2003年7月25日金曜日

2003年7月25日(金)

大阪 martha(dinning cafe+goods)
今日は学生時代からの親友であるK夫婦が、今年オープンさせたばかりのカフェ、マーサで演奏した。マーサとしては初企画のライブ。
K夫婦には普段から色々とお世話になっているので、せめてもの恩返しにと、自分が自宅で使っていたエレキピアノを寄贈する。今日はそのエレピで演奏した。
Kとは学生時代の4年間を、いっしょにバンドをやって過ごした。彼の担当はドラムである。その時の音楽体験は自分の重要な原点の一つになった。Kをはじめ、そのときのバンド仲間から受けた影響は大きい。彼らの多くとは、今も付き合いが続いてい
る。
そのうちの一人、Tは地元の伊勢でカップジュビーという店をやっていて、年に一度は歌いに行かせてもらっている。
KともTとも、ずっと仲がよかったというわけではない。最初は親兄弟よりも親密な関係だったのが、次第にすれ違い、傷つけあったりもした。まあ、よくある話である。
Kは結構口が悪く、意地悪なところもあって、半ば確信犯的に随分ひどいことを言うことがあった。
大学を卒業してすぐの頃、Kと二人きりで串かつ屋で飲んでいた時のことだ。お互い、随分とアルコールが入っていた記憶がある。確か、いっしょにやっていた バンドを解散させるという話をしていたのだと思う。彼の方でたまっていた思いがあったのだろう、とにかくこれでもかというくらいボロカスに罵倒雑言を浴び せられた。まさに、サンドバッグ状態。
大学を卒業してKは家業を継ぎ、オレは就職せずライブハウスでバイトしながら音楽で食って行く道を模索していた。モラトリアムの時期が終わり、お互いに 別々の道を歩みだそうとしていたときだ。二人とも不安だし、余裕がなかったし、自分達が置かれている現実に苛立ってもいた。
とにかくオレはひどいショックを受けて、部屋に戻るなり、Kからあびせられた言葉の一語一句を忘れまいと、それらを思い出しノートに書き止めた。今となっ ては笑える自分の行動だが、その時はもう胃がねじれるような思いだった。必死にKの言葉と、そして自分自身と向き合おうとしていたのだと思う。
それから数カ月してKと会う機会があったのだが、あれだけのことを言っておきながら奴はケロっとしているのだ。言いたいことを言ってしまって、すっきりし たのだろうか?オレがちゃんと受け身を取るだろうと考えていたのか?拍子抜けするぐらい奴は普通に悪びれることなくオレに接してくるのだ。
それで、なんだか自分も、まあいいかという気持ちになった。もちろん言われた言葉は忘れていなかったけれど。
随分なことを言われたけれど、そのときのKの言葉が自分の気持ちを吹っ切らせて、ソロ.アーティストとしてプロでやって行くんだという思いを強くしてくれた気がする。はなむけの言葉にしては、強烈過ぎたが。
まあオレの方も、結構、無自覚に相手を傷つけたり、苛立たせたりしていたようなのだ。そういう意味では自分の方がたちが悪かったのかもしれない。
Kとの付き合いは結局、今までほとんど途切れることなく続いている。奥さんとの付き合いも大学時代からだ。
数年前にまたKと二人で飲んでいたときに、さっきの串かつ屋での話を彼にしたら、全く覚えていないというので、がっくりした。ほんまに、覚えてへんのかな。まあ、ええけど。
Kも、伊勢のTも、オレも、次第に自分の立ち位置、生活スタイルを見つけ、前よりも余裕ができ、少しは優しくなった。違う生き方をしている人間として、次第に認めあえるようになってきた気がする。
いい時期に昔からの仲間が店を始めて、そこで歌わせてもらえるのは、とても嬉しい。
今日のライブのチケットは早くに売り切れていて、会場の雰囲気は開演の時点で、いい感じで出来上がっていた。すみずみまでこだわりを感じさせる店の雰囲気 とおいしい料理、そしてスタッフの気づかいが既にお客さんの気持ちを盛り上げていたのだろう。そして最高のライブである。自分で言うか。お店との理想に近 いコラボレートができたと思う。
学生時代からの音楽仲間も何人か駆け付けてくれた。
もちろん彼らとはライブの後、いっしょに打ち上がった。皆、元気そう。
オレはほろ酔い気分で、自分達のことを誇らしく思った。


★マーサにて、アンコールの時にステージから撮影。

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