福島県郡山市 ラストワルツ
郡山に向かう前に、ミルトンの三浦夫妻、柚原君と一緒に、温泉街の遠刈田へ、三浦夫妻おすすめの鴨蕎麦を食べに行く。
柚原君の運転する車で遠刈田に向かう道中、民家や田畑の敷地内で、たくさんの身をつけた柿の木をよく見かけた。数百年も昔から続いているであろう日本の
冬の風景。例年なら、これらの柿の多くは干し柿にされるのだけれど、今年は放射能の影響で、地元の殆どの人達が食することを控えているそうだ。
それとは対照的に、道中よく見かけたリンゴ畑のほとんどは収穫を終えていた。この辺りのリンゴが年内で収穫を終えることはめずらしく、それは原発事故の
影響で福島県産のリンゴが売れないことが影響しているのだそうだ。話を聞いていなければ、自分はこれらの車窓の風景にただ心を癒されていただろう。
連れてもらった遠刈田の蕎麦屋さんは、震災で店が倒壊し、その後同じ場所に再建し、再オープンされたのだそう。そのお店で食べた鴨蕎麦は、どこでも食べたことのない味で、素晴らしく美味しかった。
鴨蕎麦をいただいたあと一端白石に戻ってから、三浦夫妻が自家用車でこの日のライブ地である福島県郡山まで送ってくれる。
3.11以降、郡山を訪れるのは8月のプライベート訪問以来2度目。この日のライブ会場ラストワルツとの付き合いは、もう13年くらいになるかと思う。
お店に着いて、リハーサルに入る前に、マスターの和泉さんから現在の郡山の状況など聞かせてもらう。
郡山市街の現在の空間放射線量は毎時0.7マイクロシーベルトを前後するくらい。夏に訪れた時からあまり変わらない線量。市街から少し離れた居住区だ
と、その倍以上の空間線量になる場所もあるそう。除染をして一端線量が下がった場所も、しばらくするとまた線量が上昇してしまうケースが多く、これからの
季節は、風向きや雪の吹きだまり等によって新たなホットスポットが生まれることも懸念されているそう。つまり、収束からはほど遠い状況なのだ。
8月にプライベートでラストワルツを訪れた時の話。地元の知人達とさんざん飲んだ後に、再会を誓い合い、別れを惜しんでの帰り際、マスターの和泉さんが自分のそばまで寄ってきて、唐突にこう言ったのだ。
「リクオ、No more Fukusimaの曲を書いて!」
普段は寡黙で、相手を気遣い、自分の感情を人にぶつけることのない和泉さんからの言葉だからこそ、余計に胸がつまった。
それから4ヶ月の間にいくつもの曲が生まれた。それらは直截的に「No more Fukusima」を歌ったものではないけれど、和泉さんにぜひ聴いてもらいたい曲達だった。
心を込めて歌い、演奏することができたと思う。
和泉さんも店のスタッフも、この日のライブをとても喜んでくれた。
打ち上げの席での話題の多くは、震災、原発事故に関するものだった。つらい話を色々と聞いた。
打ち上げに参加した郡山在住の男性の伯父さんは、郡山で農業を営んでいたのだけれど、原発事故の後、放射能汚染に絶望して自ら命を断ったそうだ。
ラストワルツの女性スタッフのTちゃんは「原発事故で一番つらかったことは、回りの人間関係が崩壊してしまったこと」だと話した。
「福島は日本から独立した方がいい」という極端な意見も出た。地元の人達にそれだけ孤立感があるということだ。
「福島産の食材がこんなに美味しかったなんて原発事故前は知らなかった。」そんな話も聞かれた。その人は福島の第一次産業を守りたい思いもあって、率先して福島産を食しているのだろう。
正しいか、正しくないかを論じるよりも、こういった気持ちや状況を知ることの方がまず第一なのだと思う。今回の東北ツアーを通じて、相手の気持ちに寄り
添うこと、現場の状況を知ることの大切さと難しさをあらためて感じた。知ってるつもりでわかっちゃいないこと、実感できていないことがたくさんある。
打ち上げの席で、和泉さんからこんなライブの感想をもらった。
「今夜のリクオの歌を聴いて、自分達は見捨てられていないと思えた」
郡山で暮らす人達の気持ちに、ほんの少しでも寄り添えたのならばよかったなという思いと同時に、和泉さん達の絶望を感じとって、何とも言えない気持ちになった。
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