昼の12時頃に旅館を出て、この日の演奏場所である石巻市へ向かう。石巻はツアーで何度も訪れたことのある街だった。市内に入ってまず、高台にある日和公園まで行き、海沿いの街を一望した。
津波に飲まれた海沿いの街は、ほとんどその原型をとどめていないように見えた。瓦礫を撤去する重機の音ばかりが虚しく響いて聴こえた。
その後、公園から街へ下り、石巻港の辺りで下車して、廃墟となった街を見渡した。自分が生きている間に日本で、こんな光景を目にするとは思っていなかった。
最初、その場の光景を写真に収めることに、少しためらいを感じた。それでもデジカメとスマートフォンの両方でシャッターを切り、その光景をツイッターに上げた。写真をツイッターにアップするときは、写真におさめる時以上にためらいを感じた。
その時のつぶやきで、自分は目にした光景を「瓦礫の街」と表現した。しばらくして、自分のつぶやきを受け、一人のフォロワーの方から返信がきた。「震災
前まで人々の営み、暮らしが存在していたその場所を『瓦礫の街』という言葉で片付けてほしくない」といった内容だった。返信をくれたのは仙台在住の方だっ
た。その人の他のつぶやきを見ると、自分が写真をアップしたことに対しても批判的だった。こういう反応は、ある程度予測していたとはいえ、やはり考えさせ
られた。「仙台在住ということは、本人も被災され、身内や知人の中で亡くなられた方もいたのかもしれない」などと想像した。
このブログを更新するにあたっても、被災した街の写真をアップするかどうか、逡巡した。それでも自分は被災地での写真を掲載することにした。このブログ
を見てくれている人達に、現地の状況が少しでも伝わればと思う(自分が充分に知っているわけではないけれど)。
そしてこのブログを通じて、自分が被災地で感じた希望も伝えられたと思う。
この日のライブ会場「ラストラーダ」は、ツアーで何度も訪れた場所だった。まず、オーナーの相澤さん夫妻と再会できたことが嬉しかった。
お店に電気がきたのはライブ前日で、お店が入っているビルの1階には数週間前まで、津波で流されてきた船が突き刺さったままだったそう。
ビル横の空き地は、自衛隊によって、仮設風呂とトイレが設置されていて、地域の人達のなごみの場になっているようだった。
この夜のライブはラストラーダにとって、震災後の初ライブ、お店の再オープンを記念したイベントだった。入場は無料で、飲食持ち込みも可という、通常と
は違った形式。地元の人達を中心に、世代も幅広く、たくさんの人達が集まって、会場は熱気に包まれた。
3.11以降、被災地での初ライブということで、自分だけでなく中川君、克ちゃんも、最初は少し固さがあったように思うけれど、会場のかしこまらない雑
多で猥雑な空気が、3人をどんどん解放させていったように思う。愛のあるヤジやツッコミが結多くて、ちょっと大阪の乗りに近い感じ。ミラーボールもよく
回ってくれたなあ。
思いがけずボガンボスの岡地さんが、福島からライブを観に来てくれたので、アンコールで飛び入りしてもらい、「魚ごっこ」と「トンネル抜けて」をセッション。
後で、聞いたのだけれど、開演前から終演後まで、客席のあちこちで再会の挨拶が交わされていたそうだ。自分もライブ後、石巻のお寺の住職Hさんや、レゲ
エバーのマスターSさん等、地元の人達数人と嬉しい再会。ロフトプロジェクトのスタッフで、ピースボートにも所属して石巻でボランティア活動を続け、今回
のライブ実現に尽力してくれた上野くん、地元でボランティア活動を続けるその他のピースボードの若いスタッフ達、女川の蒲鉾屋高政の高橋君ら、この日は新
しい出会いも多数。
ライブ後、店の外に出たら、実に美しい満月が夜空に浮かび上がって、目の前の北上川の水面を照らしていた。街から灯が消えたせいで、余計に月の明るさが際立って見えた。宴の後、多くの人達が満月に見とれていた。
あまりにも濃密な1日だった。
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