「ライブ前に緊張しないんですか?」「ステージ上で不安にかられたりしませんか?」といった質問をしばしば受けます。正直に話せば、いまだにライブ前はある程度緊張するし、不安にもなります。
調子がよくない時は、ステージに出てもふわふわした状態が続き、不安を振り払って集中力を維持できるようになるまでに、時間がかかってしまいます。経験
を積み重ねて、若い頃に比べれば、ある程度自分の精神状態をコントロールできるようにはなった気はしますが、それでも完全にコントロールすることはできま
せん。特に疲れてるときはダメです。
年間130本前後のツアーを回っていて、毎回ベストコンディションでステージにのぞむことは不可能です。だから、調子が悪い時は、悪いなりに時間をかけ
てでも歌に向き合い、次第にその場とアジャストし、共鳴してゆく、そういったプロセスを見てもらうことをイメージしています。つまり、完璧な形をみせるの
ではなく、その夜のライブが1つのドキュメンタリーとして成立すればいいと考えるようにしています。
人前に立つ上で、完全に不安を取り除くことは無理なんじゃないかと思います。その日にどんなリアクションが起こり、どんな共鳴が生まれるかは、やってみ
ないとわからない。やり方の正解はその都度変わってゆきます。どんなに経験を積み重ねても、ライブはいつだって、未知をはらんだ世界です。それはワクワク
することであると同時に、やはり不安と緊張をともないます。人生と一緒です。
だから、腹を決めるべきなんです。「不安」と向き合ってやる、付き合い続けてやるんだと。そうやって毎回「不安」を乗り越えてやるんです。
いや、きばり過ぎやな。考えてみたら、解放、歓喜に至る過程には、いつも「不安」が存在するような気がします。「不安」なくして解放なし。ならば、「不
安」のことをもっと大切に思うべきなのかもしれません。「不安」と闘うのではなく、毎回「不安」を迎え入れた上で、その先へ向かう。 そんなイメージ。
不安なときは孤独です。孤独なときは不安です。人は孤独から一時逃れることはできても、ずっと逃れ続けることはできません。だから「不安」からも逃れる
ことができない。自分の書いた曲で「孤独とダンス」というタイトルの曲があるのですが、「不安」ともダンスを踊ってやるのがいいのかもしれません。しばら
くご無沙汰していても、生きている限り「不安」は折々に必ず戻ってきます。どうやっても逃れられないのなら、嫌わずに迎え入れてあげた方がよさそうです。
ただ、「不安」とどっぷり付き合い過ぎることの危険性も感じています。性急に「不安」の正体を突きつめようし過ぎると、底なし沼に足を取られて、引きず
り込まれそうな気がするのです。この世はどこまでも謎に満ちていて、生きている限り、不安に対する究極の解決策は存在しないように思います。知らなくてい
いこともあるのかもしれません。本来、「知る」という行為は、自分の足下さえ崩しかねない危険性、恐ろしさを伴っていると思います。人間関係と一緒で、
「不安」との付き合いも距離感が大切なのでしょう。
とは言え、僕たちは自らが抱える「不安」に向き合うことを避けるばかりで、あまりにもその正体を知らなすぎるのかもしれません。適度な距離で付き合え
ば、「不安」はそんなに悪い奴じゃない、きっと、さまざまな気づきを与えてくれる存在のはずです。
不安や孤独をゆっくり掘り下げてゆけば、いつか、共感や解放をもたらす豊かな水脈に通じる。そんなイメージを持ってみてはどうでしょう。「不安」とは、
生きてゆくための潤滑油になりうる大切な感情の1つです。「不安」とも、いいお付き合いをさせてもらえたらと思います。
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