2016年12月14日水曜日

「ナイーブ」への共感ー「peace, love and understanding」を歌うことについて

ニック・ロウがオリジナルで、エルヴィス・コステロが歌って広く知られるようになった名曲「(what's so funny'bout)peace, love and understanding」に日本語詞をつけて、3年程前から時々ステージでカヴァーするようになった。今年の11月から各地で13公演行われた中川敬くん(ソウルフラワーユニオン)との2人ツアーでも、この曲をメニューに入れて、毎晩演奏した。
3日前には、リクオ with HOBO HOUSE BANDによるステージで演奏されたこの曲の動画が、YouTubeにアップされた。https://youtu.be/4SrMbyEv3L8

「愛と平和と相互理解を求めるってことの、一体何がおかしいんだ?」

ニック・ロウのそんな問いかけに対して、自分なりの言葉をのせて歌おうと思うに至ったのは、穏やかならざる時代の空気が関係している。
世界的な流れとして、不寛容、排外主義、レイシズム、両極化による2項対立が進む中で、自分達が他者と共存してゆく上での最低限の共通認識が崩れはじめている、以前は「当たり前」だったはずのことが、そうではなくなり始めている不安を感じる。

これまでの「当たり前」が、「キレイゴト」や「お花畑」として否定され、差別意識を含んだ扇動的な言葉が「本音」として人々から喝采を浴びるようになった。お墨付きを得た「本音」は暴力的な感情の塊となって広がり、制御できない状況が各地で起こり始めている。英国のEU離脱やアメリカの大統領選挙の結果も、そのような状況の表れだと思える。
ネットを通じたデマとプロパガンダが横行するpost-truthと呼ばれる時代の中で、分断は深まり、他者への想像力は奪われ、どんどん感情のタガが外れてゆく怖さを感じる。

ここ数年は、リベラルの側から、「そのような感情に対しては、こちらも理性や知性ではなく感情で対抗すべきだ。下品な言動もありだ」といった意味合いの意見を目や耳にすることが多くなった。実際にそのような姿勢に基づいた行動や運動が、一定の成果をもたらしていると思う。
ただ、自分にはそういうやり方ができない。それは、自分が安全で恵まれた場所にいるからではないかと自問したりもする。
相対主義に寄りかかった冷笑主義には共感できないし、楽しさだけでなく正しさも共有したいと思う一方で、振りかざされた「正義」に戸惑いながら立ちすくむ自分も存在する。

ナイーブ過ぎるのだろうか?
自らの暴力性を自覚しながらも、相手を記号化して、感情的、暴力的(実際に肉体を傷つけるわけではないです。念のため)に対抗する手法には抵抗を感じる。酒の席で面と向かってなら、激しく感情的に言い合うことができるし、場合によっては胸ぐらを掴み合うことぐらいは辞さないけれど、それは、互いの感情を受け止めて、傷つけあいながらも受け身を取り合うことが暗黙の前提になっているからだ。

「ナイーブ」って、ニュアンスの微妙な言葉だと思う。その言葉が、脆さを含んだ世間知らずで役立たずなメンタルとして、否定的に使われる場合があることも自覚している。自分の中のそうしたメンタルに引け目を感じる一方で、「弱さ」を保ち「役立たず」であり続けたい、そんな立場の人間も存在すべきではないかとも思う。
このへんの気持ちを言葉にするのは難しい。
振り子が大きく左右に振れる中で、振り切れずに立ちすくむのにも、それなりの意志と覚悟が必要な時代になったと感じる。

ニック・ロウの書いた「(what's so funny'bout)peace, love and understanding」という曲に、自分が共感する理由の1つは、「ナイーブ」を維持し続けながら「正しさ」を確認しようとうする意志を感じるからだ。そうした思いを、あくまでもポップスとして表現しようとする姿勢に勇気づけられるのだ。https://www.youtube.com/watch?v=q_u2OK_IKw0
そしてこの曲は、エルヴィス・コステロがカヴァーすることによって、更なるガッツを注入され、スタンダードなロックナンバーとなった。ここ数年、コステロのヴァージョンを聴くことで、何度奮い立たされたかわからない。https://youtu.be/uuYPCP2RSXA

以前、自分が音楽表現する上で心掛けていたことの1つは、「ナイーブ」との距離感だった。けれど今は「ナイーブ」を自覚し、維持することが1つのテーマになりつつある。この変化は自分よりも世の中の変化によるところが大きい。
「ナイーブ」を維持しながら、「正しさ」を確認し、日々の中で楽しみを見つけ出し、遊び続けることが、この時代の中での自分なりの抵抗だ。

ー 2016年12月14日

2016年11月18日金曜日

トランプが勝利してからの8日間

スタジオにこもって、来年1月にリリース予定のライブアルバムのミックス作業をしている最中、アメリカの大統領選でトランプの勝利が確実になったとことを、スマホのヤフーニュースで知った。悪い予感が当たってしまったなあと思った。
そう言えば、今から約15年前の9月11日にニューヨークでテロが起きたことを知ったのも、スタジオでのミックス作業中だった。動揺は、あの時の方が大きかった。トランプの勝利も、9・11に匹敵する大きな出来事だと思うけれど、世界各地で起こり始めたナショナリズムの台頭、不寛容、経済格差の拡がり、移民排斥の動き、繰り返されるテロのニュースなどが、こういった事態を予感させ、ある程度の心の準備をすませていた気がする。

大統領選も大事だけれど、今一番大切なことは最終段階に入ったミックス作業に集中することだった。すぐに、気持ちを切り替えて、作業に没頭した。

レコーディングのミックス作業で、常に自分の課題となっていたのが、コンプレッサー(以下「コンプ」と略)との付き合い方だった。自分はライブでもレコーディングでもコンプありきのサウンド作りが好みではない。音圧や迫力が増す1方で、コンプを強くかけ過ぎると、音が圧縮されて平面化し、柔かさや立体感、メリハリに欠けたサウンドになってしまうのだ。
ただ、コンプそのものを否定しているわけではなく、このエフェクトとのもっとよい付き合い方ができないものかと、ずっともどかしい思いを抱き続けていた。それが、今回のミックス作業での試行錯誤で、その課題を劇的に乗り越えることができたのだ。
その成果はサウンドに如実に現れた。立体感をそこねることなく、ライブの迫力、臨場感を再現し、あの日のメモリアルなステージを1つの作品として再構築することができたのだ。

ベルリンの壁が崩壊した日である11月9日、トランプの大統領選勝利が明らかになり、共和党が上下両院で過半数を獲得し、カリフォルニアでは嗜好用大麻の合法化が可決された。そして自分は、エンジニアのモーキーとの2人3脚で、ライブCDのミックスを完成させた。不安と喜びが交錯する1日だった。

ミックス作業を終えた後は、2日間のリハーサルをはさんで、11月からスタートしていた中川敬君(ソウル・フラワー・ユニオン)とのツアーを再開し、京都へ向かった。かつて自分がアルバイトをしていたこともあるライブハウス・磔磔にて、ゲストに山口洋(HEATWAVE)と宮田和弥(ジュンスカイウォーカーズ)を迎えての2公演は、実に濃密で充実した2日間だった。
ヒロシとの久し振りの共演では、緊張と緩和の振り幅の中で自分の現在地を確認し、宮田君との初共演では、真摯な歩み寄りとオープンな姿勢がもたらす素晴しい化学反応をお客さんと共に満喫した。よく歌い、よく叫び、よく弾き、よく叩き、よく語り、よく飲んだ。
クタクタになって京都から藤沢に帰宅した後は、1日のオフを置いて、ライブCDのマスタリング作業に入った。スムーズに作業は進み、昨日レコーディングの全行程を終了した。そして、明日からまたツアーの再開。

この目まぐるしい日々の間も、アメリカの大統領選の結果のことが頭から離れなかった。
民族差別や宗教差別、女性蔑視を公言する人物がアメリカ大統領になる日が来るなんて、少し前までは想像もできなかった。そんな人物に希望を託さなきゃいけない程、今のアメリカは余裕のない状況なんだろうと思う。トランプの勝利は深刻な症状の表れだ。
こういった状況はアメリカに限ったことではない。日本でも同じような症状が進行し、トランプ的な思考や態度が、ネットやテレビを通じて、拡散され続けている。

自宅で、深夜に録画しておいたテレビ番組を見ていたら、あるコメンテーターが「政治家は道徳家ではない。だからトランプ氏の差別的発言もパフォーマンスとして許容される」といった内容を語っていた。「んなもん、パフォーマンスで許したらあかんやろ!」と、思わず心の中でつっこんでしまった。こういう発言がテレビでも堂々と流される時代の空気に怖さを感じる。
9月にアップしたブログにも同じようなことを書いたけれど、敢えて、もう一度言わせてもらう。自分が、一番恐れているのは、このような発言や思考、態度に、自分も含めて、人々が馴らされ、取り込まれてゆくことだ。このような状況に対しては、慣れることなく冷静に恐れ続けるべきだと思う。

いつからか、自分の回りの世界と、公の出来事、社会を取り巻く状況とのギャップに、戸惑いを感じるようになった。最近は、社会のネガティブな状況が少しずつ自分の回りを侵し始めているように感じることがある。
公の出来事や社会の空気に取り込まれ過ぎることなく、日常の暮らしを大切に、柔らかさを保ちながら日々を過ごしてゆきたいと思う。得てして、良くない出来事と良い出来事は、同時に起きている。良い兆しを見逃さないようにしたい。
ー2016年11月17日

2016年10月6日木曜日

「不安」についてー石田長生さんの言葉を思い出す

交流のある20歳程年下の後輩ミュージシャンと、最近飲んだときのこと。
彼がキャリアを重ねて実力をつけ、認知を上げつつある姿をみていたので、「もうバイトをやめて音楽だけでも食っていけるんじゃない?」と聞いてみた。単純に、地方ツアーの数を増やして音楽1本にしぼった方が、バイトを続けるより実入りもいいんじゃないかと思ったのだ。
そうしたら、少し戸惑ったような表情で、「音楽1本でやるのは不安だし、まだ不安定なんで、バイトをやめられないんです」との返事が返ってきた。彼の「不安」という言葉を聞いて、自分のことを振り返った。

ありがたいことに、CDデビューしてからの26年間、ずっと音楽で食わせてもらっているけれど、その間、不安から逃れられたことはない気がする。もう少し正確に説明すると、「どうにかなるさ」という楽観、「どうにかするぞ」という決意、「どうにでもなれ」という開き直り、「どうなるんやろう」という不安、それらの感情が日々立ち代わりながら同居し続けてきた感じだ。

その後輩ミュージシャンと話していて、自分が大学を卒業したばかりで、まだバイトしながら音楽をやり続けていた頃に、先輩のプロミュージシャンである石田長生さんと2人飲みさせてもらった時のことを思い出した。
一回り年の離れたオレに対して、石田さんは、えらそ振ることもなく実に素直に色んな話を聞かせてくれた。そのときに石田さんから聞いた忘れられない言葉がある。

「オレ、年取ったら野垂れ死にしそうな気がしてるねん」

そう話す石田さんは、特に深刻な風でもなく、乾いた哀愁を漂わせていた。
これから音楽で食っていきたいと考えていた当時の自分にとって、それは後にひく言葉だった。既にプロミュージシャンとしてのキャリアを重ね、これだけの評価と認知を得ている石田さんでも、そんなことを考えるのかと思った。
でも、今思えば、当時の日本では、50代以上のプロのロック、ブルース、フォーク系ミュージシャンは、まだ存在していなかったのだ。だから、自分の年代以上に、20年、30年と音楽で食い続けるイメージは湧きづらかったはずだ。それは前例のない未知の世界だったのだ。
考えてみると、あのときの石田さんって、まだ34、5歳くらいで、今の自分より、随分と年下だったのだ。当時の石田さんは、「不安」を抱えていても、肝は座っているように見えた。既に覚悟を決めていたのだと思う。「野垂れ死に」という言葉は、その覚悟の表れとして自分は受け止めた。

後輩ミュージシャンの彼がバイトをやめるべきかどうかはわからないけれど、「不安」に背を向けるよりも、そいつに向き合った方が、表現者としての説得力は増すのだろうと思う。多分、バイトを続けてもやめても、そいつが消え去ることはない気がする。
自分は、石田さんのように、「不安」に向き合い、「不安」と格闘し、「不安」を笑い飛ばし続ける音楽人生でありたいと思う。
ー2016年10月6日(木)

2016年9月29日木曜日

「生活を美しくする」ためにーあらためて吉田健一の言葉と解散したSEALDs(シールズ)について思う

「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」

英文学者で文筆家の吉田健一氏が、短い随筆の中に残したこの一節は、ピチカートファイヴの小西康陽氏がたびたび引用することで、広く知られるようになった。
「生活を美しくする」とは具体的にどういった行為なのか。「生活を美しくする」ために、どんな姿勢や態度が必要とされるのか。この言葉が自分の心に長居し続けるのは、それが一つの「問いかけ」になっているからだ。
歌を書き、一期一会のステージを繰り返しながら音楽生活を充実させる。方々うろつき回り、出会いと別れをくり返す中で、人との繋がりや自然のサイクルの中で生かされていることを実感する。そういった暮らしを積み重ねることは、自分なりの戦争に反対する一つのあり方だと思えた。この考えは今も変わらない。
けれど、3・11を一つの契機として、自分の中の「生活を美しくする」行為の定義に変化が表れた。もっと正確に言うと、その定義が広がった気がするのだ。

自分は、小西氏がこの言葉を引用したとき、そこには、それまでの日本における左派の社会運動やロックミュージシャンのあり方に対するアンチテーゼが含まれているように感じた(あくまでも自分がそう感じただけで、小西氏の本意は確かめていないけれど)。運動に身を投じて、声高に反対を叫んだり、明確なメッセージソングを歌うことばかりが、抵抗運動ではない。戦争を引き起こすようなメンタリティーに背を向け、音楽人、趣味人としてのセンスを磨き続ける。そういった姿勢にこだわり続けることこそが、小西氏なりの平和運動であり、抵抗運動なのだと自分は勝手に解釈している。

3・11以降の自分は、被災地を回ったり、SNSやブログを通じて社会的な発言をしたり、官邸前や国会前の集会デモに参加したり(そんな頻繁ではないけれど)、以前に比べて社会にコミットする姿勢が強まった。けれど、そういった発言や行動をする際は、大抵どこかアンビバレンスな思いがついて回った。
「反対」を表明し、行動することで敵対が深まり、互いが記号化され、それによって敵対する対象のメンタリティーに自身が近づいてゆくという矛盾や危険を感じることもあった。だからと言って、その時はデモに行くことをやめようとは思わなかった。むしろ、そういったアンビバレンスな思いを抱える人間が、デモ集会に参加することに意味があると思えた。

デモ集会に参加する日は、参加前に映画を観たり、集会後に美味しいものを食べに行ったり、いい音楽を聴いたり、美しい夕陽やお月さんを眺めたり、そうやって意識的に心のバランスをとるよう心掛けた。そうした中で、掲題した吉田健一の1文を度々思い出した。
そもそも吉田健一は、どんな思いであれらの言葉を綴ったのだろう。あの1文は吉田健一の元を離れ、一人歩きしているようにも思えた。

掲題の言葉が「吉田健一著作集ⅩⅢ」の中に収録されている「長崎」という短い随筆の中の1文だということは、ネットを通じて知った。ネットで検索すれば、その随筆の全文を読む事もできる。掲題の1文を含んだ文章を以下に引用させてもらう。

「戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び、……と宣伝することであるとはどうしても思へない。戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は癒えなければならないのである。
 戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。過去にいつまでもこだはつて見た所で、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語つている感じがするのである。」

この文脈の流れで、掲題の1文を読むと、それまでとはまた違った印象を受ける。吉田健一は、同書に収録されている文の中で、広島の原爆ドームが取り壊されることをよしとする考えも述べているそうで、そうした点においては、自分の考えとは異なる。特に今の時代においては、先の戦争にこだわり検証することの大切さを一層強く感じている。

吉田健一と自分がイメージし実践しようとする「美しい生活」には違いがあるのだと思う。時代も育ったバックボーンも個性も違うのだから、それは当然のことだ。けれど、それぞれが時代の中で、誰かが用意した単純な物語に身を委ねることなく、丁寧に物語を紡ぎ、自分なりの「美しい生活」を模索し続けようとする姿勢において、自分と吉田健一は共通しているのではないかと想像している。

3・11以降、アンビバレンズな思いを抱え続けていた自分にとって、昨年から今年にかけてのSEALDs(シールズ)の登場と活躍は、エポックメイキングな出来事だった。学生達が、民主主義に基づく政治を求めて街に出て声を上げはじめ、それらは安保法案に反対する動きとリンクして、一つのムーブメントとなって世間一般からも注目を集めるようになった。
自分が彼らの行動に共感できたのは、それらの活動や発想が日常の生活と地続きであると感じられたからだ。音楽を愛し、恋人との時間を大切に思い、そういった日常と自由の権利を肯定し、それらを守る為のアクションであることに、頑なイデオロギーを超えてゆく社会運動としての可能性を感じた。彼らがコラボする音楽やフライヤーのデザイン、動画などから伝わるポップで洗練された印象も新鮮だった。
SEALDsを代表する奥田愛基さんが、自分と違う立場や考えの人達との議論の場に積極的に出て行く姿勢、相手を安易に記号化しないよう心掛ける態度にも共感を覚えた。

ただ、そういった彼らの姿勢は、その知名度の割には、しっかりと一般には伝わりきれなかった気がする。イデオロギーと党派性から抜け出すことのない、これまでの左派による従来の社会運動の流れとして、見られがちだったことが残念だ。
その一因として、彼らをそういうイメージに押しとどめておきたい、そうでなければ困る人達の存在が影響したように思う。いい大人達が、むきになってSEALDsを否定し、揚げ足を取り、デマをまき散らす姿は、自分にはとてもみっともなく見えた。SEALDsは嫉妬を呼び起こす存在だったのだと思う。自意識とプライドの高い人間程、その感情に向き合うことができず、本能的にSEALDsの本質から目を背けた印象がある。
主にネットを通じて拡散される、そうしたSEALDsに関するデマや中傷を信じてしまう人達、信じたがる人達が実に多いことには、暗澹たる思いを抱いた。彼らを自分よりも特権的な存在と感じて、生理的に否定した人も多かったのかもしれない。

吉田健一氏や小西氏が危惧していたのは、社会運動や政治活動への傾倒が、日常の暮らしをないがしろにしてゆくことだったのではないかと想像する。自分にとってのSEALDsは、そういった危惧を乗り越えようとする存在だった。
SEALDsの活動を知り、彼らが企画する集会デモに参加して、違和感を抱くこともあったけれど、それ以上に勇気づけられ、希望を感じることの方が多かった。彼らの存在と活動を通して、日常の生活を手放すことのない、それらと地続きの社会運動の可能性を感じられたことは、自分にとって大きかった。

以前から明言していた通り、参院選後にSEALDsが解散したことにも、納得がいった。解散によって、彼らは多くの「問いかけ」を残した。それらは未来を切り開く種だと思う。その種を多くの1人1人が受け取ることを願う。
未来は特定の大きな存在に委ねられるものではなく、この国に暮らす1人1人に託されるべきだ。それが民主主義の大切なあり方の1つだと、あらためてSEALDsが教えてくれた気がする。自分にとってのSEALDsとは、「正義」である以上に「姿勢」や「態度」であり、民主主義に対する「問いかけ」であった気がする。
自分は、吉田健一とSEALDsが残した「問いかけ」を受け取る1人でありたい。安易な結論を出すことなく、「日常の暮らし」を守るため、「生活を美しくする」ために、自分ができることを模索し、実践してゆこうと思う。
ー2016年9月29日(木)

2016年9月17日土曜日

「経て」ゆくワタシー52歳になりました

52歳になりました。
20歳の頃の自分が、50を過ぎた自分をどんな風に想像していたのかは、もうよく覚えていないけれど、多分、今とはかなり違った姿を想像していたのだろうと思います。
「えらい年齢になってしもたなあ」という戸惑いに近い思いを抱く一方で、今も落ち着かず、変化のさなかにあるらしい自分自身を楽しんでます。

「四十にして惑わず」という諺がありますが、52歳にして、そういう境地にはまだ全然達していない気がします。孔子さんは「五十にして天命を知る」とおっしゃってますが、まだ自分の天命とか運命を決めつけたくないというか、簡単に受け入れたくないような自分が存在します。
時々「リクオさんは、ぶれないですね」なんて言われることがありますが、いやいやそんなことはありません。自分の軸がないとは思わないけれど、その軸棒は、時に地殻変動や強風にさらされ、左右前後上下に揺さぶられています。

「オレって歩みが遅いのかなあ」と前々から感じていたのですが、最近増々その思いを強くしています。だとしたら「七十にして惑わず」くらいでいいのかもしれない、いや、惑い続けた挙げ句、「我」も捨てきれずに、くだばってしまうのも自分らしいかもしれんなあ、などと思ったりしてます。
まあ、70までも生きれないかもしれないけれど、だとしても、今の自分にはまだ「惑う」プロセスが必要なんじゃないか、もっと色々と「経て」いかなきゃいけないんじゃないかという気がしてるんです。そして、「経て」ゆく順序やスピードは人それぞれでいいんではないかと思うんです。

今年に入ってからの自分は、悔しい思いをする機会が多くなりました。なんだか「悔しさ」と「ときめき」の量が比例しているような感じです。これは、自分の気持ちにより正直になってトライした結果なんじゃないかと思ってます。
自分のキャパとシティ相談しながら、このトライを続けてみようと思っています。まだまだ夢を見続けるつもりです。

ロックン・ロールが苦悩から解放してくれるわけじゃない。悩んだまま踊らせるんだ。ー ピート・タウンゼント

自分が思う「ロックン・ロール」に対する答の1つがこの言葉にあります。
ちょっと大袈裟な言い方ですが、夢を見続ける作業は絶望や孤独を伴います。けれど、それらが言葉になり、メロディーとリズムに乗り、形となったとき、共感と救いが生まれ、世界が変わってゆくことを、出会った多くの人達や先人が教えてくれました。それが間違いじゃないことは、積み重ねた体験の中で確信しています。
でも、まだ道半ばって感じです。まだまだ証明したいこと、確かめたいことがあります。そんな自分の「欲」に向き合ってゆこうと思ってます。まだまだ余裕こき過ぎずに、楽しみながらあがいてゆくつもりです。

1人で見る夢はだだの夢。誰かと見る夢は現実。ー オノ・ヨーコ

とても好きな言葉です。
これからも夢に付き合ってくれたら嬉しいです。
そして、今まで夢を現実にしてくれてありがとう。
まだまだやれそうな気がしてます。「経て」ゆく様を見てもらえたら、光栄です。
ー2016年9月17日(土)

2016年8月19日金曜日

テレビが好きだ

テレビを観るのが好きだ。
と言うのが、憚れるような空気を感じたりするけれど、やっぱり好きだ。時間が許せば、もっとテレビを観ていたい。

特にお笑い番組が好きだ。「アメトーク」(テレビ朝日)と「ゴットタン」(テレビ東京)は毎週録画している(全部はみれないけれど)。「アメトーク」企画の中では特に「中学のときイケてない芸人」の回が印象深い。自分のイケてない過去をネタにすることでトラウマをこえてゆく芸人の姿に、笑いを超えた感動を覚えた。
「ゴットタン」の名物企画「芸人マジ歌選手権」「マジ歌ライブ」も毎回楽しみに観ている。芸人達が披露するオリジナルのお笑いソングとパフォーマンスのクオリティーの高さに、いつも驚かされる。番組を観ながら、いつのまにか同業者視点になって、自分はここまでお客さんを楽しませられるだろうかと自問している。

「ワールドプロレス」(テレビ朝日)は幼少の頃におばあちゃんと一緒に観始めてから、今もずっと見続けている。長い長い大河ドラマを観ているよう。今年の4月両国で行われたオカダカズチカ VS 内藤哲也のIWGPタイトル戦での内藤の突き抜けたパフォーマンスには唸った。殻を突き破った内藤の姿を見ていると、自分もまだまだチャレンジするぞという気にさせられる。
ジャンルは違えど、同じパフォーマーとして、お笑い芸人とプロレスラーから学ぶことは多い。

NHKのドキュメンタリーも時々観る。Eテレ「新・映像の世紀」は毎回見応えがあり、考えさせられる。
ニュースやワイドショーも観る。日曜の朝、TBSの「サンデージャポン」を観た後に、ネットで「日刊サイゾー」をチェックしたりして、俗人である自分を自覚する。

テレビドラマも時々観る。少し前まではNHKドラマ「トットてれび」を毎回楽しみに観ていた。役者、舞台セット、音楽、脚本がいい出会いを果たしていて、現場のワクワク感が画面を通して伝わってきた。今はNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の録画が2週分程録りためられていて、早くまとめてみなきゃと思ってる。
最近、暮しの手帖編集部による「戦争中の暮しの記録」という単行本をAmazonで注文した。ドラマを通して、当時の人々の暮らしを通して戦争の姿を知ることの大切さを感じたのだ。

音楽番組も時々観る。アーティスト同士のセッションが売りのフジテレビ「FNS歌謡祭」はテレビだからこその予算と愛情のかけられた優れたエンターテインメント番組だと思う。番組を観ていると自分も出演したくなる。

それ程興味のないつもりでいたオリンピックも、テレビで試合を観戦すると、心動かされて涙腺がゆるんだりしている。卓球の愛ちゃんの涙にはぐっときたなあ。

今、自分が一番ハマってる番組は、フリースタイル(即興)のラップバトルを見せる「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)だ。最も印象に残っているのは、ラスボスキャラの般若とチャレンジャー焚巻がバトルした回。暴力的なdisり合いからリスペクトとドラマが生まれる様はプロレスや格闘技にも通じる。
この番組を毎週録画して観るようになってから、YouTubeでもフリースタイル・バトルや日本のヒップホップをよくチェックするようになった。

同業者にはテレビ好きが少ない。若い人もめっきりテレビを観なくなったようだ。自分の回りにも部屋にテレビがないことを公言する人が増えた。とにかく、さまざまをスマートフォンとパソコンですませてしまえる時代だ。

「最近のテレビはくだらない」と言う声をよく聞くけれど、テレビ好きとしては必ずしもそうではないと言いたくなる。
「テレビは真実を伝えない」と言う人もいる。そう言う人の多くが「ネットで真実を知った」と言う。最近は、「テレビの嘘」よりも「ネットの嘘」に踊らされる人の方が増えている気がする。
テレビの中にもネットの中にも虚実は混在していて、それらを選り分けるのは自分自身だ。同じ事実も、見る側面によって見え方、捉え方は変化する。さまざまな視点を受け入れ、楽しむ余裕を持っていたい。

権力に対して腰が引けていたり、コンプライアンスを気にするあまり自粛が行き過ぎていたり、説明過多で、視聴者の想像力にゆだねるような番組が少なかったり、今のテレビを批判することはいくらでもできるだろう。それでもテレビの肩を持ちたくなるのは、年を追うごとにテレビの影響力が減ってゆくことに、不安に近い感情を覚えているからだ。
テレビの力が衰えるに従って、増々「公共の場」が減ってゆくような、人々の断絶が深まってゆくような気がしている。この感覚は、自分がテレビ全盛の時代に育ったことも関係しているのだろう。学校でも家庭でも、テレビはいつだって皆の共通の話題だったのだ。

かつては、主義主張を超えて、テレビを通じて日本中で共有できた情報や時代感覚が、今はかなり希薄になってしまった気がする。ネット社会に移行してから、情報量は爆発的に増えたけれど、個人が幅広い多面的な情報を得る機会はむしろ減っている気がする。
特にSNS上では、自分と主義主張、価値観の近い者同士ばかりがつながりやすく、共有する情報も一面的で偏ったものになりがちだ。しかも、情報を受け取る側は、そういう偏りや受け身であることに対する自覚がなく、ある種の万能感に陥りやすい。そういった認識や感覚が、立場や考えの違う人間同士の断絶をより深めているように思う。

できれば、テレビとネットは、これからも手を取り合って両立し続けてほしいと思う。映画も、CDも、レコードも、ライブ文化も残っていてほしい。
テレビを観て、ネットをやって、音楽を聴いて、本を読んで、曲書いて、外に出て、海を見て、ぼーっとして、風を感じ、季節を感じ、街に出て、映画を観て、ライブを観て、人と出会って、語り合って、ケンカして、仲直りして、飲んで騒いで、二日酔いになって、また部屋にこもってテレビを観て、音楽聴いて、曲書いて、ツアーに出て、ピアノ弾いて、歌って、また部屋にこもって、またツアーに出る。自分は、そんな暮らしをこれからも続けたい。

ー 2016年8月19日(金) 

2016年8月2日火曜日

冷静に恐れる ー ショッキングだった2つのニュースについて

この1週間で特にショッキングだったニュースが2つある。
1つは、今回の都知事選で、特定の民族に対するヘイトデモとヘイトスピーチを繰り返してきた団体の元代表者が10万を超える票を集めたことだ。団体の主張の背後にこれだけの数の市民が列をなしていると想像すると、何ともやりきれず、恐ろしさを感じる。多分、この流れは日本だけでなく世界的なもので、残念ながら、こういった排外主義はこれからもまだ広がり続けてゆくのだろう。
自分は今まで、ブログやSNS上で、不安を煽るような物言いを避けるよう心掛けてきたつもりだけれど、都知事選でこのような排外主義者が一定の支持を得たことや、トランプ氏がアメリカの大統領になりかねない状況に対しては、慣れることなく冷静に恐れるべきではないかと思う。自分の感覚では、もう1線を越えてしまっている。これは思想やイデオロギー以前の問題だ。

今年に入って、日本のメディアにもしょっちゅう登場するようになったトランプ氏を見続けていると、自分が次第に”トランプ慣れ”していることに気づく。彼に対する恐れが以前よりも薄まっているように感じるのだ。
特にテレビメディアは、意図的で有る無しに関わらず、彼のチャーミングさを表出してゆく。これまでの独裁者達がそうであったように、彼にも人を惹き付ける力があることは否定できない。だから怖い。
ああいう暴言やレイシズム、排外主義的物言いに、こちらが慣れてしまっちゃいけない。冷静に恐れるべきだと思う。
そして、今の日本を見渡せば、トランプ氏と同じように、暴言を吐きながら、レイシズム、セクシズム、排外主義、デマをまき散らす煽動家が幾人も存在する。彼らの勇ましく感情的な暴言に溜飲を下げているのは、自分と同じ一般民だ。ああいった言動が”本音”として受け入れられ、それが”普通”になってしまうことが本当に怖い。

もう1つのショッキングだったニュースは、相模原で起こった障がい者大量殺害事件だ。事件そのものに対する衝撃はもちろんのこと、犯人の考えに対して、ネット上で共感を寄せる者が多数存在することにもショックを受けた。
言葉にするのもおぞましいけれど、“障がい者抹殺思想”への同調を受け入れるような空気が、ごく1部にしても存在するという状況には、暗澹たる気分だ。
ホント当たり前のことなんだけれど、障がい者の1人1人が個別の個性を持った人間であり、彼ら1人1人を必要とし愛する家族があり、人間はそういった多様性の中で支え合って生きてゆく存在なのだという実感が、人々の中から失われて始めているのかもしれない。そのような弱い立場への不寛容な空気が犯行の背中を後押ししたのではないかとも想像してしまう。

こうした”弱者排除”と”排外主義”の傾向は、共通した背景を持っているように思える。追い込まれ疎外された者が、さらに弱い立場に攻撃を向けるという構図にも、やりきれなさを感じる。経済合理性やら自己責任やら優生思想やらを鵜呑みして、一時の万能感にひたることで、結果的に自分達の首を絞めている。
こんなふうに余裕を失いはじめた社会の中で、綺麗事ともとられてしまう自分の言葉がどこまで通じるのだろうかと考えさせられる。

「迷惑かけてありがとう」たこ八郎

「パラダイス」という曲をライブで歌うときに、エンディングの語りの部分で必ず引用する言葉だ。
色んな個性があって、それぞれに足りないところがあって、補い合って、迷惑かけたり、かけられたりしながら、互いに「ありがとう」って思える世の中の方がいいに決まっている。
ー 2016年8月2日(火)

2016年7月27日水曜日

だんだんよくする

今月10日(日)に、アルバム「Hello!」発売記念スペシャルライブの最終公演、東京下北沢GARDEN公演を終え、同日に行われた参議院選投票の結果を受け止め、少し身体を休めて、またソロツアーに出て、今週月曜にツアーから戻って、久し振りに曲作りにも取りかかったりしていたら、もう月末。週末には都知事選挙かあ。でも、やっと一息つけた感じなので、近頃を振り返っておこうとブログをアップすることにした。

10日のGARDEN公演については、ブッキングが決まった時点から、この日をひとまずの総決算にしようとの思いがあった。アルバム制作から始まった流れを、これからも続けていくのかどうか、10日のライブの内容だけでなく、そこに至るまでの現実的な結果を受けて、判断を下さなくちゃいけないとも考えていた。

取りあえず、発売記念スペシャルライブと銘打ったバンドスタイルでの名古屋、大阪、東京3公演を終えてホッとした。特に最終公演の下北沢GARDEN公演では、多く人達との関わりの中で、今までにない場を作り、一歩踏み出したパフォーマンスを展開することができたという手応えがあった。現時点で自分が見せることの出来るベストなステージだったと思う。
集まってくれたお客さん、関係者の皆さんからのダイレクトなリアクションには多いに救われた。確実に何かが変わり始めているし、自分自身が一歩踏み出せたことを実感できた。


Photo by 小山雅嗣

ガーデン公演のステージを終えた後に、何人もの知人が楽屋を尋ねてくれたのだけれど、その中の1人に業界の大先輩である伊藤銀次さんがいた。
銀次さんからは、まずこのようなありがたい言葉をいただいた。
「ついにやったね。『Hello!』の完成を経て今日エンターテイナーとしてのリクオが確立したと思う」
その後にはこんな言葉が続いた。
「今回のアルバムだけでは期待する結果は出ないかもしれなけれど、あと2枚、がんばってこの方向で作品をつくり続ければ、結果がついてくると思う。ウルフルズだって結構時間がかかったんだよ(銀次さんはブレイク前からプロデューサーとして長くウルフルズに関わり続けていたのだ)」
銀次さんの言葉を受けて、「あと2枚、この感じでアルバムつくるのは大変だなあ」と思いつつも、嬉しくて感激して、少しウルッとしそうになったくらいだ。銀次さんはこの日のライブレポートとアルバム「Hello!」の紹介を自身のFacebookとブログにもアップしてくれていて、その文章にもとても勇気づけられた。
https://www.facebook.com/ginji.ito/posts/959343164185283
http://ameblo.jp/ginji-ito/entry-12171119125.html


                                                Photo by 小山雅嗣

GAERDEN公演と参院選挙を終えて、劇的な状況の変化は起きなかった。けれど今、そのことを悲観してはいない。
参院選挙の結果と戦後4番目の投票率に低さには、やはりがっかりしたけれど、絶望はしなかった。もう少し正確に言うと、表立った結果は絶望的にも思えたけれど、選挙期間前からのさまざまな動きには希望を見いだすことができたし、それらの動きはある一定の成果をもたらした気がしている。そういった動きが各地で繋がり、一気にではなく次第にひろがってゆけばいいのではと思う。
自分は元々、極端な変化や革命を求めない保守的な一面を持った人間で、特に社会情勢において、劇的な状況の変化は、危険を伴うという意識が強いのだ。

少し一息ついてみて、アルバムをリリースしてからの自分は、結果を早急に求めて焦り過ぎていたのかなと思う。
7月10日のガーデン公演の後に、色々と判断を下そうと考えていたのだけれど、ライブを終え、これまでの状況を受けての自分の気持ちは、想像していたものとは違っていた。

少しずつ何かが変わり始めていることを実感して、今の気持ちは前向きだ。まだ始まったばかり。これからもこの歩みを懲りずに続けて、だんだんよくしていこうと思う。そう言えばオレ、「僕らのパレード」(共作:丸谷マナブ)で、そんなことを歌ってたんやよな。





今回のアルバム「Hello!」は、曲作りの段階から、聴いてくれた人達が歌に自身を重ね合わせてくれることを意識していたのだけれど、完成してみたら、パーソナルな要素も強く含んだ作品になっていた。アルバムを貫く「再生」というテーマは、自分自身のテーマでもあった。ポップで開かれた作品を作ろうと目指していたら、今の自分を投影した正直な内容になった気がする。

こういう作品をつくる事ができて、今自分がこういう形で活動を続けていられるのは、関わってくれるミュージシャンとスタッフ、応援してくれるお客さん、地方を含めた関係者の皆さんの存在があってこそだ。
自分は人と関わることが好きなんだなと思う。元々好きと言うよりは、音楽活動を積み重ねることで、孤独な作業を経て、人と関わり合い、互いを生かし合い、何かを生み出すプロセスにやりがいを感じるようになったのだ。

50歳を過ぎてからでも、面倒を引き受けて、色んな人達とのかかわり合いを続けながら、ともにときめき、いい夢を共有したいと思う。
だんだんよくしていこう。自分自身も、自分を取り巻く世界も。すべては繋がっている。
みなさん、これからもよろしくです。 
ー2012年7月27日(水)


Photo by  小山琢也

2016年7月21日木曜日

白黒を反転させないグラデーション ー 森達也監督「FAKE」を観た

公開前から気になっていた森達也監督のドキュメンタリー映画「FAKE」を、やっと観た。
語りたいことが一杯。いや、語りたい以上に語り合いたい、誰かと感想や意見を交わし合いたくなる映画だった。

噂のエンディング12分間は、期待以上だった。白黒を反転させるのではなく、あえてグラデーションを残す結末が、大きな余韻を残す。映画全体が、2極化に走る社会に対する強烈な問題提起として成り立っていて、安易な結論を許してくれない。もやもやさせされる。でも、そこがいい。さまざまな解釈を許す自由と楽しさが、この作品にはある。

映画が進むにつれて、佐村河内氏と寄り添い合う奥さんの存在が次第に大きくなってゆくのも印象に残った。この映画を2人の愛の物語として観ることもできる。あるいは、愛と信頼に支えられた佐村河内氏の再生の物語と捉えることも可能だ。
ただ、多くの感動を残しながらも、単純に感動のまま終わらせてくれないのが、この映画の真骨頂。

「さまざまな視点と解釈があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴しい」
映画パンフレットの中で、監督の森達也氏がこんな言葉を寄せている。
この態度は、当事者意識に欠けた厭世的態度として否定的に使われることもある「価値相対主義」とは違う、もっとリアルで丁寧、謙虚な感覚に基づいたものだと思う。
自分も、グレイゾーンを行き来し、逡巡を繰り返しながら、少しずつでも前に進んでゆきたい。この映画を観て、あらためてそう思った。

ー 2016年7月21日(木)


2016年7月8日金曜日

光は闇の中に ー 参院選とライブのこと

アルバム「Hello!」発売を記念したリクオ with HOBO HOUSE BANDによるスペシャルライブ・ツアーは、先週末の名古屋、大阪公演を終え、明後日7月10日(日)下北沢・GARDENで最終公演を迎える。その日は参院選の投票日でもある。なんだか自分の置かれている状況と参院選の状況がどこかでリンクしている気がして、ライブと投票日が重なることを、自分の中で勝手に意味付けたりしている。
「Hello!」という作品を作ってからは、自主レーベルを立ち上げ、今まで自分を知らなかった人にも音を届けたい、何とか状況を変えていこうと、元気にもがき続ける日々が続いた。
まだまだやり残したことはあるけれど、これまで現実に向き合いながら正直にやってきたということに関しては納得している。自分の欲や現実に向き合う程、無力さや限界を感じると同時に、可能性や希望も見えてくる。つまり、やってみないとわからないということだ。

時には、色々正直にぶっちゃけてる自分がかっこ悪くも思えるけれど、もう一人の自分はそういう姿をおもしろがっている。
51歳になって「あんな変なメガネをかけて、へんな格好でミュージックビデオ撮って、どうなん?」みたいなことを、人から言われるのも、ありだと思ってる。中途半端にやるよりは、振り切れたほうが面白い。すべてはネタになればOKだ。

参院選は、自分の期待する流れと照らし合わせると厳しい状況だ。
いくつものメディアが、今回の参院選で改憲勢力が3分の2議席に迫る勢いだと伝えている。3分の2に達するということは、自民党の改憲草案に基づいた日本国憲法改正への道が開かれる、戦後日本が一大転換期を迎えるということだ。
立憲主義に基づき、国家の行動を制約するために存在していた憲法が、自民党の改憲草案では、国家が国民に義務を求め
る要素が強くなっている。憲法の宛名が国家よりも国民の側への比重を強くしているのだ。

学校でも教えられた現憲法の根幹をなす三原則(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)の堅持が、改憲草案ではゆるめられている印象を受ける。3分の2の議席獲得後に政権がまず着手すると言われている「災害時の緊急事態条項の新設」の本質は戒厳令であり、独裁を許容し、国民の権利を抑圧するものではないかとの危惧もある。
原発の問題が、ほとんど選挙の争点にならないことにも強い違和感がある。忘れちゃいけないこともあるはずだ。
多くの無関心が、より時代を極端な方向に向かわせようとしている気がする。時には自分自身も、その無関心の側にいるので、えらそうに言える立場でもないのだけれど、さすがにこの状況はやばいなあと思う。

やっぱり現実にも向き合わないと、前へ行けない、希望が見えてこないというのが今の実感だ。さらに厳しい状況になる前に、世の中がもっと極端に流される前に、ちゃんと闇の中で目を凝らしたい。個を確立した上で人と繋がり、自分達で楽しいことや希望を見いだしたいと思う。う〜ん、ちょっと固すぎるかあ。

ここではないどこかではなく、たどりついた場所や与えられた場所をパラダイスにする。瞬間に全てを捧げる。その積み重ねの中で、状況を変えて行く。その基本姿勢に変わりはない。自分達で楽しむ術は、それなりに手に入れたつもりだけれど、今はそれだけじゃダメなんじゃないかって気がしている。自分を取り巻く状況、社会を取り巻く状況、どちらにも危機感があり、その2つはつながっている。こっち側で勝手に楽しみに続けることを、許してもらえない状況が迫っているように感じるのだ。

最近、3.11東日本大震災、福島第一原発事故直後の暗がりの中で感じていたことを、またよく思い出すようになった。
「光は闇の中に」
ずっと前から自分が歌い続けてきたフレーズが、あの状況の中でとてもリアルに響いたのを覚えている。不安と絶望的な気分の中で、どうにか希望を探し続けようとした日々が、自分のあらたなスタートラインとなったはずだった。まじめさとばかばかしさのバランスを取りながら、あのときの気持ちを忘れずにいたいと思う。

長野、高岡、名古屋、大阪とHOBO HOUSE BANDの面々とともにツアーしてきて、自分はホント音楽と人に救われているのだなあと実感している。音楽を仕事にすることで、当然しんどい思いをすることもあるのだけれど、瞬間、瞬間を音楽に捧げ続け、皆とエネルギーを交感し合うことで、すべてが報われてゆく感動を幾度となく味合わせてもらっている。この感覚を持ち続けることができれば、これからもいろんな現実を乗り越えてゆけると思う。

7月10日(日)下北沢GARDENのステージでは、HOBO HOUSE BANDのメンバー、スタッフ、お客さん、アルバム制作も含めて関わってくれるすべての人達の思いを受け取ってパフォーマンスするつもりです。その場にいられる幸せを噛み締めながら、皆さんと最高の一期一会を過ごしたいと思います。
お待ちしています。

●7/10(日)下北沢・GARDEN 03-3410-3431
~リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念スペシャル・ライブ~
【出演】リクオ with HOBO HOUSE BAND
Dr.kyOn(キーボード&ギター)/椎野恭一(ドラム)/寺岡信芳(ベース)/宮下広輔(ペダルスティール)/真城めぐみ(コーラス)/橋本歩(チェロ)/阿部美緒(ヴァイオリン)
前売り¥4500 当日¥5000(1DRINK別途) 開場17:30 開演18:00
メール予約フォーマット:http://goo.gl/forms/Q7Y0pSdCYs 
参院選投票の証明書か投票場で撮った写真を提示すれば、前売り扱いで入場できます。

■リクオ・アルバム「Hello!」特設サイト→ http://www.rikuo.net/hello/




2016年7月1日金曜日

3度目の17歳

先月、15年のお付き合いになる年上の知人Aさんと1年振りに再会して、色々話しさせてもらった中で、Aさんがこんなことを言っていたのが印象に残った。
「僕はもうすぐ60歳になるんだけれど、自分では3度目の20歳を迎えるつもりでいるんですよ」
プライベートで色々あったらしいAさんは、自身の今を3度目の20歳とすることで、人生の再出発を考えているようだった。前向きな発想だと思った。
Aさんの話を自分の年齢に照らし合わせて考えてみたら、51歳の自分が、3度目の17歳を迎えていることに気づいた。何だか腑に落ちたような気分になった。

1度目の17歳は、自意識過剰の半引き蘢り状態で過ごした。
たまに街に出れば、誰かが自分を見てバカにしてるんじゃないかと過敏になった。常に取り残されたような無力感に苛まれていた。特に何をするわけでもなく1人で夜更かしばかりして、学校では寝てばかりいた。
常に身体がだるく、あまりに無気力な状態が続くので、病気じゃないかと心配になって(あくまでも身体の)、自主的に病院に行って人間ドッグを受けてみたら、検査結果を見た担当医から、精神科を紹介すると言われてしまった。想定外の展開に怖くなり、精神科に行くことを拒否して、そそくさと帰宅した。
あのとき、自分のことを病気扱い、特別扱いにしなくてよかったと思う。そもそも、そんな大袈裟な話ではなく、心身のバランスの悪いティーンエージャーにごくありがちな症状だったのだ。
当時はクリエイティブなことは何もしていなかったけれど、この頃の悶々とした「ため」が、後の創作に役立った気がする。

2度目の17歳にあたる34歳は、前回のブログでも振り返った時期だ。デビューから8年間お世話になった事務所を離れてフリーになり、今のようなツアー暮らしを始めたばかりの頃で、余裕がなく毎日が必死だった記憶がある。
ソロ活動と平行してThe Herzとしてのバンド活動も活発化していて、音楽性の幅がぐっと広がった時期でもあった。とにかく、今のままの自分ではだめなんだと自覚して、いろんなことにトライして、もがきながら前に進もうとしていた気がする。2度目の17歳は、現在に繋がるあらたな音楽生活のスタート、再出発の年だった。

そして今、51歳の自分は3度目の17歳を迎えて、またあらたなスタートを切ろうと、自主レーベルを立ち上げたり、ポップなアルバムを作ったりして、元気にもがいてる最中だ。
状況を大きく変えるのはなかなか難しいけれど、積み重ねた実感と、身につけたたくましさ、しなやかさで、17歳の頃よりも、34歳の頃よりもさらに弾けてやろうと思っている。

人は年を重ねるほど若くなってゆくとヘルマン・ヘッセが語っていたけれど、自分に関しては、あたってる気がする。これって、アンチエイジングとはまた別の感覚だ。
1度目とも2度目とも違って、3度目の17歳は格別だ。こうなると長生きして4度目、5度目の17歳も体験してみたくなる。また違った世界が見えてくるはずだ。4度目の17歳の68歳になって、またあらたな景色の中で葛藤したりするのもいいかなと思う。
取りあえず、まだ人生に飽きることはなさそうだ。

さあ、明日からアルバム「Hello!」発売ツアーの集大成、バンドセットによるスペシャル・ライブ3公演(7/2名古屋、7/3大阪、7/10東京での)が始まります。
チケットが売り切れたりしないのが悔しいけど、今からでも間に合いますので、ぜひ3度目の17歳を迎えたリクオの集大成ライブにお立ち会い下さい。

★リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念スペシャル・ライブ
出演:リクオ with HOBO HOUSE BAND
Dr.kyOn(キーボード&ギター)/椎野恭一(ドラム)/寺岡信芳(ベース)/宮下広輔(ペダルスティール)/※真城めぐみメンバー(コーラス)/※橋本歩(チェロ)/※阿部美緒(ヴァイオリン) ※は東京公演のみ参加  
●7/2(土)名古屋・得三(TOKUZO) 開場18:00 開演19:00
●7/3(日)大阪・心斎橋 Music Club JANUS 開場17:00 開演18:00
●7/10(日)下北沢 GARDEN 開場17:30 開演18:00
メール予約フォーマット→ http://goo.gl/forms/Q7Y0pSdCYs
ライブ詳細→ http://www.rikuo.net/live-information/
「Hello!」特設サイト→ http://www.rikuo.net/hello/









2016年6月19日日曜日

実感の積み重ね ー 北海道にてツアー暮らしを振り返る

8日間で北海道6ヶ所を回るツアーから戻ってきたのが月曜日。それからツアーの余韻にひたることなく、日々に負われてもう週末。ライブイベントとプロモーションをかねて訪れた大阪のカフェで一息ついて、このブログを書いている。
北海道ツアー中に、色々感じたり、振り返って考えることが多かったので、忘れないようにまとめておこうと思う。

一言で言えば、充実したツアーだった。やはりアルバム「Hello!」のリリースを受けてのツアーであることが、大きかったのだと思う。お客さんの期待感とこちらの意気込みが、会場の熱量を高め、いつも以上のエネルギー循環を生みだした。
ツアー中、今までずっと自分の作品を聴いてくれていた何人もの人達から、新譜「Hello!」に対する思いを聞かせてもらって、とても勇気づけられた。アルバム各曲に自分自身を重ね合わせて聴いてもらえていることが嬉しかった。
ツアー前は、心身ともに少々疲弊した状態だったのだけれど、北海道入りしてから体調が上向き始めた。北海道の自然にふれ、多くの人達からダイレクトに想いを受け取って、気持ちが前向きになってゆくのを感じた。

ツアー中、少し心の余裕ができたせいで、今から18年前、’98年のツアーで北海道を訪れたときのことを思い返した。今のような年間100本を超えるペースで各地をツアーして回るようになったのは、この年からだ。
デビュー当時からお世話になった事務所を離れたばかりの頃で、スタッフや共演者の帯同なく1人だけで1週間以上の長いツアーを回るのは、このときが初めての体験だった。今回の公演先に含まれていた芦別・ディランと旭川・アーリータイムズとのお付き合いは、この時のツアーから始まった。

そもそも、自分が今のようなツアー暮らしに活動の中心を移行させたのは、必要に迫られてのことだった。メジャーレーベルからリリースし続けたCDが売れず、レコード会社との契約が切れたことで、事務所からの給料がストップし、歩合によるギャラ制に移行するも、それでは食っていけなくなり、どうしようもなくなって事務所を離れたことがきっかけだ。つまりは、食っていくための限られた選択だったのだ。
元々、ライブは好きだったので、ツアー暮らしへの移行は、嫌々というわけではなかったけれど、メジャーデビューしてから約7年で「売れなかった」という事実は、はっきりと挫折だった。18年前の北海道ツアーは、事務所を離れたばかりの不安と売れなかったという挫折を引きづりながらの、自分にとってのリスタートだった。

ツアー中は、いい夜もあれば、寂しい夜もあった。総じて慣れないことが多く、「しんどいツアーやったなあ」という印象が残っている。
ツアーの半ば、初めて訪れた街で1日を過ごし、朝目覚めたら、急に絶望感にさいなまれ、自分でも驚いた。宿泊先を出て、次のツアー先に向かう間も後ろ向きな考えばかりが堂々巡りして、ちっとも前向きになれない。突然、自分のキャラが変わってしまったような感じ。
広くてどんよりした北海道の空を見上げながら、「もう楽になりたいなあ」などと思っている自分を、「こいつ、ちょっとやばいなあ」と割と冷静に心配してるもう1人の自分がいた。こういう鬱的状態に陥るのは初めての体験で、自分がそういう心持ちになることが意外だった。フリーになってから、心身の疲れがたまっていることにも気づかないくらい、ずっと気が張りつめていて、その反動が一気に襲ってきたのだと思う。
けれど、鬱的状態に浸る余裕もなくツアーは続いた。幸い、1人にならなければ、強い落ち込みがやってくることはなかった。その後のツアーも盛り上がったり、落ち込んだり、起伏の激しい毎日が続いた。
始めての土地、初対面の人達、1人だけのツアー、ファンではないお客さんの前でのステージ。そんな中で、自分はさまざまを学んでいった。というか、学ぶしかなかった。
しんどいツアーではあったけれど、当時の体験がその後の自分に及ぼした影響は大きかった。そういった意味で、北海道は、自分のツアー暮らしの原点ともいえる場所だ。

ツアーを重ねるうちに、ライブに対する自分の意識が少しずつ変化していった。独り善がりになってはいけない。力まず視野を広く持つ。ライブの醍醐味はエネルギー循環による化学反応であり、毎回のステージが一期一会。その瞬間にすべてをかける。そのような意識が強まっていった。
それまでは、自分のことを知ってもらいたい、わかってもらいたいという自我が強すぎたのだと気づいた。それよりも、集まってくれた人達と一緒に最高の解放空間をコーディネイトしてゆくことの方が大切で、そこにこそライブの醍醐味を感じるようになった。そういった姿勢の変化によって、毎回のライブがより新鮮に感じられるようになった。
ツアー暮らしに慣れてくると、ツアーが楽しくなってきた。人と出会って、いろんな話を聞かせてもらうことが面白く感じるようになった。各土地の風土の違い、気質の違い、価値観の違い、時間の流れの違いが興味深く感じられ、それらを自然に受け入れられるようになってきた。
人も土地も多様であると実感するようになった。ツアーを重ねることで、五感のバランスが整い、心の風通しが良くなり、自分の中のワイルドネスが解放されてゆく気がした。よく弾き、よく歌い、よく飲み、よく語り、ときに羽目を外し、アホをやらかす日々が続いた。かつでのナイーブな青年キャラはどこかに行ってしまったようだった。

ツアー暮らしは実感の積み重ねだった。その積み重ねが数字に負けそうな自分を救ってくれた。ダイレクトな反応が、自分に自信と確信を与えてくれた。そういった感覚は、今も変わらないなあと、北海道の地でつくづく思った。

自分は気力が続く限りは、今のようなツアー暮らしを続けられたらと思う。ただ、その一方で、今のツアー暮らしに埋没してはいけないとも思う。いい曲を書いて、いい作品をつくり続けたいし、そのことで目に見えない誰かからも評価されたい。本当は、規模の大きいホールでのツアーもやりたい。そのためには数字に向き合う時間もつくろうと思う。今は、そういう時期なんだと思う。
音楽で食ってゆくこと事態が、増々難しくなりつつある世の中だから、いくつになってもトライし続けなければ、現状維持も難しいだろうと自覚している。
広い視野で何事も楽しむ余裕と、色んな人達に支えてもらっている感謝の気持ちを忘れずに、まだまだ元気にもがいてやろうと思う。

ツアーもいよいよバンド編成による5公演を残すのみ。皆さん、お待ちしてますよ。
ー 2016年 6月19日

★〜リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念ツアー〜
【出演】リクオ with HOBO HOUSE BAND(ドラム:椎野恭一/ベース:寺岡信芳ペダルスティール:宮下広輔)
●6/25(土)長野・ネオンホール 026-237-2719
●6/26(日)富山県高岡市・カフェ・ポローニア 0766-63-3283

★〜リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念スペシャル・ライブ〜
【出演】リクオ with HOBO HOUSE BAND
Dr.kyOn(キーボード&ギター)/椎野恭一(ドラム)/寺岡信芳(ベース)/宮下広輔(ペダルスティール)/※真城めぐみ(コーラス)/※橋本歩(チェロ)/※阿部美緒(ヴァイオリン) ※東京公演のみ
●7/2(土)名古屋・得三(TOKUZO) 052-733-3709
●7/3(日)大阪・心斎橋JANUS 06-6214-7255
●7/10(日)下北沢・GARDEN 03-3410-3431

■ツアー詳細→ http://www.rikuo.net/live-information/
■「Hello!」特設サイト→ http://www.rikuo.net/hello/
■「僕らのパレード」MV https://youtu.be/Rl5h__LNwRU
■「大阪ビタースイート」MV https://youtu.be/A6-57XGuLoQ

2016年6月4日土曜日

売れたい理由

年明けから、レコーディング、レーベル立ち上げ、ライブイベント開催、アルバムリリース、プロモーション、ツアーと動き続けているうちに、もう6月になってしまった。充実はしているけれど、余裕がない。ライブと打ち上げの時間以外は、いつも何かに急き立てられている感じ。創作時間が足りないし、もっとゆっくりテレビが観たいなあと思ったりもする(テレビ好きなんです)。と、言いつつも「トットちゃんねる」とか「ゴットタン」「ワールドプロレス」は、録画して観ている。

自主レーベルを立ち上げてアルバムをリリースするにあたっては、いろんな無理を承知で、人に迷惑をかけ過ぎない程度に身の丈をこえようとしたのだけれど、予想以上にやることが多くて、こなしきれていないもどかしさを感じている。
目に入ったり耳にする作品への評価は、今までになく好評で勇気づけられるのだけれど、目標とするセールスに至るまでの道のりはまだ遠い。

今回のアルバム・リリースにあたっては、今までになく数字と評価に向き合うことを意識している。
理由はいくつかあるけれど、まず現実問題として、アルバムの制作費がいつになくかさんだことが大きい。アルバムのリクープライン(制作費を回収できる枚数)が相当に高くなってしまって、自作の通常売り上げでは、全然回収できなくなってしまったのだ。まあこれは、制作途中でアナログレコーディングに移行して、録り直しを始めた時点でわかっていたことで、そこでもう、かなりの覚悟は決めていた。

アルバム制作にあたっては当初から、スタンダードを意識した楽曲をおさめたポップ・アルバムを作りたいと構想していた。ポップスとは、多くの人達との共同作業によって生まれるものだと思っていたので、制作にあたっては、今の自分ができうるぎりぎりの無理をして(無理もお願いして)、なるべく多くの人に関わってもらうよう心掛けた。この流れは、2年前にリリースしたアルバム「HOBO HOUSE」から始まったと言える。
結果、アルバム「Hello!」は、自分が活動をインディーズに移して以降、最も多くの人達の関わりによって生まれた作品となった。関わってくれた人達とは、これ一度きりでなく、これからも一緒に仕事がしたいとの思いが強い。これは、7月の発売記念スペシャルライブに関わってくれているPAや照明、舞台スタッフに対しても同じ気持ちだ。
そのためには、数字としての結果を残さなけきゃいけない。7月の東名阪のライブも成功させなきゃいけない。そうしないと、次につながらない。次につなげることが、関わってくれた人達への恩返しにもなると思っている。

つまり、もっと売れなきゃいけない。売れたいっす。ああ、言うたったー。

でも、どうしたらいいんやろ。インディーズの自主レーベルで出来得ることは何でもやろうと、色んな人達に協力をお願いして、忙しく動いてはいるけれど、今、投げてるボールを、一体どれだけの人が受け取ってくれてるんやろと不安にもなる。作品の力が足らんのか?いやいや、そんなはずはない。などと、自問自答したり、悶々としながらも、元気は失わず、プロモーションにツアーに忙しく動いている最中だ。

今年の1月に武道館でウルフルズのステージを観た。メンバーとは昔からの知り合いで、同じ時代に、同じ関西で音楽活動を始めたバンドとして、彼らのことをずっと意識し続けてきた。ギターのケイヤン(ウルフルケイスケ)とは、ウルフルズが活動休止中に、二人で全国をツアーして回った仲だ。
あの広い武道館のステージでも、ケイヤンはしっかりと存在感を示して、舞台映えしていた。サンコンのドラムは、パッションがグルーブとなって伝わり、今まで聴いてきた彼の演奏の中で最も印象に残った。ジョン・Bの歌う「所在ない」は、あの日のステージのハイライトの一つだった。松本君はスターって感じがしたなあ。歌の説得力は、さすがだった。
「ええなあ、オレもあのステージに立ちたいなあ」って思った。そして、そういう自分の気持ちに正直になろうとも思った。楽しい思いの方がずっと多いけれど、今まで悔しい思いも色々としてきたのだ。

自分が、今よりも売れたいと思うのは、経費回収の現実的な問題とか、恩返しとか、それだけが理由ではない。
これまでのキャリアの中で、自分なりに道を切り開いて来たという自負もあるし、多くの人達との関わりの中で、とても恵まれた音楽活動をやらせてもらっているという感謝の気持ちもあるのだけれど、一方で、今の状況に納得がいかない自分もいるのだ。
もっと作品が売れてほしいし、もっとたくさんのお客さんにライブを見てもらいたいし、もっと楽曲が評価されたい。口にすることはなかったけれど、ずっと抱え続けてきた気持ちだ。今回のアルバムリリースは、そんな自分の気持ちに向き合う一つの機会になっている。
こういうこと、口にするのは、ちょっと勇気がいりました。

50を過ぎても新しいことにトライしたいし、まだ道は切り開けると信じている。そういう可能性を、いろんな人達に見せられたらとも思う。こうした思いは、アルバム「Hello!」を貫くテーマともリンクしている。
ジョン・レノンは40歳で「スターティング・オーヴァー」を歌ったけれど、自分は51歳からの「スターティング・オーヴァー」を、見せられたらなと思う。1人ではなく、関わってくれている人達、応援してくれるお客さん達と一緒に盛り上がっていきたい、皆と一緒にいい夢をみたいと心から思う。
結局アルバムが売れず、ライブの動員にも結びつかないという結果が出たら、もちろん落ち込むけれど、卑屈になることは、もうないと思う。どちらにしても、くたばるまで音楽をやり続けるつもりだ。
ただ、時間は限られているので、自分の気持ちに正直に、トライできることは今のうちにやっておこうと思う。そして、そうした体験の全てを自分のネタにしたい。

というわけで、明日からまたアルバムを携えてツアーに出ます。実演販売は大得意。売りまくるぞー!締めは告知です。
明日5日からの北海道6ヶ所を回った後は、大阪での6/19(日)「大阪うたの日コンサート2016」出演を経て、バンド形態で長野(6/25)、高岡(6/26)を回ります。
そして、月が変われば、ツアーファイナルとして、名古屋(7/2)、大阪(7/3)、東京(7/10)にて、レコーディングメンバーにプラスしてDr.kyOnさんが加わる最強のサポートメンバーで、「Hello!」発売を記念したスペシャル・ライブを開催します。ここが大きな勝負所。
この3公演で、「Hello!」のカラフルでポップな世界観をさらに進めたエンターテインメントショーを目指します。最高のサポートメンバー、お客さん、スタッフらと一緒に、メモリアルな夜を刻みたいと思います。内容面でも動員面でも成功させて、次につなげたいです。ぜひ、観に来て下さい。応援よろしくお願いします。 
ー 2017年6月4日(土)

アルバム「Hello!」特設ページ http://www.rikuo.net/hello/
ライブ情報 http://www.rikuo.net/live-information/



2016年5月14日土曜日

熊本、大分の地震から一月を経て 

★熊本、大分の地震から一月を経て 

4月15日。アルバム発売記念ツアー初日の鹿児島公演の打ち上げを終えて、ホテルに戻り、クールダウンし始めた頃に、地震を知らせる携帯の警告音がけたたましく鳴り響いた。その数秒後に、かなり強くて長い揺れがやってきた。14日、熊本での震度7の地震直後の揺れだから、震源地が熊本であることはすぐに想像できた。
その後は、テレビをつけっぱなしにしつつ、ネットでの情報を追い続けた。鹿児島市内にいても強い揺れを感じたので、川内原発の状況も気になった。次第に、今回の地震が14日の地震を上回る被害をもたらしていて、熊本のみならず大分でも強い揺れがあり、かなりの被害が出ていることが明らかになってきた。その間も、余震が頻発し、携帯の警告音は夜明けまで繰り返し鳴り続けた。
ツアー2日目、明日のライブ地は熊本市だった。それまでは、予定通りライブを行うつもりでいたのだけれど、夜が明けるまでには、ライブができるような状況ではないことを理解した。早朝に熊本のライブ会場BATTLE-BOXのオーナー林田さんと連絡を取り合って、ライブは中止ではなく延期とすることを確認し合って、その旨の告知を急いだ。
林田さんによると、お店には相当の被害が出ていて、まだ強い余震が続いているとのこと。熊本の知人達と連絡を取り合うかどうか迷いながら、数人に連絡を入れる。ある知人は、強い余震が続いているので、車中泊しているとのこと。

17日のライブ地は博多だったのだけれど、この地震によって、JRは運行を中止し、既に陸路を経たれた状況だったので、急遽、ネットでエアチケットを予約し、一睡もしないまま、熊本空港から午前の便で福岡に向かった。
移動中は、なんとも複雑で重たい気分だった。仕方ががないことと思いながらも、熊本と大分の状況を想像して、後ろめたさがつきまとった。5年前の東日本大震災、福島第1原発事故直後の気分がよみがえった。
博多に到着したら、ホテルに荷物を預け、近くのカフェで一服した。少し気持ちが落ち着いたと思ったら、クラクラとめまいがした。と思ったら余震だった。

翌日の福岡・BASSICライブは、予約キャンセルが多く出た。来る予定だった知人から連絡があり、家族が外出を心配しているので、行けなくなったとのこと。
この夜、集まってくれたお客さんの盛り上がりは特別なものだった。こういった状況の中で、皆が希望を求めていたのだと思う。
ライブ後半で「新しい町」を歌っている最中に、涙腺がゆるんで、声が上ずってしまった。そんなことではダメだと思った。
東日本大震災から2ヶ月後に被災地入りして、もの凄い被災状況を見て回ったときは、心にリミッターがかかったみたいで、一切涙が出なかった。それらは感傷を許さない光景だった。

博多の夜は長かった。地元の知人、打ち上げで合流した大柴広己らと多いに飲んで語り合ったはずだが、飲み過ぎたせいであんまり覚えていない。
翌日、ヘトヘトで帰宅して、少し気を抜いたら、いろんな気持ちが押し寄せてきてズンと落ち込んだ。ああ、これはやばいなあと思った。しかし、落ち込んでいる余裕がないくらい、その後のスケジュールは立て込んでいた。
取り急ぎの結論は、とにかく寝ることだった。
翌日、目が覚めたら、昨夜より気分が前向きになっていた。気を落ち着けて頭の中を整理しながら、焦らず一つ一つに丁寧に対処してゆくよう心掛けた。その後もキャンペーンとツアーに負われる日々が続いた。それがよかったのかどうかわからないけれど、余裕無いままに気持ちは安定して、日々がどんどんと過ぎていった。

ネット上では、鹿児島の川内原発がこの地震を受けても稼働し続けている事への是非が盛んに問われていた。平行線をたどる議論を追いながら、原発の問題は、思想とか知識以前に、感受性の問題ではないかと思った。
自分は、こういう地震があったりすると、余計に原発を早く止めてほしいと願う。でも、止めたからそれで安全というわけでもなく、廃炉までには何十年も時間を要してしまう。かかる費用も莫大だ。
「ほんまに、えらいもんつくってもうたなあ、えらいもんに頼ってもうたなあ」と、つくづく思う。立ち入ってはいけないところまで、人間は立ち入ってしまったんではないかという気持ちになる。欲深さと傲慢が、人間が本来備えていた「畏れ」を麻痺させている気がする。自分の感覚も普段は麻痺しているのだろう。やっぱり忘れていいことと、忘れちゃいけないことがあるんではないか。あれから何を終わらせて、何を始めたんだろう、そんなことをあらためて考えさせられた。しかし、日々の中で、こういった感覚がまた薄れてしまいそうだ。

震災からもう一月も経ってしまったなあと思う。熊本と大分ではまだ余震が続いていて、被災地で暮らす人達は今も不安な日々をすごしている。
先日、熊本・BATTLE-BOXのオーナー林田さんと連絡を取り合って、延期になったライブの日程について話し合った。お店は現在もまだ復旧には至っていないけれど、8月には延期になったライブが行えそうだ。

最近、2011年3月の東日本大震災の直後に、松山千春さんがラジオで述べたという言葉を思い出している。

知恵がある奴は知恵を出そう。
力がある奴は力を出そう。
金がある奴は金を出そう。
「自分は何にも出せないよ」っていう奴は元気出せ。

大きなことは言えないけれど、被災地の知人達、お世話になった人達の顔を思い浮かべながら、まずは元気でいようと思う。
この一月の間、余裕のない日々を過ごしていたのだけれど、せめて地震直後からの自分の気持ちくらい、書き留めておこうと思った次第。さあ、これからステージ。全身全霊でのぞみます。
ー2016年 5月14日 那覇にて

2016年4月28日木曜日

アルバム「Hello!」のリリースに寄せて

自分にとって2年振りのスタジオ・アルバム「Hello!」が発売となりました(CDとLPレコード同時発売)。
ここまで長い道のりでした。アルバムの最初のレコーディングが去年の1月。その後、スタジオを変えての3月のレコーディング時から、めまいと耳鳴りに悩まされるようになり、ボーカル録りの音程がとれない状況に陥りました。診断の結果は突発性難聴とメニエール症候群とのこと。特に左耳の聴力が落ちていました。
薬で症状をおさえながら、その後のツアースケジュールはだましだましなんとか乗り切りましたが、レコーディングはしばらく中断せざるえなくなりました。その間、レコーディングの方向性についても色々と悩みました。

耳の回復を待って、9月から再開したレコーディングでは、吉祥寺のGOK SOUNDを使用させてもらい、それまでのプロトゥールスを使ったDAW(Digital Audio Workstation)録音からSSLのコンソールと24トラックのスチューダーを使ったアナログ録音に切り替えました。これで、レコーディングの方向性がはっきりと定まりました。スタジオの選択に関しては、カーネーションの直枝さんに相談させてもらったことがきっかけで、GOK SOUNDを使わせてもらうことになりました。

アナログレコーディングに切り替えることで、それまで録音していた曲も録り直すことにしました。制作費のことを考えると、かなり思い切った判断でした。
この時点で、原盤制作費がインディー・レーベルで負担できる額を超えてしまうことは、はっきりしていました。自分が制作費を負担して原盤権を持ち、インディー・レーベルでリリースした場合、今度はリクープラインがあまりにも高くなり、回収が困難になります。
今回、自主レーベル「Hello Records」を立ち上げてのリリースを決めたのは、インディーズとしては、制作費がかかり過ぎてしまったことが一つのきっかけになりました。制作費のことやLPレコードの発売も含めて、自身のレーベルだからこそ、リスクをしょって無理ができたわけです。前作までお世話になっていたレーベル、ホームワーク・レコードには、ミュージシャン側の立場にたった良心的な対応をしてもらい、感謝してます。
レーベルを立ち上げてみて、「レーベルやるのって大変やな」というのが今のところの実感です。自分を含めたスタッフ2人の弱小レーベルとして、手探り奮闘中です。

演奏者の表情や空気感、ライブ感の伝わるサウンドを目指して、録音のベーシックは、顔を突き合わせての同時演奏、「一発録り」にこだわりました。技術とハートを兼ね備えた素晴しいレコーディングメンバーの存在なくして、今回の作品は成り立ちませんでした。
レコーディングに参加してくれたメンバー、特にHOBO HOUSE BANDとして自分のライブにも参加してくれている寺さん(寺岡信芳:ベース)、椎野さん(椎野恭一:ドラム)、コースケ(宮下広輔:ペダルスティール)、歩ちゃん(橋本歩:チェロ)、阿部美緒(ヴァイオリン)には、スタジオを変えて繰り返される録り直しにも、根気よく付き合ってもらいました。
オルガンの小林創くん、ギターの佐藤克彦さん、コーラスの真城めぐみさん、サックスの梅津和時さん、トランペットの黄啓傑くんも、この作品に欠かせない存在です。「Hello!」の冒頭を飾るナンバー「僕らのパレード」を共作してくれた丸谷マナブくんは、自分のポップの扉を新たに開いてくれました。

GOK SOUNDのオーナーでもあるエンジニアの近藤さんには、録りとミックスで、ひつこく付き合ってもらいました。お互いのこだわりをぶつけ合うことで、作品のクオリティーを高めることができたと思います。
GOKを使用するまでのレコーディングに付き合ってくれたエンジニアのモーキー(谷澤一輝)は、素晴しいセンスを持った、オレのよき理解者です。「永遠のダウンタウンボーイ」のミックスは彼によるものです。

マスタリングは前作の「HOBO HOUSE」に続いてビクター・マスタリング・センターの小鐵 徹さんにお願いしました。まさに匠の技。音量、音圧稼ぎに走らず、あくまでも空気感、響き、奥行きを大切にした柔らかい音作りは、作品の方向性にぴったりとはまりました。

パッケージ作品としてのアルバム・ジャケットの重要性を増々強く感じている中で、今回、小山雅嗣さんにデザインと撮影をお願いしたのは大正解でした。雅嗣さんによるアートワークが作品全体のイメージに与えている影響は大きいと思います。
渋谷のスクランブル交差点と日比谷公園で行われた撮影ロケのアシスタントは、雅嗣さんの弟の小山琢也くん。彼は「リクオwith HOBO HOUSE BAND Live at 伝承ホール」でジャケットに使われた写真のカメラマンです。

ジャケット内ブックレットのライナー・ノーツと曲解説は、前作のライブ盤「リクオwith HOBO HOUSE BAND Live at 伝承ホール」に続いて宮井章裕くんにお願いしました。知識と愛に裏打ちされた、人柄の伝わるステキな文章です。
彼は湘南で洋楽専門のレーベル「サンドフィッシュ・レコード」を主催していて、良質のシンガーソングライター作品をリリースし続けています。昨年サンドフィッシュからリリースされたジョン・リーゲンのアルバム「ストップ・タイム」は、オレの愛聴盤です。

前作のスタジオ・アルバム「HOBO HOUSE」に続いて、今回も出版会社のソニー・ミュージック・パブリッシング(SMP)と出版契約を結ばせてもらいました。SMPの大坂さんと舟田さんには、アルバムの曲作りの段階から色々と相談に乗ってもらいました。舟田さんには、アルバムのA&R的な存在として、制作に関わってもらいました。
「僕らのパレード」の共作者である丸谷君を紹介してくれたのも舟田さんです。大坂さんと舟田さんとの関わりによって今回の作品への流れができました。

「Hello!」は自分名義のソロ作品ではありますが、多くの人との関わりの中で生まれた共同作品です。ポップ・ミュージックとは、多くの才能と情熱の集結によって生まれ得るものだと思います。自分が今回作りたかったのは、まさにポップ・ミュージックとして成り立つ作品でした。
作品の中にはさまざまなオマージュを散りばめました。自分の作品は、これまでのたくさんの記憶、先人から勝手に受け取ったバトンによって成り立っています。「Hello!」を通して、皆さんとさまざまな記憶を共有できることを、「Hello!」というバトンが誰かに受け継がれることを願っています。

この作品を自分の節目にすることで、色んな人達に恩返しができたらと思っています。制作に関わってくれたすべての人達、今、プロモーションに関わってくれているすべての人達に心から感謝します。
そして、「Hello!」を既に受け取ってくれた皆さん、これから受け取ろうとしてくれている皆さん、本当にありがとう。皆さんの心に寄り添う作品になれば嬉しいです。
明日からまたツアーに出て、このアルバムを抱えて、全国を回ります。各地で皆さんに会えることを楽しみにしてます。


2016年3月11日金曜日

あれから

ホームページとブログのリニューアルに合わせて久し振りにブログ更新します。
東日本大震災から5年目にあたる今日、震災から5日後の11年3月16日の自分のブログに掲載した詩を再掲載します。


しばらくテレビのニュースを消して パソコンも閉じて 心を鎮めてみる
自分の弱さ 脆さを嘆くのはやめる 認めてやる
そらしゃあない
自分にとって大切なものは何?
つないだ手のぬくもりを思い出す
忘れかけていたメロディーを口ずさむ
少し無理をしてバカなことを言ってみる
結構受けた
笑顔にほっとした
自分の中にあった優しさを思い出す
希望を思い出す
勇気を思い出す

新しい暮らしが始まる
新しい生き方を探す
一人ではなく
哀しみを忘れない
後悔を忘れない
後ろめたさも忘れない
でも、引きずらない
力み過ぎない
祈り続ける
歌い続ける
新しい言葉とメロディーが生まれる
呼吸を整えて、元気を出す

この5年の間、自分が書いたこの詩を何度も読み返しました。
あれから何を終わらせて、何を始めることができたのか。今も明確に答えることができずにいます。
自主レーベル「Hello Records」を立ち上げて、4月14日(木)にリリースされる自分のソロアルバム『Hello!』に収録したナンバー「あれから」の語りの部分に、少し手直しを加えて、この詩を使いました。

詩を使うにあたっては、5年前の自分の心情を忘れずに心の中にとどめたいとの思いがありました。出来事だけじゃなく、あのときの空気や絡み合った思いを忘れずにいたい、あきれる程に忘れがちではあるけれど、なかったことにしちゃいけない、でないと未来が塞がれてしまう。目をそらしがちな一方で、そんな危機感を含んだ思いも、この5年の間でさらに膨らんだ気がします。
前を向くばかりでなく、立ち止まり、振り返り、闇に目を凝らす態度が、未来を照らすことにつながるのだとの思いを強くしています。


 ー2016年 3月11日(金)