賛否両論の映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』を観てきた。
ジョーカー信者の期待には安易に応えない、切実かつ誠実、前作とはまた違った余韻を残す傑作だと思った。観終えた後に無性に誰かとこの映画について語り合いたくなった。
前作がもたらした熱狂と社会に与えた影響は、トッド・フィリップス監督ら製作陣の想像や意図を超えていたに違いない。今作は、そのような状況を受けての製作者側の返答とも取れる内容に思えた。
ジョーカーの物語でありながら「悪のジョーカー」としての活躍がメインから外れているので、前作に比べればカタルシスに欠ける内容であることは否めない。けれど、そのカタルシスの抑制が、アーサーという一人の人間の機微によりスポットを当てる効果をもたらしたように思える。
前作に続き今回もホアキン・フェニックスの全身全霊の演技に圧倒された。自身が演じる主人公・アーサーへの深い理解と愛情なしにあのような演技は成り立たないだろう。
特に物語と歌詞を含めた音楽のリンクが素晴らしく、この作品をミュージカル映画として捉えるならば、自分の知る限り、これほど生々しく切実で美しいミュージカル映画には今までに出会ったことがない。
エゴを抑制したレディー・ガガの歌唱は無論、ホアキンの感情と直結したかのような企みのない歌唱にもぐっときた。選曲のセンスにも痺れたし、用意されるシチュエーションによってこれほどまでに楽曲のリアリティーが高まるのかと感心した。
劇中でレディー・ガガが歌う「That’s Life」は、8月の京都・拾得公演で近藤房之助さんとのデュオで演奏した曲だったし、エンドロールで流れたホアキンが歌う「True Love Will Find You in The End」は、ダニエル・ジョンストンのオリジナル・ヴァージョンで最近頻繁に聴いていた曲だった。こうした個人的なリンクも作品へのシンパシーを深める一因になったかもしれない。
「音楽があれば人間は狂わずにいられる」
悲しい物語の中で、このフレーズは一つの救いのように響いた。誰にとっても音楽が救いになればいいのだけれど。
物語は、「ジョーカー」がアーサーから他の誰かに受け継がれたことを示唆してエンディングを迎える。今作では、主人公のアーサーがジョーカーを全うできない男として描かれている。『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』は、怪物ではなく、繊細で弱く悲しい人間を中心に描かれた物語だった。そこに不満を感じた人も多いようだけれど、自分にとっては納得のゆく続編だった。
フィクションを超えてジョーカーが求められる社会、狂うしかやってられない社会はあまりにも不幸だ。現実社会がフィクションのディストピアに追いつかないことを願っている。
映画の更なる続編が作られるのかどうかはわからないけれど、人々の心の中からジョーカーが消えない限り、ジョーカーを巡る物語はこれからも延々と続いてゆくのだろう。
ー 2024年10月24日(水)
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