YouTubeで、ある候補者の演説をみて、ぐっときた。新しい選挙スタイル。違いを解して尊重し合い、和をとるテク
ニックを磨く、
「戦う」「倒す」ではなく「語り合う」「分かり合う」、そういう姿勢に共感できた。時々恥ずかしくなることも言う。その「青さ」が魅力にも思えた。
また別の彼の演説をYouTube見たら、「あれ?」と思うことも言ってた。これは、足をすくわれそう。それでも、やっぱり惹きつけられた。勇気がある。
共鳴力がある。言葉が音楽になってる。キング牧師の演説を聞いたときもそんな風に思った。ヒトラーもそうだけど。
その候補者のことを調べてゆくうちに、同調できない言説もいくつか。ちょっと危うい。でも、この人、体験して変わってゆける柔らかさがあるんじゃないか。これから経験値を深めてゆける人ではないかと。そこに可能性を感じた。
「オレ1人に頼るな、人まかせにするな」と彼は訴えていた。カリスマが求められる世の中は不幸だ。3.11以降、よりそう感じるようになった。多分同じよ
うに考えている彼自身もカリスマ性が高い。ルックスもよくって、意味を超えて共感させる力を持ってる。だから、危険性も孕んでる。その力をこれからどう
使ってくれるか。
彼が当選する可能性は低いみたい。死に票になってしまうのもなあ。でも、国会に行く姿を見てみたいなあ。
やっぱり、政治は政治のプロにまかせるべきなのか?現実的なスキルのある人に一票をたくすべきなのか?政治は残酷は現実の世界。甘っちょろい理想なんて通じないのか?
いや、今迄、プロにばかりまかせ過ぎた結果が、この状況ではないか?現実に流され過ぎた結果が、54基の原発を許し、あの事故を招いたんじゃないか?状況
を変えてゆくには、プロにまかせるだけでなく、アマチュアの視点や態度も必要なのでは?理想に走り過ぎるのは危険だけれど、3.11以降、理想の欠如に
よってもたらされた社会のあり方に、違和感を強くしていたのも事実。
「理想」と言えば、時の首相も「理想主義者」の側面があるんじゃないか?こちらが描く「理想」とは大分離れているけれど、私利私欲の人ではないのかも。あ
る意味、自分の「聖域」を大切にしている人、ピュアネスを維持してきた人なんじゃないか?もしかしたら、ピュア過ぎて、理念が強過ぎて、理念のために暴走
する危険があるんじゃないか?
今の世の中、酸いも甘いも知った叩き上げの人材って、なかなかいない気がする。多分、現代人は、総合力が落ちてる。情報量は爆発的に増えたけれど、体験値が少ない。だから、謙虚にフォローしあわわないと。
3.11以降、世の中には、理想が足りなかったんだと感じてきたけれど、もしかしたら今は、理想が暴走する危険性を孕んだ社会になるつつあるのかもしれな
い。自分がみている現実がすべてだと思ったら間違い。見えてない現実がたくさんある。「理想主義者」はそのことを忘れがちなんじゃないか?どの方向に行こ
うとも、極端に一方向に走ると「不寛容」がひろまり、対立がより深まる気がする。
いらついた誰かが、共通する考えが多いはずの候補者をツイッターで批判し始めた。その指摘が必ずしも間違いだとは思わない。でも、伝え方がよくない。話し合いの余地なしって感じ。遺恨が残りそう。
余裕がなくなるにつれて、寛容さが欠けてくる。それって、今の世の中そのものじゃない?「正しさ」をぶつけあうと、どんどん互いを許せなくなる。近いはずの人間同士が「許せない相手」になってしまう。繋げる役割が必要。
もう余裕がない、時間がない。これが最後のチャンス。方々からそんな声が聞こえてくる。焦らされるなあ。冷静な思考を奪われそう。強迫的なのはよくない。
自分の票が死に票にならないように、現実的に考えて、確実にクサビを打ち込むことを考えるべき。それも確か。政策面での違いが少ない政党や候補者が多いのだから、もう少し選挙協力して一本化の方向にいってくれたら、ここまで悩まなかったのに。
政治は好きじゃない。でも、無視できない。やはり、新しい動きには期待したい。
考える程、心が重くなるなあ。ここまで悩んで投票したのははじめて。期日前投票を終えた後も、まだ気持ちがもやもや。当事者意識が高まったってことかなあ。
ー2013年7月19日
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