する疑問を彼にぶつけてみる。
 自分がツアーで回る地方のお店の多くが、JASRACからの著作権利用料徴収のやりかたに不満を持っていて、対応に苦慮している。多くのお店は包括とい う形で月々に決められた金額をJASRACに納めているようだ(毎日ライブをやっているライブハウスの場合はほとんどその納め方)。ほんの時々、月に数 回、あるいは年に数回しかライブをやらないお店から、JASRACに申請するために、ライブ後、曲順の提出をお店側から要求されることもある。
 とあるお店から聞いた話では、お店の収入の12%が楽曲利用料になるとのこと。ちなみにテレビ、ラジオ等は収入の1、5%が利用料。過去遡及分10年分 も、この12%利用料算出でみなし加算されるそうだ。お店の収入を考慮しない、あまりにも厳しい請求額ではないだろうか。
  特に、この5、6年、地方の個人経営の小規模店から、JASRACに対する苦情を聞いたり、自分のところへ相談が寄せられる機会が増えた気がする。最 近も、何度もライブをやらせてもらっている地方のあるお店から、「JASRACへの支払いが厳しくて、月数回開催してきたライブを年内でやめることにし た」との連絡をもらった。数年前には、ライブが決まっていたお店のマスターから、ライブの一月程前に、「JASRACの社員がお店に何度もやってきて、過 去にさかのぼってとても支払不可能な利用料を請求してきて、どうしていいか解らないので、とりあえず今回のライブは中止にさせてほしい」という連絡を受け たこともある(そのときはJASRACに詳しい人を紹介して、マスターを説得し中止は回避してもらった)。こういう例は1つや2つではない。
 さらに、問題なのは、包括で小店舗から徴収された利用料が、演奏者である自分のところに著作権料としてJASRACから支払われた形跡がないこと だ。演奏者に還元されるべき利用料はどこへ消えたのか?お店から包括で利用料を徴収するのなら、自分のようなツアーミュージシャンに対しても、ライブ数と ライブの規模から算出して包括で著作権料を支払ってもいいのではないのか。
 音楽の振興と発展、公益、ミュージシャンの権利を守るはずJASRACが、徴収した利用料をミュージシャンに分配することなく、自分のようなツアーミュージシャンの主な演奏場所である小規模店を圧迫している状況は、おかしいと思う。
 自分の疑問に対して、JASRACに勤める若者は真摯に耳を傾けてくれてたけれど、納得できる返答を聞くことはできなかった。感じのよい若者だったので、彼を責めるような物言いになっていたら申し訳なかったと思う。

2011年12月2日金曜日

コンディションがいい

岡山 モグラ(MO:GLA)
オープニングアクト:わつし
 この日は岡山駅からライブ会場近くの宿泊先のホテルまで、あえて徒歩で移動。街のニオイ、雰囲気を味わいたい気分だったのだ。岡山の歓楽街、中央町を日中に歩くのは初めて。通りは閑散としていて、けだるい雰囲気が漂っていた。なんかほっとする。

 モグラのピアノの鳴りは今迄で一番のように感じた。とてもいいライブになった。新曲がだんだんと弾き語りの演奏に馴染んできた。久し振りにバンドで演奏 すると「バンドはいいなあ」と思うし、間を空けて弾き語りをやると「弾き語りはいいなあ」と思う。
 オープニングのわつし君もよかった。ソングライティングに才能を感じた。
 コンディションがいいと集中力が保たれていいライブができる。当たり前のことを再認識。長年通い続けているお店のマスターが「特別にいいライブだった」と言ってくれるとやっぱり嬉しい。
 新しいお客さん、昔からのお客さん、わつし君のお客さん、色んな人達が観に来てくれて、満席だったのも嬉しかった。
 また来年も戻って来ます。

2011年12月1日木曜日

大ホールから酒場へ戻る

広島 Flying Kids
 この日のライブを主催してくれた斉藤さんは、昨年まで自分と同じ湘南に暮らしていて、自分もよく通うミュージックバーの常連さんだった。広島に転勤し て、行きつけになったお店FLYING KIDSがライブを定期的にやっていたことがきっかけで、オレのライブを企画する話がすすんだ。
 自分の音楽活動はホント人の縁に支えられてるなあと思う。この日も色んな出会い、再会があった。
 1万人のホールで演奏した直後に、40人足らずで満席のお店でのライブ。えらい振り幅。色んな現場、シチュエーションで演奏できるのが楽しい。でも自分のライブの原点は、こういう酒場スタイルやな。

2011年11月27日日曜日

1万人が祝う還暦パーティー

HIRO T'S 60th BIRTHDAY Daddy‘s Reborn Jam
FM802も名物DJヒロ寺平の60回目のバースデイを祝うパーティーライブ!
【会場】大阪城ホール
【出演】植村花菜/押尾コータロー/SING LIKE TALKING/砂川恵理歌/葉加瀬太郎/馬場俊英/ハンバート ハンバート/バンバンバザール/広沢タダシ/FRIDE PRIDE/宮沢和史(THE BOOM)/森山直太朗/リクオ/わたなべゆう/ゆず/BIGIN/平井堅
[SPECIAL BAND]
Green Ball Session [小倉博和(Gt)/井上鑑(Key)/三沢またろう(Per)]
 自分が大阪城ホールのステージに立つのは今回が3回目だった。すべてFM802が企画したイベントだ。今回は、大阪FM802の名物DJヒロ寺平さんの 還暦を盛大に祝うイベントに声をかけてもらい、オレとバンバンバザールが、2部構成の1部で他出演者とコラボ演奏するというホスト的役割をまかされた。
 このイベントをプロデュースした802の岩尾さんは、とにかくライブの現場によく足を運ぶ人だ。今回のイベントに自分が誘われたきっかけは、ヒロTさん と自分との関係性によるだけでなく、昨年、岩尾さんが、自分がホストの役割をつとめたライブイベント「大阪うたの日コンサート」と「HOBO CONNECTION」に足を運んでくれたことが大きいと思う。今回のイベントは、規模こそ違え、自分が関わったそれらのイベントの趣旨や方向性と重なる 部分が多かったように思う。
 イベントに参加させてもらうにあたって、百人単位のライブハウスでやっていたイベントと同じ空気、同じやり方を、1万人単位のホールに持ってくること が、自分にとってのテーマの1つになった。言葉で確認はしていないけれど、バンバンバザールや岩尾さんも同じ気持ちを持っていたんじゃないかと思う。

 1万人以上のお客さんで埋め尽くされた大阪城ホールは壮観だった。以前に大阪城ホールのステージに立った時は、客席が随分と遠く感じられたのだけれど、今回は意外に近く感じられ、お客さんの顔も想像していたよりもよく見えた。
 パーカッションの中村優規くん、ギタリストのわたなべゆう君、シンガーの砂川恵理歌さん、フライドプライドの2人とは、今回が初対面、初音合わせ。考え てみると、これだけ初共演の多いステージもめずらしい。たくさんのいい出会いをもらって冥利につきる。
 オレとバンバンバザールは基本的にライブハウスでやるのとあまり変わらないやり方で演奏し、ステージを進行した。イヤモニを使わず、モニターに頼り過ぎ ず、響き、空気感、互いの息遣いを感じとりながら、ある程度流れに身をまかせ、音の会話を楽しみながら、エネルギーの循環につとめた。どのセッションも、 それぞれに違ったよさがあって、とても楽しめた。いろんなスタイルのピアノが弾けた気がする。
 「胸が痛いよ」はソロで弾き語った。声が遠くへ響いて広がってゆくような感じは、普段の小さな会場では得られない感覚だった。イベント1部の最後は、 50数名からなる宝塚少年少女合唱団、バンバンバザール、中村優規君が参加して、「アイノウタ」で締めさせてもらった。こんなに大勢の「シャララ」の合唱 を聴いたのは初めてだった。気持ちよかったなあ。
 
 2部のステージのほとんどは客席で観させてもらった。J-POPの前線で活躍する人達が次から次へと登場。それぞれに色があって、最後まで全く飽きるこ とないステージだった。皆プロフェショナルで、自分の役割を自覚していて、クオリティーの高いパフォーマンスばかりだった。とても刺激になった。
 今回のステージは、参加したフロントマンがコラボを交えながら、それぞれ2曲づつ演奏してゆくのが基本的な流れなのだけれど、ほとんどの出演者が、その 前の出演者からしっかりタスキを受け取って、次につないでゆくことを意識しているように思えた。ミュージシャン同士のリレーションがよく伝わるステージ だった。こういうことが1万人以上のキャパでもできるんだなあと思った。
 ミュージシャンだけに限らず人との繋がりを大切にして、ジャンルや世代、メジャーやインディーズの垣根を作らず、自分の感性を頼りにオープンな態度でいい音楽を伝えてゆこうとするヒロTさんの姿勢がよく反映された素敵なイベントだった。 
 ヒロTさん、おめでとうございます。まだまだ現役でいきましょう!

2011年11月23日水曜日

共感と違和感ーATMIC CAFEイベントに参加して感じたこと

「THE ATMIC CAFE TALK SESSIONN and LIVE」
大震災と原発事故。アーティストは何を感じ、観たのか。私達に何ができるか。
場所:代官山UNIT
1部 LIVE : 遠藤賢司、山口洋 (HEATWAVE)
2部 TALK SESSION : 加藤登紀子、ピーター・バラカン、田中優、山口洋 (HEATWAVE)、山本太郎、MC : 島キクジロウ (the JUMPS・弁護士)
3部 LIVE : SOUL FLOWER ACOUSTIC PARTISAN(中川敬、リクオ、高木克)

 この日のイベントには、 3.11以降、被災地支援と脱原発への行動と発言を積極的に行っている表現者が集まった。自分にとっても、とても興味深いメンバーだった。

 エンケンさんのライブを体験するのは久し振りだった。お会いするのも久し振りで、楽屋でも少し話しをさせてもらった。「PROJECT FUKUSHIMA!」に関わる遠藤ミチロウさんのことが話題になったときに、エンケンさんが語気を強めて「ミチロウは偉い!」と言っていたのが印象に 残った。
 エンケンさんのパフォーマンスは異形の度合いが増々強まっていた。終始圧倒するようなパフォーマンス。安易な共感を求めない毅然とした孤高を感じた。 64歳にして、自分を取り巻くあらゆる違和感と戦い続けている人なのだろう。「目を背けたいのに背けられない感じ」この日のエンケンさんのライブを体験し た知人が、イベント後に聞かせてくれた感想だ。
 エンケンさんがステージ上でのMCで、3.11以降に確認したことの1つとして「オレは自分のことをやる。音楽で表現する。」という内容のことを語っていたのも印象に残った。
 ステージ上でエンケンさんの生き様を見せつけられて、あらためて「凄い人やな」と思った。そして「自分はあんな風には闘えない。闘わない闘い方をしよう。」とも思った。
 TALK SESSION にはミュージシャン側から山口洋も参加した。他の参加者がステージ上でよどみなくスピーディーに発言を畳み掛けるなかで、彼が発言する場面は少なかった。 ただ、気持ちを噛みしめるように語る彼の言葉からは実感がよく伝わってきた。
 TALK SESSION では興味深い話が色々と聞けたけれど、パネラーの1人だった田中優さんが「危機感を煽る運動は長続きしない。リアリティーを伝えることが大切」という内容のことを語られていたのが特に印象に残った。
 山本太郎さん、加藤登紀子さんの2人が発するエネルギーには圧倒された。「3.11以降を長期戦だという人がいるが、原発は短期戦ですぐに止めなければ いけない」山本太郎さんはそう語った。彼の確信に満ちた態度と強い口調には、頼もしさと同時に正直、違和感も少し持った。
 「違和感を大切にして、自分で考え、判断して、行動する。」ツアーの間、ケイヤンの口から何度も聞いた言葉だ。この数ヶ月の間、その言葉の意味を実感するような機会が何度もあった。
 自分は、山本太郎さんに抱いた共感と違和感の両方を大切にしたいと思う。共感ばかりでなく違和感を持ちつつ連帯することも可能だと思うのだ。「短期戦や 断定によって見落とされるもの、損なわれるものをすくいあげ、丁寧な問いかけを続けてゆこう」彼の言葉、態度を受けて、自分はそんなことを思った。
 TALK SESSION を終えた後、山口洋が「アコースティック・パルチザンのステージに飛び入りしてギターを弾かせてほしい。」と申し出てきた。「この日のステージをミュージ シャンとして終えたい」という彼の気持ちは理解できる気がした。アコパルの3人に彼の申し出を断る理由は何もなかった。
 アコパルのステージ上では誰も原発に関する発言をしなかった。意識してそうなったのか、演奏に集中していて、たまたま発言しなかっただけなのか、他のメ ンバーの気持ちはわからないけれど、音楽そのものに充分メッセージや態度が表明されていたように思う。

2011年11月22日火曜日

拾得へ帰る

ソウル.フラワー.アコースティック.パルチザン
【メンバー】中川敬(vo,g,三線)/リクオ(key,vo)/奥野真哉(key)
 拾得は自分が学生時代からお世話になってるお店。自分にとって、理想に最も近いライブハウスの一つ。オープンしてから35年。日本のライブハウスの老舗といってもよいと思う。マスターのテリーさんとは2年振りの再会。テリーさん、少し太ったかな。
 いい響き、いい空気感、いいお客さん、いい演奏、美味しいお酒、いろんな要素がそろって、理想に近い空間。アコパルの演奏は随分と安定感が増した。サウンドに奥行きと柔らかさが出てきた。
 20年前に初めてステージに立ったときから、拾得の佇まいは何も変わっていないように思う。これは磔磔にも感じること。過去と現在とのつながりを感じさせるのが、京都という街の持つ強みだと思う。
★高松の港にて




★ライブ後、拾得にて

2011年11月15日火曜日

遠藤ミチロウさんとの共演で感じたこと

東京 学芸大学 アピア
『遠藤ミチロウBirthday Live』 出演:遠藤ミチロウ/リクオ
 久し振りに遠藤ミチロウさんと共演させてもらった。ミチロウさんのバースデイライブにゲストとして誘ってもらったのだ。久し振りに音合わせできることも 楽しみだったけれど、それだけじゃなく、この時期だからこそ、ミチロウさんと色んな話をさせてほしいと思っていた。
 福島出身のミチロウさんが関わっている「PROJECT FUKUSHIMA!」のことは、ずっと気にかかっていた。以下の文は「PROJECT FUKUSHIMA!」に掲載されたミチロウさんのメッセージ文。ぜひ読んで下さい。
http://www.pj-fukushima.jp/message_michirou.html
 この中でミチロウさんは「FUKUSHIMA原発と戦うだけでなく、自分自身との戦いも始めなければならなない。」「自分達の未来が、不安と敵対との共 存という負の連鎖から抜け出して、少しでも安らかな日常の未来を手にすることが出来るか、それは自分達自身の手にかかっている」と語っている。
 ただ東電や政府を告発するだけでなく、自身の意識や価値観が変わらなければ、世界は変わらない。「自分は今のままで、相手にだけ変われと要望する」3.11以降、そういうメンタリティーが引き起こす対立の構図が蔓延しているように思う。
 自分を変えるなんて、ホントに大変で恐ろしいことだ。変わったつもりで、なかなか変われない。気付いたつもりで、何も気付いていない。知ってるつもり で、何も知っちゃいない。自分も含め、世の中には己の傲慢さに気付かない人が多すぎるのだろう。そんな状況の中、ミチロウさんのメッセージには、人として の誠実さ、謙虚さを感じる。
 「PROJECT FUKUSHIMA!」が福島で企画した野外イベント「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」に対しては賛否両論が巻き起こった。イ ベントのやり方すべてが正しかったとは言えないだろうし、主催する側も葛藤を抱えながらの開催であったと思う。議論や批判はあってしかるべきだけれど、一 方的に非難するのではなく、もっと皆で葛藤を共有できないものかと思う。
 3.11以降、方々でさまざまな対立の構図が生まれているのを感じて、心がしんどくなる。なかなか対話が生まれない。

 1年振りに再会したミチロウさんは、いつものミチロウさんだった。ステージを降りたら、穏やかで素朴。けれどやせたなあ。ミチロウさんにとっても大変な7ヶ月だったのだと思う。
 ミチロウさんの演奏を生でじっくり聴かせてもらうのは久し振りだった。ぐっときて、ほっとした。心の奥が鎮まる感じ。なぜなんだろう。時に激しく、攻撃的で、時にメランコリックで痛々しい、原液のような表現に、懐かしい親しみを感じた。
 ミチロウさんの攻撃性は結局他者には向かわない。自分自身に向かってゆく感じ。人の醜さを見たとき、同時に自分の醜さに気付いてしまう人なんじゃないだろうか。ミチロウさんがナルシズムやヒロイズムに溺れてしまうことはないと思う。
 ミチロウさんの音楽は「きれい」ではなく「美しい」。ドロドロに美しい。自身の醜さ、矛盾、混沌に向き合うことでこそ、震えるような美しさが生まれるのだと思う。
 ミチロウさんとのセッションでは、そのエネルギーをダイレクトに受けとって、心が浄化されるような気がした。「オレは誰も殺したくなんかない!」ミチロ ウさんのこの叫びは、ホント胸にきた。自分の記憶が正しければ、この日別の曲でミチロウさんは、実は自分は人を殺している、というような歌詞を歌ってい て、この2つの言葉は、補完しあい、つながっているように感じた。
 この日、ミチロウさんとは、思っていた程長い時間は話せなかったけれど、演奏を聴いて、セッションさせてもらうことで、充分にたくさんのものを受け取った気がした。今もライブの余韻が残っている。
 「オレは誰も殺したくなんかない」 
 あの夜以来、その言葉が自分の中でリフイレインされ続けている。

2011年11月12日土曜日

最高のツアーファイナル!

下北沢 440(Four forty)
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
【サポート・ミュージシャン】寺岡信芳(ベース)/小宮山純平(ドラム)
ゲスト:岩崎慧(セカイイチ)
 ライブの最初から最後まで、会場内に凄いエネルギーが渦巻いていた。そのエネルギーを受け取って、バンドの演奏が1つの塊になり、どんどん勢いづいてゆ く感じがした。最高のツアーファイナルになった。「生きてる歓び」をみんなで共有しまくった夜だった。 
 ゲストの岩崎慧君も素晴らしかった。この日はシンガーとしての圧倒的な力量を遺憾なく発揮してくれた。彼には、この年代にはめずらしく叩き上げのニオイがするなあ。

 ツアーを通してケイヤンからはポジティブなパワーをたくさん受け取った。今年、彼と一緒にツアーに出れたことは、自分にとって凄くタイムリーだった。曲作りの面でも、1つのきっかけをもらったような気がする。
 「自分のハートに正直に、できるだけシンプルに、やりたいことをやる。歌の通り、損得抜きのハッピーライフを目指す。」そういうケイヤンの姿勢に影響を受けた。
 「自分のハートに正直に」というのは簡単なことじゃない。ケイヤンだって、すべての面で自分自身に向き合うことができているというわけじゃないと思う。色々もがきながら、そこへ向かおうとする姿勢に心打たれるのだ。
 この日のライブは、同じ方向へ向かった4人の気持ちが、1つの形になったような気がした。
 このマジカルチェインは終わらせたくない。

2011年11月11日金曜日

ツアーファイナル2DAYS初日は21歳の2人がゲスト。

下北沢 440(Four forty)
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
【サポート・ミュージシャン】寺岡信芳(ベース)/小宮山純平(ドラム)
ゲスト:渡辺大知(黒猫チェルシー)/千賀太郎(Harp)
 MCCツアーもいよいよラスト2公演。ツアーの締めは長年慣れ親しんだ街、下北沢で。
 湘南に越してからも下北沢には訪れる機会が多いけれど、なんだか来る度に新しい建物が出来ていて街の変化が早まっている感じ。下北沢に大型店ができるこ とにはやはり違和感がある。駅が地下になって駅前のロータリーが完成したら、街はもっと大きく変わってしまうのだろう。これからも個人店が元気で、車より も人重視の街であってほしいと思うのだけれど。
 バンドの演奏は回を重ねるごとに着実にグルーブが増してゆく感じ。このツアーで終わるのはもったいない。もっと新曲を書いて、このバンドで歌いたいなあ。
 この日のゲスト、渡辺大知君(黒猫チェルシー)と千賀太郎君の(Harp)の2人はともに21歳。若いなあ。自分の21歳は、まだバンド活動を初めて間もない頃で、完全にアマチュアの学生だった。自分に比べると2人は随分と早熟だ。
 2人と自分との年の差は26才。でも、一緒に音を出したら、歳の差による違和感は、ほとんど感じなかった。お互いがオープンであれば、音楽は世代を軽々と超えるのだ。
 大知君は文系のニオイがする。学校では、群れることができず、不良にもなれなかったタイプ。「10代の頃は自意識過剰で自分の色んな部分が嫌いだったけ れど、バンドをやることで自分の醜い部分をさらけだせばいいと気付いて、楽になった。」打ち上げの席で、大知君が語ってくれた言葉だ。
 ライブでは彼のオリジナル以外に、ボガンボスの「魚ごっこ」やブルーハーツの「夕暮れ」といった日本のロックのカヴァー曲も一緒にセッションした。ステージ上でパンキッシュに体をくねらせ、シャウトし続ける彼の瞳がすごく澄んでいたの印象的だった。
 大知君はバンド活動以外に、映画の主役をはったり、NHKの連ドラに出演したり、CMに出たり、役者としても活躍している。将来は小説を発表したり、映 画監督もやってみたいとのこと。これだけ才能がありながら、奢りや擦れた感じが全然なくて、とても素直な印象。きっと、どんどん色んなものを吸収して、さ らに魅力的に表現者になってゆくんだろうな。
 千賀太郎君との共演は実は2度目。彼が天才ハープ少年としてテレビで特集され話題になっていた頃、その火付け役となったテレビ番組の企画で、彼と一度 セッションしているのだ。それから15年の歳月が流れて今回久し振りの再会となったのだけれど、太郎君は15年前のセッションのことをよく覚えてくれてい た。
 その当時から太郎君は6歳だとは信じられないような演奏テクニックを誇っていたけれど、15年の歳月を経て、そのプレイは、磨きがかかるどころか、円熟 さえ感じさせる域にまできていた。こうなると、彼がここから先どんな風に壊れて、内面のノイズを表現してゆくのかが見てみたい。太郎君とのセッションは臨 場感にあふれ、素晴らしい演奏になった。
 大知君も太郎君も、ステージで一番弾けることができる、本番で力を出せるタイプ。2人の集中力と才能に、とても刺激を受けた。若い生き血を一杯吸ったど~。
 明日はいよいよツアーファイナル。

2011年11月6日日曜日

ありがとう大阪!

大阪南堀江 knave
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
【サポート・ミュージシャン】寺岡信芳(ベース)/小宮山純平(ドラム)
 午前中に紹介してもらった病院へ行き、喉を見てもらい、即効性のあるステロイドを含んだ薬を処方してもらう。
 会場入りした時点で声はまだ枯れたままだった。けれど、リハーサルを経て本番に向かうまでの間に、薬が効いてきたようで、少しづつ声の調子が戻り始める。 
 本番では前日よりも声が出た。けれど本調子とは言えなかった。バンドのグルーヴ、会場の盛り上がりはこの3日間で、この日が最高だった。皆に自慢したいくらいの素敵な空間だった。
 ケイヤンはとても頼もしかった。ステージで弾けまくってる姿を目の当たりにして「やっぱりバンドマンなんやなあ」とあらためて思った。
 寺さんはこのツアーで用意した新曲「不思議な人よ」で15年振りにベースをピック弾き。アナーキーの人や!
 コミヤンのドラムは回を重ねる度にどんどんよくなってきた。リハーサルよりも本番でより実力を発揮できるタイプ。こういう柔らかいビートを出せるドラマーは貴重。
 このロックバンドスタイルは、今の自分にほんとタイムリーだ。他のメンバーにとってもそうだったらいいな。あと2公演しか残っていないのが残念。
 ライブを観に来てくれた古くからの知人や関係者達に、今回のツアーで用意した新曲がどれも好評だったのも嬉しかった。
 最後の東京公演では体調を万全にしてのぞみます!!

2011年11月5日土曜日

まいった。

大阪南堀江 knave
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
【サポート・ミュージシャン】寺岡信芳(ベース)/小宮山純平(ドラム)
 名古屋ライブで大きな手応えを得て大阪に乗り込んだら、声がすっかり枯れていた。なんたること。
 今迄、連日ライブが続いても声を枯らすようことはまずなかったのに。まいった。ロックバンドでのボーカルは想像以上に喉を消耗させていた。しばらく寝る 間も惜しんで音楽に没頭するような日が続いて、気力は充実していたけれど、肉体は悲鳴を上げていることに気付かなかった。体調管理不行き届き、過信であ る。
 大阪公演初日は、バンドのグルーブもお客さんの乗りも素晴らしかったけれど、自分の声は終始かすれてガラガラだった。
 この日はさすがに打ち上げに参加できなかった。打ち上げ会場まで皆を見送って、そそくさとホテルに戻った。申し訳なくて、悔しくて、恥ずかしい気持ちで一杯だった。

2011年11月3日木曜日

バンド初ライブ!

名古屋 TOKUZO(得三)
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
【サポート・ミュージシャン】寺岡信芳(ベース)/小宮山純平(ドラム)
 この日から始まるMCCバンドスタイルのツアーに向かう自分のモチベーションは凄く高かった。メンバーとのリハーサルにも時間をかけた。リハーサルが終 わって帰宅してからも朝迄曲作りを続けるような日が続いた。このツアーが自分にとって何かのきっかけになる予感があったのだ。
 とにかく今回は、普段色んな人とやっているセッションでは表現仕切れない部分、バンドならではの一体感を目指し、シンプルに初期衝動をぶつけてみたかったのだ。ライブ当日が楽しみでしかたがなかった。

 得三はほんと熱い夜になった。ライブでこんなに汗をかいて、ここまでシャウトして、ここまではしゃいだのはいつ以来か覚えてないくらいだ。すごく手応え があった。ステージだけでなく、車移動中も、楽屋でも、打ち上げでも、メンバー4人でずっとグルーヴし続けてた感じ。
 この日初披露した新曲は、もしかしたら自分のキャリアの中で重要な曲の1つになるかもしれない。

2011年10月30日日曜日

今日も曲作り

 なんやかんやとやるべき雑務があったり、色んなニュースが気になったりするけれど、ツアーが再開する3日までに、一番やりたいことは曲作りなのだ。今日も新曲にとりかかる。丑三つ時に集中力が高まって、朝迄曲作り。

 3日の名古屋から再開するケイヤンとのMCCツアー(名古屋からはバンドスタイル)は、ほんと見逃さないでほしいなあ。ラスト5公演で完全燃焼して、次 につながる何かを残したいなと。できたばかりの新曲もやるよ。オレ、すごい燃えてる!学生の頃にロックバンドを組んだ時のあの感じ!

2011年10月29日土曜日

また曲できた!

曲作りへの意欲がどんどん増している。今日も朝迄曲作りに没頭して1曲をほぼ完成させた。曲作りの過程で、怒りとかやるせなさとか、色んな感情が浄化されてゆく気がした。3.11以降、混沌としたまま溜まっていた思いが形になりはじめてる感じ。
 20数年間曲作りをしてきて、こんなにテンポの速い8ビートの曲を書いたことは今迄なかった。3日からのツアーメンバーであるケイヤン、寺さん、小宮山 君とのリハーサルで、ロックバンドのサウンドを思いっきり味わったことも、曲作りに影響を及ぼしている。自然とロックバンドで演奏することを前提に曲を書 いていた。ケイヤンとツアーを重ねて、最近2人で共作を完成させたことも大きい。
 この1、2ヶ月の間に完成させた曲は、自分のこの10数年間の曲調、作詞作曲方法とはかなり違っている。曲作りを始めたばかりの20歳頃のやり方や気分 に近い感じ。コードの種類もリズムパターンもあまり知らずに、ただただ思いに突き動かされて曲作りを始めた頃の勢いが戻ってきたみたいだ。このやり方でし ばらく曲作りを続けてみたい。

那覇でPすけと再会、共演

沖縄県那覇 桜坂劇場・サンゴ座キッチン
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 「沖縄ツアー3日目やけど、もっと長く続いてる気がするわ」
 石垣を立つ前に、ケイヤンがそんなことを話してきて、「ほんまやね~」とうなずく。
 石垣から飛行機で那覇へ移動中、機内放送で機長から、この日が最終フライトであるキャピタルアテンダントさんの紹介があり、彼女への感謝とねぎらいの言葉が送られる。皆拍手。気持ちの伝わる言葉で感動したなあ。
 空港には今日明日のライブを企画してくれたハーベストファームの野田君が迎えに来てくれる。車中、カーステからは、八重山民謡の唄者、新良幸人くんの新 譜「浄夜」が流れていて、引き込まれる。すばらしい!今回、野田君の車で移動の際は、ひたすらこのアルバムが車内で流れ続けていた。
 桜坂劇場内にあるサンゴ座キッチンは、通りからも中の様子が見えるオープンなつくりで、道行く人達が時々足を止めて、ライブの様子を眺めていたりした。
 沖縄のお客さんって、意外にシャイだけれど、一度打ち解けてしまうと、参加型で思いっきりライブを楽しんでくれる傾向にあると思う。この日もステージが進行するにしたがって、どんどん場が盛り上がって、とてもハッピーな空間になった。
 この日のライブでは、沖縄に越してきたばかりのPすけ君がライブの後半から急遽パーカッションで参加してくれる。相変わらずのオープンな乗りで、当日 ぶっつけだったにも関わらず、とてもよいグルーブを一緒に作ることができた。少し前まで湘南葉山に住んでいたPちゃん夫妻が沖縄にいることに、あまり違和 感を持たなかった。元々南国気質なところがあったので、沖縄の空気が彼に合っているのだと思う。
 原発事故以降、関東に住む何人もの知人が、居を南に移した。自分はまだ湘南での暮らしを続けるつもりでいるけれど、クリエイター達が中央に集まらなくても、活動できるような状況がもっと進めばいいなと思う。
 この日の打ち上げもひたすら泡盛で攻める。

2011年10月28日金曜日

湘南海岸の夕暮れ

 素晴らしい夕暮れ。美しいシルエット。ごちゃごちゃしてた心が少し落ち着いた

2011年10月27日木曜日

バンド・リハーサル

 下北沢某スタジオにて、来週からのMCCツアー、名古屋、大阪、東京、ラスト5公演に向けて、ケイヤン、寺さん(ベース)、小宮山くん(ドラム)と、みっちりリハーサル。新メニューも色々。
 メンバー4人でリハーサルから多いに盛り上がる。やりがいをすごく感じる。この4人で演奏していると学生時代にバンド組んだ頃のときめきがよみがえる感じ。そう、このスタイルがオレのルーツなんやよな。
 今回の5公演はセッションを見せようという感じではなくて、バンドの一体感、ときめき、初期衝動を伝えたい。自分のルーツを確認して、メンバーと一緒に 思いっきり弾けようと思う。「ミラクルマン」のジャンプもハンパなく行くよ!ここ10年間の自分のライブの中で、最もシャウトして、最も汗をかいて、最も カロリーを消費する、最高にエモーショナルなステージにしたいと思う。
 見逃さないでほしいな。

2011年10月23日日曜日

沖縄最終日、打ち上げではシリアストーク

沖縄県北谷 LIVE HOUSE MOD'S
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 北谷に移動する前に、国際通り界隈を散歩。丁度、旗頭フェスティバルが行われている最中で、歩行者天国となった通りはとても賑わっていた。3.11以降、沖縄に来る観光客の数が増加しているそうだ。
 3年前に東京から沖縄に越してきた知人からは、3.11以降、内地から多くの人が越してきて、彼らとのつながりができて、暮らしの中でのネットワークがひろがったという話も聞いた。
 牧志や桜坂辺りを歩いていると、若者ばかりでなく、おじい、おばあの姿もよく見かける。街の中に高齢者の人達の居場所があるのがいいなあと思う。
 沖縄本島にはツアーで何度も来ているけれど、まだ行ったことがない場所、見て回りたい場所が色々あって、ホントはもっと数日滞在できればよいのにと思う。
 この日のライブ会場MOD'Sは、美浜アメリカンビレッジという名の大きなショッピングモール街の中にあるライブハウス。その名の通りアメリカンテイストな街並。これもまた沖縄の1つの顔。
 MOD'Sは2年前にこのビレッジ内で移転。移転後に訪れるのは今回が初。随分キャパが大きくなったけれど、オーナーの吉屋武(キャン)さん、奥さんのヒロミさん、2人の息子でPA担当のヨシモリくん、他スタッフの皆さんの暖かい雰囲気は以前のまま。
 昨日に引き続き、ステージ後半からPすけがパーカッションで参加してくれて、多いに盛り上がる。この日もアンコールでケイヤンとの共作「夢じゃない」を披露。自分にとっても、ケイヤンにとっても、今後とても大切な曲になりそうな手応えを感じる。
 ライブ後は、那覇に戻って打ち上がる。一次会の主な話の内容は、震災と原発事故について。打ち上げでは、アホな話もシリアスな話もどっちもあり。こういう話も沖縄の人達としてみたかったのだ。
 被災地を回って、見たこと、感じたことを話している時に、沖縄在住の知人から「僕も被災地に行くべきだと思いますか?」との質問を受けた。多分、こうい う質問が出る心理の1つには「うしろめたさ」があると思う。自分も3.11以降「うしろめたさ」を抱え続けている1人だから、彼の気持ちがわかる気がし た。
 けれど、その質問を受けて、どうするべきだという答をこちらが示すべきではないと感じた。その答は本人が出してほしいと思う。「3.11以降、自分で考 えて、自分で判断し、決断して行動することが大切さだとあらためて感じた」。話を聞いていたケイヤンの口から出た言葉だ。
 悩むことと考えることは少し違うと思う。堂々巡りを繰り返すばかりではなく、歩きながら感じ、考え続けたいと思う。
 沖縄での4日間はとても濃密だった。感謝。

 ケイヤンとのツアーも、東名阪5公演を残すのみ。最後の5公演は、ベースに寺岡信芳、ドラムに小宮山純平が参加してのバンドスタイル。ここまでのステージとは、かなり選曲も内容も変化する予定。新曲、共作もお楽しみに。
 大阪、東京の2DAYS各公演は、それぞれメニューを変えてお届けするので、余裕のある方はぜひ2日間お来し下さい。
 最後の5公演で、セッションでは表現できないバンドサウンドを形にしたいなと思う。こういう機会なかなかないしね。気合い入れてのぞみます!ぜひ!

2011年10月21日金曜日

石垣でケイヤンとの初共作を初披露

沖縄県石垣島 Jazz Barすけあくろ
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 この日は昼飯時に激しいスコールが降ったけれど、雨が上がった後は、晴れ間も覗き始める。昼過ぎから石垣島の知人が車を出してくれて、会場入りする前に 島を回ってくれる。まずは、石垣の古い街並が最も残っていると言われる保内町へ。自分と同世代にあたる八重山民謡の唄者、大島保克君や新良幸人くんらが生 まれ育った町ということもあって、一度足を運んでみたかったのだ。
 ほんと時間の流れがゆるやかで、穏やか。家の作りがどこもオープン。過去からつらなる現在を当たり前に感じながらの暮らしが、この場所には残っているようだ。あまり長い時間滞在できなかったことが残念。
 保内町を出てさらに北に向かい玉取崎展望台より海を見下ろす。日本の海は各地で景色が随分異なる。日本の風土はほんとに多様だと思う。
 石垣入りする前日にケイヤンとの共作をほぼ完成させていたので、この日のライブ前リハーサルで、その新曲をケイヤンと初音合わせ。うん、これはいけそう!
 島のライブ開始時間は遅い。そして夜が長い。この日の開演予定時間は午後8時半で、実際に始まったのは9時前。元々電車が走っていなくて、終電を気にする必要もないし、内地に比べるとタクシー代も相当に安い。
 ライブは後半にお客さんが総立ちになる盛り上がり。アンコールではケイヤンとの共作「夢じゃない」を初披露。こんなに熱い曲を書いたのは久し振り。最近使っていなかった引き出しをケイヤンに開けてもらった感じ。すごく新鮮で、手応えを感じた。
 2年振りの石垣で、変わりのない暖かい空気に包まれながら、現在進行形の自分を表現できた感じ。この日も、出会いと再会に満ち満ちたマジチェンだらけの夜だった。
 石垣の皆さん、ホントにありがとう。また早くに戻ってきたいです。

2011年10月20日木曜日

2年振りの石垣島

10/20(木)
 約2年振りの沖縄石垣島。なんかもう、飛行機のタラップを降りた瞬間から、包み込まれるような、のんびりした心地よい空気。やっぱり暖かい。Tシャツ1枚で充分。
 いつものように、すけあくろマスターのミツオさんとスタッフのひゃくちゃんが空港まで迎えに来てくれる。ミツオさんからは会うなり、ゆっくりとしたやさしい訛りで「2年振りだけど、こちらは特に変わりないよ~」と言われる。
 夜は、地元の人達や今回のツアーに合わせて関西から遊びに来た知人らが入り交じっての宴会。主なアルコールは石垣の泡盛「白百合」。少し、臭みがあって、一度飲んだら忘れられない味。
 いつも思うことだけど、泡盛は内地で飲むより沖縄で飲んだ方がずっと美味しく感じる。ケイヤンがよく言うように、お酒は何を飲むかより、誰とどこで飲むかの方が大事。これって、色んなことにあてはまるな。オレもケイヤンも酔いの回りがやたら早かった。
 ライブの前日入りって、大概飲み過ぎてしまってやばいのだ。わかっているのにやってしまう。出会いあり、再会ありの楽しい宴。

2011年10月17日月曜日

友部さんの息子、一穂君と初共演

下北沢SEED-SHIP
【出演】リクオ/MAKANA
 ライブ会場のSEED-SHIPは今年オープンしたばかりのフリースペース。初めて訪れたのだけれど、ピアノの響きがとてもよくって、生音でライブをや らせてもらいたくなった。オーナーの土屋さんとは、彼が西麻布でOJASというラウンジ風クラブをやっていた14年程前からの付き合い。
 この日共演したアコースティック・トリオバンド、MAKANAのボーカル&ギター担当、小野一穂君は、友部正人さんの1人息子。友部さん夫妻とは自分が CDデビュー前する前からの長いお付き合いをさせてもらっていて、一穂君のことは彼がまだ中学生だった頃から知っていたので、この日の初共演は感慨深いも のがあった。
 彼のことは、やはりお父さんと重ね合わせてみてしまう。その佇まい、性格は友部さんと共通するところが多く、音楽的にも友部さんの影響がうかがえる。
 一穂君がどんな変遷を経て今の表現に至ったのかはよく知らないけれど、どこかの時点で、父親からの影響を素直に受け入れたことで、むしろ彼の個性がはっ きりと表れたのではないかという気がした。前の世代から多くのものを受け継ぎながら、その表現には彼の世代ならではのニオイを感じた。
 MAKANAは歌心とグルーブが心地よく伝わる伝わる素敵なバンドだった。若干23歳ハープ担当の夏樹君は逸材だ。きっとこれからいろんな場所で活躍するようになると思う。
 アンコールでのセッションも楽しかったなあ。一穂君がセッションで用意した1曲「恋コーヒー」という曲は、自分が学生時代に一緒にバンドをやっていた外 村伸二の書いた曲だった。外村は20年振りの2NDアルバム「ストーリーズ」が今年発売になったばかり。その中で自分も1曲ピアノで参加してます。しみる アルバムです。一穂君はオレと外村の関係を全く知らなかった。彼がこの曲を選曲してくれたことが、とても嬉しかった。
 色んなつながりを感じながらステージに立てることが幸せだった。

2011年10月16日日曜日

被災地を見て回る

 相馬市ライブの翌日は、森田さん、えくちゃんにガイドをしてもらって、相馬市以外の遠方からやってきたお客さん達含め総勢9名で被災地を見て回った。そ の中には、知人の2人、東京で雑誌編集者をしている吉田君、長崎でR-10というバーをやっている工藤ちゃんも参加。遠方から来た人達は皆、相馬の現状、 放射能のことを一定以上理解して、参加してくれているようだった。
 自分はえくちゃんが運転する車に乗せてもらったのだけれど、彼女が被災地を回りながら語る震災、原発事故後の体験談は強烈で、ここで伝えることを憚るような内容の話も多かった。
 まず連れて行ってもらったのが「災害ごみ集積所」、つまり震災による瓦礫置き場。人々の暮らしの想い出がつまった場所を、このように表現してしまうことには、ためらいを感じる。しかも、この場所からは遺体も発見されているそうだ。
 津波にすべてを持っていかれた沿岸沿いの街は、瓦礫の撤去がかなり進んでいて、3.11以前の街の姿を想像することは困難だった。沿岸沿いは80センチ程の地盤沈下が起こっていて、満潮時には道路が浸水してしまうそう。
 津波で壊滅した港で、多くの人達が釣りを楽しんでる光景は意外だった。釣った魚はどうするのだろう。放射能汚染は気にならないのだろうか?港では津波で陸地に打ち上げられた船を何隻も見た。
 震災後のどさくさで相馬市の治安は悪化して、森田さんが市街で経営するCDショップには2度も空き巣が入ったそう。
 相馬市の被災地を見た後は、南相馬市に移動し、障害者の自立のための作業所「えんどう豆」におじゃまして、この作業所を運営する佐藤さんから、震災、原 発事故後の生々しいお話を色々とうかがう。佐藤さんは震災後に、南相馬市に残っている障害者の人達を支援する「つながり∞ふくしま」というプロジェクト立 ち上げた。自分もそのプロジェクトに賛同して、ケイヤンとのツアー用の物販として缶バッジの製作をお願いした。御陰さまで大好評で、ツアー途中で缶バッジ は売り切れ、再発注させてもらった。この日は、実際に自分の手でその缶バッジの製作を体験させてもらった。
 南相馬市へ入ると、目に入るほとんどの田畑は放射能の影響で耕作されていなかった。除染のためなのだろう、何軒もの民家の木が切られているのも目に入った。
 吉田君が持参したロシア製のガイガーカウンターRADEX1503が示した南相馬市街の線量は、0.2μSV/h台だった。けれど、市街を離れ田畑や山 に囲まれた自然が近い場所では、線量は倍以上の数値になった。線量は7月に南相馬を訪れた時と変わらない状況だった。7月にはほとんど閉まっていた国道沿 いのお店のいくつかは再オープンしていた。
 原発事故以降、多くの人達が南相馬市を離れた。疎開してまだ戻って来ていない人もいるし、引っ越してしまった人も多い。前日に共演した朝倉君のように、 子供だけを疎開させている家族もいる。えくちゃんから聞いた話では、子供が疎開した場所でいじめに合ったりして馴染めず、帰って来る例も多いのだそう。そ んな状況の中で、緊急時避難準備区域の解除に伴い、南相馬市原町区の小・中学校が再開した。果たして、幼い子供を街に戻すことが正解なのかどうか、小・中 学校を再開すべきなのかどうか、南相馬市以外の人達も一緒になって考えるべき問題だと思う。
 えくちゃん、森田さんの話を聞いていて、自分達が暮らす街が、国から見放されているという思い、そのことへの憤りや、相馬や南相馬の現状を他人事にせず、もっと多くの人達に知ってもらいたいという願いを強く感じた。 
 南相馬から一端相馬市へ戻ってこの日のツアーは終了。森田さんが新幹線に乗れる白石蔵王まで自分と吉田君を車で送ってくれる。しかし、白石に行くとなる と、やはりミルトンに寄らないわけにはいかない。そして、ミルトンに行けば、やはり三浦夫妻と飲んでしまうのだった。12月17日(土)にはミルトンでソ ロライブをやります。お近くの方はぜひ。
 帰りの新幹線の車中でも吉田君と、この2日間で見たこと、感じたことを確かめ合うように、たくさん話をした。
 ネットやテレビから得る情報だけでは、わからないこと、感じとれないものがたくさんあるのだということを、あらためて実感した。ツアー生活の中で、現場 に身を置き、五感を使って受け取ったものを、伝えたり、形にすることが、自分にできる役割の1つなのかもしれない。

2011年10月15日土曜日

そこに暮らしがある限りー相馬市にて

福島県相馬市 菊池蔵(フレスコキクチ相馬店奥にある会議室)
「リクオLIVE in Soma Cityで~ドンちゃん騒ぎ!!!~」
 この日の相馬ライブに対しては、やはり特別な思い入れがあった。元々今年の4月に相馬市でのライブが企画されていたのだけれど、3.11東日本大震災で 津波によって街が甚大な被害を受け、たくさんの犠牲者が出た上に、追い打ちをかけて福島第1原発の事故が起こり、放射能が降り注ぎ、ライブの開催どころで はなくなってしまった。
 相馬市は今も安定した日常を取り戻してはいない。そんな中で、通常のライブの開催することに対して、開催日が近づくにに連れて、ライブ企画者の1人であ る森田さんや自分の中での不安や葛藤が大きくなっていった。特に県外からライブに足を運んでくれる人達に対しては、神経質になった。もっと事前にくわしく 相馬市の現状を伝えた上で、来てもらえるよう気を使うべきだったのではと、直前になって自問した。
 相馬市街は、人通りが多く思いのほか賑わっていた。より放射線量の高い場所からの避難民と復興関係の仕事で来ている人達で、相馬市の滞在人口は3.11以前より随分と増えていて、市内のホテルは年末までどこも満室だそう。
 この日宿泊したホテルの受付カウンターのテーブルの上には、放射線量を測るガイガーカウンターが置かれてあった。その数値に何度が目を通したけれど、大体0.1μSV/h前後で、線量は思っていたよりも低く、東京の数値とそう変わらない感じ。
 ライブ会場のあるフレスコキクチは相馬市が本店のスーパーで、震災直後からお店を開け、市民の食を支え続けた。菊池蔵はフレスコキクチ相馬店の奥にある蔵作りの会議室。趣のある造りで音の響きもとてもよかった。
 ライブのスタッフは何度もお世話になっている地元の人達ばかり。てきぱきと現場を仕切っていたのは、国連から派遣されて非営利活動法人「難民を助ける 会」で被災者支援を続けているえくちゃん。会場入り口の垂れ幕とステージのバックに飾られた垂れ幕は、南相馬市で障害者の人達の自立作業場「えんどう豆」 を運営している佐藤さん作。PAはいつもお世話になっている津田さん。開演前と終演後のDJ担当は南相馬市立病院で働く柚原くん。この日は、柚原君からえ んどう豆の佐藤さんへガイガーカウンター2台が贈呈された。白石カフェ・ミルトンの三浦夫妻からは、スタッフの人達用にお弁当が届けられた。この他にも何 人もの地元の人達がライブのスタッフに加わっていた。思いがたくさんつまったライブイベントであることが、開演前から充分に伝わって、モチベーションが 増々上がった。
 この日にどんなライブをやるかは、事前に色々イメージした。けれど結局、ステージに上がって、その時に感じたまま進行してゆくのがよいという考えに至った。つまり基本的にいつものソロライブのスタイルでやるということ。
 ライブ前に相馬市の知人、蒼龍寺というお寺の住職である俊英さんからメールをいただいた。「あまり被災地であるということを意識せず、楽しい曲、心にし みる曲を演奏してください」メールにはそう書かれていた。この言葉に少し気持ちが楽になった気がした。 
 ステージに上がったら、いきなりたくさんの拍手と歓声をもらった。会場を見渡すと、皆満面の笑顔。ああ、待ってくれていたんだなと感じた。思うまま、感 じるままに語り、演奏した。アンコールでは8月のカーネーション江ノ島ライブで知り合ったばかりの兄弟ユニット「ブラウンノーズ」1号の朝倉君がハープと 歌で飛び入り。彼は南相馬市で高校教師をしているのだ。
 どんな状況でも今いるこの場所をパラダイスにする。そう思ってツアー暮らしを続けてきた。この日は、そんな自分自身の姿勢がためされているようにも思えた。この夜の菊池蔵は、たしかにパラダイスだった。忘れられない夜になった。
 「相馬の人達がこんな風に音楽しめるようになったのが嬉しい」ライブの後に森田さんがそう語っていたのが、とても印象に残った。
 沢山の人達がこの街で、葛藤、憤り、不安を抱えながらも、どうにか日々の営みを続け、新しい日常を取り戻そうとている。この街で暮らす人達がいる限り自分は何度でも相馬に戻ってきたいと思う。

2011年10月14日金曜日

3.11以降、初の仙台ライブ

仙台市 サテンドール2000 
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 3.11以降に仙台を訪れるのは、今回が初めてだった。やっと戻って来たなあという感じ。サテンドールのマスターの岡崎さんが自家用車で駅まで迎えに来てくれて、お店に到着する迄の間、仙台の状況を色々と聞かせてもらう。
 震災以降、職を失った多くの人達は、復興関係の仕事につき、市内のホテルは、県外から復興関係の仕事でやってきた人達で、常に部屋が埋まっている状態な のだそう。街ではここ数ヶ月、震災以前を超える数の大小のライブイベントが開催されていて、はっきり言ってイベント過多の状態、動員が厳しくなっていると のこと。
 お店に着いて、サテンドールのじゃじゃ馬ピアノと久し振りに再会。か
たくて重い鍵盤だけれど、鳴りはよく、打てばよく響いてくれる。 
 リハーサルの後、市街をぶらついてみたのだけれど、街の景色は以前とそんなに変わりがないように見えた。むしろ人通りが多く、賑わいを感じた。
 ライブは終始素晴らしい盛り上がりだった。やはり、3.11以降、仙台での初ライブだったことが、盛り上がりの一因になっていたと思う。会場中が、音楽 を通じて、出会い、再会し、一期一会を分ち合う喜びに満ち満ちていた。ケイヤンはこの日も笑顔満開、最高の空気を仙台に運んでくれた。
 石巻ラ・ストラーダの相澤夫妻、白石カフェ・ミルトンのママ、晋平さん&ともちゃん、DJテリー、南相馬の柚原くん等何人もの東北の知人と嬉しい再会。
 マスターの岡崎さんがケイヤンとの出会いをすごく喜んでくれたのも嬉しかったなあ。
 また仙台に戻ってきます

2011年10月13日木曜日

葛藤  明日からまた東北へ向かう。

14日にケイヤンと仙台で演奏し、15日は福島県相馬市でソロで演奏する。どちらも10年以上ツアーで通い続けてきた街だけれど、3.11以降にライブで訪れるのは初になる。

 本当は今年の4月9日に相馬市でのライブが決まっていたのだけれど、とても開催できるような状況ではなかった。街は地震と津波による甚大な被害を受け、多くの死者が出て、たくさんの人達が家族と家と仕事を失った。
 そこに福島第1原発の事故がさらに追い打ちをかけた。福島原発は相馬市から45キロの距離に位置している。原発事故は今も収束に向かっているとは言い難く、街に残った人達は放射能の不安にさらされながらの生活を余儀なくされている。

 自分は3.11直後から今回のライブの企画首謀者である森田さんと定期的に連絡を取り続けてきた。震災から10日経った時に、森田さんからメールが届い た。震災以降、8日間の間で、神奈川県内で決まっていた自分のライブが2つ中止になっていたのだが、森田さんはそのことを気にして連絡してきたのだ。
 「被災地以外でのライブは中止せずに続けてほしい。この状況で音楽まで奪われたら人間だめになる。皆が元気になるパフォーマンスを各地に届けてほしい。 それがリクオ君の使命だ。」そんな内容のメールだった。家をなくし、知人を亡くし、あまりにも多くを失い、さらに原発事故が起こり、先の見えない不安の状 況の中で、森田さんは、こんなメールを送ってくれたのだった。
 その後も被災した何人もの知人から同じようなことを言われた。不安と葛藤の中で、彼らに背中を押されながら、自分は演奏を続けよう、音楽をやり続けようとあらためて思った。
 6月に入って森田さんから、10月に相馬市でライブをやらないかという話をもらった。すぐに了承した。けれど、了承した後に考えさせられる出来事もあっ た。不安要素の残る地域に行くにあたって(そこで暮らす人達のことを考えるとこういう言葉を使うのはとても心苦しいのだけれど)、安易に誰かを誘っては行 けないなと思った。状況は安定しておらず、刻々と変わり続けているようだった。

 9月30日に文科省は各地での放射性ストロンチウムの検出結果を発表した。それによると相馬市内の区域で2400ベクレルのストロンチウム90が検出されている。この発表に際して、政府から相馬市長への連絡は何もなかったそうだ。
http://konstantin.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-c340.html

 今回の相馬ライブは有料で開催される通常の形でのライブだ。この時期に相馬で通常の形でのライブを開催するにあたっては、企画する側も悩んだと思う。自 分も6月の時点で開催時の相馬がどういう状況なのかはっきり想像できていなかったし、今も相馬の現状をすべて把握できているわけではない。
 そういう状況の中で、開催地域外から積極的にお客さんを呼ぶ事には、やはり躊躇も感じる。お子さんや妊婦さんには、来ることを控えてほしい。正直、気持ちは揺れている。
福島県環境放射能測定結果・検査結果関連情報
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23853

 「3.11以降の『新しい日常』を、なんとか相馬でつくいたい」このライブを企画するにあたっては、そんな思いが込められているのだと自分は想像している。15日のライブでは最高の空気をつくりたいと思う。

 多くの人達が葛藤の中で、なんとか明るい道筋を探し出そうとしている。自分はそういう人達がいてくれることに希望も感じている。葛藤しながら、自分ができることをやろうと思う。

2011年10月9日日曜日

高岡にて理想的なライブ空間

富山県高岡市 カフェ・ポローニャ CAFE!!ROCK!!LIVE!!VOL.29
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
オープニングアクト:anoa
 高岡駅から車で数10分、県道ルート66沿いの田んぼばかりの風景の中にカフェ・ポローニアはある。
 初めて訪れた時は、こんな市街から離れた場所で、お客さんが集まるのだろうかと不安にもなった。けれど、その不安はすぐに解消された。
 今迄、CAFE!!ROCK!!LIVE!!がポローニャで主催してくれた自分のライブで、席が埋まらなかったこと、盛り上がらなかったことは一度もない。
 それにしても、この日の盛り上がりは素晴らしかった。お客さんがライブの楽しみ方を充分に心得ていて、盛り上がるところは盛り上がり、聴くところはしっかり聴いてくれる。イベントが回を重ねて、どんどん育っていっているのを感じた。 
 CAFE!!ROCK!!LIVE!!首謀者の渡辺君は、ほんと熱い男。打ち上げ花火ではなく、常にイベントの継続を考えているところも素晴らしい。
 オープニングゲストのanoaちゃんはケイヤンと同じ大阪高槻出身。彼女とのセッションもすごく盛り上がって楽しかった。anoaちゃん、以前よりも弾けたなあ。
 皆でつくりあげた理想的なライブ空間だった。

2011年9月30日金曜日

札幌でマジチェン

札幌 く う
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 小雨の札幌は、ひんやりとして既に冬の気配。なのにケイヤンは短パン。
 くうは品性と暖か味のあるライブハウス。お店をやっている山本さん夫妻の落ち着いて柔らかい佇まいが、お店の雰囲気にも反映されているように感じる。お店にあるグランドピアノの鳴りが良く、会場の響きもすごくナチュラル。
 ケイヤンとのライブは最初から会場一体で大盛り上がりのパターンが多いのだけれど、この日は序所に客席が熱を帯びてゆく感じで、これもまた新鮮だった。くうでライブをやると演奏の細かいニュアンス、繊細な部分が伝わりやすい気がする。
 この日は、自分が先週作ったばかりの新曲「ハッピー&サッドソング」とケイヤンが持ってきたカヴァーの新曲を2人で初演奏。うん、手応え有り!
 2次会は、いつものように松竹屋清さんがやっているバー、バイーアへ。清さんとケイヤンは17年振りの再会だった。

2011年9月26日月曜日

名古屋でじっくり、たっぷり弾き語り

名古屋 パラダイスカフェ21
 パラダイスカフェでライブをやらせてもらうのは多分は20年以上ぶり。自分の記憶では西岡恭蔵さんと一緒させてもらったのが最後だったと思う。
 この日は、会場に着いて、お店のピアノを弾き出したら、色々イメージがわき始め、久し振りに演奏してみたい曲が何曲も思い浮かんできたので、ソロではめずらしくリハーサルに時間を費やした。
 本番では最後まで集中力を維持して、じっくり、たっぷり弾き語ることができた。久し振りに演奏した「愛の讃歌」は、新鮮やったな。
 豊橋、函館、香港等からも知人が会いに来てくれて嬉しかったな。また元気に再会しませう!
 ライブを企画してくれた松井さん、ありがと。

2011年9月25日日曜日

種を蒔いた人ー亀山にて

「亀フェス2011~月のつながり~」
【会   場】山小屋カフェ望仙荘 キャンプ場ピーターパンの森
三重県亀山市安坂山町
【出演】 PASCALS/中川敬/山口洋/リクオ/矢野絢子/おもろのきわみand more!!
 3年前に亡くなった月の庭の店主マサルさんが生きていたら50歳になるこの日、マサルさんと繋がっていた多くの人達が協力しあって亀山でお祭りが企画され、縁のあった多くのミュージシャンが集まった。
 多分、このお祭りに関わり、集まった大半は、新自由主義とか、経済至上主義とか、グローバリズムとかいったものから、かなりの距離をおいた暮らしをして いる人達だろう。ヒッピー文化の流れも感じたな。一般から見れば、世間からはずれた変わった人達の集まりなんだろうけれど、そういう人間がマイペースで暮 らして行ける多様性を受け入れる世の中であってほしいと思う。
 自分は生前のマサルさんとは数回した会ったことがなく、そんなに深い付き合いではなかったのだけれど、色んな人達からマサルさんの話を聞き、この日の祭 りに参加させてもらったりしてゆくうちに、既にこの世にはいないマサルさんが自分にとってどんどん近い存在になってゆくのを感じる。今もたくさんの人達の 心の中にマサルさんは存在している。
 この日のステージに飾られた藁は、福島県から送られた苗を亀山の棚田で育てたものだそうで、収穫したお米はまた福島に返すといいう取り組みが行われているのだそう。この試みに、この日の祭りの精神が象徴されているように思えた。 
 マサルさんが蒔いた種は、こうして辺境の場所で実りつつある。参加させてもらえてホントによかった。

2011年9月23日金曜日

八幡浜最高!

愛媛県八幡浜市 スモーキードラゴン
「MAGICAL CHAIN CARAVAN vol.2」
【出演】ウルフルケイスケ&リクオ
 松山からJRで八幡浜へ。オレは4年振り、ケイヤンにとっては初の八幡浜。八幡浜に到着したら、まずはご当地グルメのちゃんぽんを食べに行く。八幡浜には50軒ものちゃんぽん屋さんが存在するのだそう。これが、美味しいのだ。
 ライブを主催してくれた梶虎君との付き合いは、彼が学生の頃からで、もう13年になる。10年程前から、愛媛でほぼ毎年自分のライブを企画し続けてくれる最高のサポーターなのだ。
 色んな街でたくさんの人に出会ってきたけれど、ここまでストレートに熱い男はなかなかいない。とにかく人を巻き込む力がはんぱない。楽しみを独り占めすることなく、いつも誰かと分ち合おうとする姿勢が素晴らしい。彼のときめきは人に伝染する。
 この日のライブ会場のスモーキードラゴンは、街の音楽好きの社交場なんだそう。マスター自らもギタリストとしてステージに立ち、街の音楽活性化に1役も 2役も買っている。スモーキードラゴンのような、集まれて発信できる場が、街に1つでもあることが、とても大切だと思う。
 チケットはソールドアウト。お客さんには入場の際に記念のパンやポストカードが配られ、BGMは梶虎君が選曲、とにかく至る所に主催者の思い入れが反映されていた。こういう熱は必ず伝わる。開演前から会場は出来上がった状態。
 実は風邪気味で体調があまりよくなかったのだけれど、ステージに上がったらそんなことは忘れてしまった。梶虎君、スモーキーの皆さん、さっちゃん&お母さん、お客さん、演者、皆で作り上げた最高の共鳴空間だった。
 打ち上げでいただいた海の幸も美味しかったなあ。八幡浜ええとこやで。
 ありがと!!