是枝裕和監督『怪物』は、何度も観直したくなる映画だった。
説明のない示唆的なシーンが多く、もう1度観れば、もっと多くの伏線に気づくだろうし、作品に対する印象も変化するかもしれない。
観客は映画を通して、自身が心の中でいくつもの「怪物」を育くんでゆく過程を体験する。
複数の個人それぞれの視点と、「怪物」化された個人それぞれの日常を伝えてゆくことで、「怪物」の正体は徐々に明らかにされてゆく。その過程を経て、「言葉の呪い」が解かれはじめ、「怪物化」された個人は血の通った自分達と同じか弱い1個人へとかえってゆく。
他者の日常に触れること、対話の試みを続けることが他者の「怪物化」を防ぐ手立てとなることを、この作品は観るものへ伝える、というよりも体験させてくれる。
見事なストーリー展開、斬新な脚本(坂元裕二)。単純な答えや結末を用意せず、受け手を信頼して想像を委ねる姿勢に、表現者としての志の高さと誠実さを感じた。
この映画を観て、全体につきまとうモヤモヤとした不穏な空気や、自身の中にある「無意識の加害性」に向き合わされる展開に、違和感を抱いたり拒絶反応を示す人もいるだろうと思う。けれど、そこにこそ作品のキモが含まれている。
『怪物』は、観る者に心の裂け目を生じさせる。その裂け目に蓋をするのか、それとも恐る恐る覗こうとするのかでも、作品に対する評価は分かれそうだ。自分は、この映画のモヤモヤも含んだ余韻を味わい続けたいと思う。
音楽を担当した坂本龍一の余白だらけのピアノは、その存在を隠すくらい常に場面に寄り添い、作品と一体化していた。
役者さんそれぞれの演技が素晴らしく、街と自然が隣接する諏訪をロケ地とした映像も美しく効果的だった。映画という総合芸術ならではの幸せな化学反応に満ちた作品だと感じた。
これ以上書くとネタバレが過ぎるのでやめときますが、同時代にこういう映画に出会えて勇気づけられました。
ー 2023年6月28日(水)