8月11日の金沢・もっきりや、12日の京都・拾得でのライブは、自分にとって里帰り的要素の強いライブになった。
初めてもっきりを訪れたのは、16歳の夏だった。当時、3つ上の姉が金沢の大学に通い、もっきりやでアルバイトを初めていたで、夏休みを利用して、会いに行ったのだ。
そのとき、姉のはからいで、もっきりやでジャズピアニスト、山下洋輔さんのトリオ編成のライブを最前列で観させてもらった。
最初は、目の前で繰り広げられるインプロビゼーションの嵐と、山下洋輔さんの打楽器のような激しいピアノプレイに、ただただ圧倒されていたのだが、その
内に頭がボ~っとしてきて、ライブ途中から、こともあろうに客席最前列でふらふらと船を漕いでしまった。
とは言え、悶々とした日々を過ごしていたティーンエイジャーにとって、そのときに体験したライブのインパクトは強烈だった。演奏だけでなく、ライブ空間
のあり方そのものが、10代の自分に強い印象を残した。多分、あの時が「コンサート」とは違う「ライブ」というものを初体験した瞬間だったのだろう。その
日から、もっきりやは自分にとって憧れの場所になった。
あれから30年以上の歳月が流れ、自分は16年前から演奏者としてもっきりやに通うようになった。マスターの平賀さんの印象は、高校生の時に初めて出
会った当時から、ほとんど変わらない。平賀さんは今も、音楽にときめき、憧れ続ける素敵なロマンチストだ。
ツアーでもっきりやに到着したら、まずカウンター席に座って、平賀さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、スピーカーから流れる音楽に耳を傾け、音楽
談義に花を咲かせるのが、1つのセレモノーのようになっている。好きな曲のことを嬉しそうに思い入れたっぷりに語っている時の平賀さんは実にチャーミング
で、こちらも幸せな気分になる。人を最も遠くへ連れて行ってくれるのは、きっと想像力なんだろう。平賀さんは、歌の中で何度も恋に落ち、終わることのない
旅を続ける「カウンターの中の旅人」だ。その恋は成就することがないから「カウンターの中の寅さん」とも言えるかも。
もっきりやでは、無理せず自然に、たくさんのインスピレーションを受けながら演奏することができる。自分の可能性が引き出される感じ。この日も、まさにそんなステージになった。この感覚を忘れずにいたい。
京都・拾得のステージに初めて立ったのは、自分が大学2回生だったか、3回生だったか。とにかく、それから4半世紀以上の歳月が流れたけれど、拾得の印象も、マスターのテリーさんの印象も、当時とほとんど変わらない。
この日、拾得の入り口のドアを開けるとき、少しドキドキした。緊張と期待で胸を膨らませていた25年前の感覚がよみがえった気がした。
拾得でワンマンライブをやらせてもらうのは、7年半振り。思い入れたっぷりの長いライブになった。
この日は、学生時代からの音楽仲間で、80年代後半から、ずっと拾得のステージに立ち続けている中島英述(shakin'
hip
shake)と西山元樹(DayBreakers)をゲストに招いた。この機会を逃したら、今度いつ2人と同じステージに立てるかわからない。自分にとっ
ては、とても貴重なタイミングだったのだ。この日のステージにおいて、2人は、自分の過去と現在を繋げてくれる存在でもあった。
この日は、自分にとって嬉しいサプライズがあった。同じく学生時代からの音楽仲間であるサックス奏者の小松竜吉(ex大西ユカリ&新世界)が、前日に
フェイスブックを通じて、この日のセッションに参加したい旨の連絡をくれのたのだ。断る理由はなかった。4人の出演者全員が互いに、学生時代からの音楽仲
間であり、長い歳月を経て、このように拾得のステージで再会を果たせることが、嬉しくて誇らしい気がした。音楽で食っていようが、いまいが関係なく、好き
な音楽をずっとやり続けてきたからこそ、実現することのできた再会なのだ。
ルーツを共有し、ずっと大切にしてきた4人だから、長い歳月を経ても、違和感なく音を交わし合うことができた。とても楽しくて、感慨深いセッションになった。この再会を皆が喜んでくれたのが、ほんと嬉しかったなあ。
拾得は来年、お店をオープンしてから40周年を迎える。ライブの後に、マスターのテリーさんと奥さんのふうさんから、来年2月の40周年イベントへの出演のお誘いを受けたのも嬉しかったなあ。
当たり前の話だけれど、今の自分は、過去からの積み重ねと、さまざまな出会いによって成り立っている。この日のゲスト3人も、拾得のテリーさんも、もっきりやの平賀さんも、今の自分を成り立たせてくれている大切な存在なのだ。
未来に向かうためには、前ばかりを見るのではなく、過去を振り返り、確認することも必要だ。お盆の時期にふさわしい貴重な2日間だった。
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