2005年12月29日木曜日

12/29 (木)

会場:フェスティバルホール
「FM802 WINTER WONDERLIVE=PIANO SONGS=」
出演者:KAN/SKOOP ON SOMEBODY/Salt&Sugar(塩谷哲&佐藤竹善)/リクオ/馬場俊英
 フェスティバルホールはお客で何度も来た事がある。ここで見たレイ.チャールズ、ライ.クーダー&デビィット.リンドレーのコンサートは忘れられない。音も雰囲気もよくって、いつかは立ってみたいステージだった。呼んでくれたFM802塚越さんには感謝。
 チケットは3千枚完売。立ち見がでる盛況。あらためて802パワーを思い知らされる。
  ステージには向かい合わせにグラウンドピアノが2台用意された。なんでもフェスティバルホールは10台ほどのピアノを所持しているそう。 用意されたのは、どちらもハンブルクのスタインウェイ。タッチも音色も最高と言っていい。物がいいだけでなく、楽器のコンディションもすごくいい。
  自分にとってのこの日のハイライトは自分のソロコーナーの後に行われたSaltこと塩谷哲氏との2台のピアノによる共演だった。塩屋氏との共演は数年前か らの自分の希望だったから、この話が来たときは嬉しかった。セッション曲には自分のオリジナル「ソウル」を選ばせてもらった。
 当日のリハーサルで初めて音合わせをした。その時点で素晴らしかったので、もうこれ以上リハーサルをやる必要がない、やらない方がよいと思った。
  本番でのセッションは素晴らしいものになった。導かれるようにインスピレーションが溢れ出て、今までにない演奏ができた。この日は、疲れがたまっていて、 声の調子はベストではなかった。それでもこのセッションのときには、不思議と声が出た。それぐらい触発されたのだろう。
 塩屋氏の演奏は、無理や邪念がなく、流れに身を任せるなかで、受け取り、与えられ、溢れ出たインスピレーションに従いプレイしている感じ。とても歌を大事にしてくれて、愛情のようなものも感じた。
  セッション中に、高揚し過ぎてどこかに行ってしまいそうになる瞬間があった。そうなったらもったいないので、気持ちをおさえた。このへんをもっとコント ロールできたら、さらに先に進めそうな気がした。塩屋氏には、表現者として自分がさらに前に進むきっかけと、意欲を与えてもらった気がする。
 広い舞台もやはり気持ちがよい。この日のステージに立ってみて、アンダーグランドとオーヴァーグランドを行き来するような活動がもっと出来たらいいなと思った。
  802のイベントの素晴らしいのは、出演者同士がつながり、交わる機会を必ず用意してくれるところだ。それはミュージシャン側にとっても、必ず今後の大き な財産になってゆく。この日の出演者は皆、オープンマインドで、気持ちよく受け入れてもらえた気がする。一線で活躍する人間の実力も感じさせてもらった。
 ただ、このメンバーの中で、自分はやはり異質だと感じた。そういうことをあらためて自覚できたことは、この日の重要なポイントの一つだった気がする。
 仕事納め。結構、充実した1年だった気がする。関わってくれた皆さん、応援してくれた皆さん、ありがとう。来年も楽しみやしょう。
★ソロのリハーサル中。
★塩屋氏とリハーサル中。
 

2005年12月28日水曜日

12/28 (水)

渋谷「多作」『mudio presents 無敵!!』
出演:Luz fonte /磯貝サイモン/大石由梨香 /RIKUO/ダンデライオン
 自分の出番は最後。開演してからも、楽屋が狭くて居場所がないから、客席でライブをみたり、渋谷の街をぶらついてみたりして、出番を待つ。
  チケットはソールドアウト、立ち見でギューギューなのに、どうも客席に熱が欠けている。開放感が足りない。それに比べて渋谷の街は忘年会のサラリーマン、 OLが通りにあふれ、無礼講の盛り上がり。なんだかなあ。出演者もお客ももっとワイルドにいったらどうよ、という感じ。
 オレの出番の頃には客が減っていた。でも盛り上がり方は、この日の渋谷のストリートにも負けてなかった。なんや、やったらできるやん。帰った客はしょっぱい。
 久し振りに聴いた由梨香ちゃんの歌は随分と色っぽくなっていた。色々あったんやな。

2005年12月26日月曜日

12/26 (月)

神戸 バックビート 『マンデーブギウギナイト』
出演:リクオ/イロメガネ/コトリ木/ウィークエンド
 バックビート は初出演。ブッキングマネージャーの西山君の誠意のこもったお誘いで、この日のライブが実現。共演は地元の若手ミュージシャン達。
今、関西の若手ミュージシャンは面白い。この日の出演者も皆それぞれに色があった。この中から、将来、広く世間に知られるミュージシャンが出て来るのかもしれない。若い才能に触れる機会があるのは、ありがたい。
  ライブの後、西山君と出演者の若者達と打ち上がる。結構話が合って、盛り上がる。どうもこういう意気のいい若者達と飲むと、オレも負けまいと張り切ってし まい、羽目を外してしまう傾向にある。先月、ツアー先で久し振りに吐いて以来、焼酎は水割りにと心がけていたのに、打ち上げ場所の焼き鳥屋のマスターから 兼八の原酒(40数パーセント)をロックで進められ、つい調子に乗って飲んでしまい(これがうまいんだ)、押さえがきかなくなってしまった。
 出演者の中でも、同じピアノマンのチャッピーは、オレにライバル宣言する意気の良さ。よし、まだまだこいつを嫉妬させ続けてやろうという気になる。

2005年12月25日日曜日

12/25 (日)

大阪 マーサ「リクオのスペシャル忘年会」
ゲスト:増家真美&水田十夢 bass(ラリーパパ&カーネギーママ)
 恒例になりつつあるマーサでの年末ライブ。おいしい料理とくつろげる雰囲気の中でのライブは、毎回お客さんに好評。学生からの付き合いのある無二の親友夫婦がやっているお店なので、自分もホームグラウンドのような気持ちで演らせてもらっている。
  今回のゲストの増家真美ちゃんもピアノの弾き語り。マーサでCDを聴かせてもらったのが、ゲストに出てもらうきっかけになった。ベースの十夢君とは彼が やっているバンド、ラリーパパ&カーネギーママで2度共演したことがある。二人は仲の良い夫婦。どちらもまだ20代半ば。
 マーサに来ると、関西 を中心に若い才能達の情報を色々と入手することができる。真美ちゃんもそうだし、ハンバートハンバートの存在もマーサで知った。真美ちゃん、ラリーパパ、 ハンバート等に共通するキーワードの一つは「マイペース」ではないかと思う。なるべくストレスのない環境を選んで、自分達が目指す心地よい音楽をじっくり と育んでいる感じ。まあ、あくまでも端から見た感想なのだが。自分の20代半ばはもっと、焦り、葛藤、野心が渦巻いていた気がする。
 気持ちよく演奏して、気持ちよく打ち上がった。
 真美ちゃんも、十夢君も、ほんま素直ないい人達だった。
★マーサ入り口。
★リハーサル中。左から十夢君、真美ちゃん。
 

2005年12月24日土曜日

12/24 (土)

田辺 ウツボムーン 
 ウツボムーンは古い知り合いの為さんが、長年勤めていた公務員を退職して、今年オープンさせた飲み屋。店に着いて意外だっ たのが、お店の雰囲気がカフェっぽくて子洒落ていたこと。ライブ用にPAも常備されていて、最新のデジタルピアノを購入済み。今後、定期的にライブもやっ てゆくそう。
 お店に着いてすぐに為さんからギャラを取っ払いでもらう。開演前にギャラを手渡されるのはかなりめずらしい。
 リハーサル 後に近くの居酒屋で食事。そこで、ウツボの蒲焼きを頂く。このあたりではウツボを食べる習慣が以前からあったのだが、最近になってまた、ウツボ食がちょっ としたブームになっているとのこと。精がつくし、コラーゲン豊富でお肌にもいいのだと店のおばちゃんが言っていた。蒲焼き以外にも、刺身や鍋料理でも食べ るそう。味は穴子に近いが、細かい骨が多く、穴子よりも臭みがあり、濃厚な味。
 有山さんにつれられて、田辺に始めて来たのが、まだデビュー前の16年前。それ以来、田辺には何度も訪れている。客層は、全国色々回った中でも有数のガラの悪さで、とにかくおっさん度数が高い。
 ところが今回はがらっと変わって若い女性中心の客層。皆、おとなしめ。えらい変わりようで、最初は戸惑うが、雰囲気に合わせて方向転換。途中からじっくりと歌を聴いてもらうことにする。
 この日は為さんと店で働くがくちゃんから計3曲のリクエストがあり、すべてにこたえる。為さんのリクエストにこたえて、有山さんの「ウーララ」を久し振りにカヴァー。ライブの後半ではパーカッション奏者でもあるがくちゃんと3曲セッション。
 ライブの後に為さんから、「歌うまなったなあ」と言われたのが、嬉しかった。
★渋い為さん。
★イケメンがくちゃん。
 

2005年12月23日金曜日

12/23 (金)

大阪心斎橋 島之内教会(地下鉄心斎橋駅下車徒歩6分)
「Chrismas Harmony~Love&Peace おしゃれna Night~」
※長堀21世紀計画の会がESPエンタテインメント(音楽専門学校)とコラボレートして、心斎橋を盛り上げようというイベントにリクオがゲスト出演。他にも女性アカペラ、パイプオルガン演奏等あり。

 名古屋から新幹線で大阪へ。雪のために徐行。1時間10分程遅れて到着。車中、爆睡。雪はないけれど、大阪もえらい寒い。
 今日のライブをブッキングしてくれたむうちゃんとは学生時代からの知り合い。彼女は、十三に今もあるファンダンゴというライブハウスの創業時のブッキングマネージャーで、オレはそこの出演者だったのだ。同時期にはデビュー前のウルフルズもレギュラーで出演していた。
  当時のファンダンゴは、治外法権という言葉がピッタリくるような猥雑で、ちょっとやばい雰囲気の店だった。店のスタッフは一癖二癖ある奴等ばかり。ライブ 中に盛り上がってくると、お客よりもスタッフの方が飲んで大騒ぎしていた。その中でも率先して、踊り騒いでいたのがむうちゃんなのだ。
 去年、むうちゃんが久し振りにオレのライブに遊びに来てくれた。弾き語りのライブにもかかわらず、ライブの途中で立ち上がって踊り出すお客がいて、誰かと思ったらむうちゃんだった。ファンキーな腰使いは相変わらず健在で、嬉しかった。
 そんな彼女も今や2児の母親。しかもESPという音楽学校の先生をやっているというから、驚くというか、笑えるというか。何を教えてんのやろ?
  ライブ会場の島之内教会は学生時代に足を運んで以来。いろんなイベントに場所を提供している、古くて趣のある教会。クリスマスにはピッタリのシチュエー ション。体は結構くたびれていたのだが、ステージに上がれば、お客さんの反応もよく、教会特有のホール鳴りも心地よくて、いい感じで調子に乗らせてもらっ た。
 ライブは後はむうちゃんと二人の息子と、むうちゃんの知り合い親子で、マーサに行って食事。
★教会のピアノ。

2005年12月22日木曜日

12/22 (木)

名古屋スローブルース
 息つく間もなくツアー。
 名古屋も大雪でびっくり。
 この雪じゃあ、ライブ予約のキャンセルが出るのも仕方がない。来てくれたお客さんにはほんま感謝。来れなかったお客さん、また来るよ。
 この日は、焼酎のお湯割りを飲みながら、自分のやりたい曲ばかり好き勝手にやらせてもらう。
 ライブ後も、お店に残って飲み続け、ばか話に花を咲かせる。レコーディングで閉じこもってた反動なのか、酔いの回りが早く、アホなことばかり口をついて出てくる。そう言えばしばらく飲んでなかったもんなあ。
 次のお店はライブでもお世話になっている今池の得三。お店に着いたら、森田社長も既に出来上がっていた。同席させてもらい、一緒に飲む。お互い酔っぱらいのくせに、森田さんがテーゼがどうのこうのと固い話をし始めるから、オレも乗っかって、よくわからずに激論を交わす。

2005年12月20日火曜日

12/20 (火)

午前0時、片倉さんがホテルにむかえに来てくれて、ジャムへ。まずはジャム喫茶でランチをいただく。みよこさんが特別に米沢牛を焼いてくれる。
  食事のあと、ニキさんは機材かたしと搬出作業に入る。自分は地元の新聞社の取材を受ける。午後3時前に機材を色々とお借りしていたサンセットスタジオの川 崎さんが、機材の受け取りにやってくる。機材搬出終了後、ジャム喫茶に片倉さん夫妻、オレ、ニキさん、川崎さんが集合して、地元の方がつくった山ぶどう酒 で乾杯。片倉さんが米沢駅まで車で送ってくれる。日本画の墨絵のようなモノトーンの雪景色が視界に広がり続ける。
 片倉さん夫妻、ホテルのスタッフの皆さんには本当に毎日よくしてもらった。人の暖かさに支えられた1週間だった。ツアーでその土地に1、2日滞在するのと、1週間滞在するのでは、感じることも、見える景色もまた変わってくることを実感。
★右がお世話になったホテルまどか支配人の浅井さん、真ん中がジャムのオーナー片倉さん
★1週間お世話になった長靴。
 

2005年12月19日月曜日

12/19 (月)

昼前に片倉さんより電話があり、外食の誘いを受けるが、時間が惜しいので、ジャム喫茶で食事させてもらうことにする。外での食事もいいけれど、奥さんのみよこさんが作るジャムランチもとても美味しいのだ。
 11時前まで寝ていたので、あまり時間がなかったのだが、それでもジャム入りする前にホテルの温泉には入る。今日も支配人がジャムまで送ってくれる。途中地吹雪で視界が何度も塞がれる。こういう時に対向車が来たら、本当に危ない。
 ジャムでの録音最終日。この日のノルマを錦織さんと確認してから作業に入る。
  午後5時過ぎ作業終了。さすがにふらふら。ライブはその場にいる人達との共鳴作業で成り立つから、たくさんの力をもらいながら演奏できるけれど、レコ- ディングはライブに比べると孤独。またライブとは違う集中力を使う。この1週間、ピアノと歌と自分自身に正面から向き合うことによって、自分の限界と可能 性に気付く事が出来た気がする。
 ベーシックの録音は終了。後の作業は東京に戻って、年明けの1月後半から。アルバム完成にはもうしばらく時間がかかりそう。美しい作品になるだろう。  
 ホテルに戻る道中、早朝から何人かの人とすれ違う。皆、丁寧にこちらに挨拶してくれる。東京では考えられない。
 ホテルに戻りニキさんと二人で朝風呂につかる。ほんまお疲れさんである。
 ニキさんには録音前に「自分のペースで我がままにやらせてもらうので、よろしく」と伝えていたのだが、最後までこちらのペースに合わせてもらい、嫌な顔一つせずよくやってもらった。人徳者である。
 今回のレコーディング方法は、一般のセオリーからかなりはずれているので、それを理解してくれるエンジニアが必要だった。ニキさんはこちらの意図を理解して、とてもフレキシブルに対応してくれた。感謝。まだまだ付き合ってもらいまっせ。よろしく。
★ジャムランチ。
★夜明け前から除雪作業。

2005年12月18日日曜日

12/18 (日)

 今日は大雪になった。ホテルの支配人の浅井さんが自分とニキさん、歩ちゃんをジャムまで車で送ってくれる。ありがたい。
 昨日除雪されたばかりのジャムの敷地内は既に雪がどっさり。長靴も深く雪にうもれる。
 今日は歩ちゃんが急遽現場でストリングスアレンジをしてをチェロをダビング。このアレンジがとてもよかったので、刺激されてピアノのアレンジも変えてしまう。
 晩飯前に歩ちゃんの録音終了。片倉さんが米沢駅まで歩ちゃんを送ってくれる。
 夜中になっても雪はやまず、激しく吹雪く。ヒューヒュー、ゴーゴーという音がホール内に漏れ聴こえるなか、ニキさんと二人で、つめて作業を続ける。
 作業終了が午前4時過ぎ。この日のホテルへの戻りが一番厳しかった。雪に長靴を深くのめりこませながら歩を進める。探検隊みたい。
★大雪!!

2005年12月17日土曜日

12/17 (土)

 チェロの歩ちゃん(橋本歩)が東京から参加。片倉さんが駅までむかえに行ってくれる。
 今日の昼飯はジャム喫茶で、片倉さんの知り合いの主婦の方が打った蕎麦を地元のお知り合いの方々と一緒にいただく。つなぎなしの10割蕎麦。美味い。つけ汁も自家製。鰹ダシが効いていて、やはり美味い。
 今日は日中晴れて、ジャムの茶店からの窓から雪化粧した蔵王山が観えた。

 歩ちゃんとは2曲録音。
 彼女とはライブはよく一緒にやっているけれど、レコーディングはまだ2度目。現場での判断が早いのに感心。こちらからの注文や意見も冷静に受け取めて、彼女なりの意見やアイデアを返してくれる。何よりも彼女の弾くチェロの音色が素晴らしかった。明日もよろしく。
 午前2時頃ホテルに戻る。
★歩ちゃんとの録音風景。
★ニキさんと歩ちゃん。毎晩ごちそう。
 

2005年12月16日金曜日

12/16 (金)

昨夜はマイナス10度に達する寒さだったそう。
 昼食は奥さんのみよこさんが中華そばを食べに連れて行ってくれる。東京で食べるラーメンと違い、 懐かしくほっとする味。川西の食事にはずれなし。その後、町自慢の多目的施設フレンドリープラザに連れて行ってもらう。以前、ジャムで会った事のあるス タッフの神尾君が館内を案内してくれる。
 川西町は作家の井上ひさし氏の出身地。フレンドリーブラザ内の図書館には氏から寄付された蔵書のコー ナーがあった。すごい量。こんなにたくさんの書籍すべてに目を通していたのだろうか。今も毎月、井上ひさし本人から宅急便で本が一杯つまったダンボール箱 が送られてくるそう。
 施設内には700人収容の立派なホールもあり、会館自主企画のイベントがよく行われていて、米沢や高畠などの隣町からもお客さんがたくさん集まるそう。
  
 今日はプラベートで悲しい出来事があり、その事実を知ってからは録音になかなか集中できなかった。それでも深夜2時まで作業を続ける。
★ジャムの前で雪かきの真似事。

2005年12月15日木曜日

12/15 (木)

 晴れる。今日はホテル側が自分とニキさん用の長靴を用意してくれる。ありがたい。これで雪道も大丈夫。
 レコーディング2日目。まずは、錦織さんと一緒に片倉さんの運転する車に乗って、レコーディングに参加してくれるパーカッションの朝ちゃん(朝倉真司)を羽前小松駅でピックアップ。そこから、片倉さんが3人をそば屋に連れて行ってくれる。新そばの季節。
 お店には奥さんのみよこさんが待機して既に注文をすましてしてくれていたから、到着してすぐに蕎麦が出てくる。まずは麺ツユにつけずに味わう。麺はこしが強く固め。すこし甘みがあって、どこか瑞々しい味わい。美味しかった。
 今日はジャムの周辺が除雪されていた。テラスに高く積もった雪も除雪されて、喫茶から遠景が見えるようになった。
 今日から本格録り。朝ちゃんは3曲参加。朝ちゃんのカホンがとてもいい音。ピアノとの音の混ざり具合もよい。いいテイクが録れた。
 作業は夜中2時頃まで続く。ジャムからホテルまでの帰り道がすんごく寒かった。
 ホテルに戻ったら、朝ちゃんの部屋に集まり、3人でビールで乾杯。小1時間ほどで自分の部屋に戻り爆睡。
 朝ちゃんは翌日早朝に川西から東京に戻り、ハシケンの10周年記念ライブに参加。忙しい中サンキュー。
★朝ちゃんとの録音風景。
★作業終了後ジャムの前にて。さむ~!
 

2005年12月14日水曜日

12/14 (水)

今日から、山形県東置賜郡川西町にある小ホール「ジャム」をお借りして、ソロアルバムのレコーディングに突入。
 エンジニアのニキさんこと錦織さ んと一緒に午前9時半頃東京発の新幹線に乗って現地へ向かう。福島駅をこえたあたりから急に雪深くなって、米沢についた頃にはまじですか?という積雪量。 ジャムのオーナーの片倉さんからは一昨日に30センチくらいの積雪だと聞いていたのだが、これはそんなレベルではない。大雪である。
 米沢から ローカル線の米坂線に乗り換えて羽前小松駅で下車。片倉さんが駅まで車でむかえに来てくれる。駅から5分程でジャムに到着。入り口の前もかなりの積雪で、 靴が雪にめり込む。長靴を履かないと歩けない状態。大雪&吹雪の2月に一度、川西を訪問しているのだが、12月のこの時期でこれほどの積雪があるとは予想 外。
 玄関では片倉さんの奥さんのみよこさんが笑顔で迎えてくれる。4度目のジャム訪問。
 今回のレコーディングは最初から、一般のレ コーディングスタジオは使用せず、自分が全国をツアーして演奏させてもらった場所の中から、選ぶつもりだった。ジャムでは今まで3度、ライブをやらせても らった。広さは21坪ほど。とにかく会場の鳴りがよい。客席のどの場所でも同じいい音で演奏を楽しむことができる。もちろんステージ上の鳴りもよい。会場 全体が一つの楽器のような感じ。今回、ジャムのオーナーの片倉さんにレコーディングの話を持ちかけたら快くokしていただき、ホールを1週間貸し切らせて もらうことができた。
 ホールの隣は喫茶店になっていて、みよこさんが仕切っている。ここの食事はどれもオススメ。特に茶店のテラスにあるピザ釜 で焼かれるピザが最高。しかし、今回テラスをのぞいてみたら、高く積もった雪にピザ釜もが埋もれてしまっていて、ピザはメニューからはずされていた。残 念。でも、作業に入る前にジャム喫茶でいただいたカレーはとても美味しかった。
 自分達が到着してしばらくしてピアノの調律が終了。調律師さんは片倉さんがこの人以外に調律はさせないというくらいに信頼する方。
  午後1時過ぎには、今回機材を色々とお借りしているサンセットスタジオの松田さんが到着。録音に入る前にまずはセッティングから、つまりスタジオ作りから 始める。ニキさんは今回の録音に合わせて、パソコンを買い換え(96kの録音が可能になる)、その他にもプリアンプ等の機材を購入して、ジャムに持ち込ん でくれる。
 晩飯前にセッティングが終了。思ったよりスムーズに作業が進む。午後7時、ホテルにチエックインするため、片倉さんが車で送ってくれる。ジヤムからホテルまで歩いて10分の距離とはいえ、この雪深い中での徒歩は結構大変。

  この日からお世話になるホテルまどかは片倉さんが役員をつとめているので何かと融通がきく。本当は門限があるのだが、特例で門限なしにしてもらう。これで 遅くまでレコーディングが続けられる。夜型なのでありがたい。 チェックインの後すぐに食事。これが予想を遥かにこえる豪勢さ。これでもかというくらいに 色んなおかずが次々にテーブルに並べられる。どれも美味い。宿泊費は、温泉風呂がついて、この食事で、これでいいの?というくらい格安。

 食事のあと試し録り開始。マイキングを色々と試行錯誤。作業は深夜まで続き夜中2時頃、ホテルに戻る。
★ジャムに到着。
★セッティング開始。

2005年12月8日木曜日

12/08 (木)

中標津~釧路~東京
 朝7時にホテルのロビーで早川さん上田さんと待ち合わせて、早川さんの自家用車に乗せてもらって帯広空港に向かう。途中まで上田さんが先導してくれる。
 快晴。寒いけれど乾いた空気が心地よくもある。道中、景色を眺めているだけで楽しい。夜明けの北海道は美しかった。車の中からデジカメのシャッターを切りまくる。
 途中、いきなりでっかい鹿が路上に飛び出して来て、早川さんが慌てて急ブレーキ。う~ん、シャッターチャンスを逃す。
 釧路の手前あたりでは丹頂鶴を見る。ばっちり撮影。釧路湿原も美しかったなあ。
 今回のツアーはかなり北海道を堪能。
 旅は道連れ世は情け。

 東京に戻ったら、こっちも結構寒かった。この日の東京の夜空にはたくさんの星が見えた。東京では星があまり見えないのではなく、人々がが空を見上げる機会が少ないのだと思う。

★早朝の北海道を体験。地平線の向こうから朝日が昇る。
 ★丹頂鶴に遭遇。

2005年12月7日水曜日

12/07 (水)

中標津 TicoTico
 午前4時頃には目が覚めてしまう。普段は寝る時間。締め切りが過ぎているキーボードマガジンの連載コラム「ピアノマン 転がる」を朝方までに仕上げて、メールする。この連載ももう2年以上続いている。最初はピアノにまつわる話を書くということだったのだけれど、最近はなん でもあり、好き勝手に書かせてもらっている。
 原稿を仕上げてホテルの温泉風呂につかってから、ホテルの食道で用意されたバイキング形式の朝食をとる。これが結構豪華。イクラも取り放題。わお、朝からイクラ丼や。食べ過ぎてしまう。
 部屋に戻って午後まで2度寝。昼過ぎから中標津の街をぶらつく。
 人口2万人の町にしてはホテルと飲み屋が多い。公共の施設も結構充実していて、飛行場まである。比較的裕福な町のよう。
 ライブ会場のLive Pub TicoTicoはホテルから車を走らせて10分程。まわりを見渡しても、TicoTico以外の建物は一切目に入らない、へんぴな場所。鹿やキタキツネが現れてもおかしくない感じ。
歯科技師のオーナー鈴木さんは元々東京でミュージシャンをやっていたそう。地元の人達に音楽の場を提供しようとこのお店を始められたそう。
 中標津に来たのは初めてだから、お客さんも初めてオレのライブを観る人達ばかり。お客さんの中にはわざわざ知床から観に来てくれた人もいた。
 最初は客席から様子をみられている感じで、自分のキャラを知ってもらうのに少し時間がかかる。
 この日も中盤はじっくりと聴いてもらう。ほとんどのお客さんは、集中して聴いてくれている様子だったれど、カウンターでずっとしゃべり続けている輩がいて、気になる。
 客席の集中力を高めるために、途中からマイクを使わず、スピーカーの音も切ってもらい、生ピアノ、生声で演奏する。これが新鮮だった。マナーを知らないお客のおかげで、いつもとは違うライブができた。
 主催の上田清一さん&涼子さん夫妻には、色々と気を使っていただき、よくしてもらった。清一さん、涼子さん、今度中標津に来るときは、お二人ともっとゆっくり色んな話をさせて下さいね。
★早朝の中標津。
★左から早川さん、涼子さん、清一さん。
 

2005年12月6日火曜日

12/06 (火)

旭川~中標津
 朝の10時半に早川さんとホテルのロビーで待ち合わせて、中標津に出発。「さっき地図で確認したら中標津があんまり遠いのでびっくりした」と早川さんから言われる。
 旭川を出て数十分経った頃から、あたりは次第に雪化粧を深めてゆく。景色が色々と移り変わって行くので飽きない。大雪山国立公園で観た滝の景色は素晴らしかったなあ。
 北見で早川さんのお知り合いと合流して昼食。中標津までの行き方を丁寧に教えてもらった上に、途中まで車で先導してもらう。
 午後3時台でもう陽が暮れ始める。国道には「路上凍結注意」の表示が。途中、2台の車が衝突した状態で道路脇に放り出され、パトカーが数台集合している現場を横切る。
 屈斜路湖を越えたあたりでは、6匹の野生の鹿が目の前で国道をまたいで行った。びっくり。
 午後5時半、無事中標津到着。ホテルの温泉につかった後、明日のライブの主催者の上田さん夫妻、早川さんと一緒に居酒屋へ。海の幸を色々と頂く。特に白子の天婦羅がおいしゅうございました。
 酒も入って上機嫌の早川さんが、明日も中標津に宿泊してライブを観て、明後日はリクオを釧路空港まで送ってゆくと宣言。ラッキー
★移動の車内から撮影。

 


★大雪山国立公園で滝を撮影。

2005年12月5日月曜日

12/05 (月)

旭川 アーリータイムズ
 旭川、寒い!!凍った路面に足を取られないよう気をつけて歩く。
 本日のライブ会場、アーリータイムズは今年2度目の訪問。
 リハーサル前にマスターの野澤さんから「明日はどこへ行くの?」と聞かれて、「中標津(なかしべつ)にはじめて行くのだ」と答えたら、野澤さんの表情が変わる。旭川から中標津への移動は相当大変なんだそうだ。知らんかった。
 中標津は知床と根室の間ぐらい、道東に位置している。JRは通っていない。旭川からの直通バスもなし。心配した野澤さんが、お店のパソコンをインターネットにつないで行き方を調べてくれる。
 結果、バスとJRを何度も乗り継いで、9時間半かかることが判明。わお!明日がライブでなくてよかった。
 つうわけで、とどこおりなくリハーサルを終えて本番へ。
 体調も上向きで気力も充実。かなり調子良かった。調律師さんに言わせるとやっかいだというお店のピアノも、よく鳴ってくれた。御陰で、CDの売れゆきも好調。
 この日、お客でふらりと現れたのが、岩見沢在住、道内のコンサート制作の仕事をしている早川さん。以前、岩見沢でライブハウスをやっていて、何度もお世話になっている。飲んべえで、いつまでも懲りないロック親父。わざわざ旭川まで観に来てくれるなんて、ありがたい話。
 当然、打ち上げにも参加してもらう。酔って上機嫌の早川さんから「明日はどこに行くのか?」と聞かれて中標津だと答えたら、自家用車で送ってくれるという。救世主登場!
 この日の打ち上げも鍋。あったまります。
★JR芦別駅にて。
★アーリータイムズの前にて。
 

2005年12月4日日曜日

12/04 (日)

芦別 ディラン
 晴れ。
 JRで岩見沢をこえたあたりから雪が深くなる。
 芦別は白銀の世界。晴れているから、日中は照り返しがまぶしい。
 芦別はかっては炭坑街として栄えていたそうだが、今は西部劇のゴーストタウンのような趣。自分は寂しげなこの街にどことなく心地よさを感じる。
 ディランはスピーカーを変えたそうで、音が格段によくなった。アプライトピアノの鳴りも良い。モニタースピーカーの音は返さず、音の響きを味わいながら演奏。
 ライブはのっけから盛り上がる。お客さんが今夜のライブの乗りを半ば決めてしまった。それでも中盤はミディアム&スローナンバーをじっくりと聴いてもらう。
 打ち上げはモツ鍋。常連のお客さんが食材を持ち寄っての宴会。
  マスターの忠さんがオレの昔のビデオを色々と観せてくれる。14年前の泉谷しげるさんとの共演ライブ、10年前の春一番ライブ、7年前のディラン初ライブ 等。懐かしいだけでなく、新鮮。特に7年前のディランライブが良かった。全体に曲のテンポが早く、リズムがつっこみ気味なのが気になったが、訴えかけるも のがある。歌っている時の表情もいい。グラサンをかけていないので表情がよくわかるのだ。帽子をかぶるのをやめるのと入れ替わるように、グラサンをかける ようになって随分経つけれど、たまにははずしてステージに立ってみるのもいいかもしれない。少し恥ずかしいけど。
 昔の自分を見て気付いたのだが、やはり髪の毛の密度が少し薄くなってるようだ。
★ディラン外観。
★ディラン内観。
 

2005年12月3日土曜日

12/03 (土)

札幌 くう
 今日も昼飯はスープカレー。あったまる。
 くうは音がよくて気持ちいいから、ずっとピアノを弾いていたくて、リハーサル時間が長くなる。
 集まったお客さんの大半は女性。客層によって選曲もステージングも変わる。女性客が多過ぎるとステージと客席が1対1の関係になりやすいのだが、この日のお客さんは意外に開放的で、乗りが良かった。
 集中して演奏できた。
 レコーディングを控えて、自分の音楽スタイルにまた変化が生まれつつある。ピアノも歌も一つ一つの音の響きに対して、より敏感になってきている感じ。最近、弾き語りの時のピアノのタッチが柔らかくなったと思う。クレフィンで弾けている反動もあるかも。
 打ち上げでKさんから、「いい感じで歳を取っているけれど、早くもっと年を取ったリクオをみたみたい」と言われる。
 打ち上げでは、マスターの山本さんの選曲が何気に楽しい。ジャズ、ブルース、フォーク、シャンソン、ボサノヴァetc.何でもあり。料理も美味しかったあ。三角山放送局の杉澤さんが酔って弾ける。
★左から三角山の杉澤さん、くうの山本さん。

2005年12月2日金曜日

12/02 (木)

チェックアウトの後、市内にある花の湯温泉に。
 ゆっくりと浸かった後、温泉を出てタクシーに乗る。運転手さんに、「美味しい海鮮丼を食べさせて くれるお店に連れて行ってくれませんか」と頼むと、「そういうお店を紹介すると観光客で一杯になってしまうので、普段は案内しないことにしてるのだが、今 日は特別に地元の人が通うお店を紹介しましょう」と言って、お店まで車を走らせてくれる。
 ウニイクラ丼がお吸い物付きで2100円。美味しかった。量が多く、食べきれれずに少し残す。
  札幌に着いて、ホテルにチェックインする前に、明日のライブを主催してくれるコミュニティーFM三角山放送局に行って、生番組に出演させてもらう。番組の パーソナリティーの男性は、地元でハウス系のダンサーをやっているそう。須永辰夫さんがリミックスしたヘルツの曲が好きだと言ってくれる。
 来年早々、三角山放送局は引っ越しをして規模拡大。インターネットFMも好調のよう。これからはコミュニティーFMとしてだけでなく、コンサート制作等、多方面で音楽を発信できる会社になっていったら面白いんじゃないかといった話を三角山放送局の杉澤さんとする。
 札幌も寒い。日が暮れると粉雪が降り出す。氷点下の世界。
 ホテルにチェックインしたら、すぐに寝てしまった。
★念願のウニイクラ丼。

2005年12月1日木曜日

12/01 (木)

小樽 すかんぽ
 やはり北海道は寒い。小樽市内は薄く雪化粧。
 入り時間まで余裕があるので、街を散歩。ウニイクラ丼でも食ってやるかと思っていたのだが、どのお店も高い。イクラ丼だけで、2千円をこえる。
それにウニが足されると、2千円台後半。さらにホタテとかカニが加わろうものなら3千円をこえる勢い。後で知ったのだが、小樽の海鮮丼は時価の店が多く、今が一番高い時期なんだそう。
  結局、ここ数年北海道で大ブームのスープカレーを食べる。具沢山のスープとライスがそれぞれ別の皿で出てくる。さて、どうやって食べればいいのか。スープ 皿にライスをかければいいのか、それとも逆か?店員さんに聞いてみたら、「スプーンでご飯をすくってスープに浸して食べて下さい」とのこと。言われた通り にやってみたのだが、どうもまどろっこしい。ライスの残りが半分程になったところで、ライスをすべてスープ皿にぶっかけて食べる。
 今回の北海道ツアーは、ソロアルバムのレコーディングを控えていることもあって、録音予定の曲をたくさんやる予定。いつもよりは聴かせるライブにするつもりだが、まあ、その日の乗りでどうなるかわからない。
 この日はライブの中盤でミディアム、スローの曲を多めに演る。で、後半は大盛り上がり。マスターのきんちやんが客席で一番盛り上がってた。既に酔っぱらい。
 きんちゃんとは同世代。飲み仲間って感じ。毎回お互い酔っぱらい。打ち上げでは明日のジヨーネタで盛り上がる。
★散歩中に小樽運河を撮影。
★打ち上げでマスターのきんちゃんを激写。

2005年11月28日月曜日

11/28 (月)

渋谷 BYG 「道玄坂ミュ-ジックサロンVOL.1」
出演:リクオ、斎藤有太
 帰りの機内でも爆睡。羽田空港から渋谷BYGへ直行。
 この日は有太くんとのジョイント。それぞれのソロコーナーあり、デジタルピアノ2台ならべてのセッションあり、今日もピアノづくしの夜。
 有太くんとのセッションは刃物で斬りつけられるような真剣勝負のスリリングさがあって、自分の力がぐっと引き出される感じ。
 昨日ヤンシーと二人で演奏したときにも感じたことだけれど、クレイジーフィンガーズで一緒にやり続けたことで、生み出されたグルーヴがあることを、この日も強く実感した。一緒にプレイしていて、とても信頼できるし、刺激にもなる。いい現場をつくれたなと思う。
 有太くんの弾き語りは今まで聴いた中で、一番印象に残った。シンガーとして、ソロアーティストとしての自覚が高まっているのだろう。
 「同じ月を見ている」で有太くんにピアノ参加してもらったのだが、一緒にプレイしていて、すごく高揚した。高揚しながらもクールだったのがよかった。高みに登り続けて行くにはクールさが必要だ。
 お客さんの反応のなかに、驚きとかリスペクとが含まれているのを感じた。お客さんも、楽しみだけでなく刺激を受けてくれたようだ。いいライブだった。
 打ち上げの途中からギタリストの佐橋さんが合流。盛り上がって朝方まで。
★リハーサル中の斎藤有太。
★左から有太くん、佐橋さん、オレ。
 

2005年11月27日日曜日

11/27 (日)

「YAMAHA シンセサイザー & ステージピアノ Day 2005 in 福岡」場所:アクロス福岡 円形ホール
ゲスト:CRAZY FINGERS(リクオ・YANCY)
 どうも風邪をひいたよう。大したことはないが、鼻がつまって息苦しく、少々頭痛。福岡に向かう機内では爆睡。隣席にすわっていたヤンシーによると相当にいびきをかいていたらしい。
  今月2度目の福岡。クレフィン関係でこのイベントに呼んでもらうのも4回目。毎回ヤマハスタッフの皆さんの熱意がダイレクトに伝わるイベントで、気持ちよ くやらせてもらっている。この日も仙台、東京、浜松、大阪など各営業所からヤマハのスタッフが集合。他の業者さんに安易に任せず、宣伝から仕込み、セッ ティング、舞台進行、司会、機材の搬入搬出、ケータリング等なるべく自分達の手でやってゆこうという姿勢がいい。
 このイベントの打ち上げは毎 回、楽器を作って提供する側の貴重な話が聞けたりして楽しいし参考になる。楽器に対するプレイヤー側の意見にも真摯に耳を傾けてもらえるので、結構貴重な 意見交換の場になっている気がする。クレフィンをやりだしてから楽器メーカー各社の方々と直に話せる機会が増えた。皆それぞれ、音楽&楽器に対する深い情 熱と愛情を持って仕事に取り組んでおられることを実感した。
 この日のライブはオレがしゃべり過ぎたこともあり、時間がオーバーしてしまいアンコールはなしに。スタッフの方から、アンコールで用意していた「光」を聴けなかったのが残念だったと言われる。
  以前に比べてヤンシーとの息が随分と合うようになった。続けて行くとはこういうことなんだなと実感。ヤンシーはとにかく88鍵の鍵盤を低域から高域までフ ルに使う。とても開放感のあるプレイ。そういうスタイルに自分も影響を受けていると思う。デュオでもレパートリーが増えて1時間半のステージもできるよう になった。
 打ち上げは越前屋という京風もつ鍋を食べさせるお店へ連れて行ってもらう。白みそベースでゆずの香りが効いている。濃厚でいて、どこか上品で洗練された味。相当に美味しかった。ヤンシーも「うまい!」を連発。
  ヤマハのKさんが、先月の大阪打ち上げに続いて今回も焼酎ロックをジョキ飲み。前回以上の勢いで焼酎ボトルを何本も空けていたのにはびっくり。プロレス ラーが相撲取りかというくらいの飲みっぷり、食いっぷり。2次会に行く道すがら、酔って街路樹に上っていたのには笑わされた。アホな人がいると楽しい。で も、お互い体気いつけましょうね、Kさん。
 打ち上げの途中で帰るのは気が引けるのだが、この日は2次会の途中で皆より先にホテルに戻る。
★本番中。

2005年11月25日金曜日

11/25 (金)

 BYGの隆太くんと渋谷の高木クラヴィアで待ち合わせ。来月BYGの安本社長が還暦を迎えるので、BYGのステージ用アップライトピアノをBYGのス タッフとBYGに出演しているミュージシャンでプレゼントすることを隆太くんが発案、相談を受けたので、高木クラヴィアを紹介、そこで高木クラヴィアが用 意してくれた中古のアップライトピアノを試奏するになったのだ。
 用意されていたのはヤマハの背の低いアップライト。かなり弾きやすい。音も悪くはない。欲を言えばもう少し抜けがほしい。高木クラヴィアのスタッフが調整してくれれば十分使えるはずだ。判断は隆他くんにまかす。

2005年11月24日木曜日

11/24 (木)

瀬戸内寂聴が出家するまでの人生を、夜の9時からフジテレビがドラマ化していたので、ついつい観てしまう。
 小説家の岡本かの子(岡本太郎の母親)について瀬戸内寂聴が書いた「かの子撩乱」は好きな作品。寂聴は、情熱的で生命力過多のかの子に自分自身をみていたのだろう。
 寂聴役の宮沢りえははまり役だった。彼女の一生懸命さが生きていた。
  ドラマの中では、寂聴が愛し深く関わった男性は2、3人ということだった。愛欲の生活に溺れていた人というイメージが強かったので、出家するまでは、もっ と多くの男性と関わってきたのかと思っていた。奔放な感じではなく、かなりの執着を持って、生真面目に男を愛した女性のよう。
 寂聴の人生には興味があるけれど、ドラマの中の寂聴の姿には思った程共感しなかった。感情の赴くまま突っ走って行く様に、それ程美しさを感じなかった。自分本位であっても、他人に対する最低限のエチケットや品性はなくしたくないものだ。
 「出家とは生きながら死ぬこと」と語る寂聴さんにとっての生とは、恋愛することであり、それは地獄を味わい続けることなのかもしれない。オレはもっと適当で曖昧、気楽やなあ。
 出家することで男を断ち、楽になった寂聴さんはとても元気で生き生きとしている。きっと、出家した今の方が、明るくてユーモアのある人なのだろう。

2005年11月23日水曜日

11/23 (水)

秋葉原 グッドマン
『いま、愛に生きます~Vol1~』
出演:t.style soul session/リクオ/まほろば/橋本みずき
  この日のイベントを主催した若手バンドt.style soul sessionのヴォーカルのタイカン君と知り合ったのが7年程前。大分県佐伯市にツアーで行った時に、ライブのオープニングでアコースティックギターの 弾き語りをやってくれたのが、まだ東京に出てくる前のタイカン君。
 東京で音楽をやり続けて、こうやって自分をゲストに呼んでくれるのは嬉しい。
 話をしているとメンバーそれぞれどこかでつながりがあり、親しみを感じた。
 オレのステージはいつものペース。
  今日は打ち上げの参加は控えておこうかと思っていたのだが、礼を尽くしてイベントに呼んでもらい、彼らのこのイベントに対する思いも伝わっていたので、や はり誘われると帰れない。打ち上げでは、20代のバカパワーに刺激を受け、悪乗りしてはしゃぐ。まだまだアホやってもおまえらには負けへんぞという意気込 み。が、奴等ははなから始発まで盛り上がる気合いで打ち上がっていて、いつまでたってもパワーダウンしない。今日はこのへんにしといたろうという感じで、 先に帰る。いや、もう十分やろ。
★楽屋でt.style soul sessionのメンバーと撮影。

2005年11月18日金曜日

11/18 (金)

下北沢440 「CRAZY FINGERS PARTY」
出演:CRAZY FINGERS(Dr.kyOn、リクオ、YANCY)
ゲスト:小島麻由美
 息つく間もなく、ライブ三昧の日々。
 この日は下北沢で恒例のクレフィンパーティー。開演前はいつも以上にリラックス。で、ステージに上がったら、ぱっとスイッチが入った。なんかワイルドモード。うん、この感じでいっとこう。 
 特にライブの後半は、ステージも客席も、うねりに巻き込まれるような感じで盛り上がった。
  アンコールの最後の曲、「光」のイントロはオレのピアノから入るのだが、ごく自然な気持ちで、いつもとかなり違うリズム、アレンジでスタートして、最後ま でその乗りで演奏した。自分としてはときめいて演奏していたのだが、ライブの後ヤンシーからクレームがきて「せっかくのいいメロディーを大切にして下さ い」と言われる。ちと、やり過ぎたかな。
 自分的にはかなり気持ちのよいライブだった。お客さんもそうだったら嬉しい。
 小島さんとのセッションも楽しかった。演奏中に何度も目が合った。はしゃいでる子供みたいな表情。一緒に遊んでる感じがした。彼女が一人で弾き語った「パブロック」という曲も印象に残った。
  打ち上げでは小島さん、小島さんのプロデューサーの小岩井さんと結構話ができた。皆でプロデュースするとはどういうことなのかという話になる。話を聞いて いて、プロデュースするとは禁止事項をつくることなのだなと感じた。限定や束縛があるからこそ、自由になれたり、クリエイティブになれるというのは確かだ と思う。ピアノの鍵盤が200鍵くらいあったら困ってしまうもんなあ。88鍵でも結構大変なんやから。
 プロデュースするということについて話している時に、キョンさんが「人をプロデュースするということは、その人の人生を変えてしまうことだ」と言ってたのが印象に残った。
  自分はどこかで自分の音楽をプロデュースしてくれる人を探し続けている気がするけれど、なかなか見つからない。人にまかせたいと思いつつ、最終決定を人に まかせることがなかなかできない性格のせいかもしれない。その性格を変えられないのなら自己プロデュースしてゆくしかない。自分は何でもすぐに色々とやっ てみたくなるタイプだから、自分で自分に禁止事項を与える作業をもっと意識的にやってみるのもいいのかもしれないなと、皆と話しながら思った。
 打ち上げの席で「リクオさんはステージでは饒舌で明るい人なのに、オフステージでは、思った程喋らないし、何か不安を抱えた人に見える」と小島さんから言われる。
  暗くしていたり、不安をかもし出している自覚が全くなく、普通に楽しく会話しているつもりだったので、意外な言葉だったし、少しどきりとした。ほんの 時々、自分の感情のベースは哀しみと不安ではないかと思うことがあるのだが、普段はそんなこと、ほとんど自覚せずに暮らしている。小島さんが自分のどこに 不安を感じ取ったのが、彼女のセンサーに興味を感じた。 
 小島さんは思っていた以上に何かすっきりとしていて明るく、話していて楽しい人だった。またぜひ一緒させてほしい。
★ライブのオープンング。
★打ち上げで乾杯。左奥が小島さん。
 

2005年11月16日水曜日

11/16 (水)

沖縄那覇市 テンブスホール
 朝10時にホテルをチェックアウトして、等くん、マネージャーの磯辺さん、インフィニティーレコードの氏家さん、サ ウンドクリエーターの中原さんと伴に伊丹空港へ向かう。この日はブッシュ大統領が来日中ということで、空港近辺は物々しい警備。道路の両側2、3メートル 間隔で警察官がずらりと空港まで立ち並ぶ光景は、異様だけれど壮観。タクシーを降りると、空港の入り口でも持ち物検査が入る。早めに空港に到着しておいて 正解。
 まだ昨夜のアルコールと疲れが残っていたのだが、空港のレストランでケーキセットを食べたら、元気が出て来た。疲れている時は甘い物に限る。
 2時過ぎに那覇空港着。PMエージェンシーの糸数さん、ビギンマネージャーの町田さん等が空港で迎えてくれる。生憎の曇り空だけれど、やはり大阪に比べれば随分と暖かくて、吹く風が心地よい。
  国際通り近くのホテルにチエックインした後、時間があるので皆で食事に出かける。等くんの案内で牧志エリアにある定食屋さんに行く。ゴーヤ定食を頼んだの だが、ゴーヤチャンプル以外にも沖縄ソバ、ラフティー、中汁、もずく等がセットでついていて、ボリュームたっぷり。だされたお茶がなぜか紅茶。しかも砂糖 入り。
 この日の会場のテンプス館はオープンしてまだ1年。あまりニオイのない、整備された立派なホール。もちろん客席は飲食禁止。

 午後7時半開演。客席には昨日ライブをやらせてもらったバナナホールの高木さんの姿も。等くんはソロコーナーでは場の空気に合わせて曲順を変える余裕もあって、昨日に比べると随分とリラックスして演奏していた。
  オレのソロコーナーが終って、等君をステージに招き入れる。入場して来た彼は両手にオリオンビールを2缶持っていて、そのうちの一つをオレに手渡した。ス テージ中央でビールの栓を空けて二人で乾杯したら、客席から一斉に「え~!!」といううらめしげな声。お客さんも飲みたかったに違いない。でも結構いい演 出になった。ここから後は、客席もステージも無礼講な乗りで、楽しく弾ける。

 そもそも自分が沖縄でライブができるきっかけを作ってくれ たのは、BIGINである。3年前に、彼らが沖縄で毎年企画している「歌の日コンサート」というライブイベントに、オレを呼んでくれたのが、プライベート も含め、初の沖縄訪問だった。それまで46都道府県を回って来たので、自分にとっては沖縄が最後に残された場所だった。BIGINのメンバーの御陰で、自 分は沖縄ととてもいい出会いができたと思う。それ以来、年1、2回の割合で沖縄でライブをやらせてもらっている。自分を沖縄に出会わせてくれた張本人の等 くんとこうして沖縄でジョイントライブをできるのは嬉しい。
 等君とはまた二人でツアーをやる約束をする。今度二人でやるときは、もう少し小さなキャパで、飲食しながら気軽に観てもらえるスタイルがいいんじゃないかと思う。
 打ち上げで、元憂歌団のギタリスト、内田勘太郎さんと久し振りに再会できたのは嬉しかった。大阪を離れ、沖縄で暮らす勘太郎さんは、肌艶が良くて、なんだか若返った感じ。以前よりずっと表情が柔らかい。
 この1月程で、元憂歌団の3人のメンバーとマネージャーに会ったことになる。不思議な偶然。。
 しかし等くんはじめ沖縄の人達はほんまよく飲む。午前4時まで付き合って、氏家さんと二人でホテルに戻る。
★定食屋さんの前で等くんと。

2005年11月15日火曜日

11/15 (火)

大阪バナナホール
バナナホール25周年【前年祭】リクオ&上地等(BEGIN)ライブ 「ピアノマンでいこう!!」
 なんだか一月前のことが、随分前のことのように思える。この1、2ヶ月で本当にたくさんの人達と出会っている。いろんな出来事を反芻する時間がないと、素敵な瞬間や出会いも忘れてしまいそう。

  で、今日は大阪でビギンの等くんとのジョイント.ライブ。二人のジョイントは、猥雑な雰囲気のなかで、ある意味適当に楽にやる感じがいいと思っていたのだ が、ライブの前半はちょっとそういう雰囲気にはならなかった。等君にとってはまだ慣れない弾き語りで、初ライブということもあり、ステージの最初、等くん はかなり緊張していた様子。
 この日の客席はテーブルをどけて、椅子席だけを並べるセッティング。これだと、飲みながらライブを観るのが難しく、お客さんも少し身構えてしまうから、すぐに楽な雰囲気にはならなかった。
 しかし、さすが大阪のお客さん。しばらくすると、楽しみ方をつかんできて、客席からつっこみも入り出し、生もののライブをうまい具合に一緒にコーディネートしてくれるようになった。いい空気。いい笑顔。

  オレも等君もお世話になってる渋谷のライブハウスBYGの社長の安本さんがわざわざ東京からこの日のライブに駆けつけてくれて、打ち上げにも合流。打ち上 げでの等くんの告白的喋りがかなり面白かったのだが、ここでは書けない。えてして、最も面白いことが話せないことだったり、文章では伝えにくいことだった りする。やはり現場で体験するのが一番。
★リハーサル中の等くん。

2005年11月14日月曜日

11/14 (月)

クレフィンパーティー用のリハーサル。この日も片道30分かけて三宿まで自転車移動。
 リハーサルにはゲスト出演してくれる小島麻由美さんとマネージャーの平田さん、小島さんのプロデューサーでもある小岩井さんもやってくる。
  オレは小島さんのCDを数枚持っていて、ファンだったので、今回の共演は嬉しい。相当に天然の変わった人だとの話を人づてに聞いていたのだが、一緒にリ ハーサルしてみて、マイペースでありつつ、回りに気遣いのできる人だと感じた。やはりとてもキュートな人だった。本番が楽しみ。

2005年11月13日日曜日

11/13 (土)

 等くんとのリハーサル最終日。
 リハの後、部屋に戻ってから、来週のクレフィンパーティーで、ゲスト出演してくれる小島麻由美さんとのセッション曲を練習。

2005年11月11日金曜日

11/11 (金)

 来週の大阪、沖縄ライブに備えて、等くんとリハーサル。用賀のアミューズスタジオまで、自転車で片道45分かけて行く。手袋とマフラーを着用。切る風邪が冷たい。今年は、今年は秋が短くて、あんまり季節を味わえなかった気がする。

2005年11月10日木曜日

11/10 (木)

AYOYAMA月見ル君想フ◆青山ピアノナイト9days~初日~◆
『月下の黒鍵』
出演:タカツキバンド/平泉コージwithキンドー/リクオ/フラバルス
 宮崎のホテルを10時にチェックアウトして、朝ちゃんと正午前の便で羽田へ飛び立つ。羽田から、直接ライブ会場の青山へ。
 朝ちゃんはさすがに疲れがたまっている様子。8日間で7箇所を回る強攻スケジュールの上に、毎晩飲んで遅くまで飲んで盛り上がり続けていたのだから、当然だ。オレは、疲れの感覚が麻痺しているのか、なぜか妙にすっきりした気分。
  この日の共演者の一人の平泉くんはイノトモの旦那さん。実は、この日が初対面。物腰の柔らかいとても感じのよい人だった。ステージもはじめて観させても らったのだけれど、夫婦そろってほんまにいい声。曲もギターもよかった。キリンジなんかにも共通するポップセンスを感じた。
 タカツキは、やっぱりいいセンスしてるよなあ。彼のオリジナルの「同じ月を見ていた」という曲をカヴァーしてみようかと思う。
 ウコンの力とリポビタンDを飲んでステージヘ。ツアーの勢いのままグルーヴィーな演奏ができた。女性が腰を揺らして踊っていると、こっちも盛り上がる。客の入りはたいしてよくなかったのだが、祝祭的空間になった。
  で、やはり打ち上げに参加してしまった。酒も回りはじめた頃に、酔っぱらったタカツキがステージに上がってピアノを弾き出す。ステージのバックにあるでっ かい月のオブジェに見守られて、体を揺らしながら一音一音かみしめ、確かめるように音を鳴らすタカツキ。他のメンバーもステージに上がり、ピアノに合わせ て、なんやら即興詩らしきものを朗読したり、踊ったりし始める。世界の片隅でバカをやってる。自分はこういう光景に愛おしさを感じてしまう。
★酔ってステージのピアノを弾くタカツキ。

2005年11月9日水曜日

11/09 (水)

宮崎 ウェザーキング
 午前10時に宮崎に向けて出発。二日酔いがひどいので、出発前、ホテルのフロント階のトイレで、口に指を入れて、吐く。
 宮崎までの約4時間半、ほとんど後部座席で横になっていた。きつい移動だった。
 宮崎に到着して、蕎麦を食べたら、やっと気分が戻って来る。宮崎の温暖でゆるい空気が、体にやさしい感じ。
 九州ツアー、ラストライブ。音がよい。力の抜けたいい演奏ができた。
 今日は打ち上げでも飲み過ぎず、はめをはずさなかった。楽しそうに打ち上がっている皆の姿を眺めているのも、いいもんだ。結構はやめにホテルに帰った。
 九州ツアー終了。よく飲んで、よく食って、よく歌って、よく弾いて、よく騒いだ。
 朝ちゃんには、オレの音楽生活を一緒に体験してくれてありがとうと言いたい。
 あおちゃん、今回もお世話になりました。あおちゃんが、よく笑ってくれると、オレも嬉しくなる。あおちゃんの純で真っすぐなところ、信頼してるよ。またよろしく。
★焼きカレーを食べるあおちゃん。

2005年11月8日火曜日

11/08 (火)

大分 ガウチョ
 ツアー6日目。オレと朝ちゃんのコンビは増々息が合ってきた。
 この日も気持ちよく演奏。
 打ち上げでも気持ちよく飲む。1次会の店を出て、ライブの主催者であるマチオ君の店に顔を出す途中の道すがら、再びガウチョに顔を出してみたら、オーナーの工藤さんが、カウンターで若い女性客と飲んでいた。
 工藤さんだけでなく、カウンターの女性客とガウチョのスタッフの女の子も2次会に誘ったのだが、躊躇していたので、「じゃあオレが今から1曲歌って、それがもしよかったら、おいでよ」といって、1曲歌ったら、二人ともついて来てくれる。
 二人とも癖のある印象に残る子だった。どちらも歌を歌っているという。話してみて、趣味で歌っているというレベルではなく、ずっと歌とともに生きて行くんだという強い決意を二人に感じた。  
  早川義夫と中島らもが好きだというAちゃんは、こちらのちょっとした言葉にいちいちつっかかってくる。美しいものを大切にしようとして、不器用につっぱっ ている感じ。そういう姿に、懐かしさを感じたのは、かっての自分や、近くにいた誰かを重ねていたからだろうか。どこか大人な対応をしようとするオレに彼女 がいらつき、そのいらつきに触れることによって、余裕を持って対応しようとしている自分自身に違和感を感じたりしたのが、面白かった。
 マチオ君 の店でも、また調子に乗って、朝ちゃんのパーカッションでコール&レスポンスのある曲を歌ったのだけれど、連れて来た二人の女の子は、全然レスポンスせず に、好き勝手にに歌いまくっていた。というか、自分には叫んでいるように聴こえた。伝えたいことが有り過ぎて、張り裂けそうな感じ。5年後に二人に出会っ たとき、彼女達はどうな風に変わっているのだろうか。
 美しいものを大切に、いろんな人達と共鳴し合いながら、楽しんでくれていたらいいなと思う。
★大分でも朝ちゃんは注目の的。

2005年11月7日月曜日

11/07 (月)

 今日は、移動日でライブはなし。朝ちゃんと二人でJRで大分まで移動。あおちゃんはいったん長崎に戻る。
 昨日の飲み過ぎと、電車がかなり揺れたせいで、大分駅についたら二人ともぐったり。
 午後3時頃、温泉つきホテルに二人でチェックイン。
 今日は飲むのはやめて休肝日にしておこうと、二人で誓いあったのだが、夜に明日のライブの主催者であるマチオ君に食事に誘われて、やはり飲んでしまう。ほろ酔い程度。

2005年11月6日日曜日

11/06 (日)

小倉REBENNACK(レベナック)
 ツアー4日目。毎晩、遅くまで飲んでるわりには意外に元気。焼酎をロックから水割りに変えたのがよかったか。
 この日は、小倉に入る前に、福岡市内にある温泉でゆっくりと湯につかる。朝ちゃんとあおちゃんは今回のツアーが初対面だったけれど、わりとすぐに打ち解けて、温泉でも湯につかりながら、色々と話していたよう。
 午後4時頃小倉入り。今夜のライブでオープニングアクトをやってくれた桃夜は、いつもはライブのPAをやってくれたり、小倉で毎回お世話になっている松井くんがやっているバンド。松井くんは巨体にウクレレが妙に合っていた。
 レベナックのお客はいつも元気がいい。今夜の客席のコーラスはびっくりするぐらいに力強くて、圧倒された。一人一人が思いっきり声を出している感じ。さすがレベナックの客やね。
 昨日とはだいぶ違う選曲。この日のオレはちょっと哀愁があったかもよ。
  打ち上げは前回オープニングで歌ってくれたジョージが始めた鉄板焼き屋で。ひとしきり飲んで食ったところでジョージと朝ちゃんのセッションが始まる。朝 ちゃんは元々そんなに飲む方じゃないはずなのに、今回はほんとよく付き合ってくれるなあ。各地で会う色んな人達とのコミュニケーションも、とても積極的。
 ジョージの店を出て、また皆でレベナックに戻って飲み直し。ナカジが、思い入れのある曲を色々と聴かせてくれる。
 酔いつぶれる。
★朝ちゃんを拝む人達。
★酔いつぶれたオレを朝ちゃんが撮影。

 

2005年11月5日土曜日

11/05 (土)

福岡 DREAM BOAT
 昼過ぎに長崎から福岡入り。ホテルにチェックインする前に、行きつけのラーメン屋で遅めの昼食。ラーメン、チャーシュー、高菜チャーハン、ビールを注文。うま過ぎ。
 食事の後ホテルにチェックインして仮眠。携帯のアラームをかけておいたのに起きれず、リハーサルに1時間程遅刻。
 今日のライブ会場のドリームボートはアメリカンパブ風のライブハウス。飲んで食ってライブを楽しむスタイル。自家製のソーセージやベーコンがおすすめ。酒も洋酒から焼酎まで各種豊富に揃っている。
 開演直前に会場入りして、まずカウンターで芋焼酎を注文。グラスを持ったままステージへ。
 ライブは最初からエンジン全開。ビートの効いたファンキーなナンバーを立て続けに演る。朝ちゃんがカフォンで叩き出す実にグルーヴィーなビートに、身を委るような気分で演奏。
 ライブの途中で汗びっしょり。ステージドリンクを焼酎からビールに変えて、お客さんと乾杯。オレがくだけて、開放されてゆけばゆく程、ライブも盛り上がり、お客さんも喜んでくれる。だからまた飲んでしまう。
 ステージがひとしきり盛り上がったところで、クールダウン。朝ちゃんには休憩してもらい、ソロでスローなナンバーを弾き語る。
 後半に再び朝ちゃんに参加してもらい、ファンキーなナンバーでラストスパート。アンコールではリハーサルの時に朝ちゃんと初めて合わせた曲を演奏。途中、ピアノから離れ、客席に入って、お客さんとコール&レスポンス。
  ライブの後もお店に残り、ドリームボートのオーナーの淳平さんや地元の知り合いの人達と乾杯。宴も進んで、そろそろ次の店に移ろうかなというところで、お 店に残っていた女性客から1曲リクエストされる。男やったら断ってたけど、気分がよかったのでボーナストラックで1曲弾き語る。
 で、場所を変えて春吉にある行きつけのバー、なべやへ。マスターのなべさんとは10年来の付き合い。なべさんは地元で活躍するミュージシャンでもある。久し振りの来店を喜んでくれて、カウンターでギターの弾き語りを聴かせてくれる。これがしみたなあ。
★朝ちゃんの髪を玩ぶ知り合いの美容師さん。
★たまたま九州をツアー中の谷口崇君が(左)が遊びに来てくれました。
 

2005年11月4日金曜日

11/04 (金)

長崎 BODY TO SOUL
 快晴。11月とは思えない陽気。日中は朝ちゃんと長崎の繁華街を散歩。昨日の佐賀に比べると、本当に賑やかで活 街を歩いていると、朝ちゃんのヘアースタイルが注目の的。中華街のあるお店で皿うどんを食べたときも、店員のおばちゃんが朝ちゃんのところにやってきて、 ヘアスタイルについて色々と質問。
 BODY TO SOULは初めてのライブ会場。ここは元々、カボというライブハウスがあった場所で、15年くらい前に友部正人さんのライブのゲストとして出演させても らったことがある。お店は変わってしまったけれど、15年振りにこの場所に戻ってきたわけだ。店内に入ると、レンガ造りの壁が当時のまま残されていて、懐 かしく感じた。
 オープニングでギターの弾き語りをしてくれるSOICHIRO君とはおもしろい縁があって、彼が東京でバンドをやっていたとき に、オレはそのレコーディングに参加しているのだ。ただし、タビングだったため、彼はオレの録音の現場には立ち会っていなかった。だからオレは SOICHIROくんのことは全く認識せずに、その録音を終えてしまった。それが10年くらい前の話。
 月日が流れて、2年前に久し振りに長崎で ライブをやらせてもらったときのこと。ライブ後の打ち上げで、パニックパラダイスという地下にあるお店の階段を降りて行ったときに、店内からご機嫌なラグ タイムギターが聴こえてきた。お店に入って席についても、スピーカーから流れて来るギターが気になって、マスターにこのCDの演奏者は誰かと尋ねてみた ら、奥の席で飲んでいる男性だと言う。さっそくその男性に声をかけて、CDの感想を述べて、自己紹介させてもらった。男性はびっくりしたような顔でこちら をみた。その男性がSOICHIRO君だったのだ。
 8時にSOICHIROくんの演奏がスタート。彼のブルーズを聴いている内に飲みたくなっ て、焼酎を注文。SOICHIROくんはステージの最後に「ジョージア.バウンド」を演奏。演奏の途中で、勝手に飛び入りしてピアノで参加。酒場ライブで はこういうのもありでしょ。 
 リハーサルでは音作りに手こずったが本番は問題もなくやれた。SOICHIROくんとお店の雰囲気に影響されて、 この日はブルージーなナンバーを多く演奏する。朝ちゃんに、予めあくまでも予定として伝えていた曲順は、あまり意味をなさなかった。でもとてもいい流れの ステージになった。思うまま、感じるまま、心地よく演奏できた。最近のベストライブのひとつかもしれない。
 ライブの後は、一口餃子のお店へ。う まいんだな、これが。三々五々の後も飲み足らず、ホテルの向かいのお店でもう少し飲む。日中、そのお店の前に魚の干物が干してあって、気になっていたの だ。おばちゃんが一人で切り盛りする、カウンターだけの小さな店。昼間に干していた干物を出してほしいと言うと、あれは隣の店だと言われる。ま、ええか。 焼酎を飲みながらしばらくおばちゃんの身の上話を聞いて、部屋に戻る。
★朝ちゃんの髪型に興味津々のお店のおばちゃん。
★中華街の前の公園で、将棋に興じるおじさん達。