2024年4月15日月曜日

名古屋・open houseにて有山さんとのツアー楽日

 添付した写真は、名古屋今池・open house終演後、左から有山さん、open house&得三の代表・森田さん、オレ。


再オープンしてからもお世話になってるopen houseは、35年前に有山さんと2人でライブをやらせてもらった場所でもあり、個人的な思い入れで、今回の有山さんとのツアーのライブ会場から外せない場所だった。
open houseが最終日でよかった。

ステージ上の有山さんは、いつもに増して自由奔放。
MCは長過ぎたかもしれないけれど、それも含めて有山ワールド。

有山さんの音楽性はブルースの枠には収まりきれないけれど、有山さんの枠からはみ出すブルーズギターのエグさ、衝動は、まさにブルースの「真髄」。自分は一番近い場所でその「真髄」を堪能させてもらった。昨夜のギターは特にエグかった。

客席には、35年前のopen houseでの有山さんとのライブを観に来ていたお客さんが数人来てくれていて、それも感慨深かった。

マスターの森田さんが喜んでくれた様子だったのも嬉しかった。
今回の有山さんとのツアーの目標の一つは、お世話になってきた各お店のマスター&ママさんに喜んでもらうことだったので、その目標はしっかり達成できたんじゃないかと思う。

有山さんも自分も現在進行形であることを確認できたツアーだった。有山さんは終始、音を奏でるときめきに満ちていた。自分もずっとそうありたいと思えたし、そうあり続けられるような気がした。

今回のツアーは、自分にとって、かけがえのない宝物となった。
ツアーは終わったけれど、有山さんとはまたご一緒させてもらう機会があると思う。もう次の共演が楽しみ。

各地でお世話になった皆さん、来てくれたお客さん、そして、有山さん、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

有山さん、お互い飲み過ぎに注意しましょうね。







2024年4月13日土曜日

ヤギヤスオさんのこと

SNSを通じてイラストレーターのヤギヤスオさんが9日に亡くなられたことを知る。
'90年代後半から'0年代前半くらいにかけて、ヤギさんとは特に下北沢界隈でしょっちゅう一緒に飲ませてもらっていた。自分のライブにもよく顔を出してくれて(特にThe Herzのライブ)、ときには持参のビデオカメラでライブを撮影してくれることもあり、そのワンカメ映像のセンスが抜群だった。
目利きのヤギさんが自分の音楽に注目してくれていることが嬉しかったし、ヤギさんを囲んでの雑談の時間はいつも楽しかった。大先輩なのに、大御所感が希薄で、えらそぶるところが全くなく、とにかく感性が瑞々しく可愛らしい人だった。

最後にお会いしたのは、10数年前に東京で開催されたヤギさんの個展会場だったと思う。ヤギさんは当時既に下北沢の喧騒を離れて山中湖近くに移住していて、自身の店仕舞いについてい色々と考えられている様子だった。

ボ・ガンボス、細野晴臣、ハイポジ、久保田麻琴と夕焼け楽団etc.自宅のCD棚の中から、ヤギさんがジャケットデザインしたアルバムを見つけ出すことは容易い。
昨年6月にツアーで尾道を訪れた際、知り合いのカフェ・ハライソ珈琲にコーヒーに寄ってみたら、たまたまヤギヤスオ展が開催されていて、ヤギさんが描いたアルバムジャケットの原画をいくつも見ることができた。原画からはポップにおさまらない混沌の迫力が伝わった。
見れてよかったなと思い、久しぶりにヤギさんに電話してみたのだけれど、その時は不通で話しすることができなかった。

自分が東京明大前に暮らしていた頃の思い出の中で、ヤギさんは欠かせない一人だ。
また一緒に飲ませてほしかったな。
ヤギさん、嬉しい言葉、多くの刺激、楽しい時間をありがとうございました。

ー 2024年4月13日(土)

2024年4月9日火曜日

「宿泊代高騰」「物価高によるチケット料金値上げ」「コロナ禍以降のライブ供給過多」について思うこと

「宿泊代高騰」「物価高によるチケット料金値上げ」「 コロナ禍以降のライブ供給過多」、この3つは自分くらいの規模で活動するツアーミュージシャン全員が、まさに今抱えている問題じゃないかと思う。

最近のホテル代高騰は異常だ。今までの定宿が、特に週末や観光シーズンに入ると、以前の倍どころが、場合によっては3倍、4倍の価格に跳ね上がったりするのだからたまらない。
インバウンドの観光客に対応した値段なんだろうけれど、エゲツナイなと思う。

宿泊代に限らず、こうも物価高が急な状況では、チケット代を上げざるをえない。基本的に、各公演のチケット代金を以前よりも500円程値上げさせてもらう機会が多くなった(離島など、物価が安い地域では据え置きにしたり柔軟に対応)。
ただ、物価と株価が上がっても、多くの人達の給与がそれらに比例していないことも理解しているので、心苦しく思うと同時に、お客さんがライブに来づらくなるんじゃないかとの不安も感じている。

自分の実感では、今、日本で開催されているライブイベントの総数は、コロナ禍以前を超えているように思う。とにかく、各お店のライブスケジュールが埋まる速度が、すごく早くなった。特に週末の日程が押さえづらくなっている。

それに対応して、自分は最近、都市部でのライブ開催を、週末にこだわることなく平日開催を積極的に考えるようになった。
ただ、地方のライブスポットに関しては、週末にしかライブを開催しないお店が多いので、それによって、ミュージシャン同士のスケジュールの取り合いのような状況が起きている。
どんどんブッキングの時期が早まっていて、「そんな先まで、スケジュールを決めたくないのになあ」と思いつつも、対応せざるおえない状況だ。

ライブの総数が増えても、多分、ライブ人口はコロナ禍以前よりも減っているので、今は需要と供給のバランスがかなり悪い、供給過多の状況だと思う。

ライブ人口やライブ文化の底上げのためには、ソロライブやワンマンライブばかりを繰り返して、ファンの人達を囲い込むのではなく、自発的にコラボライブや自主イベントを企画して、ミュージシャン同士、お客さん同士の横のつながりを広げてゆくことも大事なんじゃないかと考えている
ただ、コラボライブとか自主イベント企画って、普段のライブよりも経費と手間がかかるので、経済と心の余裕がないと二の足を踏んでしまいがちなのだ。
そこをこらえて、先行投資と考えて充実を選ぶことができるか。そういうジレンマと葛藤の中で、自分も活動を続けている感じ。
こういう話をミュージシャン同士でもっとできたらいいなと思う。

まあ、そんなことを考えたり悩んだりしながらも、楽しくツアー暮らしを続けられていることに感謝してます。

今年はアルバム発売記念ツアー、還暦イベントと、これから年内中、自分にとっての大きなライブイベントが続きます。
これからも、みんなと楽しくやりたいなあ。
引き続きよろしくお願いします。

ー 2024年4月9日(火)

2024年4月4日木曜日

「話し合い」と「寛容」について ー 「不適切にもほどがある」最終回の備忘録

ツアー先の仙台のホテルにてうまく寝付けず、ベットの中でドラマ「不適切にもほどがある」の最終回を考察するYouTube番組をラジオ感覚で音だけで聴いてたら、自分の思いと重なる意見や新たな発見があったりして、とにかく面白くて聞き入ってしまった。

無限まやかし【エンタメ面白解剖ラジオ】
芸人の大島育宙氏と高野水登氏が映画やドラマ、漫画などのフィクションを考察

「不適切にもほどがある」の最終回が放送されてから5日経ってもまだドラマの余韻を引きずっていたので、このYouTube番組は自分にとってタイムリーだった。
「寛容」をめぐる大島氏と高野氏の熱さと冷静さを伴った議論は聞き応えがあり、議論の過程で両者の考えが更新されてゆく様は対話の理想形を示しているように思えた。
完全に目が覚めてしまったので、備忘録のつもりで、自分も、番組の意見を参考にしつつ最終回の感想を少し書き残しておこうと思う。

ドラマは毎回、ミュージカルソングが披露されるのが恒例で、第1回放送では「話し合い」がテーマの歌が披露され、歌の中で「話し合いましょう」というフレーズが何度もリフレインされていた。
その後も、「話し合い」はドラマの重要なテーマの一つとなる。
けれど、ドラマ最終回においては、状況によっては必ずしも「話し合い」が万能ではないことを示唆する展開が用意される。 当たり前の話だけれど、「話し合い」は一方通行では成り立たない。時間を置くことも大切。「話し合い」も一筋縄ではいかないのだ。

「話し合い」に関するこうしたオチの付け方こそが、作品の多面性と誠実さを示していると思うのだけれど、ドラマを見続けなければオチが伝わらないあり方は、多くの誤解と批判を招いてしまった。
情報過多の時代においてワンクールのドラマにじっくり付き合うことが難しくなっている状況や、条件反射的なリアクションが可能なSNSのあり方が、批判に拍車をかけたように思う(一概に批判を否定するわけではないです)。

ドラマ最終回のミュージカルソングのテーマは「寛容」だった。歌の中で「寛容になりましょう」というフレーズが何度も繰り返されるのを聴いて、共感と同時に、正直、戸惑いも感じた。その思いはYouTube番組「無限まやかし」での藤原氏も同じだったようで、この歌に対してより肯定的だった高野氏との議論は多いに白熱した。

「寛容」はこのドラマのみならず現代のキーワードであり、もはや「ファイナルワード」のようにも自分は捉えている。故に「愛」と同様に、言葉が安易に消費され無意味化されてゆく危険性を孕んでいるように思う。
歌の中に「寛容と甘えは違う」というようなツッコミ的な歌詞も含まれているとは言え、少し表現の解像度が低く、言葉が都合よく解釈されてしまう懸念を抱いた。

3.11以降、差別する側が「レイシズム反対を訴える側にこそ自分たちが行う『区別』を受け入れる『寛容』さが欠けている」と主張したり、トーンポリシングの問題と結びつけてデモなどを通して理不尽に対する怒りを表明する態度を「不寛容」との言葉で押さえつけようとする傾向などを見てきたので、「寛容の肝要」を感じるからこそ、次第に言葉の使い方や使用場面を慎重に考えるようになっていたのだ。
ドラマの歌の締めの歌詞は「大目にみましょう」だけれど、そうだよなと思いつつ、大目にみちゃいけない場面があることも確かだとも思うのだ。

でも、脚本のクドカンさん(宮藤官九郎)はそんなことは百も承知なのかもしれない。このベタさ、直球具合こそがクドカンさんの覚悟と捉えることもできるように思う。言葉の危うさを自覚した上で、クドカンさんは批判覚悟で敢えて、「寛容」という露悪なき直球ど真ん中の「正論」をドラマの最後に投げ込んだのかもしれない。そして、ドラマを観続けてきた視聴者であれば、その真意は伝わるだろうとの思いもあったのかもしれない。
あるいは、クドカンさんは、この歌で再び批判が生まれることさえも、議論の機会としてむしろ良しとして期待していたのかもしれない。
個人的には、現在は「正論」が足りない時代だと思っているので、「相対化の時代」を生きてきたクドカンさんが、この状況において露悪表現なしに「正論」を投げかけることの意義の大きさも感じる。

自分は、このドラマを、自身の体験と重ね合わせて観る機会が多かった。第1話での「ケツバット」の場面は、中学生の野球部員時代に先輩からやられた側の記憶として、いい気分はしなかったし、少し心が固くなった。
ドラマのテーマの一つとなっている「話し合い」がうまくいかなかった苦い経験も思い出した。いつか面と向かって真意が伝わる時がくればいいなと思うけれど、その時点ではやはり「話し合い」はベストな選択ではなかったのだろうなと、ドラマを通してあらためて認識し直した。

「無限まやかし」でも語り合われていたけれど、マタハラで訴えた側の後輩・杉山ひろ美と訴えられた側の先輩・渚がエレベーターの中で偶然再会する場面は、最終回の中でも特に特に印象に残った。
2人はお互いに彼氏ができた近況を報告し合い、両者笑顔で別れる。互いの環境に変化が起こったことで、以前より2人に心の余裕ができてたことを窺わせる場面だった。
けれど、両者による「話し合い」が行われることはなく、多分、お互いのわだかまりは完全には解けていない。

後輩の杉山ひろ美と別れた後に、渚が自身に言い聞かせるように「寛容になりましょう」と呟く姿を見て、自分自身の経験が蘇り、「ああ、自分の方も相手を許せていなかったんだな」と気付かされた。
渚のように、自分自身にこそ「寛容」を言い聞かせてゆこうと思う。
そして、たまたま再会するような機会があれば、笑顔でいれるだけの心の余裕を持っていたい。

このドラマを通じて「何をいかに表現するか」の「いかに」の大切さと難しさをあらためて自覚させられた気がする。自分がどこまで受け取ることができたかわからないけれど、ドラマの中でクドカンさんが「いかに」表現するかを悩み自問自答した形跡は確かに感じられた。
ドラマのテーマとなるワードはシンプルでも、その言葉を肉付けしてゆく表現は多面的で気づきに満ちていた。繰り返し観れば、また新たな発見に出会うことのできる作品だと思う。
最初から最後まで深く楽しませてもらいました。

ー 2024年4月4日(木)

2024年3月25日月曜日

宮藤官九郎・脚本「不適切にもほどがある!」を毎週観てます

クドカンさん(宮藤官九郎)脚本のTBSドラマ「不適切にもほどがある!」を毎週楽しみに観てる。
タイムスリップによって昭和と令和の価値観の違いを面白おかしく浮き彫りにする内容。
ただ、見終わった後は毎回どこかモヤモヤした気持ちが残る。内容を簡単に消費したり消化できないところが、このドラマの醍醐味の一つだと思う。毎回、自身の感性や思考を試されている気がして、それを確認したくて、見終わった後に誰かとドラマに関して議論したくなる。

主人公による様々な「不適切な言動」に対するフォローが足りなかったり、時に「正論」が露悪的に表現されていることへの懸念や批判が作品に対して起きるのは仕方がないと思うけれど、クドカンさんは、そうした懸念や批判、誤解を覚悟の上で、踏み込んだテーマに挑戦したんじゃないだろうか。
どっちの時代が良いという話ではないのだ。安易な二元論に収斂させない投げ掛けに満ちた内容に表現者としての誠実さを感じる。

ただ、このドラマのポップさや、そのポップさに付き纏う説明不足は、内容を単純化して楽しむことを受け入れるが故に、都合の良い解釈も可能になり、一定の誤解も招き続けるだろうと思う。
クドカンさんは、その誤解を引き受けると同時に、視聴者を信頼しようとしているようにも思える。その表現に、忖度を乗り越えてゆこうとする覚悟を感じる。

自分にとっては、このドラマの内容や反響が、自身の考えを検証してアップデートさせる一つの機会になっている。
もしかしたらクドカンさんにとっても、このドラマの制作過程や反響が、自分の中の偏見や認識不足に向き合い、自身をアップデートさせてゆく一つの機会になっているんじゃないかと想像する。
クドカンさんは、ドラマの主人公・小川市郎と脚本家のエモケンに自身の一部分を投影して、自分自身をアップデートしきれない不完全な人間として謙虚に捉えているのではないだろうか。
誰もが自身の至らなさや過ちを自覚して、対話を繰り返しながら、より良い未来を目指して行けたらいいなと思う。

様々な反響を受け止めた後の、クドカンさんの次の作品も楽しみだ。
その前に最終回、どうなるんだろう。

ー 2024年3月25日(月)

2024年1月25日木曜日

有山じゅんじさんとの磔磔ライブで感じたこと



有山さんとの昨夜の磔磔でのライブ、あらためて感じるところが多々あった。


多分、有山さんはアンチエイジングを意識していないと思う。71歳の変わりゆく自分を受け入れ、構えることなく、今のありのままの自分を楽しもうとしてるように見える。

肉体の衰えによって、見えてくる新しい景色やもたらされるギフト、完璧を目指さないことで伝わるリアルや救いのようなものがあるんだと思う。


有山さんの音楽やステージパフォーマンスには企みやあざとさが感じられない。

本人自ら語っていたけれど、ライブ中に人を楽しませることも特段意識していないそうだ。ただ、自分が感じたり受け取ったものを歌やギターで表現することで、誰かが喜んでくれたり気持ちよくなってくれるのであれば、こちらも嬉しい。そんなスタンス。


多分、有山さんは、こんなふうに言葉にすることもあまり好まない。

言葉にすることで、振るい落とされてゆく何かがあることや、そこに意図が含まれることに敏感なんだと思う。

有山さんがこの投稿を読んだら、「リクオは大袈裟や」って言われそうだ。

でも、こういうことを考えて言葉にしてしまうのが自分でもある。


昨夜は会場全体に、心地良い循環が生まれていたと思う。流れに身を任せて有山ワールドを堪能することで、自分もその循環の一部になれたという充実感があった。

まさに一期一会の夜だった。


有山さんとのツアーはまだ続くので、ぜひ足を運んでもらえたら嬉しいです。

東京ラ・カーニャ公演はソールドアウトとのこと。ありがとうございます。


昨夜のライブのアーカイブ配信は2月7日(水)まで購入&視聴できます。きっと会場の空気感ごと伝わると思います。

https://twitcasting.tv/kyoto_takutaku/shopcart/285301


磔磔YouTubeチャネルにてライブダイジェストも無料公開中です。

https://youtu.be/BZnGf_6Icy0?si=K4SXztsIPf-8KseH


■リクオ・ライブ詳細 http://www.rikuo.net/live-information/

 





2023年12月9日土曜日

歌うことは生きること(茨田りつ子 談) ー 博多・Bassicにて

昨夜はライブ前に色々と考え事をして気持ちが落ち着かず、正直に言えば、本番直前まで少し憂鬱を引きずった状態だった。
毎回を万全のコンディションでステージに臨むのは難しい。抱え込んだブルースは歌で昇華するしかない。

ありがたいことに、ステージに出た瞬間、一人一人のお客さんの期待や熱量をダイレクトに受け取ることができて、心のスイッチがスッと切り替わった。そういうところは、単純な奴でよかったなと思う。

ライブ中は、歌えば歌うほど心が鎮まってゆく、浄化のプロセスをたどってゆくような感覚。とても印象深い夜になった。

「歌うことは生きること」
NHK朝ドラ「ブギウギ」の中で、歌手の茨田りつ子がそう語っていたのを思い出した。
心を開けば、音楽はいつも自分に寄り添ってくれる。

ライブは遊び場だったり、出会いの場だったりすると同時に、気づきや修行の場でもある。
音楽とお客さんとBassicに救われた夜だった。

ライブ後はBassicでしばらく打ち上がった後、オーナーの圭一君からの誘いでラーメンと居酒屋を2軒ハシゴ。
圭一君と2人だけで飲んだのは昨夜が初めてかもしれない。彼が全部奢ってくれて、素直に甘えさせてもらった。
圭一君の優しさはいつもさりげなくて心地よい。
ありがとう、また。

ー 2023年12月9日(土)