2024年12月26日木曜日

「問いかけ」の存在 ー 星野源君のNHK紅白選曲問題で、ジョニー・キャッシュのドキュメンタリーを思い出す

星野源君の紅白での選曲問題が話題になる中、Netflixで配信されている「リマスター」というドキュンタリーシリーズで、アメリカのカントリー歌手、ジョニー・キャッシュが取り上げられた回を思い出した。彼が1970年にニクソン大統領に招かれてホワイトハウスでライブショーを行った際の「事件」に焦点を当てた内容だ。

当時のアメリカは、泥沼化するベトナム戦争の行方をめぐって国の分断化が深刻な状況。そんな中、共和党寄りでニクソン支持を表明していたジョニー・キャッシュが、戦争を遂行する本人の目の前で、こともあろうに自作の反戦ソング「What is Truth」を披露する。
その場面は、「反逆者」たるジョニー・キャッシュがニクソンに対して中指を立てた瞬間として語られることが多いようだけれど、自分がそのドキュンメンタリーを見て受け取った印象は、それとは少し違っていた。

ドキュメンタリーは、ジョニー・キャッシュがホワイトハウスで歌う直前にベトナムを慰問することで、現地の悲惨を知り、より現状の理解を深めて、自身の考えを更新してゆく姿を伝えている。彼はホワイトハウスのステージで、ニクソンにもその現状を歌を通して真摯に伝えようとしているように見えた。ジョニー・キャッシュの披露した曲の調子やステージでの振る舞いは、ニクソンに理解を求め、変化や融和を期待する姿のように自分には感じられた。

その期待は、ニクソンがカンボジア侵攻を決断することで裏切られてしまうけれど、党派性に振り切れることなく弱い立場に寄り添い、「間に立つ者」であろうとするその態度は、今この世界で必要とされる希望だと思う。

星野源君が最初に紅白で歌おうとしていた「地獄でなぜ悪い」から批判を受けて変更した「ばらばら」への選曲の流れと、ジョニー・キャッシュがホワイトハウスで披露した反戦歌「「What is Truth」に共通するのは、「問いかけ」の存在だと思う。正義の答ばかりを性急に求めて「問いかけ」を失った時、世界はいがみ合い、ばらばらに破滅してゆくだろう。
世界は一つになれない、完全には分かり合えないことを理解し合いながら、重なり合ってなんとかうまくやっていけたらと思う。どうにかして悲しい記憶を超えてゆきたい。

ー 2024年12月26日(木)

2024年10月23日水曜日

映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』感想

賛否両論の映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を観てきた。
ジョーカー信者の期待には安易に応えない、切実かつ誠実、前作とはまた違った余韻を残す傑作だと思った。観終えた後に無性に誰かとこの映画について語り合いたくなった。

前作がもたらした熱狂と社会に与えた影響は、トッド・フィリップス監督ら製作陣の想像や意図を超えていたに違いない。今作は、そのような状況を受けての製作者側の返答とも取れる内容に思えた。

ジョーカーの物語でありながら「悪のジョーカー」としての活躍がメインから外れているので、前作に比べればカタルシスに欠ける内容であることは否めない。けれど、そのカタルシスの抑制が、アーサーという一人の人間の機微によりスポットを当てる効果をもたらしたように思える。
前作に続き今回もホアキン・フェニックスの全身全霊の演技に圧倒された。自身が演じる主人公・アーサーへの深い理解と愛情なしにあのような演技は成り立たないだろう。

特に物語と歌詞を含めた音楽のリンクが素晴らしく、この作品をミュージカル映画として捉えるならば、自分の知る限り、これほど生々しく切実で美しいミュージカル映画には今までに出会ったことがない。
エゴを抑制したレディー・ガガの歌唱は無論、ホアキンの感情と直結したかのような企みのない歌唱にもぐっときた。選曲のセンスにも痺れたし、用意されるシチュエーションによってこれほどまでに楽曲のリアリティーが高まるのかと感心した。

劇中でレディー・ガガが歌う「That’s Life」は、8月の京都・拾得公演で近藤房之助さんとのデュオで演奏した曲だったし、エンドロールで流れたホアキンが歌う「True Love Will Find You in The End」は、ダニエル・ジョンストンのオリジナル・ヴァージョンで最近頻繁に聴いていた曲だった。こうした個人的なリンクも作品へのシンパシーを深める一因になったかもしれない。

「音楽があれば人間は狂わずにいられる」
悲しい物語の中で、このフレーズは一つの救いのように響いた。誰にとっても音楽が救いになればいいのだけれど。

物語は、「ジョーカー」がアーサーから他の誰かに受け継がれたことを示唆してエンディングを迎える。今作では、主人公のアーサーがジョーカーを全うできない男として描かれている。『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』は、怪物ではなく、繊細で弱く悲しい人間を中心に描かれた物語だった。そこに不満を感じた人も多いようだけれど、自分にとっては納得のゆく続編だった。

フィクションを超えてジョーカーが求められる社会、狂うしかやってられない社会はあまりにも不幸だ。現実社会がフィクションのディストピアに追いつかないことを願っている。
映画の更なる続編が作られるのかどうかはわからないけれど、人々の心の中からジョーカーが消えない限り、ジョーカーを巡る物語はこれからも延々と続いてゆくのだろう。

ー 2024年10月24日(水)










2024年4月29日月曜日

奇跡の起きる場所 ー 祝、磔磔50周年

自分の磔磔での初ステージが’85年。その39年後、こんな風に磔磔のステージに立つことができて、お店の50周年をお祝いできるなんて、当時は想像できなかった。

ステージの上にはティーンエージャーの頃にテレビやライブで観ていた子供バンドとアナーキーの人がいて、一緒に大人気なく盛り上がっているのが、あらためて不思議に思えた。もちろん、当時は、この2人とバンドを一緒にやるなんて想像できなかった。

磔磔の業務からは一線を退いているボスこと水島さんが早い時間から車椅子で会場に来てくれたのも嬉しかった。バブルの真っ只中に、就職活動すらせず大学を卒業した自分を、アルバイトで受け入れてくれたのが磔磔で、水島さんは、言わば当時の上司。色々とお世話になりました。いいライブもたくさん観させてもらったなあ。

今や息子の浩司君がしっかりと後を受け継いで、頼もしい限り。50周年イベントシリーズも素晴らしい企画ばかり。
今回のピーズとの対バンは、うじきさんからのリクエストを浩司くんからピーズ側に伝えてもらっての実現。
うじきさんが音楽活動を休止して、芸能人、司会者として活躍していた頃に、デビュー当時のピーズのアルバムを聴いて衝撃を受けたのだそう。

ピーズのハルくんとアビちゃんが参加してのアンコールセッション2曲中の1曲「実験4号」は、自分の弾き語りアルバムでカヴァーさせてもらってる曲で、今回、ハル君にセッション曲としてリクエストさせてもらった。
もう1曲のセッション曲「サマータイム・ブルース」は、ABIちゃんがティーンエージャーの頃に子供ばんどヴァージョンでコピーしていた曲だったそう。

こうやって長い時間をかけて奇跡が起きる準備が進められてきたのだ。
思い入れや背景、歴史が積み重なってゆく程に、音楽はより豊かに共有されてゆく。磔磔はこれからも奇跡の起きる場所であり続けるだろう。

たくさんのお客さん、演者、スタッフのみんなと一緒に磔磔の50周年をお祝いすることができて幸せでした。
これからもよろしくお願いします。

FoREVER YoUNGERSの3公演ミニツアー、どの会場も愛と熱気に溢れていました。
ありがとう、また。

●4/28(日) 京都市・磔磔 『磔磔50周年記念 ピーズ × FoREVER YoUNGERS』 
出演:ピーズ / FoREVER YoUNGERS









ー 2024年4月29日(月)

2024年4月25日木曜日

雑多性の喪失 ー ‟下北線路街”を歩いて考えたこと

リハーサル前に、世田谷代田から下北沢に向けて、再開発で生まれた新しい通り‟下北線路街”を歩いた。
カフェを併設した日記専門店、台湾のソウルフード店、発酵食品店、割烹(かっぽう)や茶寮も併設した温泉旅館etc.バリエーション豊かな施設が並んでいて、何度も足が止まった。
街路は緑豊かで、天気の良さも相まって、しばしの心地良い時間を過ごすことができた。でも、どこかに違和感も残った。

今カフェでこの文章を綴りながら、下北沢界隈が再開発によって得たものと失ったものについて考えている。‟下北線路街”でのひと時は心地良く、随所に街作りの工夫とセンスを感じたけれど、再開発以前、この界隈近くに12年間住み続け、夜な夜な下北沢に通い続けた一人として、再開発によって切り捨てられ失われたものがあることも忘れずにいたい。
下北沢界隈が整然さと利便性を手に入れることによって失いつつあるものの一つは、「雑多性」だと思う。
その「雑多性」の喪失が生み出すものの一つは「分断」だろう。

そんなことを思いながら、大阪万博のことも考えた。
万博開催によって何を得て何を失うのか、何のための開催なのか、何が切り捨てらてゆくのか、これからの街づくりのあり方、持続可能な社会のあり方、50年後の未来にどう繋げるのか、等々。
哲学的思惟を含んだ未来へのビジョンが描き切れていないし、賛成と反対の二元論に縛られない議論も十分ではないように感じる。そして、そういった状況が、開催の価値や意義を下げていると思う。
このまま開催に向けて闇雲に走り続けていいものだろうか。

ー 2024年4月25日(木)

2024年4月15日月曜日

名古屋・open houseにて有山さんとのツアー楽日

 添付した写真は、名古屋今池・open house終演後、左から有山さん、open house&得三の代表・森田さん、オレ。


再オープンしてからもお世話になってるopen houseは、35年前に有山さんと2人でライブをやらせてもらった場所でもあり、個人的な思い入れで、今回の有山さんとのツアーのライブ会場から外せない場所だった。
open houseが最終日でよかった。

ステージ上の有山さんは、いつもに増して自由奔放。
MCは長過ぎたかもしれないけれど、それも含めて有山ワールド。

有山さんの音楽性はブルースの枠には収まりきれないけれど、有山さんの枠からはみ出すブルーズギターのエグさ、衝動は、まさにブルースの「真髄」。自分は一番近い場所でその「真髄」を堪能させてもらった。昨夜のギターは特にエグかった。

客席には、35年前のopen houseでの有山さんとのライブを観に来ていたお客さんが数人来てくれていて、それも感慨深かった。

マスターの森田さんが喜んでくれた様子だったのも嬉しかった。
今回の有山さんとのツアーの目標の一つは、お世話になってきた各お店のマスター&ママさんに喜んでもらうことだったので、その目標はしっかり達成できたんじゃないかと思う。

有山さんも自分も現在進行形であることを確認できたツアーだった。有山さんは終始、音を奏でるときめきに満ちていた。自分もずっとそうありたいと思えたし、そうあり続けられるような気がした。

今回のツアーは、自分にとって、かけがえのない宝物となった。
ツアーは終わったけれど、有山さんとはまたご一緒させてもらう機会があると思う。もう次の共演が楽しみ。

各地でお世話になった皆さん、来てくれたお客さん、そして、有山さん、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

有山さん、お互い飲み過ぎに注意しましょうね。







2024年4月13日土曜日

ヤギヤスオさんのこと

SNSを通じてイラストレーターのヤギヤスオさんが9日に亡くなられたことを知る。
'90年代後半から'0年代前半くらいにかけて、ヤギさんとは特に下北沢界隈でしょっちゅう一緒に飲ませてもらっていた。自分のライブにもよく顔を出してくれて(特にThe Herzのライブ)、ときには持参のビデオカメラでライブを撮影してくれることもあり、そのワンカメ映像のセンスが抜群だった。
目利きのヤギさんが自分の音楽に注目してくれていることが嬉しかったし、ヤギさんを囲んでの雑談の時間はいつも楽しかった。大先輩なのに、大御所感が希薄で、えらそぶるところが全くなく、とにかく感性が瑞々しく可愛らしい人だった。

最後にお会いしたのは、10数年前に東京で開催されたヤギさんの個展会場だったと思う。ヤギさんは当時既に下北沢の喧騒を離れて山中湖近くに移住していて、自身の店仕舞いについてい色々と考えられている様子だった。

ボ・ガンボス、細野晴臣、ハイポジ、久保田麻琴と夕焼け楽団etc.自宅のCD棚の中から、ヤギさんがジャケットデザインしたアルバムを見つけ出すことは容易い。
昨年6月にツアーで尾道を訪れた際、知り合いのカフェ・ハライソ珈琲にコーヒーに寄ってみたら、たまたまヤギヤスオ展が開催されていて、ヤギさんが描いたアルバムジャケットの原画をいくつも見ることができた。原画からはポップにおさまらない混沌の迫力が伝わった。
見れてよかったなと思い、久しぶりにヤギさんに電話してみたのだけれど、その時は不通で話しすることができなかった。

自分が東京明大前に暮らしていた頃の思い出の中で、ヤギさんは欠かせない一人だ。
また一緒に飲ませてほしかったな。
ヤギさん、嬉しい言葉、多くの刺激、楽しい時間をありがとうございました。

ー 2024年4月13日(土)

2024年4月9日火曜日

「宿泊代高騰」「物価高によるチケット料金値上げ」「コロナ禍以降のライブ供給過多」について思うこと

「宿泊代高騰」「物価高によるチケット料金値上げ」「 コロナ禍以降のライブ供給過多」、この3つは自分くらいの規模で活動するツアーミュージシャン全員が、まさに今抱えている問題じゃないかと思う。

最近のホテル代高騰は異常だ。今までの定宿が、特に週末や観光シーズンに入ると、以前の倍どころが、場合によっては3倍、4倍の価格に跳ね上がったりするのだからたまらない。
インバウンドの観光客に対応した値段なんだろうけれど、エゲツナイなと思う。

宿泊代に限らず、こうも物価高が急な状況では、チケット代を上げざるをえない。基本的に、各公演のチケット代金を以前よりも500円程値上げさせてもらう機会が多くなった(離島など、物価が安い地域では据え置きにしたり柔軟に対応)。
ただ、物価と株価が上がっても、多くの人達の給与がそれらに比例していないことも理解しているので、心苦しく思うと同時に、お客さんがライブに来づらくなるんじゃないかとの不安も感じている。

自分の実感では、今、日本で開催されているライブイベントの総数は、コロナ禍以前を超えているように思う。とにかく、各お店のライブスケジュールが埋まる速度が、すごく早くなった。特に週末の日程が押さえづらくなっている。

それに対応して、自分は最近、都市部でのライブ開催を、週末にこだわることなく平日開催を積極的に考えるようになった。
ただ、地方のライブスポットに関しては、週末にしかライブを開催しないお店が多いので、それによって、ミュージシャン同士のスケジュールの取り合いのような状況が起きている。
どんどんブッキングの時期が早まっていて、「そんな先まで、スケジュールを決めたくないのになあ」と思いつつも、対応せざるおえない状況だ。

ライブの総数が増えても、多分、ライブ人口はコロナ禍以前よりも減っているので、今は需要と供給のバランスがかなり悪い、供給過多の状況だと思う。

ライブ人口やライブ文化の底上げのためには、ソロライブやワンマンライブばかりを繰り返して、ファンの人達を囲い込むのではなく、自発的にコラボライブや自主イベントを企画して、ミュージシャン同士、お客さん同士の横のつながりを広げてゆくことも大事なんじゃないかと考えている
ただ、コラボライブとか自主イベント企画って、普段のライブよりも経費と手間がかかるので、経済と心の余裕がないと二の足を踏んでしまいがちなのだ。
そこをこらえて、先行投資と考えて充実を選ぶことができるか。そういうジレンマと葛藤の中で、自分も活動を続けている感じ。
こういう話をミュージシャン同士でもっとできたらいいなと思う。

まあ、そんなことを考えたり悩んだりしながらも、楽しくツアー暮らしを続けられていることに感謝してます。

今年はアルバム発売記念ツアー、還暦イベントと、これから年内中、自分にとっての大きなライブイベントが続きます。
これからも、みんなと楽しくやりたいなあ。
引き続きよろしくお願いします。

ー 2024年4月9日(火)