7月半ば、ケイヤン(ウルフルケイスケ)との充実した2人ツアーを終え、帰宅してからの数日間は、何もやる気が起こらなかった。嫌なことがあったわけでもないのに、気分が鬱々として、前向きな考えがちっとも浮かんでこないのだ。
これは、長年続けているツアー暮らしの中で、程度の差こそあれ、毎度のように繰り返されている症状である。それで、ある日の朝目が覚めたら、特に何かい
いことがあったわけでもないのに、すっと心に晴れ間がのぞいていて、何となく立ち直る、というのがよくあるパターン。身体も心も気紛れなところがあって、
どれだけ経験を積み重ねても、完全にコントロールすることができない。
それにしても、今回は立ち直りにいつもより時間を要した。心身の疲れに気づかないまま、長時間スイッチをオンにし過ぎていたようだ。調子に乗り過ぎたんやな。
気分がロウの時に「焦り」は禁物だ。そうなってしまったら、仕方がないと、なるべく諦めてしまうよう心掛けている。自分の身体も「自然」であり、「自
然」を完全にコントロールすることなど不可能なのだ。身体と心はつながっているのだから、身体がくたびれたら、心もくたびれるのが当然。抗うばかりではな
く、「自然」に身を委ねることも大切だ。そうすることで、思いがけないギフトを受け取ることもある。
あまりきついスケジュールを組んで、自身を管理しようとし過ぎないことだ。それは、「自然」に対する人間の傲慢さのあらわれと言えるかもしれない。もっと「ゆるさ」を保ってやろう。でも、やりたいことが色々とあるんやなあ。欲深い人間だと思う。
「『自然』を完全にコントロールすることなど不可能である」という認識がもっと一般的になって、社会のシステムに反影されるようになれば、世の中は随分
と変化するだろう。そういう認識の元で、原子力発電所は存在しえないはずだ。逆に言えば、自分達の「自然」に対すると認識と姿勢が、原子力発電所を生み出
し、それらを維持させる一因になっているとも言えるんじゃないだろうか。やはり、他者に対してばかり変化を求めても、世の中は変わらない。自身も変わらな
きゃ。
言うは易く行うは難し。自分を変えるって、そんなすぐできることとちゃうわなあ。
今日は自宅近くの海岸で、ゆるく夕暮れ時を過ごした。自分にとっては最高のチャージ場所。そのときの写真を添付します。お裾分けになれば。
ー2012年7月31日
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