2003年3月31日月曜日

2003年3月31日(月)

東京で桜が開花しはじめた。日中は花見を兼ねて散歩。 
オレの散歩コース。
春やね 
木蓮の花も開花中。
川沿いでくつろぐネコ。


2003年3月30日日曜日

2003年3月30日(日)

新宿のヴァージンメガストアで午後4時からインストア・ライブ。ヤマサキくんがパーカッションで参加してくれる。30分間、5曲を披露。
いきなり二人ともハイテンション。1月前に二人で回った北海道ツアーの感触がまだ残っていた。お客さんも予想以上に盛り上がってヴァージンがライブ.ハウス状態。
ライブの後、楽屋でヴァージンの邦楽担当のバイヤー、大川さんと長話。この人と会うといつも長話になるのだが、話の内容はほとんどプロレス&格闘技談義。 けれど今日の会話は音楽談義が中心。大川さんは最近激務に追われていて、少しめいっていたのだが、今日のライブを観て心がホットになったとのこと。
新宿を出た後、吉祥寺のスターパインズ.カフェへ友部さんのライブを観に行く。一昨日に続く「言葉の森」第2回目のゲストは鈴木祥子ちゃん。
二人は初共演。祥子ちゃんが友部さんのフアンだというので、そのことをオレが友部さんに伝えたことが、この共演のきっかけになったのだ。
この日の二人のセッションはほんとうに良かった。セッションのほとんどの曲は祥子ちゃんが友部さんにリクエストした曲だそうで、それらの曲で彼女はドラム を叩いた。サポートでベースにかわいしのぶさんが参加。彼女もかっこよかった。友部さんはめずらしくエレキギターをかきならした。
なんて素直でオープンな二人なんだろう。どちらも全開である。オレがみたいと思っていた友部さんと祥子ちゃんだった。
この日のライブで特に記憶に残っているのが今回のライブのために友部さんが祥子ちゃんの曲に歌詞をつけた「沈まない月」というナンバーを祥子ちゃんがピアノで弾き語りした場面だ。名曲誕生。そして名演だった。
本編の最後はニール.ヤングの「ヘイヘイ・マイマイ」からオレと友部さんの共作「カルヴァドスのりんご」へ。客席にいるオレに友部さんの奥さんのユミさんがやってきて「飛び入りしたら。」というので、曲の途中で飛び入りする。興奮した。
素敵な出会いの場に立ち会えたなと思う。

2003年3月29日土曜日

2003年3月29日(土)

今日は花粉症がひどい。
ヤマサキ・スタジオで次の作品に向けてのプリプロをやる。
部屋に戻ったのは午前4時過ぎ

2003年3月28日金曜日

2003年3月28日(金)「友部正人~言葉の森で~」@吉祥寺スター・パインズ・カフェ

第1回ゲスト:リクオ
ありがたいことに花粉症の症状が昨日より随分まし。
今日は友部さんにステージで野生の引き出しを開けてもらおうと決めていた。
個人的な感想なのだが、友部さんのライブを観に行くと、客席もステージも、もっとワイルドに弾ければいいのになあと、感じることが多い。詩人、友部正人の 方へ比重が行きすぎて、ワイルドなシンガー、友部正人を友部さん自身もお客さんも過小評価しているように思う。大体、友部さんの歌詞って、あの声で歌われ ると、かしこまっては聴けないものが多い。オレが客席で歌詞の意味もわからず、いえ~い、と盛り上がっているときに、回りはし~ん、とかたまっていたりす る。友部さんの詩はむずかしく考えない方がいい。オレは変で笑えるところが好き。みんなもっと笑えばいいのに。
友部さんの歌詞にオレが曲をつけた『SHE IS A BOOK』と『そんな人を僕はララと呼ぶ』はどちらも笑えるし、盛り上がるナンバー。今日はその楽しさが伝わればいいなと思って演奏した。これはなかなか うまくいったんじゃないか。友部さんも乗ってた。
3曲やった共作曲の内の1曲『カルヴァドスのりんご』はもともとシャウトしてストレートにもりあがる曲。オレも時々ステージで歌わせてもらうのだが、あえ て淡々と、静かに燃える青白い炎をイメージしたようなアレンジで歌っている。今日はそのアレンジで友部さんに参加してもらう。でも友部さんが歌い出したら 曲のアレンジも自然に変わって、よりエモーショナルになった。
今日はたくさんの曲をセッションした。いつも以上に相手の息づかいを感じるよう心がけた。友部さんの呼吸をつかまえて、それに乗っかってゆく。乗っかりな がらガツンと入れる。友部さんのテンションがぐんぐんと上がって行くのが伝わってくる。それにまたこっちが触発される。
きっと友部さん気持ちよかったんだろう、本番中にリハーサルもやっていない曲を突然やろうと言い出した。構成も歌の振り分けもわからないまま曲が始まって しまったのだが、いゃ~楽しかった。盛り上がってオレが3度上を歌ったら友部さんも盛り上がって、同じところを歌ってんの。完成度無視、初期衝動全開。野 蛮でよかった。
本編の最後はオレがリクエストした友部さんのオリジナル『僕は君を探しに来たんだ』をやる。サビのフレーズをリフレインする度に、どんどん野生が呼び覚まされて行く感じ。ステージであんなに叫んだのは久しぶり。
やっぱり、おもろいなあ友部さん。

2003年3月27日木曜日

2003年3月27日(木)

午後1時を過ぎても起きるのがつらかった。おかしい。
頭痛、くしゃみ、目のかゆみ、倦怠感。花粉症だ。
今年は今まで、まったく症状が出なかったので、ついに克服したかと思っていたのだが。
一日、体に力が入らんかった。

2003年3月26日水曜日

2003年3月26日(水)

午後1時から吉祥寺のスタジオで友部正人さんと28日のライブに向けてのリハーサルをやる。
友部さんとのつき合いはデビュー直前からで、もう13年になる。大体、ミュージシャンどうしは「また、今度。」などと言って別れた後、4、5年会うことが なかったり、それ以来ごぶさたしてしまうことが多々ある。会わなくなるのには、それなりの理由があって、互いの音楽性が変化して相手に興味がなくなってし まうことが一つの原因になることもある。友部さんとこれだけ途切れることなく付き合いが続いているのは友部さんがいつも面白くて、いっしょにいると楽しい からだ。友部さんもオレのやることを結構面白がってくれていると思う。
それとカメラマンであり友部さんのマネージメントもやっているワイフのユミさんの存在も大きい。ユミさんはまだオレが友部さんとそんなに親しくなる前か ら、追っかけと言ってもよいぐらいに、よくオレのライブに顔を出してくれていたのだ。会話も楽しい人で、関西人特有の鋭く親しみのあるつっこみが、心地よ く心をほぐしてくれる。
友部さんとの会話や演奏はかみあったり、かみあわなかったり色々だ。予定調和におさまらないところがいい。
友部さんといっしょにいると、この人は何を考えてんのやろ?と思わされることがある。時々、思わぬところで反応が帰ってきたりして、意表をつかれる。人が見ている物には気をとめないで、誰も見ていないものに気をとめている感じ。
リハーサルの後、近くにあるライブハウス、マンダラ??ヘ「やちむん」のリハーサルを友部夫妻と訪ねる。やちむんはオレが大好きな沖縄在住シンガー、比屋 定篤子さんの夫でカメラマンでもある那須さんがヴォーカル&ギターを担当するアコースティック・バンド。本番は観れないのでリハーサルだけお邪魔したの だ。友部さんと客席のテーブルに腰掛けてビールを飲みながらリハーサルを拝見させてもらった。ヤチムンの3人はリハーサルにもかかわらず10数曲をMCま でつけて披露してくれた。得したなあ。でも無理させたかも。きっと本番も盛り上がったやろね。
お店を出て友部夫妻と別れオレはスターパインズ・カフェへ「サケ・ロック」というインスト・バンドを観に行く。ここのギタリストである星野源くんの才能に注目しているのだ。
この日はまた掘り出し物が。サケ・ロックの後に出てきた「タケル」という際物お笑い系バンドのインパクトが凄かったのだ。とにかく何度も爆笑した。演奏力 は相当に低いのだが、そのヘナチョコさが笑える。狙っているのか?曲もパフォーマンスも型破りで相当に狂ってる。けれど客が引く半歩手前で踏み止まり、場 の空気をしっかりつかんでいた。ダウンタウンの松ちゃんのコントを観て以来の衝撃かも。
先日、440でライブを観て急遽オープニングをお願いした『コーヒーカラー』といい、なんだか最近妙なバンドに遭遇するなあ。
部屋に戻って夜中から曲作り。

2003年3月25日火曜日

2003年3月25日(火)

今日は仙台でプロモーション。この日、出演番組でお世話になった藤山さん三浦さん等、お会いした方は皆好意的で手ごたえあり。
スケジュールを終えてキョードーの今野さん阿部さんと牛タンを食う。
その後、昨年2度ライブをやらしてもらっているサテンドールヘ。そこで以前からライブの企画などでお世話になっているSさんと合流。Sさんは4月に仙台で行うキョードー主催のライブの宣伝にも協力してくれているのだ。ありがたい話だ。

2003年3月24日月曜日

2003年3月24日(月)

日中、部屋で曲作り。
最初はやさしくナイーブな曲をイメージしていたのだが、どうもしっくりくるメロディーがでてこない。
相当煮詰まっていたときに、ふと力強く歌いはじめるAメロが聴こえてくる。あ、はまった、って感じ。その後4時間の葛藤、集中。最後のCメロまで仕上げる。
夜は外食。麓さんの先輩が高円寺ではじめた「TEGATEGA」という奄美料理のお店に行く。特に鶏飯と牛筋煮込みが美味しかった。途中で席をカウンター に移して、お店をやってる吉田夫妻と色々話する。とても感じのよい二人。吉田さんは奄美から東京に出てきて10年間サラリーマン生活を経て、やっと念願の お店を始めることができたそう。

2003年3月20日木曜日

2003年3月19日水曜日

2003年3月19日(水)

奄美から東京への直行便は夜の7時発のみ。時間があるので、麓さん、孝介君、正一さんといっしょに島のシャーマン、ユタ神様のところに行く。
奄美には多くのユタさんが存在し、地元の人達の良きカウンセラーになっているそう。女子高生が恋愛相談でユタさんのところへ足を運ぶこともあるらしい。
オレは去年の奄美ツアーに続きユタさんにみてもらうのは2度め。前回のユタさんは奄美ではめずらしい男性だったけれど、今回は女性、おばちゃんだった。
ユタさんのところへ行くときには、数千円を包む以外に、必ず焼酎と塩を持って行かなければいけない。差し出された焼酎は儀礼の際、なんらかの形で使用される。


ユタさんの家の祭壇
祭壇の前で正座して待っているオレ達の前に奥の部屋からユタさん登場。60前後と思われる気さくそうなおばちゃん。
祭壇の前に座るなりいきなり民謡を歌いはじめたのには、意表をつかれた。これがよく通るいい声。とにかくいきなり頭の中で歌が聴こえはじめて、たまらず歌 い出してしまったそう。オレ達が音楽に深くかかわる人間であることはすぐに言い当てられてしまった。
それぞれ一人ずつ観てもらったのだが、一人めの孝介君はかなりズバズバとアドバイスされていたなあ。えらそうでなく、とても愛を感じさせる語り口だった。
次にオレがみてもらう。言われたことはちょっと秘密やね。昔に患った病気と疲れた時にでる症状を当てられたのにはびっくり。とにかく面白かったなあ。色々と気付かされたり、考えるきっかけを与えてもらった感じ。
今回も記憶に残る奄美の旅だった。

 

2003年3月18日火曜日

2003年3月18日(火) 奄美大島・名瀬市 ASIVI

目がさめてホテルのテレビをつけたらアメリカのブッシュ大統領のテレビ演説を中継していた。
48時間以内にフセイン大統領が亡命しなければ、イラクへの攻撃を始めるとのこと。演説を聞いていて、この人の単純さを恐ろしく感じた。正義の押し付けほど、たちの悪いものはない。
天候は時々雨もぱらつく曇り空。
リハーサル前に、麓さんから借りたチャリンコで市内をぶらつく。街の喧噪からは遠く、静かで穏やかな風情。

名瀬港にて。手前は麓さんから借りたチャリ。
奄美の方々で見かけるガジュマルの樹

奄美は最近、島唄が息づく場所として、本土からも注目を集め始めているけれど、沖縄のようには観光地化されておらず、手付かずの島といった印象が強い。そのために島独自の土着文化が育まれ、今もそれが残り続けている。
奄美の島唄は沖縄のそれとは相当に異なったスタイルを持っている。歌唱法は裏声を使うところが大きな特徴。主に使用される音階や、トリルを多用する三味線 (奄美では三線と言わず三味線と言う。作りも沖縄の三線とは異なっているようだ。)のスタイルも沖縄のそれとは大きく異なっている。
また奄美の中でも地域ごとで島唄のスタイルが細かく違うらしい。山に分断された地形が各地にそれぞれの発展をもたらしたようだ。
とても興味深く、魅力のある土地だ。

夕方4時にASIVIに入りリハーサル開始。今日のライブの為にわざわざグランド・ピアノが楽器屋さんからステージに持ち込まれた。
 リハーサル中にアクシデントが発生。演奏の途中で「バチン!!」とでっかい音が鳴ってピアノの低域弦が切れてしまったのだ。しかもその直後にまた「バチン!!」。なんと続けて2本の弦を切ってしまった。
なんとか応急処置をうながして本番に臨む。

応急処置中
 

オープニング・アクトは奄美島唄界の若きホープ、現在琉球大学の学生でもある中孝介君がつとめてくれる。優しく繊細な歌声。
孝介君が4曲歌った後にオレが登場。
お客さんはもう臨戦状態。どっからでもこんかい、といった頼もしさを感じさせる。まあ食い付きのいいこと。『風の声』で手拍子の入る町はここだけやね。
客席からは曲の合間でさかんに指笛がなる。ここ、日本とちゃうわ。
この日のオレのステージ.ドリンクは黒糖焼酎。飲んで盛り上がり過ぎ、アンコールの途中で目がまわった。
昨日、再会した團塚さんにもアンコールで2曲参加してもらう。ステージでとてもいい顔してはったね。
サンキュー、奄美!
岩手出身、島唄を習いに奄美に滞在しているともちゃんが打ち上げで2曲歌ってくれる

酔っぱらいのオレと麓さん



 

2003年3月17日月曜日

2003年3月17日(月) 奄美大島


奄美大島の郷土料理、鶏飯午後2時過ぎ、奄美空港着。ライブでお世話になる「ASIVI」の麓さんと正一さんが車で迎えに来てくれる。去年の2月以来、約1年振りの再会。
天候は曇り時々晴れ。少し汗ばむくらいに暖かい。
名瀬市に入る途中、鶏飯(けいはん)専門店で昼食。鶏飯、焼き鳥、鳥刺し、ビールを注文。うまいねんな、これが。



鳥刺し
 奄美大島の郷土料理、鶏飯

夜は麓さんと正一さんに奄美の家庭料理を食べさせるお店に連れていってもらう。美味しい。
その後「ASIVI」で飲む。奄美のお酒と言えば、黒糖焼酎。ひたすらこれを飲んで語り合う。
麓さんにとってこの1年は、音楽を愛しながら奄美に暮らす人間として、非常に考えさせられることの多い1年だったそう。
麓さん達地元の音楽仲間がデビュー前から見守っていた元ちとせさんが大ブレイクしたのをきっかけに、この小さな島は急激に中央の注目を集めるようになった。奄美在住の唄者にもメジャーデビューの話がいくつも舞い込んだそうだ。
けれどその話に乗る唄者は結局、いなかったとのこと。
奄美には基本的にプロの唄者は存在しないそうだ。奄美の唄者は音楽があって生活があるのではなく、生活の中に音楽があるのだと、麓さんは言う。普通に仕事 を持って生活している中から歌が生まれ、育まれて行く、これが奄美の島唄の基本スタイルであることを麓さんはこの1年で再確認したそうだ。
奄美にはFM局が存在しない。麓さんは今、奄美にコミュニティーFMをつくることを考えていると言う。本土からミュージシャンを招いての音楽イヴェントも 積極的にやり続けるようだ。新しい風も受け入れながら、島の文化、生活スタイルを見直し、それを内外のより多くの人達に伝えてゆくことを麓さんは今、真剣 に考えている。
ASIVIで飲んだ後は正一さんがやっている「2TONE TRACK」というバーに場所を移して飲む。
そこで同じカウンターで飲んでいた男性から声をかけられる。話を聞くと、その男性は今から4、5年前にオレが大分市でライブをやったときにオープングアクトで歌ってくれた人だった。名前は團塚さん。思わぬ再会。
なんでも昨年、大病を患って九死に一生を得た後、思うところあってホテルのフロント.マンの仕事を辞め、車に寝泊まりしながらの旅を始めたそうだ。奄美に は島唄にふれたくて2週間程前から滞在しているとのこと。車にはジャンベを積んでいるとのことなので、せっかくだから明日のライブで何曲か参加してもらう ことにした。
お店でバイトしているともちゃんは岩手出身の22歳。歌手を志して東京に出てきたときに奄美出身の唄者、朝崎郁恵さんのCDを聴き、感動。島唄を習うため に昨年、奄美にやってきたそう。4月には東京に戻るとのこと。せっかくなので明日の打ち上げで島唄を披露してもらうことにした。
いや~、楽しみ。

2003年3月16日日曜日

いや~、楽しみ。 2003年3月16日(日) 鹿児島 コロネット

夕方4時前に鹿児島到着。
プラットホームに降り立ってすぐ、吹く風の暖かさを感じる。南下していることを実感。
リハーサルの前に今日のライブの主催者である三浦さんが勤めるCDショップ十字屋クロス店に寄って行く。お~、オレの新譜が面出しでずらりと並べられ、試聴機にも入ってる。嬉しいね。
今日は東京から事務所の社長、川井さんがわざわざライブにやって来た。
この日の会場にはリハーサルからテレビカメラが入る。地元、鹿児島放送のテレビ番組がライブの一部を中継してくれるのだ。ライブ後にはインタビューも収録。
リハーサル中にPAトラブル発生するもなんとか解決。
60席程の狭い会場にカメラが入ったせいか、この日のお客さんはライブ開始からしばらくは少々緊張気味の様子。まあ、すぐにほぐれて、問題なし。
今夜も歌って、飲んで、食って、語って、ええ感じ。
三浦さん、サンキュー。お互い飲み過ぎ注意やね。また。

ライブ風景

2003年3月15日土曜日

2003年3月15日(土) 熊本 BATTLE-STAGE

ライブ前、通町筋界隈をぶらつく。若者も多く街がにぎわっている。
一日休養したのでバッチリの体調で本番にいどむ。
ここでやらせてもらったライブの中では一番お客さんを近く感じた。若い女性客のテーブルが最初から客席を率先して盛り上げてくれた。
今日は照明スタッフに愛を感じた。ミラーボールのタイミングもばっちり。
前回、プライベートで色々あって少し元気のなかった店長の林田さんが今回は元気。いっしょにうまい酒が飲めた。
二次会は馴染みのバーへ。ここのママがいい感じやねん。
夜の通町筋界隈も多いににぎわっていて、活気がある。通りにはストリート.ミュージシャンも多数。ネオンもギラギラ輝いている。なんか嬉しくなる。


 下通り界隈をぶらつくオレ

2003年3月14日金曜日

2003年3月14日(金) 熊本

わぉ、電車に乗り間違えた。博多から大分行きのJRに乗ってしまった。
小倉の手前で気付いて、ショック!えらい遠回りして熊本へ。
飲みにも行かずゆっくり休む。 

熊本駅からこの路面電車に乗りました

2003年3月13日木曜日

2003年3月13日(木) 小倉・福岡キャンペーン

小倉駅でお世話になっているイべンターBEAの森さんと再会。マネージャー二郎さんとも再合流。まず2件のCDショップを挨拶回りする。1件の応対した店員の態度が悪く、むっとする。
その後クロスFMの番組に生出演。それから博多へ移動。
RKB毎日放送の音楽番組でスタジオ・ライブとトークを収録。これだけ本格的なテレビ出演は久しぶり。いい番組をつくろうという現場のスタッフの熱意が伝 わってきて、触発される。番組のパーソナリティーは福岡の名物DJブッチさんとスターダストレビューの根本要さん。かなめさんとは番組でサム・クックの 『BRNG IT ON HOME TO ME』をセッション。
かなめさんは特に『ROLLN'』を絶賛してくれる。
打ち上げでも大いに語り合う。いつまでもロック少年の心を失わない愛すべき人だった。

撮影現場

2003年3月12日水曜日

2003年3月12日(水) 和歌山 オールドタイム

マネージャー二郎さんは車で福岡へ。オレはJRで和歌山へ。
オールドタイム近くの風俗店前でいつもみかける呼び込みのちょび髭親父に今日も声をかけられる。元気そうでなにより。
オールドタイムで歌うと、いつも自分の歌がうまくなったように思える。相性が良いのだ。
半年振りに再会したマスター松本さんも元気そう。
夏にマスターといっしょに県内数カ所のツアーを回る約束をする。

2003年3月11日火曜日

2003年3月11日(火) 大阪 バナナホール

1時から関西ウォーカーの取材。
3時からFM802の番組「フラワーアフタヌーン」でスタジオ・ライブ。『せつない幸せ』『雨に濡れたい』の2曲を歌う。
4時にバナナホール入り。
岡山在住のアカペラ・グループ、ベルベット・ポーのライブにゲスト出演。
彼らは主に頭脳警察のナンバーをアカペラで歌うという、個性的なグループ。
ライブでは『すべてを忘れない』『ミラクルマン』の2曲を彼らがコーラス・アレンジしてセッションしてくれる。

2003年3月10日月曜日

2003年3月10日(月) 大阪

午前9時MBS入り。20数年続く大阪の名物ラジオ番組「ありがとう、浜村淳です」にゲスト出演。オレのファンであるMBS緒方さんの尽力でこの出演が決定した。
パーソナリティーの浜村淳さんは関西では司会者として誰もが知る超有名人。その独特の語り口はオレも時々真似させてもらっている。
15分ほどの短い間ではあるが、しゃべりでからませてもらい、そのプロフェッショナルぶりに感銘を受けた。とにかく会話の流れをつくってゆくのがうまい。 一方的にしゃべるのではなく、相手の言葉をうまく引き出してゆく。だから会話がスムーズにスィングするのだ。勉強させてもらいました。
午後5時からは心斎橋タワーレコードでインストア・ライブ。本番まで少し時間があったのでコンピCDを3枚購入。

本番終了直後、心斎橋タワーレコードの今村さんと楽屋で

インストア・ライブの後、近くのCDショップを2件挨拶回りして、キョードー大阪の事務所で関西ぴあの取材。
その後キョードー大阪のスタッフの皆さんと会食。

2003年3月9日日曜日

2003年3月9日(日) 大阪

夕方4時頃、大阪到着。こっちも冷える。時々、粉雪がぱらつく。
時間があるので地元の友達家族といっしょに図書館へ。
夜10時からFM和歌山の番組に電話出演。

2003年3月8日土曜日

3月8日(土) 豊橋 ハウス・オブ・クレイジー

豊橋は風の強い町。今日は気温が上がらず、吹く風が冷たい。
ハウスの松崎さんとはデビューの頃から10年を越える付き合い。熱くなり過ぎず、冷め過ぎず、無理のないスタンスで接してくれるので長い付き合いができるのだろう。
今日のライブは出だし集中力散漫。どうも乗り切れない。
気分を切り替えて、とにかく歌に集中。途中からごっつう気が入る。

ハウスの前で。左からマスターの松崎さん、スタッフのまゆみちゃん、右は誰?

2003年3月7日金曜日

2003年3月7日(金) 名古屋キャンペーン

朝9時半、マネージャー二郎さんの運転するワゴン車で名古屋に向け出発。
好きなCDを聴きながらの車移動も楽しい。
持ってきたCDはGROOVE ARMADA『LOVEBOX』、カエターノ・ベローゾ&ジョルジ・マウチネル『オレは謝らない』、RY COODER&MANUEL GALBAN『MANBO SINUENDO』、ASA festoon『FELICIDAD!』、大工哲弘『EXO-PAI PATIROHMA』、『スリープ・ウォーカー『スリープ・ウォーカー』、他。
午後3時頃名古屋入り。
キャンペーンを終えて今池のカプセル・サウナにチェック.イン。ここの露天風呂付きサウナが最高やねん。
晩飯は打ち上げ御用達店でもある「ぴかいち」という中華料理屋へ。二郎さんと二人で結構、食いまくる。
その後、来月のライブでもお世話になる「得三」へ。そこで神戸のチキン・ジョージのブッキング・マスター橋川さんに会う。得三のオーナー森田さん、橋川さん、二郎さんとオレでテーブルを囲み、本格的に飲む。店を出たのは午前4時半 。